運命に花束を

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運命に祝福を

そして…… ③

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 食事を片付け始めると腹が膨れてノーアは眠くなってしまったのか、うつらうつらと船をこぎ始めた。

「可愛い子だね」
「何も……聞かないのか」
「聞いて楽しい話でもなさそうだし、生きていたならそれでいい」

 俺がノーアの頭を撫でると「そいつに触るな」と腕を掴まれた。

「別に悪さなんてしないよ」
「そうじゃない」

 男はそのまま俺の腕を引き「私以外の男に触れるな」と、そう言った。

「どういう意味?」
「お前は私のモノだ、他の誰にも渡さない」
「はは、自分で人違いだって言ったくせに、おかしいの」

 彼のその矛盾した言葉に俺は思わず笑ってしまう。

「そこで引き下がらなかったお前が悪い、会うつもりはなかった、こんな風に……会いたくはなかった……」
「俺は、会いたかったよ。ずっとずっと会いたかった」

 俺は彼の肩口に顔を埋める。

「ユリ兄……」
「その名で呼ぶな」
「じゃあ他になんて呼べばいいの?」

 俺は無言で床に引き倒され、両腕の中に閉じ込められるように押し倒された。

「痛った……なに……?」
「お前は何も分かっていない。その男はもう死んだ」

 真っ直ぐに覗き込んでくるその瞳はどこまでも深い紫紺色で、何も変わっている所なんてないように見えるのに、彼はもう俺の愛した彼ではないのだろう。

「だったら、俺はどうすればいい? この気持ちをどうしたら良かったんだろう? 俺はずっと忘れられなかったよ、会いたくて会いたくて仕方がなかった。俺はこの街でずっと貴方を探していた」
「嘘を吐くな、あれから何年経ったと思っている? 私はお前を裏切った、それは分かっていたはずだ」
「そうだね、それは分かってる。だけど俺は自分の耳で、貴方の口からそれを聞くまで信じないって決めてたんだ。俺達はまだ何ひとつその事に関しては話し合いをしていない、だから俺の中では俺はまだあなたの恋人のままなんだ」

 腕を伸ばして、彼の頬を撫でる。髭で覆われたその顔は当時の面影もだいぶ薄れているけれど、その瞳だけはまるで変わらない。

「言わなくてもあの子供を見れば分かるだろう、アレは私と私の番相手との間に出来た子供だ」
「うん、そうだね」
「私はお前を裏切った。私はその時、後悔の念すら抱きはしなかった」
「そう……」
「だからお前は、もう私を忘れればそれでいい」
「…………」

 落ちる沈黙、俺を押し倒したまま微動だにしない彼。俺は、今度は両腕を伸ばして彼の髪を掻き上げる。

「ねぇ、ユリ兄。ユリ兄が本当にそう思っているのなら、なんで今、俺は押し倒されているのかな……?」
「お前が抵抗しないからだ」
「あはは、する訳ないよね、俺はユリ兄とこうなる事を望んでいたんだから」

 瞬間男の瞳が翳り「そんな訳ないだろう、お前はそんな人間じゃなかった」と吐き捨てた。

「だったらユリ兄は俺の事をどんな人間だと思っていたんだろう? 確かにあの頃、俺はまだ子供で、こんな風に好きな相手を求める行動がどんなモノか分かっていなかった。だけど、俺ももう子供じゃない。今の俺は出会った頃のユリ兄よりも年上だよ」

 彼はこの数年を一体どうやって生きてきたのだろう。誰よりも家族を愛する優しい兄だった彼が、家族を裏切り、親兄弟を敵に回して戦ったのだ、それがどんな心の葛藤を生んでいたのかなんて俺にはまるで分からないのだ。

「あの頃は、自分もまだ子供だった。何も世界を知らない子供だった……」
「でも、お互いもう子供じゃない……」

 苛立ちの籠った瞳が光り、噛み付くように口付けられた。それは、キスだなんて生易しくもなく、まるでそのまま丸呑みにでもされるのではないかと思うほどに獰猛な口付けだ。

「んっ……ふ」
「お前が悪い……お前が、私の前に現れるから……」

 そんな事を言いながら、彼は俺の服を剥ぎとっていく。それはもう脱がせるという感じではなく、まさに剥ぎ取るという言葉そのまま乱暴に、ボタンは飛んだし、力任せに引っ張られた布地も裂けて、そんな服と同じように俺自身をも彼は乱暴に割り開いていった。
 それは愛の営みなどではなく、果てしない暴力だ。

