運命に花束を

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運命に花束を②

運命と試練③

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 眠るグノーの首筋にそっと指を這わす。
 こんな事があるたびに、いつも迷う自分がいる。この人を殺して、自分も死んだら楽になれるのに……その細い首に両手をかけて、少しの力を加えれば彼はすぐに力尽きるだろう。
 そんな事は、分かっているのだ……

「なんだ……お前、諦めたのか?」

 部屋の扉が開いた事にも気付かず、はっと我に返る。
 顔を上げれば、あまり機嫌の良くなさそうな表情のスタールが「邪魔するぞ」と部屋の中に入ってきた。

「あぁ、スタール……何の事ですか?」
「首、絞めてるように見えたからさ。ついにお前もこいつを正気に戻すのを諦めたのかと思ったんだが、違ったか?」
「縁起でもない。私がこの人を手にかける訳ないでしょう」

 ナダールは微かに笑い、それを見やったスタールは「ふ~ん」と扉を背に寄りかかった。

「傷の具合は如何ですか?」
「別に見た目ほど酷くもねぇよ。力仕事はしばらく禁止されたがな」
「そうですか、それなら良かった。今日は本当にありがとうございます」

 そう言って笑みを見せるナダールにスタールは面白くもないという顔で「ちっ」と舌打ちをする。

「嘘くさい笑い顔だな。別に無理して笑う必要ねぇよ」
「あぁ……やっぱり顔に出てますか?」
「もう疲れた……って、でっかく書いてあるな」

 「そうですか……」と呟いて、ナダールは椅子に腰掛け、その顔を両手で覆った。

「正直参っていますよ。ようやく回復の兆しが見えたと思ったのに、また元通りです。この環境でこの人を回復させようとした、私の見通しが甘すぎました」
「それで、お前は諦めるのか?」

 スタールの言葉に苛立って、ナダールは顔を上げる。

「さっきから一体なんなんですか! そんなに私にこの人を治すのを諦めさせたいんですか!?」
「別に……いや、そうなのかもな。もしお前が諦めたんなら、俺がこいつを貰おうと思って、俺はここに来た」
「は? 何を言っているのか分かりませんね。この人を貰う?ありえない。そもそも手に負えないと言ったのはあなたの方ですよ」
「そうだな、その通りだ……ひとつ、昔話を聞かせてやるよ」

 そう言って、スタールは淡々と語り出した。

「前にお前、俺に母親に『死ね』と言われた事があるかって聞いたよな? 俺はあるぜ、俺の母親は場末の娼婦で、そりゃあ荒れた生活だったからな。父親には存在否定だっけ? それはそもそも父親自体がどこの誰だか分からなかったから何とも言えねぇ。まぁ、それでもこいつよりマシなのはダチには恵まれた事だったな。言っちまえば、俺もお前の言う所の『愛を知らない子供』ってやつなのさ。お袋は酷いアル中の淫売で、いつも酒と男に溺れていた。毎日毎日子供の前だろうとお構いなしに盛っていて、俺は物心付く頃には世界はそういうもんだと思ってた。男がいるうちは優しい時もあったがな、基本的には最低の女だったよ」
「なんで……そんな話……」

 突然語りだしたスタールの意図が見えなくて戸惑っていると「まぁ、黙って聞いとけ」と彼は続けて語りだした。

「お袋もさ、若いうちはそこそこ見れる顔もしてたし、Ωのフェロモン? とかいうのもあって男も絶えなかったんだが、ある程度歳がいってくると段々その辺の男には相手にされなくなってな、寝込みを襲われたのが俺が13の時だった。言っても、俺も男だし、女と違ってなくす物もないからな、別にどうでもよかったけど、なんだろうなぁ、酷く虚しかったのだけは覚えてる」
「…………」

 グノーとは別の意味で壮絶な過去語りにナダールは言葉も出ない。

「それからはずっと俺はお袋の男娼さ。お袋もこいつと一緒でな、抱かれないと気が済まない、愛情表現がそれしかない、ってそんな感じだったな。まぁ、なんだ、似てんだよな、こいつにさ。そんなお袋も俺が18の時に死んじまった。もうこんなの真っ平だ! って拒否って逃げた翌日に、首括って死んでたよ……俺が殺した、そう思ったな」
「そんな……」
「別に悲しくも何ともなかったけど、後味は悪かったな。でも、これで解放されたってそう思ったのも事実だよ」

 そこまで語って、スタールはひとつ溜息を落とした。

「忘れてたんだよ、お前等に会うまでは。正しくはこいつのこんな姿を見るまでは、な。お前等見てたら色んな事を思い出すんだ、優しい時だってあった、母親らしい時だってあった、そんな事ばっかり思い出して、胸が詰まる。俺もお前みたいになれば、お袋も死なずに済んだのかな……とか、今まで考えた事もないような事を考えちまう。だから、お前がこいつを諦めるなら、俺にこいつを寄越せ。もう一度、俺にもチャンスがあるなら、俺にやらせてくれてもいいだろう?」
「……すみませんが、お断りします」

