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運命に祝福を
事件の裏側 ②
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にこにこと私の婚約者に瓜二つの男が目の前でお茶を入れる。私の婚約者はこの国の王子だった、常に眉間に皺を寄せ、気難しい顔を崩さない短気で粗野な男。けれど、今目の前にいるのは、顔はそっくり同じの別人だ。
同じ顔をしていながらここまで別人格になれるものかと思うほどに、似ていない。いや、顔はそっくりなのだが、醸し出す存在感が別物過ぎて混乱する。
「はい、どうぞ。これね特別製の茶葉なんだ。ブレンドは僕の友達がしてくれていてね、とても美味しいから飲んでみて」
確かに目の前で注がれた茶からはとてもいい匂いが香り立っている。にこにこ笑顔の男は、いそいそと椅子に腰掛け、その茶を美味しそうに飲んで見せるので恐らく毒は入っていない、けれど何故今自分がこんな状況に置かれているのかが私には分からない。
「姫も、冷める前にどうぞ。このお茶、本当に美味しいんだから。ツキノ君もいつまでもそんな隅っこにいないでこっちおいで」
部屋の隅にはやはり私と同じような事を考えているであろう、ツキノが怒ったような顔でこちらを見やる。私だって好きでここにいる訳ではない、そんな不機嫌丸出しの顔でこちらを見られても困る。
「おじさん、俺、カイトの事が心配だし早く帰りたいんだけど……」
「せっかく来たんだもの、お茶の一杯くらい飲んでいきなよ」
アジェと名乗ったその男は、渋るツキノににこやかな笑みでそう告げると、ツキノはしぶしぶという表情で、ようやく椅子に腰掛けた。だがツキノのその表情はやはり今すぐにでも帰りたい、というそんな顔だ。
「良かったらグレンさんも如何ですか?」
微妙な空気の室内、それでもにこやかな笑みを崩さない彼は私の従者にまでお茶を勧めてくる。
一体この人は何を考えてこんな事をしているのだろうかと、つい行動の裏を読もうとしてしまう私は笑顔も作れない。
初めて彼に会ってから、彼は再三私をお茶に誘った。それは城へ遊びに来るようにとのお誘いだったのだが、私がそれに理由を付けて断り続けていると、彼は私の宿泊先へ「来ちゃった」と、供も付けずにやって来るようになってしまった。
正直、私はそんな彼の行動が意味不明すぎてどう対応していいのか分からない。
そして、そんな奇妙なお茶会に今日はツキノまで連れて来た彼の行動の真意は一体どこにあるのか? 私は首を傾げざるを得ない。
私の父の『運命』であったと言う彼、その真相など本人同士でしか分からない事で、それが本当の話であるのかなんて私には分からない。
アレクセイは私を懐柔する為の虚言だと言い張っているけれど、でも、だとしても何故彼がそんな嘘を吐いてまで私に纏わりついてくるのかが私には分からないのだ。
私は彼に勧められたお茶に渋々口を付ける。だが、予想外にそのお茶は本当に美味しくて、どんな茶葉をブレンドしているのか私にはまるで分からないのだが、つい「美味しい」と本音が漏れてしまった。そんな私の呟きに彼は「そうだろ?」と満面の笑みだ。
「この人に、このお茶は勿体ないよ」
「ツキノ君、なんでそんな事言うの」
「だって……」
ティーカップを両手で隠すように持ったツキノはそっぽを向く。この茶は何か特別製なのか? 高級ブランドと言っても遜色ない薫りと味わい、けれどそういえばブレンドは友達がしていると先程彼は言っていた。
彼の暮らすルーンという町はずいぶん田舎の小さな領地だと聞いている、そんな領地で摘まれた茶葉なのだろうか? だとしたら『悪くない』という評価は付けて差し上げてもよいけれど……
「これ、母さんのお茶だろう?」
母さん? それはツキノの母親という事? だとしたら、それはお姉さま、メリア国王妃という事になる。けれど、私はメリアに暮らしていてこんなお茶を飲んだ事はない。
「んふふ、当たり。ツキノ君も好きだよね?」
「だから、勿体ないって言ってんだろ」
私をのけ者に続く会話、勿体ないってどういう事? 私には王家の人間が嗜むような高級茶葉は似合わないとでも言いたいのかしら?