「っく…んっ……」

 優しくない性交に身体は痛みを訴える。けれど、俺は零れ落ちそうな悲鳴を全部飲み込んだ。無理矢理捩じ込まれた彼の雄は思っていたより大きくて、そんなに簡単に受け入れられるようなモノではなかった。だが、その痛みに恐らくそこは裂けて血を流していると分かっていても、俺はその苦痛を表には出さないように全てを飲み込み笑みを見せた。
 俺の痛みはきっと彼の心の痛み、俺の流した血は、きっと彼の心が流している血なのだと、何故だかそんな気持ちで、俺は彼の全てを受け入れたのだ。
 彼は恐らく俺に抵抗されると思っていたのだろう、それくらいに行為は乱暴なものだった。けれど俺は彼の行った行為にひとつの反抗も示さずに彼を受け入れた。
 全て事を終えて、身を離された時には本気で身動ぎひとつ出来なくなっていたのだが、そんな俺を見て、彼は一言「馬鹿な奴だな」と、そう言った。
 彼は掌で顔を覆う、その言葉は俺に向けての言葉だとそう思ったのだが、もしかしたら自分へも向けた言葉だったのではないかと、ふと思う。
 翌朝、痛む体を引き摺って、それでも俺が彼に笑みを見せると、彼は何故だか少し泣きそうな顔をしていた。


  ※  ※  ※


 翌日、ユリウスは息子ノーアを連れて、すぐにでも出て行こうとしていたのだが、俺はそれを引き止めた。

「お前は一体何がしたい? 私は今となっては三国が血眼で捜している凶悪犯だと分かっているのか? お前自身こんな事までされて、なのに何故引きとめる? お前は私に一体何を求める?」
「俺は何も求めていないし、追われているのも勿論分かってる。大丈夫、ここにいれば安全だよ、だってユリ兄は俺が守るから」

 俺の言葉に、ユリ兄はまたなんとも言えない表情で瞳を逸らし「馬鹿な男だ」とそう言った。
 本来ならば俺は彼を捕らえて罪を償わせなければいけない立場なのは分かっている。今まで彼を見付けたら説得して罪を償わせようとずっと考えてもいた、けれど現在の彼の姿を見てしまったら、そんな気持ちは吹き飛んで、俺がこの人を守らなければとそんな気持ちが湧いて仕方がないのだ。
 彼の言う通り俺は「馬鹿な男」なのだろう、けれど今の彼はもう世界を相手に戦う気力もなさそうで、これ以上罪を重ねるつもりがないのならそれでいいと思ってしまったのだ。
 狭い部屋での共同生活、彼の子ノーアは戸惑っている様子だったが、俺はそんな彼の頭を撫でて「大丈夫だよ」と繰り返す。ノーアは不安気な表情を浮かべて俺を見上げるのだが、瞳を合わせるように屈みこんで「もう心配しなくていいよ」と告げると、彼はやはり困ったような表情なのだが、小さく小さく頷いた。

 ユリウスの異変にはその日のうちに気が付いた。彼は常時忙しなく辺りを窺っている。それは長い逃亡生活の習慣のようなものであるのか、小さな物音にも過敏な反応を見せた。
 そして、寛いでいるように見えても、身体は常時貧乏揺すりのように小刻みに震えている。それが何故なのか、俺には最初分からなかったのだが、それが薬物の禁断症状なのだと知るのに、そう時間はかからなかった。
 窓を全開にして彼はその煙草のようなモノを燻らせる。すると、その禁断症状は治まるのだろう、しばらくの間はその身体の震えも止まって落ち着きを取り戻すのだ。

「それ、止めた方がいいんじゃないかな……?」

 いつものように窓際でそれを燻らす彼に、俺がかけた言葉を聞いた彼は無言で何処かへ行けとばかりに手を振った。

「それ、良くないモノなんだろう?」

 煙をふっと、顔に吹きかけられた。それは燻った草の薫りで、俺はむせ込む。

「放っておけ」
「でも……」
「私の身体はもうコレ無しでは生きていかれない。きっとコレは私の命をも削るだろうが、もうそれならそれで構わない」
「俺は嫌だよ」

 俺の言葉に彼は瞳を細める。

「だったらお前はコレの代わりになれるのか?」
「え……」

 彼に後ろ頭を掴まれて、深く深く口付けられた。彼の呼気からは、やはりその草の苦い匂いが薫って、頭がくらくらする。

「私は、今はまだコレがあるから理性を保っていられる。無くなったら、自分自身どうなるか分からない」
「そんな……」
「それに、私にとってコレは番相手との逢瀬のようなものだからな、止めようと思っても止められない」

 瞳を逸らしそれを咥えて、彼はまた窓の外へと煙を吐き出した。
 彼の言っている意味がよく分からないのだが、それでもそこに得も言われぬ嫉妬心が燃え上がった。彼は俺の知らない番相手を想って、その煙を燻らせるのだ。それが自身の身体に害を及ぼすと分かっていて尚、その番相手を求めてそれを吸うのかと思ったら、猛烈に怒りが込み上げた。
 俺は彼の胸元を掴んで彼が口に咥えたその煙草を奪い取ると、今度はこちらから彼へと口付けた。舌を絡めて、その呼気の中に残る煙全てを飲み込むように深く深く口付ける。

「んっふ……いいよ、俺がコレの代わりになる、だからもうこれは吸わないで」

 掌でそれを握り潰すと、彼は少しだけ困ったような表情だ。

「どうなっても知らないぞ」
「望む所だよ」

 彼は俺の言葉に困ったように、また微かに瞳を逸らした。
 その後の彼は口寂しくそれが切れると、貪るように俺を求めるようになった。それは時も場所も選ばず、身体が求めれば子供の前でも平気で俺を押し倒し、抱き潰した。
 けれど俺は彼が番相手ではなく俺を求めてくれる事が嬉しくて仕方がないのだ。だが、それは俺の自己満足でしかなく、こんな醜態を子供の前に晒すのはやはり良くない事だと分かっていた。

