狐の国のお嫁様 ~紗国の愛の物語~

真白 桐羽

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アオアイの町6 音色に誘われた者

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「お待ちください。ここからお入りになるなど、あまりにご無体な!殿下!」
「おさがり下さい、殿下!」

近衛達の緊張した声と態度で、この知らない男性がどこかの王族だとわかる。
でも、だれ?

カジャルさんは必死に僕を背に隠そうとして手を広げて前に立ちふさがる。

「ん?なんだー?そんなに固いこと言うなよぅ。おや?おまえカジャルか!久しぶりだな!」
「……っ、サスラス王子……蘭紗様の留守中に勝手に上がってくるなど、あまりにも無礼ではありませんか?」
「なんだよお前までそんなこと言うのー?俺たち仲良しだったじゃないか」

サスラスという名前に聞き覚えがあって思い出す。

この人は……ルカリスト王国の第二王子だ……

僕は恐る恐るカジャルさんの体から顔を出して声の主を確かめる。
すると思わぬ近くにその本人がいて思わず体をのけぞらせてしまい、体のバランスを失った僕はバイオリンを持ったまま転倒しそうになってしまった。
そして当然のようにサスラス王子の腕に抱かれてしまった。

驚いて離れようとしたけど、びくともしない。
凄く大きな体……鍛え上げられた筋肉が盛り上がって、腕も胸もたくましくて固い。
まるで岩のようだと思った。

「は、離してください」
「離せ、サスラス王子!その方を誰だと思って」

ヒューっと口笛が聞こえたかと思うとサスラス王子は僕をさらにきつく抱きしめる。
他の男性にこんな風に抱きしめられるなんて……身震いがするほど嫌で嫌でたまらない。
体をひねってなんとか逃れようと頑張る僕を、トロンとした丸い目でジッと見つめてくるサスラス王子は、どこか正気でないような気配がしてぞっとした。

「……お前、蘭紗の嫁なんだろ?異世界から来たっていう」

僕はなんとか隙を見つけて飛翔して逃げようとした。
しかし皇子のたくましい腕が僕の体を掴んで離さない。
カジャルさんも必死にその手をどけようとするが、さすがのカジャルさんもパワー負けだ。

近衛は他国の王子相手にどこまで抵抗していいか考えあぐねているようだ。

「まあ、焦りなさんな。危害を加えたりせんよ?ここはアオアイなんだから」

カジャルさんが鋭い目線で王子をにらむ。

「だったら薫様を今すぐ離してください……」
「んー……そうしたいけどよぅ、離すと逃げるんだろう?それじゃ面白くないじゃないかぁ、なぁ」

サスラス王子は僕をじっと見つめてきた。

「こんなに……美しい人だとは思わなかったよなぁ。これじゃ蘭紗は骨抜きだろうなぁ」
「は?」
「私もお前が気に入ってしまったよぉ?なあ……私の元へ来ぬか?」
「は?……あなたは、ご自分が何をなさっているのか……ご理解なさっておいでですか?」

カジャルさんが僕の代わりに返事をしてくれてる間も、僕はずっともがいていた。
恐怖で声が出なかった。
そして間近で見るサスラス王子の視線が突き刺さるようで怖い。
完全に捕食者の目だ。
体を震わせて必死に逃げようとするが、力が強すぎて全く動けない。

「まあまあ、そんなに怖がりなさんな。さきほどの素晴らしい音楽に引き寄せられて、そなたに一目ぼれした哀れな男だよ?そなたが嫌がることはせぬ、さあ、ルカリスト国の招待をうけてくれ。ぜひともうちでもその演奏を聞かせてくれまいか?」
「や、やめてください……降ろしてください。いやです……」

僕はやっと出たか細い声で必死に抗った。

「ふむ……嫌か……」

僕の声を聞いて、王子は急に勢いを失くして僕を床に降ろしてくれた。
カジャルさんが素早く僕を引き寄せ、近衛に任せてくれる。
いつの間にか駆けつけていた近衛隊長が僕を後手に庇ってくれた。

「ならば……正式に……そうだなぁ。父上から招待状を送らせてもらうか……」
「……何の招待状なのです?」
「音楽会だよ?それだけの腕前なのだ、驚くことはない」
「お……んがく?」

