運命に花束を

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運命に祝福を

魔窟の住人 ①

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 知っているはずの知らない男が目の前を歩いて行く、俺は声を上げようとするのだけど声が出ない。ならば追いかけようとするのだが身体も思うように動かなくて、なんでこんな事になっているのか、と混乱する。
 そうこうする内に彼の背中は遠くなって、俺は何もできずに途方に暮れた。

「なんで……」

 自分の声が妙に頭に響いて、気が付いたら俺はベッドの中だった。

「あら、目が覚めたようね」

 傍らに居た女があまり機嫌の良くなさそうな表情で俺の顔を覗き込んだ。

「ここは……?」
「ヘルニドの宿よ」
「なんで……?」
「目の前で人が倒れたのに放っておける程薄情じゃないわよ! しかもあなた、男のふりして、男の子じゃないじゃない! 嘘吐きね!」

 俺の服の前は寛げられている。倒れた俺を介抱する為に脱がせようとしたのだろう、そして胸を見られたか。

「ごめん、迷惑かけた……」
「もう今更だわ、どのみち今日はここから動けそうもないし」

 溜息を吐くように女は言った。彼女は俺の従姉、レイシア姫だ。彼女はその事を知りはしないけれど「山の民は大嫌い!」と言い放ったわりにはこうやって俺の介抱をしてくれていたようで、根は優しい人なのだろう。
 俺がベッドから起き上がると、額から濡れタオルが落ちた。

「まだ寝ていたら? あなた熱が出ているみたいよ」
「熱……」

 言われてみたら確かに身体は少しふわふわしている気がしなくもない。ここ数日色々な事があって、少し身体が驚いてしまったのだろう。

「ところで、ねぇ、『ユリ』ってあなたの何なの?」

 いぶかしむように彼女は俺の顔を覗き込んだ。

「あ……」

 思い出した、俺は兄であるユリウスを国境で見かけたのだ。恐ろしいほどの威圧を放って、悠々と目の前を歩いて行った。まるで俺の事など目に入っていないような感じで、知らない女を腕に抱き、そのまま姿を消してしまった……

「もしかして、恋人とか?」
「え……? ちっ、違います!」
「あらそう、なら良かったわ。私はてっきり目の前でよその女に攫われたあなたの恋人なのかと思ったわ」

 彼女の目には俺は恋人に捨てられた女とでも映ったのか? なんだか情けないな。それにしてもあの状況はそんな生易しいものではなかっただろう?
 ユリウスのフェロモンに当てられるようにして逃げ惑う人々。彼はただ女を抱いて目の前を通り過ぎていっただけなのに、誰もがその存在に恐怖していた。
 その光景は明らかに異常そのもの。

「でも、だったらあの人は誰だったの?」

 レイシア姫はあまり機嫌のよくない表情で小首を傾げる。
 あの男は姿形は俺のよく知るユリウスだった、けれど目の前を通り過ぎて行ったあの人はまるで俺の知らない男だった。俺は一度瞳を閉じて「俺の……兄です」とそう告げた。

「兄? お兄さん? でも、あの人どう見てもランティス人だったじゃない!」
「兄はメリアとランティスのハーフです。俺はその家族に面倒を見てもらっていた養子で、血の繋がりはないです」

 俺の言葉にレイシア姫は「ふぅん」と面白くもなさそうに頷いた。

「でも、なんであなたの兄は国境破りなんてしたの? お陰で今日は国境も閉じられて私達は立ち往生よ」
「そんなの、俺が聞きたいよ……」

 きっとあの場にいた誰よりも俺が一番混乱している、ユリウスはカイトの護衛としてランティスへとやって来たのだ、そんな彼がカイトを置き去りにこんな所にいるのも意味が分からないし、彼が腕に抱いていた女の正体も分からない。