「このお茶は、余程希少価値の高い物なのですの? 是非お店のお名前お聞かせ願いたいものですわ」
「残念ながらお店には売っていないんだ。茶葉自体は何処ででも手に入るものだから、やろうと思えば再現できるかもしれないけど、こういうのってセンスが問われるんだろうね、僕には無理だった」
「何処ででもって……」
「茶葉はファルスで普通に流通しているものだよ。ようは茶葉の組み合わせ、ブレンドが特別なんだよ」
ブレンド茶……しかもそれは店で売っている物ではないと言う。だとしたら、これは一体誰がブレンドしているのだろう? 王妃自身? そんな事がある訳ない。きっと使用人にそんな事が得意な人間でもいるのだろう。芸の達者な使用人を何人も雇えるなんて王家の特権かしらね。
「ところで姫、今日はアレクセイさんはお出掛けですか?」
「え? あぁ……そうですわね、アレクセイは買い出しに出ております」
「そう」と、笑顔のままの彼は執事の所在を聞いたわりには、それを気にする素振りもなく、やはりにこにこと笑っている。
「アレクセイさんって、いつ頃から姫に仕えているの? 昔から?」
「えぇ、そうですわよ。元々は祖父の代から父の身の回りの世話をしていたそうですわ」
「ずいぶん長いんだね」
「アレクセイは天涯孤独の身の上で、幼い頃に下働きとして拾われたのだそうですわ。そして、その働きぶりを買われ、祖父の小間使いから父の世話係、そして私の執事とずっと王家に尽くして働いておりますのよ」
「後ろ盾もないのに、凄いね。余程出来た人なんだろうね」
相変わらず彼はにこにことお茶を啜りながらそんな事を言う。王家に仕える執事が凡人なんかである訳がない、アレクセイは本当によく私の世話をしてくれる。
それこそ父親との交流などほとんどなかった私を父親代わりで育ててくれたのがアレクセイなのだ。
アレクセイが私の前に現れたのは父が亡くなった後だったのだが、あの混乱の最中、私と母をあの男、現国王レオンから守り抜いてくれたのだ。
アレクセイがいなければ私たち母娘は母の実家に戻されて王家を名乗る事も許されなかっただろう。けれどそんな中アレクセイは私達にも王家を名乗る資格がある姫は正式な世継ぎであると主張して、その位をそのままに残させたのだ。
だから私は未だ姫でいられるし、私はまだメリア王国の王位継承権ではツキノの次点、王位継承第二位なのだ。
そもそも私はそれも気に入らないのですけどね。父が国王であった時、本来ならば私が王位継承第一位であったはずで、父が亡くなった時点で本来ならば私が女王として立たねばならなかった、けれどレオン国王はその王位を横から奪ったのだ。到底許せるものではない。
叔父の王位継承は国民選挙によるものであると言われているが、そんなものは幾らでも騙しがきく、むしろ逆に幼い私に継がせたくなかった叔父が考えついた悪知恵だったと私は考えている。
「天涯孤独と言うけれど、今も彼には家族がいないの?」
「アレクセイは独り身のまま、ずっと王家に仕えておりますわ。自分を拾ってくれた王家に忠誠を誓い、終生を王家に捧ぐと決めているのだそうよ」
「へぇ、それはなんだか可哀想だね……」
可哀想? 一体何が? 王家に尽くし生きる事が何故『可哀想』などという言葉になるのだろう? 王家の人間の傍近くに仕え続ける、それはむしろ光栄な一生だと言えるのではないだろうか?
「そんな彼が育てた姫だから、姫もそう育ってしまったのかな……」
「なんだか失礼な物言いですわね。私は自分の育ちに落ち度があったとは思ってはおりませんわ。唯一落ち度であったと言うのならば、現王家の頂点に立てていないという現実だけ」
「あ、ごめん。悪い意味で言った訳じゃないんだ、ただ少し、姫もアレクセイさんも狭い世界で生きてきたんだなって、そう思ったんだよ」
世界が狭い? 確かにそうかもしれない、私は世界を直に触れて知っているわけではない。けれど、王家の人間にはその世界の全てが与えられている、言わばこの世界全てが私のものであるのだから、そんな事は関係ないはずだ。
「グレンさんは? グレンさんも姫に仕えて長いの?」
次に彼は標的を私の運転手に変える。グレンは少し戸惑ったように「自分はそこまでじゃないですよ」と、首を振った。
「グレンは自動車の技師なのよ。自動車を購入したら一緒に付いてきましたの。アレを扱える者はまだ我が国にも少ないから」
そう、グレンは正しくはうちの使用人ではない。ただ自動車を扱える技師として雇われているだけなのだ。なので、本来ならば姫である私と同じ部屋にいる事すら許されない立場なのだが、今回の旅の供はアレクセイのみだったので、必然的にこんな事になっている。
「そうだった、自動車、アレ凄いよねぇ。僕、初めて見たよ! グレンさんはどうやってそんな技術を手に入れたんですか?」
「元々、自分はカラクリを作る工房に勤めていたんですよ、そこに部品製作の依頼が舞い込んできて、作っているうちに興味を惹かれてって感じですかね」
「カラクリ! そうなんだ! 僕の友達にも趣味的に作っている人がいるよ。アレも凄いよねぇ、僕なんか見てもどうやって動いているのかさっぱり分からないんだ」
とても楽しそうに彼は笑う、けれど私はその言葉に同意は出来ない。
「私……あれは嫌いだわ」
「え? どうして?」
「貴方もあの日、城にいたのでしょう? 走り回るカラクリに私の住まいは破壊されたのよ? 好きになれる訳がないじゃない」
「あ……そうか、ごめん」
「見た目に可愛らしい玩具でも、いつ爆発するかと今でも怖いわ。父が大事にしていたカラクリ人形の部屋にもいい思い出はありませんしね」
父はきっとカラクリが好きだったのだろう、たくさんの人形が整然と並ぶその部屋によく1人で引き籠もっていた記憶がある。勿論自分はその部屋への立ち入りを禁止されていたので足を踏み入れた事はないけれど、覗き込んだその部屋の人形はとても気味が悪かった。
「あの部屋、姫も覚えているんだ?」
「薄気味悪い部屋でしたわ。たくさんのカラクリ人形が私を睨んでいるみたいで……部屋に入る事は禁じられていたので数度覗いただけですけれど、今でもあの人形の瞳は恐ろしくて夢に見るわ」
「あの部屋はね、元々グノーの……セカンドの部屋だったんだよ」
意外な言葉に驚いた。だってセカンドの部屋は別にあったはず……いや、そういえば私の知るセカンドは偽者だったと、確かアレクセイは言っていた。
あの気味の悪い部屋は父の趣味部屋だと思っていたのに。
「あの部屋にグノーは閉じ込められて育ったんだよ、陛下はあの人形だらけの部屋で『この中で一番美しい人形が彼だったと』そう言っていた」
「人形……」
「あのたくさんの人形を作ったのはグノー自身だったんだ、もしかしたら当時、彼はそんな心のない人形になりたかったのかもしれないね……」
言っている意味が分からない。セカンドは父に愛されていた、それは少々過剰な愛情であったのかもしれないが、なのに何故そんな風に思うのか? 私にはそれが分からない。
「君やアレクセイさんもなんだか少し似ている気がする。メリア王家の人間には元々名前も与えられないんだってね? レイシア姫の名前は誰が付けてくれたの? お母さん? だったら姫は少なくともお母さんには愛されている、お父さんのようになったら駄目だよ」
「どういう意味ですの?」
「愛され方も愛し方も分からない不器用な人。愛されている事にも気付けなくなったら世界はとても狭くなるよ。彼には何もなかった、自分ですら愛していなかった、世界の全てがセカンド一色で、だけど、それは不幸しか生み出さなかった。姫も同じ、自分を安売りするものじゃないよ、兄は君には似合わない、それは君も分かっているんだろう?」
彼の言葉に私は眉を顰める。彼は一体何が言いたいのだろうか?
