名は体どころか運命を表す

ルイ

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7. 確率

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――こんな目に合うとは……。

瀬踏の家の隣の公園のベンチに座り、反省する刀川たちかわ

――あの子に関係することとなると、全くのめくらになってしまう。熱愛の激しさが、理性の綱を振り切ってしまう。

先ほど自動販売機で購入した缶コーヒーを飲み干す。
サインペンと修正テープで、入手したノートにある名前を「瀬踏」から「刀川」に書き換えつつ。

――しかし、しかし…今は先のことを考えるのだ。

――時間を無駄にはできない。時はその値を知れば知るほど、つぶすのが辛い。

意気阻喪から少しずつ立ち直る。
そう思い、すぐにコーヒーを飲み干すと、黒いズボンとベルトの間にノートを入れ、ベンチから腰をあげる。
あの計画を実行する場所へ向かおうかと考えている。
歩き始めた。

しかし実際のところ、彼は本当にそこへ行くのかどうか、そして計画を実行するのかどうか、遅疑する。
雨が強くなってきた。
午前3時22分。
もしかしたら運命的に、行く場所は決まっていたのかもしれない。

――それにしても、私にあれが出来るのか?

暗闇の中、独り雨に打たれる。雨は急に強くなっていく。

――私は、リスクを、リスクをちゃんと測ったのか?
――そしてこれで、いい目が出るのか?
――根拠薄弱ではないのか?
――乱暴で途方もない理論ではないか?

下を向き歩きながら、頭を掻きむしる。

――ノートを無事枕元に置いたとしても、その後にいずれ告白した際の成功確率は?
――望みがあるとしても、全くふんわりした雲を掴むようなものではないのか?
――何%で成功するのだ?

夜空が溶け落ちてきたような大雨。

――パーセント、か! 実に素敵な言葉ではないか!
――実に科学的で、合理的で、確かなものだ。
――パーセントなんだから、心配の要なしってわけか。

――それで話は終わりだろうか?
――全てパーセントで割り切って、それで解決済みなのだろうか?

――否、今の私に必要なのはそんな理論じゃあるまい?

彼はもはや豪雨となった音の中、前を向き、歩調を速めた。

――パーセンテージなど、実は取るに足らぬものではないのか?

――「成功」か、「失敗」か。現実に起こり得るのは二択。
――49%成功であろうとも、99%失敗であろうとも、現実には二択ではないか!

彼はもう、今夜ノートを枕元に置くことも、近日中に告白することも、既定の計画として捉えるようになっていた。

そして心中には昂然の気がみなぎる。
告白が成功することすら、掛け値ない事実になるだろうと考え始めていたのだ。
行くべき場所へ、全力で疾走する。すぐ近くだ。

――告白すら可能だ! どれほど努力しようとも、結果は二択なのだから!

――勝つのは100人に1人かもしれない。しかし、しかしそんなことが私の知ったことだろうか?

繰り返しだが、多くの人は、こんな話を聞くと、恐らくいくつもの点からみて、こんなバカげた話はない、家に侵入など犯罪である、と言うかもしれない。

しかし、彼はめくらとなっていた。
ちょっとだけ、人からどう思われるかを考えるのが苦手な人間だ。

こうして数分後。
目的地、甘井さんの住むマンションへ到着した。

7階建ての小さなマンションだが、上品な雰囲気が漂う。
白を基調とした建物はオートロックで、入り口には暖色系の照明の光が当たっている。
入り口近くには花壇さえあり、晴れていれば楽園のようだっただろう。
瀬踏や刀川の住処とは、世界が違う。

7号室は2階にあることを刀川は知っていた。
かつて彼女の後をつけていたことがあるから(愛ゆえに)。

――あの子の、あの子の枕元に一刻も早くノートを置かねば! 窓は開いているはず。

彼女はクーラーが苦手だから、窓を開けて寝ているはずであり、それなら瀬踏の家と同じ要領で攻略できる、と刀川は踏んでいた。

彼は彼女にノートを渡したい一心で、マンションの脇に移り、垂直な壁を見上げる。
一度深呼吸するもののやや慌てながら、ヤモリ手袋を装着。
上を目指すことを改めて決心する。

こうして彼のクライミングは始まった。

空模様は、瀬踏の家に侵入した時とはすっかり変わっていた。
天から垂直に降る雨が、痛いほど叩きつける。

――この先が尖っているような雨はなんだ、しかし、しかし、あの子のためなら、雨、雨、雨など!