「じゃあ、あの人が何処に行ったのかも?」
「分かる訳がない」
「本当に?」
「分かっているなら連れ戻しに行く所だ! あの時のユリは明らかにおかしかった! ユリはあんな事をする男じゃない、あんな風に他人を脅してまで何かをしたり、我を通そうとするような人間じゃない! しかもあんなの犯罪だ、ユリは自分の意思であんな事は絶対にしない!」

 いつでも暴走する俺やカイトを諌めて止めるのが彼の役目で、穏やかに弟妹を見守っている穏やかな兄なのだ。なのに、こんなのは絶対におかしい!!
 俺の言葉に彼女は息を吐き「分かったわよ」とそう言った。

「ところであなた、名前は?」
「え?」
「名前よ! な・ま・え! 呼び名が分からないと不便でしょ!」
「そんなの別に……」

 これ以上彼女に関わるつもりは毛頭ない、名乗るほどではないと思っていたのだが、怒ったような彼女は「さっさと言いなさい!」と俺に命令する。けれど、俺は自分の名前を彼女に名乗っていいのか分からない。
 もしかしたら名を名乗れば俺が彼女の従弟だとばれてしまうかもしれない。

「グレンから聞いたわよ、あなたランティスから攫われて来たんでしょう? もうこの際だから一緒に連れて行ってあげるわよ」
「え? マジで?!」

 グレンって誰だ? と思いはしたが、それより何より詰んだと思われていたランティス行きが叶うかもしれないと、俺の心は浮き足立った。

「だから名前を言えと言っているの! さすがに名前も名乗れないような不審人物を連れて旅は出来ないわよ!」
「俺……俺の名前、カイト・リングス!」

 他の名前が思い浮かばずレイシア姫にそう告げると、彼女は怪訝そうに眉を顰めた。

「それ完全に男の名前じゃない。偽名でしょう? ここまで言ってあげているのにまだ嘘を重ねるの? だったら幾らグレンの頼みでも、聞いてはやれないわよ」

 あぁぁあぁぁ、そうか、この人俺のこと女だと思ってるから……!

「お……男として育てられたから……女名は持ってない」

 ヒナノを名乗るのも憚られて、俺は嘘に嘘を重ねる。男として育てられたのは間違いではないし、そもそもこんな見た目でも俺は自分を男だと思っている訳で、嘘じゃない、うん。

「男として? なんで? そういえばあなた言動も男の子っぽいし、最初から自分は男だって言っていたわね」
「えっと……」

 それ以上の言い訳を考えられなかった俺は焦って口籠る。

「もしかして、あなたがアルファだから?」
「え……」
「女のアルファは珍しいって聞いているわ、それでもやっぱり男のアルファに比べて下に見られる事が多いって聞いているけど……?」

 はっきり言ってファルスではそんな事はほとんどなかったし、デルクマン家の長女ルイは女性だが、周りには一目置かれて無下にされる事もなかった。けれどここはメリアだ、そんな事もあるのかもしれないと、俺は慌てたように頷いた。

「あなたの兄という人はアルファの中でも格上のようだったし、あなたは養子と聞いたけど、あなたの養い親はもしかして、そういう子供を集めているの?」
「別にそういう訳じゃ……兄さんは養子じゃないし、俺も正しく言えば親戚だから」

 レイシア姫は「ふうん」と目を細めた。

「だけど、どんなアルファもオメガの前ではただの奴隷よね」

 彼女の言葉に俺は「え?」と顔を上げた。

「あなたの兄が抱いていたの、オメガでしょう? しかも、盲目的に彼女しか見えていない様子だった、アレはきっと『運命の番』よ」
「運命の番……」
「うちの父親がそうだったもの、妻子もいたのに目の前に彼の『運命』がいると何もかもが見えなくなってしまうのよ。母はいつも泣いていたわ」
「そうなんだ?」

 彼女の父親は先代のメリア国王陛下だ、俺はそんな話しは聞いていない。それにしても『運命の番』か、ユリウスはアルファなのだ、あの腕に抱かれた女がオメガなのだったらその言葉の信憑性は高くなる、けれどユリウスにはノエルがいるのだ、晴れて恋人になれたと笑顔を見せていた日からまだ幾日も経ってはいないのに、そんな事があるのだろうか?