僕はうまく発音できないぐらい体が震えていた。

「サスラス王子殿下……恐れながら……我が王妃様は体調が万全ではない上に、このような予定にないことに戸惑っておいでです。一度出直してくださいませぬか?」

近衛隊長は朗々と響く低音で堂々と伝える。

「ほう……そなたその装束は近衛か?なるほど……まあ、ここでこれ以上無理してはこの美しい人が私を怖がるばかりだろうしなあ……悪気はなかったのだがねえ……」

と言いつつ、鼻の横をぼりぼりと指で掻く。
その姿は大きな体に似合わず、すこしかわいらしく思えた。

「取りあえず……本日はお帰り下さいませ。勿論、玄関からお願いしますよ」

近衛隊長は凛と言い放った。

「ああ、わかったわかったって、そんなに殺気立つことないだろ?」

そう言って軽く笑顔で僕にウインクして扉に向けて歩き出した。
だが立ち止まって一度振り返り、真剣な顔をして言い放った。

「だが……招待は必ず送る、善処してくれ……じゃあなあカジャル!今度あそぼうぜ」

それを最後に扉の向こうへ消えてくれた。
大理石の廊下を歩く音が少しづつ遠ざかるのを聞いて、僕はようやく息がまともに吸えた気になった。

「……はぁ……」

床にへなへなと座りこんだ僕を慌てて抱き上げた近衛隊長は、そろりとソファーに僕を座らせてくれる。
バイオリンを抱きしめていたことに今気づいて、それを走り寄って来た仙に託した。
カジャルさんは悔し気に眉を寄せて僕を見つめていた。

「カジャルさん……」
「あいつ……本気か……」

その言葉に皆が一瞬体を震わせる。
ルカリスト王国は熊族の国だ、あまり雅とはいえない国民性で争いも多いのだという。
だが個人主義なので勢力争いにはあまり興味がなく、他国に攻め入ることなどはほとんどなく、意外にも好戦的な国ではない……と確かそう教えてもらったはず。

「陛下に伝達を」

近衛隊長が部下に声をかけている。

「いえ、待ってください……」

僕は思わずそれを止めていた。

「昨日も……心配かけてしまったばかりで、しかも明日は会議の本番です。今皆さまとてもそれどころではないでしょう?わざわざまた厄介ごとを持ち込んで皆さまの邪魔はしたくないのです」
「何言ってんだ……あいつらが個人的に執着を見せたら厄介なんだぞ?」
「え?」
カジャルさんの言葉に引っかかりを覚えた僕に、近衛隊長も深く頷いて跪いたまま話し出した。

「私からもよろしいでしょうか?……薫様……ルカリストの王族は熊族です、熊族というのは興味を持った恋愛対象に、とても執着するのです」
「え?」
「あなた様は紗国の大事なお嫁様です……蘭紗様にとっても私たちにとっても宝物のように大事な存在なのです。その薫様に危険が及んでいることを伝えないというのはあり得ないのです……今すぐ国をあげてあなた様をお守りする方法を考えださねばならない、緊急事態でございます」

僕は呆然として震える手を握りしめた。
……どうしてこんなことに……

仙が僕の手にそっと自分の手を重ね、温めるようにしてくれた。
その温かさで、自分の指先が冷たくなっていることに気が付いた。

「……わかりました、蘭紗様たちに伝えてください」
「ハッ」

近衛隊長は部下に次々と指令を出しつつ警備の当番表を改めて確認している。
カジャルさんは落ち着かない様子でバルコニーから外を見ていたが、やがて僕に視線を移して薄く笑った。

「今すぐどうのこうのってことはないと思う、さすがに……だからちょっと休んだ方がいいんじゃないか?顔色がひどい……」

カジャルさんのいつもとは違う心配げな様子に余計不安を覚えてしまう。
仙も、そうしましょうと言って、僕の手を引いた。

僕はゆっくりとリビングを後にしてベッドにもぐりこむ。
着替えもせずに入っちゃって……せっかくの美しい装束がしわだらけになっちゃうな……などと、余計なことばかり考えながら天蓋を見つめる。
美しい螺鈿の意匠は異国情緒あふれていて、ここが紗国ではないことを僕に強く感じさせた。

不安が僕から離れてくれない。
布団に顔まで潜り込んでも、一人で震えているだけで、ちっとも安心できない。

蘭紗様……
蘭紗様に会いたい!

僕は真っ白なシーツに涙のシミが広がるのを頬の冷たさで感じた。
泣いたって、何も解決しないのに……

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