 ナダールは言って首を振る。
 「まぁ、そう言うだろうと思ったけどな……」とスタールは自嘲気味に笑った。

「でも、だったら最後までこいつの面倒を見ろ。途中で投げるくらいなら俺に寄越せ。忘れるな、こいつを絶対殺すんじゃねぇぞ」
「言われなくても分かっています。グノーは絶対、私が治してみせます」

 ナダールの宣言にスタールは少し肩の力を抜いたように、ふっと笑った。

「話しはそれだけだ、邪魔したな」

 スタールは踵を返し、そのまま扉を開けて部屋を後にする。
 その背中に「ありがとうございます」とナダールはもう一度頭を下げた。



「んっ……っふ」

 息苦しくて目覚めると、そんな時は大概激しく唇を奪われていたりする。

「んっ、んん、何?」
「おはようございます。あぁ、まだ夜なんで、こんばんは、ですかね?」

 その笑顔を見るのはいつもの事で、あぁ、またやるのかな? と寝惚けた頭でそう思った。
 別段それは珍しい事でもなく、早朝明け方からというのもない話ではないので、瞳を閉じて、彼の背に腕を回し、そのキスに応える。

「んっ、ふっ……何? こんな時間に珍しいな? いつもなら一回寝たら起きないくせに」

 ベッドの上に両腕を付いたナダールの腕の中に閉じ込められて、その幸せな檻に閉じ込められている事を嬉しく思う自分も、ずいぶんナダールに毒されていると思う。

「怖い夢を見たので、あなたに慰めて貰おうと思って……」
「怖い夢?」
「えぇ、あなたに、お前は怖いと泣かれてしまいました」
「んふ……何それ? 俺がそんな事言う訳ないじゃん」
「そうですか? 本当に? 内心では少し怖いと思っているんじゃないですか? 私は重くないですか?」
「お前はでかいからなぁ……」
「いえ、そういう事を言っているのではなく……」

 「分かってるよ」とグノーはおかしそうにけらけらと笑った。

「時々はな、思うよ。でも、それで言ったら俺の方がもっと重いだろう? 俺にはお前くらいがちょうどいい。重すぎても潰れるけど、軽かったらこっちが重みで潰しちまうよ」

 釣り合いが取れてちょうどいい……と彼は目を細めてナダールの頬に手を伸ばし、微笑んだ。

「何か不安でもあんの? 今日はやけに後ろ向きだな、いつものお前どうしたよ?」
「なんですかねぇ、私もちょっと疲れているみたいです。あなたは大丈夫ですか? どこか痛んだりはしませんか?」
「ん~? 俺、どっか怪我したりしてたっけ? あれ? そういえば、なんか今日の記憶曖昧だけど……また何かあった? それとも寝惚けてるだけかな?」
「きっと寝惚けているだけですよ。それより、どこも痛くないのなら、少しお疲れ気味の私を甘やかしてくれると嬉しいのですけど、駄目ですか?」
「どうした? どうした? 甘えたいのか? んふふ……可愛いなぁ」

 含み笑うようにそんな事を言って、グノーはナダールの頭を撫でてにこにこしている。

「こんな大男捕まえて、可愛いはないですよ……」
「可愛い、可愛い。いつものどこまでも前向きなお前も好きだけど、ちょっと後ろ向きにお前が弱ってるの、珍しくていいな」
「珍しいって……私だって落ち込む時くらいありますよ」
「普段そんな姿ほとんど見せないじゃん。いいな、こういうの。何して欲しい? 甘やかしてやるよ、言ってみ」

 甘やかして欲しいと言ってはみたものの、特に何かをして欲しかった訳ではなかったナダールはしばし考え込む。

「それじゃあ、あなたがされて一番嬉しい事、してください」
「俺がされて嬉しい事? 難しい事言うな」
「難しいですか?」
「色々ありすぎて選べない。俺、お前になら何されても嬉しいから。でもまぁ、これかなぁ……」

 そう言って、グノーはナダールの頭を抱えて、ぎゅうと抱きしめた。

「心臓の音、聞こえる? 俺、お前の心臓の音聞いてると、すごく落ち着くんだ。なんでかな? すごく安心する」

 彼は髪をさわさわと撫でながら、瞳を閉じた。
 規則正しい鼓動、温かい腕の温もり、触れる人肌、彼の甘い匂いが嗅覚をくすぐる。
 いつも彼がするように胸に顔を埋めて耳を澄ますと、静かな静寂の中、世界にはもう2人しかいないようなそんな気持ちにさせられる。

「そういえば今日、俺も変な夢見たな……お前が俺を庇って刺される夢」
「私が、ですか?」
「どっかの知らない奴に襲われて、お前が助けてくれたけど、刺されて血だらけで、怖かった。お前が血を流すくらいなら、自分が刺された方がまだマシだ」