「優秀と言われているアルファだけれど、私に言わせれば大馬鹿者よ! 一人のオメガに躍らされて家庭も何もかも捨てるのだわ、本人達は幸せかもしれないけれど巻き込まれた方は堪らない」

 レイシア姫は憤懣やるかたなしという表情で、俺は恐る恐る「それも父親の話……?」と問いかけると、彼女は溜息を零すように頷いた。

「私の父親は『運命』に狂った挙句に、道を誤り殺されて王位を弟に奪われたのよ! 私はそんな風に王位を簒奪した叔父が嫌いだし、そしてそんな人の所に『彼は私の運命だから』と嫁いでいったお姉さまも、どうかしているといまだに思っているわ!」
「お姉さま……?」
「あなたによく似た黒髪をしていたわ、とても綺麗で聡明で素敵な人だったのに、裏切られた!」

 『お姉さま』それは、もしかして俺の母親の事を言っているのか? 彼女は確かに俺を見て「似ている」とそう言ったのだ。

「だから私はバース性の人間も嫌い、本能だけで生きているような、そんな人達は大嫌い!」
「もしかして姫は……?」
「私はベータよ、両親がバース性だったからある程度の知識は持っているけど、あなた達の事は本当に欠片も理解出来ないわ!」
「でも、さっき俺の事をアルファだって言い当てましたよね?」

 姫の表情は不機嫌に「グレンがそう言っていたのよ」と怒ったようにそう言った。

「グレンさんって誰ですか?」
「うちの運転手」

 あぁ、口の軽いあの男! 技術者としては飛び抜けた技術と才能を持っているようだったが、彼はアルファだったのか。

「まさかあなたが女だとは思わなかったみたいで、ここへ連れて来たのはいいけれど自分じゃ介抱できないと私にお鉢が回ってきたのよ」
「そうなんだ、ごめん」
「でも、まぁいいわ、今日からあなたは私の侍女よ」
「え?」
「私はこれでもこの国の姫よ、あなた達からしたら雲上人なのよ、ただでランティスまで連れて行ってもらえるだなんて、虫がいい事思わないでちょうだい!」

 姫はびしりと俺の眼前に指を指す。

「えぇっと……うん、分かった」
「そこは『はい、分かりました』でしょう!」

 レイシア姫はぷりぷりと怒る。怒っていても怖くはないが、こんなに怒ってばかりで疲れないのかな? とちょっと思ってしまう。
 「はい、分かりました」と彼女の言う通りに素直に頷いたら「それでよろしい」と彼女は満足気だ。

「今、うちの執事のアレクセイがあなたの身分証の手配をしてくれているわ、名前が分からないとその手続きも出来ないのよ。あなたの名前は本当にカイト・リングスで間違いないのね?」

 俺がこくこくと頷くと姫は「じゃあ今日からあなたの名前は『カイ』よ」と、そう告げる。

「え? なんで?」
「さっき言ったわ、あなたは私の侍女なのよ、侍女なら侍女らしく女らしくしてもらわなければね。カイトなんて完全に男名だもの、カイだったら女の名前でも通用するわ」

 姫はそう俺に告げると、すっくと立ち上がり「あなたはもうしばらく寝ていなさい!」と、またもや俺の眼前に指を立て部屋をあとにして行った。助かった、と思っていいのだろうか? なんだか面倒な事になった気もしなくもないのだが、ランティスに帰る為には背に腹は変えられない。
 そもそも今は彼女を頼らなければランティスどころかファルスにすら帰れない可能性だってあるのだ。
 俺はばふんと寝台に身を沈める。柔らかい布団は久しぶりだ。疲れも堪っていたのだろう、考える事は幾らもあったのだが、俺はまたうつらうつらと睡魔に襲われ眠りの淵に落ちていった。

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