「それは、貴方は私とエリオット王子の結婚には反対する、という意味ですか?」
「反対というか、だって兄も貴女もお互いを必要となんてしていないだろう?」
「私には地位とお金が必要で、あの方にはメリアとの穏便な友好が必要だった。これはお互い納得ずくの婚約なの、あなたにとやかく言われる筋合いはありませんわ」
少し困ったような表情の彼が「貴女は本当にそれでいいの?」と、問うてくる。良いも悪いも私にはもうその道しか残されていない。私が姫でいる為に、私はこの道を選んだのだ。
「そんな打算的な結婚は不幸な子供を生むだけだよ」
「私は我が子を不幸な子供にはさせませんわ」
「子供は子供、自分じゃない。どうやったって親は子供より先に逝く、子供の人生を守りきる事なんて例え親でも出来ないよ。それに子供は親の傀儡じゃないんだ、子供には子供の人生がある。親の望む幸せと子の望む幸せが同じだと思うなら、それはとんだ思い上がりだよ」
「なっ……」
真っ直ぐな瞳を向けられた。私は彼のその真っ直ぐな瞳が好きではない。まだ私の婚約者のように斜に構えていてくれた方がいくらか居心地がいいと思う程度に、私は彼のその瞳が嫌いだった。
「それは姫も同じだと、僕はそう思っている」
「何が同じだと言うのです? あなたに一体私の何が分かると言うの!?」
「分からないよ、僕は君ではないからね。だけど僕は姫が自ら不幸の中に飛び込んで行こうとしているようにしか見えないんだよ。君のお父さんは言っていた、自分は娘を縛らない、娘の前に道を敷いたりしない、それは自分が親として唯一娘にしてやれる事だからって彼は僕にそう言ったんだ」
「お父様が……?」
「君のおじいさんは、君のお父さんをまるで自分の身代わりであるかのように育てたんだよ。人はいずれ歳を取る、それでも自分の手足として動く傀儡だ。お父さんには自我というものがほとんどなかった、唯一執着していたのがセカンドの存在、それを失った彼には何も残っていなかった。だから彼は死を選んだんだ。僕には彼を止められなかった。君は子供にそんな人生を歩ませたいの? いいや、君自身そんな人生を歩みたいの?」
「お父様が……そんな……」
そんな話しは聞いていない。父は好き勝手に生きて、そして死んでいった。父は祖父さえも追い落とした独裁者で、彼の言う、そんな空虚な父の姿など私は見た事もない。
「君が姫として生きていきたいという気持ちは分かる、だけどそれは何の為?」
「そんなの自分の為に決まっているじゃないですか! 私は姫として生まれてきた、だから姫のままで死んでいくのだと私は何度も……!」
「つまんねぇ人生だな……」
不貞腐れたようにそっぽを向いていたツキノがぽそりと呟いた。
「あなたに何が分かるって言うのよ!」
「分かんねぇよ! 俺は俺だ、俺に付いてる肩書きは俺じゃない! 俺は何者にもならない、それが『俺』だ。王子でもない、誰かの息子でもない、俺はツキノだ! 誰にも何にも縛られない、俺は俺としてしか生きられない! あんたみたいに周りから与えられただけの称号に縋って生きていく生き方なんて俺には絶対できねぇよ!!」
ツキノが私を怒鳴りつける。
「そんなモノの為に平気で人を裏切るような女、一生誰にも信用されない。それこそあんたの産んだ子供だって、あんたの人生の駒にしかならないんだろう。そんな不幸な子供を生む必要なんてねぇよ! そのあんたの貪欲さがあれば、あの王家でもやっていけるかもしれないと俺だって思ったさ、だけどな、あんたは結局誰も信じていない、誰も彼をも裏切って、あんたの手には一生何も残らない!!」
「なっ……」
「ツキノ君、落ち着いて」
「っく……俺、もう帰る!」
その宣言通りに帰ろうと腰を上げかけたツキノに対して「少し待ってよ、ツキノ君」と、アジェ王子が彼の腕を掴んだ。
「姫、姫が姫である為に、この結婚が必要だと、姫は本当にそう思うの?」
「だって、メリアはもう王政を廃止するというのですもの、私が姫でいられる場所は限られているわ」
「姫が必要としているのはその肩書き? それともお金? 裕福な生活?」
「そんなの全部に決まっているでしょう!?」
「だったらランティスもいずれ王政を廃止する、と言ったら姫は一体どうするの?」
王政の廃止、姫という身分も国王の妃という地位も全てなくなると、彼はそう言いたいのか?