天からの矢に叩かれつつも、ペタペタを登っていく。

――嘆いても仕方ない! これでも、これでも運命の神としては、いつもよりは思いやりのある方だ。

雨で手袋の吸着力が弱まり、少し滑り落ちそうになるが、なんとか数メートルを登った。
しかし雨はさらに強くなる。
全てを押し流すかのような、目も開けられない横殴りの雨へ変わっていく。

――この天が聖者二人を遠ざけようとしているようだ! 一体何の咎があって!

咎どころか犯罪である。しかし、彼は着実に登っていく。
壁を叩く雨の中。

――もしそんなことを天がするのなら、神こそ地獄に落ちれば良い!

腕に疲労が溜まる。手元が幾度も滑る。
このような状況だが、彼は諦めない。

念のために記しておくと、彼は夜這いを仕掛けるために登っているわけではなく、純粋にノートを甘井さんの枕元にこっそりと置きたいだけなのだ。
彼女がどう思うかは彼の眼中にないが。

――それに、このような雨が降ろうとも、私の胸の火は消せぬ!

2階建てということがせめてもの救いか。
瀬踏の部屋のように3階に甘井さんの部屋があったら、登り切れなかったかもしれない。

彼は彼女の家のベランダに転がり込んだ。

――ここまでくれば何も問題ない!

大きくため息をついた後に、窓に手を伸ばす。

予想通り。
網戸であった。
血圧は上がり、脈拍は速くなる。

――け、け、計算通りではないか!

一気に興奮し、また自制する力を失ったびしょ濡れの彼は、パァンとおもいっきり網戸を開けてしまう。
こっそりと部屋に忍び込み、枕元にそっとノートを置くはずだったのだが。

部屋にずんと一歩を踏み込む。

すると、ベッドで寝ていた彼女がびくっとして目を覚ました。
上半身を起こしながら窓の方を向く。
暗闇でよくわからないが、空手有段者の彼女は、人の気配を感じたようだ。

「え……?」

――しまった!!起こしてしまったか!

――しかし、うむ、これ、これでもよかろう!

網戸を後ろ手に閉めながら、ぶつぶつと呟く。

彼女は声が出なかった。
ずぶ濡れの不審者が2階の窓から突然部屋に入り込んできたのだから。
この状況を理解した彼女は、かなり怯えた表情になるが、暗闇で刀川にその表情は見えない。

雨はぴたりと止んだようだが、月は雲に隠れ、明かりはない。

「だ、だれ……?」

カラカラと網戸が閉まり切るのと同時に、勇気を振り絞ってようやく出した彼女の声は、弱々しく途切れた。

あとは静寂。

彼女には当然、誰が窓からいきなり侵入してきたかは分かっていない。しかし。

びしょ濡れの彼は珍しくふっと笑いつつ、彼女に近寄りつつ水が滴るノートを差し出した。

「お届けものである」

使う言葉よりも、声の調子の中にはるかに多くの愛情を詰め込んだ。

――万事順調、うむ、ここから、ここから始まるのだ。
――そして、この子からの返事は可愛らしい、「うん、ありがとう」という小さな頷きだろう。

彼女がベッドから降りる。
何かを決心したかのようだ。
怯えの表情は消えた。

――うむ、そうだ、この子が小さく頷いて、そこから始まる物語だ。
――これはほんの前座で、本番はこれからである。

彼は甘美な妄想を巡らした。唇には笑みさえ漂う。

――そして、いつか、この偶然の出会いを運命と呼ぶことになるかもしれない。
――この出会い、どれほどの確率だろう?

彼女に、びしょびしょのノートが手渡されると思っていた。

しかし、ノートを手渡す前に、彼女から「返事」が来た。



行動に表れた一択の必然のお告げ。

それは、悲鳴とともに届けられた、指を軽く曲げた、脳天に直撃するだった。

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