 スタールと自分は背格好が似ている。後ろ手に庇われている状態で、恐らく背中しか見ていなかったせいだろう、グノーの記憶はどこか混乱していた。

「それは怖い夢でしたね。でも夢は夢ですよ。ほら、私、どこも怪我なんてしていないでしょう?」
「そうだな、夢で良かった。お前は絶対俺より先に死ぬなよ、そうじゃなきゃ、俺はまたきっとおかしくなる」
「そうしたら、私はあなたの少しだけ後に逝けるように努めますよ。私もあなたのいない世界を一人で生きるのは嫌ですからね」
「ふふ……じゃあ、あの世でもお前と一緒だな。あぁ、でも俺は何人も殺してるから地獄行きかもなぁ……」
「それでも私はちゃんとついて行くので大丈夫ですよ。私がしつこいの、知ってるでしょ?」
「あはは、そうだなぁ。あの時も、今も、一緒にいてくれてありがとう。これからも末永くよろしくな」

 その言葉に泣いてしまいそうで、瞳を伏せる。また一人、死にたがりの彼を助けられた。

「ん~? どうした? 寝ちまったのか?」

 人のこと起しといて……とぶつぶつ言いながらも、髪を撫でる手は優しくて、愛しくて、たまらず彼を抱きしめた。

「寝てませんよ。我慢できないので、抱いていいですか?」
「お前はやっぱりそっちの方がいいんだな」

 おかしそうにくすくす笑って、彼は「いいよ」とナダールの背に腕を回してくれた。



「あなたは怪我が治るまで、グノーとの面会は禁止です!」

 翌朝、スタールに会って開口一番そう告げた。

「あぁ? なんでだ? こんな怪我までして助けてやったのに、そりゃあ理不尽な話だな」

 別に礼など求めてはいないスタールだったが、面会禁止の意味が分からず、つい不機嫌にナダールを睨み付けてしまう。

「グノーの記憶がいい具合に混乱していたので、昨日の事はすべて夢だと思い込ませました。なので、あなたに出てこられると困るんです。分かって貰えますよね?」

 にこにことご機嫌な笑顔のナダールに、スタールは胡乱な瞳を向ける。

「お前、それは牽制のつもりか? 別に俺はあいつに何かしようなんざ思っちゃねぇぞ」
「何のことですか? 牽制? そんな事はしなくても、あの人は私の物ですよ」
「そうかよ、それなら別にいいけどよ」
「ただ、今まで本当に不思議だったのですよ、あなたが何で私達にここまでよくしてくれるのか。それが分かって安心しました」
「安心?」
「変な下心や裏はないと分かりましたから。あなたはあの人には絶対手を出さない、出せないんでしょう?」

 ナダールににこやかに指摘されてスタールは憮然とする。
 スタールはグノーに母親を重ねている、彼にとってはグノーは母親であり恋愛対象にはなりえない。
 だが、スタールは母親を抱いていた過去もあり、そこを踏み越える可能性もなくはないが、もしスタールがナダールと同じやり方で彼を治そうと思ったとしても、それは不可能で、その事によってグノーの症状が悪化するであろう事も彼は理解している。だから、彼は決してグノーには手を出せないのだ。

「お前のそういう、なんでもお見通しって顔、本当に腹が立つ」
「それ、時々グノーにも言われるんですけど、私、そんな顔してますか?」
「してる、してる。俺は当面絶対安静だ、好きにしろや」
「はい、そうします」

 ナダールは昨日とは打って変わった満面の笑みだ。

「私ね、本当に嬉しいんですよ。今まで普通のあの人に興味を持つ人は幾らもいましたけど、おかしくなったあの人に興味を持った人なんて初めてなんです。私も相当病んでいるとは思うのですけど、なんだか仲間を見付けたようで嬉しいです」
「俺をお前と一緒にされたらかなわねぇよ。それに俺は嬉しくない、トラウマ掘り返されて不愉快だ」
「そんな事言わずに、今度ちょっとお酒でも飲みながらお話聞かせてくださいよ。色々と参考になる話がありそうです」
「懐くな、うっとおしい! 俺は嫌だからな、お前絶対絡み酒だろう! 酒は楽しく飲むもんだ、お前の病みトークなんざ、聞きたかねぇ!」

 「え~そんな事言わずに……」と更に食い下がるナダールに「寄るな!」と叫んでスタールは逃げ出した。

「本当に、嬉しかったんですけどねぇ……」

 ナダールは一人呟く。
 平々凡々に生きてきた自分の人生の中で、グノーは異端過ぎて、潰されそうな時は幾度もあった。けれど、それをまるで普通の事のように受け入れてくれた彼がとても衝撃的だったのだ。
 あまつさえ、あんな状態のグノーを自分に寄越せとは、そう言える言葉ではないと思う。
 あげるつもりはさらさらないが、それでも一人でも理解者がいるというのはナダールにとってとても心強かったのだ。

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