「そんな話は聞いておりませんわ」
「時流はそちらに流れている、メリアだけじゃない、ファルスもランティスもいずれ王政は消えていくよ。王家という位は残るかもしれない、けれどそれは形式上のモノで国の代表としての王家という存在だけだ。そこに残るのは裕福な生活ではなく、国の代表を名乗る事ができる慎ましやかな生活と清廉潔白な姿勢だ。そうでなければ王家自体が国民から駆逐されてしまうだろうからね」
「そんな話……」
「国を動かしているのは王家じゃない、国民だ。国民の意思を無視する王家は信頼だってされないよ。今はもう王家の人間だからとふんぞり返った生活ができる時代ではないんだよ」
息を吐くように彼は続ける。
「時代はどんどん変わっていく、そんな中であなたのように変化に付いていけない人もいる。それは何故かと言われたら、そう仕向ける人間がいるからだよ。変化を求めない人間はどんどん時代に取り残される、まさに今の君みたいにね」
「私は、そんな……」
「そして貴女をそんな風に育ててしまったのは貴女の執事のアレクセイさんだ。彼は貴女の親代わりだと言っていたね、もちろん育った環境だって重要だけど、親の育て方は多かれ少なかれ子供に影響するよ、そうやって育ててしまえば尚更にね」
「アレクセイはあくまで私の執事で親じゃないわ!」
「だけど、姫は彼の言いなりに、ここまでやって来たのじゃないのかい?」
確かにアレクセイがこの見合いを持ってきたから、私はこんな敵地にまでやって来た。アレクセイが言うから、私は王子を騙してでもその妃の座に就こうとした。けれど、それは全て私を想ってアレクセイが私の為に考えてくれた事、アレクセイにとってなんの得になる事もない話で、それは全て私の為……
「アレクセイさんは買出しに出ていると姫は言ったけれど、彼は何処に出掛けているのかな? ここは高級な宿屋だ、買出しなんて頼めば従業員がしてくれるよ? なのに彼はわざわざ何を買いに出たの?」
「そんなの知りませんわ。何か個人的な買い物なのじゃないのかしら?」
「この宿はグライズ公爵が用意してくれたと聞いているけど、それは本当に?」
「それはまぁ、そうですわね……」
今度は何を言い出したのか? と、私は眉を顰める。
「姫もあの場にいたからグライズ公爵があの嵐の日にどうなったかは聞いていると思う」
サムエル・グライズ公爵、彼はあの嵐の日に夜会に乱入した暴漢によって殺された。その暴漢に果敢に反撃した上での惨劇だったと美談のように語られているがその真相は分からない。
「グライズ領の当主であるグライズ公爵が殺害されたんだ、グライズ公爵家は今混乱の渦中にある」
「それはそうでしょうね……」
「にも、関わらず姫が呑気にこの宿に居座っていられるのは何故なのかな?」
「それは私がメリアの姫君だから……」
「ランティス人のメリア人差別は激しいよ。予約を入れていたって無理矢理キャンセルさせられる。そもそも受け入れる事をしてくれない。それこそツキノ君だって宿が取れずに貧民街の方にわざわざ宿を取っていたんだよ。それはきっと、貴女が姫だからと言っても変わらない対応だと思う。だから僕は再三君には城においでとそう言ったんだ。だけど君はここにいる」
そう言われてしまうと、それは少し不思議に思える。けれどそんな事は私の知った事ではない。
「宿屋だって商売です、お金を積めば何とでもなったのでしょう」
「そうだね、確かにそうかもしれない、だけどここはメリアじゃない、そんなお金をどこから調達したんだろう?」
それこそ、そんな事を考えた事もなかった私は黙り込む。そもそもお金の管理は全てアレクセイがしてくれている、それは私が考える事ではないからだ。
「昔ね、この国には国を乗っ取ろうとした悪い大臣がいたんだ」
「…………」
「その大臣は天涯孤独で、身寄りは誰もいないと言われていた。その才覚だけで大臣にまで上り詰め、国を乗っとる寸前まで彼はいったんだ」
「ランティスのお話? そんな話知りませんわよ! もういい加減にしてくださる!? 私そんなお話聞きたくもありませんわ!」
「何を言っているの? 君は知らなきゃ駄目だよ、だって君はこの国の国母になる為にこの地に来たんだろ? だったら君は知らなきゃならない」
やはり彼は真っ直ぐ私を見やる。諦めたようにツキノも椅子に掛けなおし、不貞腐れたように茶を啜り始めた。
「大臣は裏でメリア王国と繋がっていたんだ、でも天涯孤独のはずの彼が何故? ってそう思わない?」
「それは、まぁ……けれど大臣にまで上り詰めた人物なのなら、無くはないお話でしょう?」
「確かに、そう。だからその事件のあとランティス側はその繋がりを徹底的に洗い出したんだ。そこで分かった事実がひとつ、その大臣は元々ランティスの人間じゃなかったって事実だ」
「? それは何ですの? その大臣が元々メリア人だったとでも仰りたいの?」
「事実その通りなんだよ。大臣はメリアに親族がいた。若い頃にランティスに送り込まれた言わば間者だったんだよ」