 荒い息遣い、俺の上で俺を執拗に攻め立てる彼の瞳の色は深い夕暮れのバイオレット。
 その瞳を初めて見た時、その不思議な色合いに綺麗な色だと見惚れてしまったのだが、今の彼の瞳の色はどこかくすんで、まるで水の底から空を見上げているようだと思う。

「んっ、ふっ……あっ、あぁ……」

 自身の口から漏れる声は自分の声とは思えない程甘い。身体を重ねれば、勝手に身体は彼を求める、最初のうちこそ抵抗を感じていたが、何度も何度も抱かれているうちに、そんな感覚もすっかり麻痺して、今では自分から彼に腰をすりつけ、求めてしまうように俺の身体は彼の都合のいいように変わっていった。
 浅ましいと思うが、止められない、彼の本当に求めている者が俺なのかどうかも分からないのに、自分はもうそんな事はどうでもいいと、彼に抱かれている。
 腰を打ち付けられて、身体が跳ねる。ぶつかり合う肉体は決して色気があるとは言い難い、俺の身体は成長し大きく逞しく柔らかさの欠片もなくなっている、本来なら男に性的に求められるような肉体ではないと思う、それでも執拗に彼は俺を抱き続ける。それは何かに縋るように、まるで捨てられる事を恐れる子供のように、何度も何度も繰り返し俺に楔を打ち込むのだ。
 逃げる気はない、むしろ嬉しいのだと、何度言っても彼は信じてくれないから、俺は彼のやりたいようにやらせている、けれど、それは彼の子にとってはある意味虐待なのだという事にも俺は気付いていた。
 部屋の隅にはまだ幼い子供、膝を抱えて俺達の醜態をただ黙って眺めている。
 こんなモノを子供に見せるものではない、けれど彼はそれを子供に強制する。俺は何度か子供に言ったのだ「事が始まったら部屋を出ていて大丈夫」だと、父親から暴力を受けて育った子供は彼の暴力に怯えている、けれどそんな事は決してさせないから、と何度も言ったのだけど、幼い子供は小さく首をふって、俺の首に抱きついた。
 この幼い子供は俺が彼に暴力を振るわれる事をも恐れているのだ、優しい子供。彼の子なのだから、それは当たり前だ。なのに何故? という疑問ばかりが頭を巡る、けれどその時俺は彼を引き留める事だけに必死で、彼の子供にまで気を回してやる余裕はなかった。

「だいじょうぶ……?」

 ぐったりとベッドに身を預けている俺に、小さな手が伸びてきて額に手を当てる。その手は少しひんやりしていて気持ちがいい。

「大丈夫だよ、ノーア。それよりも、お父さんが戻ってくる前に向こうの部屋に行ってな」
「でも……」
「俺は大丈夫だから、あの人も俺に酷い事はしないから」

 それでも不安気な表情のノーア、分かっている、この行為自体も父親の暴力だと彼はそう思っているのだ。確かに俺の意思とは関係なしに押し倒されて、身勝手に揺さぶられ、自分が終わればさっさと身を清めに行ってしまう、これは暴力だ、それを俺が望んでいなければ。
 俺自身がして欲しい訳じゃない、けれど俺はそれを受け入れている、彼の心がそれで休まるのなら俺はそれでいいと思っている。
 彼は俺を殴りつけたりする訳ではない、ただひたすら肉欲をぶつけてくるだけだ、だから俺はそれに応えているだけ、だからノーア、お前はそんなに不安そうな顔をする事はないんだよ。
 部屋のドアががちゃりと開き、戻ってきた彼がぎらりとこちらを睨む。幼いノーアが竦みあがって硬直したのが分かった。

「ノーア、そいつに触れるな。触れていいのは私だけだ」

 容赦のない威圧、すくんで怯えたノーアは半泣きで壁にへばりついた。

「止めて、ノーアは何もしていない」
「私のモノに手を触れた、それはもうそれだけで罪なのだよ」
「ノーア、いいから行きな」

 壁にへばりついた子供は青褪めた表情で、父親の脇を抜けて逃げていった。

「ノーアにあたるのは止めてって、何度も言ってるのに……」
「お前は私の物だ、お前だけは誰にも渡さない。アレは私に似ている、油断がならない」
「貴方の子供だよ」
「だから余計に、だ」
「俺はずっと貴方のモノだよ、よそ見もしないって、何度も言ったよ。ノーアだって分かってる、だからノーアにあたらないで」

 俺はゆるりと身体を起して、彼に向かって手を伸ばす。寄ってきた男からは風呂上りのいい匂いがした。
 散々に抱かれ、今日はもう終わりかと思っていたのだが、先程のノーアの行動がまた彼に火を点けた。彼は、今はもうこうする事でしか愛情の表現ができないのだ、過剰な執着、俺はそれを受け止める。そう、これは俺が望んだ事、だけれど……



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