それは一体いつの話なのか? 私はそんな話を聞いたこともない。
「現実問題、ランティスにはメリアからのそうした間者が幾人も入り込んでいる、そしてそれは逆も然り」
「……逆?」
「そう、メリアにもそうした間者が何人も入り込んでいる。メリア人のふりをしたランティスの人間、それはメリア人の戸籍を奪い取り、メリア人としてメリア王国で普通に暮らしている。グレンさんはそんな話、聞いたことない?」
ふいの問いかけにグレンが驚いたように顔を上げた。
「えっ……なんか、そんな話しはちらりと聞いたことあるような気がしますが詳しくは……」
「そう……この国には戸籍を奪われ故郷に帰れなくなっているメリア人が大勢いるんだよ、その数だけメリアにはランティス人が入り込んでいる」
アジェ王子の言葉にグレンがそっと瞳を逸らした。それが何故なのか分からない私は小首を傾げた。
「最初は国を乗っ取るつもりか、それとも国境付近の諍いを有利に進める為だったのか、それは僕にも分からない。けれど、メリアとランティスの国境近くには国籍のあやふやな人間が幾らもいるんだよ。そしてそんな地を治めているランティス側の人間がグライズ公爵だ」
アジェ王子はまたしても私を見据える。
「そしてアレクセイさんはね、そんなグライズ公爵家の血を引いている」
同じ顔をしていながらここまで別人格になれるものかと思うほどに、似ていない。いや、顔はそっくりなのだが、醸し出す存在感が別物過ぎて混乱する。
「はい、どうぞ。これね特別製の茶葉なんだ。ブレンドは僕の友達がしてくれていてね、とても美味しいから飲んでみて」
確かに目の前で注がれた茶からはとてもいい匂いが香り立っている。にこにこ笑顔の男は、いそいそと椅子に腰掛け、その茶を美味しそうに飲んで見せるので恐らく毒は入っていない、けれど何故今自分がこんな状況に置かれているのかが私には分からない。
「姫も、冷める前にどうぞ。このお茶、本当に美味しいんだから。ツキノ君もいつまでもそんな隅っこにいないでこっちおいで」
部屋の隅にはやはり私と同じような事を考えているであろう、ツキノが怒ったような顔でこちらを見やる。私だって好きでここにいる訳ではない、そんな不機嫌丸出しの顔でこちらを見られても困る。
「おじさん、俺、カイトの事が心配だし早く帰りたいんだけど……」
「せっかく来たんだもの、お茶の一杯くらい飲んでいきなよ」
アジェと名乗ったその男は、渋るツキノににこやかな笑みでそう告げると、ツキノはしぶしぶという表情で、ようやく椅子に腰掛けた。だがツキノのその表情はやはり今すぐにでも帰りたい、というそんな顔だ。
「良かったらグレンさんも如何ですか?」
微妙な空気の室内、それでもにこやかな笑みを崩さない彼は私の従者にまでお茶を勧めてくる。
一体この人は何を考えてこんな事をしているのだろうかと、つい行動の裏を読もうとしてしまう私は笑顔も作れない。
初めて彼に会ってから、彼は再三私をお茶に誘った。それは城へ遊びに来るようにとのお誘いだったのだが、私がそれに理由を付けて断り続けていると、彼は私の宿泊先へ「来ちゃった」と、供も付けずにやって来るようになってしまった。
正直、私はそんな彼の行動が意味不明すぎてどう対応していいのか分からない。
そして、そんな奇妙なお茶会に今日はツキノまで連れて来た彼の行動の真意は一体どこにあるのか? 私は首を傾げざるを得ない。
私の父の『運命』であったと言う彼、その真相など本人同士でしか分からない事で、それが本当の話であるのかなんて私には分からない。
アレクセイは私を懐柔する為の虚言だと言い張っているけれど、でも、だとしても何故彼がそんな嘘を吐いてまで私に纏わりついてくるのかが私には分からないのだ。
私は彼に勧められたお茶に渋々口を付ける。だが、予想外にそのお茶は本当に美味しくて、どんな茶葉をブレンドしているのか私にはまるで分からないのだが、つい「美味しい」と本音が漏れてしまった。そんな私の呟きに彼は「そうだろ?」と満面の笑みだ。
「この人に、このお茶は勿体ないよ」
「ツキノ君、なんでそんな事言うの」
「だって……」
ティーカップを両手で隠すように持ったツキノはそっぽを向く。この茶は何か特別製なのか? 高級ブランドと言っても遜色ない薫りと味わい、けれどそういえばブレンドは友達がしていると先程彼は言っていた。
彼の暮らすルーンという町はずいぶん田舎の小さな領地だと聞いている、そんな領地で摘まれた茶葉なのだろうか? だとしたら『悪くない』という評価は付けて差し上げてもよいけれど……
「これ、母さんのお茶だろう?」
母さん? それはツキノの母親という事? だとしたら、それはお姉さま、メリア国王妃という事になる。けれど、私はメリアに暮らしていてこんなお茶を飲んだ事はない。
「んふふ、当たり。ツキノ君も好きだよね?」
「だから、勿体ないって言ってんだろ」
私をのけ者に続く会話、勿体ないってどういう事? 私には王家の人間が嗜むような高級茶葉は似合わないとでも言いたいのかしら?
「このお茶は、余程希少価値の高い物なのですの? 是非お店のお名前お聞かせ願いたいものですわ」
「残念ながらお店には売っていないんだ。茶葉自体は何処ででも手に入るものだから、やろうと思えば再現できるかもしれないけど、こういうのってセンスが問われるんだろうね、僕には無理だった」
「何処ででもって……」
「茶葉はファルスで普通に流通しているものだよ。ようは茶葉の組み合わせ、ブレンドが特別なんだよ」
ブレンド茶……しかもそれは店で売っている物ではないと言う。だとしたら、これは一体誰がブレンドしているのだろう? 王妃自身? そんな事がある訳ない。きっと使用人にそんな事が得意な人間でもいるのだろう。芸の達者な使用人を何人も雇えるなんて王家の特権かしらね。
「ところで姫、今日はアレクセイさんはお出掛けですか?」
「え? あぁ……そうですわね、アレクセイは買い出しに出ております」
「そう」と、笑顔のままの彼は執事の所在を聞いたわりには、それを気にする素振りもなく、やはりにこにこと笑っている。
「アレクセイさんって、いつ頃から姫に仕えているの? 昔から?」
「えぇ、そうですわよ。元々は祖父の代から父の身の回りの世話をしていたそうですわ」
「ずいぶん長いんだね」
「アレクセイは天涯孤独の身の上で、幼い頃に下働きとして拾われたのだそうですわ。そして、その働きぶりを買われ、祖父の小間使いから父の世話係、そして私の執事とずっと王家に尽くして働いておりますのよ」
「後ろ盾もないのに、凄いね。余程出来た人なんだろうね」
相変わらず彼はにこにことお茶を啜りながらそんな事を言う。王家に仕える執事が凡人なんかである訳がない、アレクセイは本当によく私の世話をしてくれる。
それこそ父親との交流などほとんどなかった私を父親代わりで育ててくれたのがアレクセイなのだ。
アレクセイが私の前に現れたのは父が亡くなった後だったのだが、あの混乱の最中、私と母をあの男、現国王レオンから守り抜いてくれたのだ。
アレクセイがいなければ私たち母娘は母の実家に戻されて王家を名乗る事も許されなかっただろう。けれどそんな中アレクセイは私達にも王家を名乗る資格がある姫は正式な世継ぎであると主張して、その位をそのままに残させたのだ。
だから私は未だ姫でいられるし、私はまだメリア王国の王位継承権ではツキノの次点、王位継承第二位なのだ。
そもそも私はそれも気に入らないのですけどね。父が国王であった時、本来ならば私が王位継承第一位であったはずで、父が亡くなった時点で本来ならば私が女王として立たねばならなかった、けれどレオン国王はその王位を横から奪ったのだ。到底許せるものではない。
叔父の王位継承は国民選挙によるものであると言われているが、そんなものは幾らでも騙しがきく、むしろ逆に幼い私に継がせたくなかった叔父が考えついた悪知恵だったと私は考えている。
「天涯孤独と言うけれど、今も彼には家族がいないの?」
「アレクセイは独り身のまま、ずっと王家に仕えておりますわ。自分を拾ってくれた王家に忠誠を誓い、終生を王家に捧ぐと決めているのだそうよ」
「へぇ、それはなんだか可哀想だね……」
可哀想? 一体何が? 王家に尽くし生きる事が何故『可哀想』などという言葉になるのだろう? 王家の人間の傍近くに仕え続ける、それはむしろ光栄な一生だと言えるのではないだろうか?
「そんな彼が育てた姫だから、姫もそう育ってしまったのかな……」
「なんだか失礼な物言いですわね。私は自分の育ちに落ち度があったとは思ってはおりませんわ。唯一落ち度であったと言うのならば、現王家の頂点に立てていないという現実だけ」
「あ、ごめん。悪い意味で言った訳じゃないんだ、ただ少し、姫もアレクセイさんも狭い世界で生きてきたんだなって、そう思ったんだよ」
世界が狭い? 確かにそうかもしれない、私は世界を直に触れて知っているわけではない。けれど、王家の人間にはその世界の全てが与えられている、言わばこの世界全てが私のものであるのだから、そんな事は関係ないはずだ。
「グレンさんは? グレンさんも姫に仕えて長いの?」
次に彼は標的を私の運転手に変える。グレンは少し戸惑ったように「自分はそこまでじゃないですよ」と、首を振った。
「グレンは自動車の技師なのよ。自動車を購入したら一緒に付いてきましたの。アレを扱える者はまだ我が国にも少ないから」
そう、グレンは正しくはうちの使用人ではない。ただ自動車を扱える技師として雇われているだけなのだ。なので、本来ならば姫である私と同じ部屋にいる事すら許されない立場なのだが、今回の旅の供はアレクセイのみだったので、必然的にこんな事になっている。
「そうだった、自動車、アレ凄いよねぇ。僕、初めて見たよ! グレンさんはどうやってそんな技術を手に入れたんですか?」
「元々、自分はカラクリを作る工房に勤めていたんですよ、そこに部品製作の依頼が舞い込んできて、作っているうちに興味を惹かれてって感じですかね」
「カラクリ! そうなんだ! 僕の友達にも趣味的に作っている人がいるよ。アレも凄いよねぇ、僕なんか見てもどうやって動いているのかさっぱり分からないんだ」
とても楽しそうに彼は笑う、けれど私はその言葉に同意は出来ない。
「私……あれは嫌いだわ」
「え? どうして?」
「貴方もあの日、城にいたのでしょう? 走り回るカラクリに私の住まいは破壊されたのよ? 好きになれる訳がないじゃない」
「あ……そうか、ごめん」
「見た目に可愛らしい玩具でも、いつ爆発するかと今でも怖いわ。父が大事にしていたカラクリ人形の部屋にもいい思い出はありませんしね」
父はきっとカラクリが好きだったのだろう、たくさんの人形が整然と並ぶその部屋によく1人で引き籠もっていた記憶がある。勿論自分はその部屋への立ち入りを禁止されていたので足を踏み入れた事はないけれど、覗き込んだその部屋の人形はとても気味が悪かった。
「あの部屋、姫も覚えているんだ?」
「薄気味悪い部屋でしたわ。たくさんのカラクリ人形が私を睨んでいるみたいで……部屋に入る事は禁じられていたので数度覗いただけですけれど、今でもあの人形の瞳は恐ろしくて夢に見るわ」
「あの部屋はね、元々グノーの……セカンドの部屋だったんだよ」
意外な言葉に驚いた。だってセカンドの部屋は別にあったはず……いや、そういえば私の知るセカンドは偽者だったと、確かアレクセイは言っていた。
あの気味の悪い部屋は父の趣味部屋だと思っていたのに。
「あの部屋にグノーは閉じ込められて育ったんだよ、陛下はあの人形だらけの部屋で『この中で一番美しい人形が彼だったと』そう言っていた」
「人形……」
「あのたくさんの人形を作ったのはグノー自身だったんだ、もしかしたら当時、彼はそんな心のない人形になりたかったのかもしれないね……」
言っている意味が分からない。セカンドは父に愛されていた、それは少々過剰な愛情であったのかもしれないが、なのに何故そんな風に思うのか? 私にはそれが分からない。
「君やアレクセイさんもなんだか少し似ている気がする。メリア王家の人間には元々名前も与えられないんだってね? レイシア姫の名前は誰が付けてくれたの? お母さん? だったら姫は少なくともお母さんには愛されている、お父さんのようになったら駄目だよ」
「どういう意味ですの?」
「愛され方も愛し方も分からない不器用な人。愛されている事にも気付けなくなったら世界はとても狭くなるよ。彼には何もなかった、自分ですら愛していなかった、世界の全てがセカンド一色で、だけど、それは不幸しか生み出さなかった。姫も同じ、自分を安売りするものじゃないよ、兄は君には似合わない、それは君も分かっているんだろう?」
彼の言葉に私は眉を顰める。彼は一体何が言いたいのだろうか?
「それは、貴方は私とエリオット王子の結婚には反対する、という意味ですか?」
「反対というか、だって兄も貴女もお互いを必要となんてしていないだろう?」
「私には地位とお金が必要で、あの方にはメリアとの穏便な友好が必要だった。これはお互い納得ずくの婚約なの、あなたにとやかく言われる筋合いはありませんわ」
少し困ったような表情の彼が「貴女は本当にそれでいいの?」と、問うてくる。良いも悪いも私にはもうその道しか残されていない。私が姫でいる為に、私はこの道を選んだのだ。
「そんな打算的な結婚は不幸な子供を生むだけだよ」
「私は我が子を不幸な子供にはさせませんわ」
「子供は子供、自分じゃない。どうやったって親は子供より先に逝く、子供の人生を守りきる事なんて例え親でも出来ないよ。それに子供は親の傀儡じゃないんだ、子供には子供の人生がある。親の望む幸せと子の望む幸せが同じだと思うなら、それはとんだ思い上がりだよ」
「なっ……」
真っ直ぐな瞳を向けられた。私は彼のその真っ直ぐな瞳が好きではない。まだ私の婚約者のように斜に構えていてくれた方がいくらか居心地がいいと思う程度に、私は彼のその瞳が嫌いだった。
「それは姫も同じだと、僕はそう思っている」
「何が同じだと言うのです? あなたに一体私の何が分かると言うの!?」
「分からないよ、僕は君ではないからね。だけど僕は姫が自ら不幸の中に飛び込んで行こうとしているようにしか見えないんだよ。君のお父さんは言っていた、自分は娘を縛らない、娘の前に道を敷いたりしない、それは自分が親として唯一娘にしてやれる事だからって彼は僕にそう言ったんだ」
「お父様が……?」
「君のおじいさんは、君のお父さんをまるで自分の身代わりであるかのように育てたんだよ。人はいずれ歳を取る、それでも自分の手足として動く傀儡だ。お父さんには自我というものがほとんどなかった、唯一執着していたのがセカンドの存在、それを失った彼には何も残っていなかった。だから彼は死を選んだんだ。僕には彼を止められなかった。君は子供にそんな人生を歩ませたいの? いいや、君自身そんな人生を歩みたいの?」
「お父様が……そんな……」
そんな話しは聞いていない。父は好き勝手に生きて、そして死んでいった。父は祖父さえも追い落とした独裁者で、彼の言う、そんな空虚な父の姿など私は見た事もない。
「君が姫として生きていきたいという気持ちは分かる、だけどそれは何の為?」
「そんなの自分の為に決まっているじゃないですか! 私は姫として生まれてきた、だから姫のままで死んでいくのだと私は何度も……!」
「つまんねぇ人生だな……」
不貞腐れたようにそっぽを向いていたツキノがぽそりと呟いた。
「あなたに何が分かるって言うのよ!」
「分かんねぇよ! 俺は俺だ、俺に付いてる肩書きは俺じゃない! 俺は何者にもならない、それが『俺』だ。王子でもない、誰かの息子でもない、俺はツキノだ! 誰にも何にも縛られない、俺は俺としてしか生きられない! あんたみたいに周りから与えられただけの称号に縋って生きていく生き方なんて俺には絶対できねぇよ!!」
ツキノが私を怒鳴りつける。
「そんなモノの為に平気で人を裏切るような女、一生誰にも信用されない。それこそあんたの産んだ子供だって、あんたの人生の駒にしかならないんだろう。そんな不幸な子供を生む必要なんてねぇよ! そのあんたの貪欲さがあれば、あの王家でもやっていけるかもしれないと俺だって思ったさ、だけどな、あんたは結局誰も信じていない、誰も彼をも裏切って、あんたの手には一生何も残らない!!」
「なっ……」
「ツキノ君、落ち着いて」
「っく……俺、もう帰る!」
その宣言通りに帰ろうと腰を上げかけたツキノに対して「少し待ってよ、ツキノ君」と、アジェ王子が彼の腕を掴んだ。
「姫、姫が姫である為に、この結婚が必要だと、姫は本当にそう思うの?」
「だって、メリアはもう王政を廃止するというのですもの、私が姫でいられる場所は限られているわ」
「姫が必要としているのはその肩書き? それともお金? 裕福な生活?」
「そんなの全部に決まっているでしょう!?」
「だったらランティスもいずれ王政を廃止する、と言ったら姫は一体どうするの?」
王政の廃止、姫という身分も国王の妃という地位も全てなくなると、彼はそう言いたいのか?
「そんな話は聞いておりませんわ」
「時流はそちらに流れている、メリアだけじゃない、ファルスもランティスもいずれ王政は消えていくよ。王家という位は残るかもしれない、けれどそれは形式上のモノで国の代表としての王家という存在だけだ。そこに残るのは裕福な生活ではなく、国の代表を名乗る事ができる慎ましやかな生活と清廉潔白な姿勢だ。そうでなければ王家自体が国民から駆逐されてしまうだろうからね」
「そんな話……」
「国を動かしているのは王家じゃない、国民だ。国民の意思を無視する王家は信頼だってされないよ。今はもう王家の人間だからとふんぞり返った生活ができる時代ではないんだよ」
息を吐くように彼は続ける。
「時代はどんどん変わっていく、そんな中であなたのように変化に付いていけない人もいる。それは何故かと言われたら、そう仕向ける人間がいるからだよ。変化を求めない人間はどんどん時代に取り残される、まさに今の君みたいにね」
「私は、そんな……」
「そして貴女をそんな風に育ててしまったのは貴女の執事のアレクセイさんだ。彼は貴女の親代わりだと言っていたね、もちろん育った環境だって重要だけど、親の育て方は多かれ少なかれ子供に影響するよ、そうやって育ててしまえば尚更にね」
「アレクセイはあくまで私の執事で親じゃないわ!」
「だけど、姫は彼の言いなりに、ここまでやって来たのじゃないのかい?」
確かにアレクセイがこの見合いを持ってきたから、私はこんな敵地にまでやって来た。アレクセイが言うから、私は王子を騙してでもその妃の座に就こうとした。けれど、それは全て私を想ってアレクセイが私の為に考えてくれた事、アレクセイにとってなんの得になる事もない話で、それは全て私の為……
「アレクセイさんは買出しに出ていると姫は言ったけれど、彼は何処に出掛けているのかな? ここは高級な宿屋だ、買出しなんて頼めば従業員がしてくれるよ? なのに彼はわざわざ何を買いに出たの?」
「そんなの知りませんわ。何か個人的な買い物なのじゃないのかしら?」
「この宿はグライズ公爵が用意してくれたと聞いているけど、それは本当に?」
「それはまぁ、そうですわね……」
今度は何を言い出したのか? と、私は眉を顰める。
「姫もあの場にいたからグライズ公爵があの嵐の日にどうなったかは聞いていると思う」
サムエル・グライズ公爵、彼はあの嵐の日に夜会に乱入した暴漢によって殺された。その暴漢に果敢に反撃した上での惨劇だったと美談のように語られているがその真相は分からない。
「グライズ領の当主であるグライズ公爵が殺害されたんだ、グライズ公爵家は今混乱の渦中にある」
「それはそうでしょうね……」
「にも、関わらず姫が呑気にこの宿に居座っていられるのは何故なのかな?」
「それは私がメリアの姫君だから……」
「ランティス人のメリア人差別は激しいよ。予約を入れていたって無理矢理キャンセルさせられる。そもそも受け入れる事をしてくれない。それこそツキノ君だって宿が取れずに貧民街の方にわざわざ宿を取っていたんだよ。それはきっと、貴女が姫だからと言っても変わらない対応だと思う。だから僕は再三君には城においでとそう言ったんだ。だけど君はここにいる」
そう言われてしまうと、それは少し不思議に思える。けれどそんな事は私の知った事ではない。
「宿屋だって商売です、お金を積めば何とでもなったのでしょう」
「そうだね、確かにそうかもしれない、だけどここはメリアじゃない、そんなお金をどこから調達したんだろう?」
それこそ、そんな事を考えた事もなかった私は黙り込む。そもそもお金の管理は全てアレクセイがしてくれている、それは私が考える事ではないからだ。
「昔ね、この国には国を乗っ取ろうとした悪い大臣がいたんだ」
「…………」
「その大臣は天涯孤独で、身寄りは誰もいないと言われていた。その才覚だけで大臣にまで上り詰め、国を乗っとる寸前まで彼はいったんだ」
「ランティスのお話? そんな話知りませんわよ! もういい加減にしてくださる!? 私そんなお話聞きたくもありませんわ!」
「何を言っているの? 君は知らなきゃ駄目だよ、だって君はこの国の国母になる為にこの地に来たんだろ? だったら君は知らなきゃならない」
やはり彼は真っ直ぐ私を見やる。諦めたようにツキノも椅子に掛けなおし、不貞腐れたように茶を啜り始めた。
「大臣は裏でメリア王国と繋がっていたんだ、でも天涯孤独のはずの彼が何故? ってそう思わない?」
「それは、まぁ……けれど大臣にまで上り詰めた人物なのなら、無くはないお話でしょう?」
「確かに、そう。だからその事件のあとランティス側はその繋がりを徹底的に洗い出したんだ。そこで分かった事実がひとつ、その大臣は元々ランティスの人間じゃなかったって事実だ」
「? それは何ですの? その大臣が元々メリア人だったとでも仰りたいの?」
「事実その通りなんだよ。大臣はメリアに親族がいた。若い頃にランティスに送り込まれた言わば間者だったんだよ」
それは一体いつの話なのか? 私はそんな話を聞いたこともない。
「現実問題、ランティスにはメリアからのそうした間者が幾人も入り込んでいる、そしてそれは逆も然り」
「……逆?」
「そう、メリアにもそうした間者が何人も入り込んでいる。メリア人のふりをしたランティスの人間、それはメリア人の戸籍を奪い取り、メリア人としてメリア王国で普通に暮らしている。グレンさんはそんな話、聞いたことない?」
ふいの問いかけにグレンが驚いたように顔を上げた。
「えっ……なんか、そんな話しはちらりと聞いたことあるような気がしますが詳しくは……」
「そう……この国には戸籍を奪われ故郷に帰れなくなっているメリア人が大勢いるんだよ、その数だけメリアにはランティス人が入り込んでいる」
アジェ王子の言葉にグレンがそっと瞳を逸らした。それが何故なのか分からない私は小首を傾げた。
「最初は国を乗っ取るつもりか、それとも国境付近の諍いを有利に進める為だったのか、それは僕にも分からない。けれど、メリアとランティスの国境近くには国籍のあやふやな人間が幾らもいるんだよ。そしてそんな地を治めているランティス側の人間がグライズ公爵だ」
アジェ王子はまたしても私を見据える。
「そしてアレクセイさんはね、そんなグライズ公爵家の血を引いている」
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