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15.一人カラオケの異形②(怖さレベル:★★☆)
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それから一週間がたち、
私はあれがただの勉強疲れから来た
ただのまぼろしだったんじゃないか、
なんて思い始めてきました。
冷静に考えても、
あんな化け物が現実に存在するなんてありえないし、
ネットの口コミを見たって、
そんな曰く付きの情報などもありません。
オマケに、その日は好きな歌手がCDを発売したばかりで、
新曲を歌いたくてウズウズしていたのです。
少し躊躇もしましたが、
いつも行く遠いカラオケボックスではなく、
町内にある近い方へ行くことにしました。
幸い、知り合いに出会うことなく受付をすませ、
宛がわれた個室へ入ります。
(……寒くは、ない)
先日のあのできごとが、
フッと脳内に浮かびました。
あの幽霊は、
幻覚だったのか……?
天井にへばりついていたそれの映像が、
写真のように鮮明に記憶に蘇ります。
あの、だらんと垂れ下がった、
ドロドロと粘着質な髪。
その合間から覗く、
暗く無感情な目。
白さを通り越し、
うっすら透けている薄い肌。
節くれだった、
まるで昆虫のような手足。
赤さの際立つ、
湿った口腔――。
「……やめやめ」
思い返せば思い返すほど、
ゆううつな気分に陥ってきます。
今日はせっかくのストレス発散。
このままでは逆にストレスになってしまうと、
テンポの速い頭が空っぽになれる曲を立て続けに予約しました。
ノリノリで叫んでいると、
あのイヤな記憶などすぐに吹き飛びます。
そんな調子で何曲も歌い、
さて、一休みしてトイレでも、
とマイクを置いた時です。
――プツッ。
「あっ」
突如として、
カラオケの液晶が消えました。
「……あれ、おかしいな」
マイクもスイッチが入らなくなってしまい、
スピーカーからも一切の音がしません。
機器の故障かと、
備え付けの電話機でフロントへ電話しようと手を伸ばした、
その時です。
――ゾク。
「…………っ!?」
凍える程の冷気。
この寒さは、
憶えています。
一週間前に体験した、あの時と同じ。
「……うっ」
――視界の隅。
そこに、なにかがいる。
「……だ、だれ……?」
消えそうなほどに掠れた声が、
必死に漏らしたその言葉。
そのなにかは、まるでそれに反応するかのように、
スススッと視界の外、私の背後へと移動したのです。
後ろには、
カラオケボックスの出入り口があります。
もしかして、出ていったのだろうか?
そう、期待する心とうらはらに、
あの底冷えする寒気は未だ消えず、
するすると首筋を撫でていました。
「……う」
私は、見えないそれを確認したい気持ちと、
けっして見たくないという気持ちの合間で揺れ動いていました。
このまま、そのなにかがいなくなるのを待つ?
――でも、前のように消えてくれるとは限らない。
それとも、振り返って一目散に扉から逃げ出す?
――真正面には、あのバケモノがいるかもしれない。
(……怖い、けど)
硬直する身体を叱咤して、
一つ深呼吸した私は、バッと後ろを振り返りました。
「……あ」
歪な声がもれました。
真正面。
振り向いた視線のすぐ前に、
カパリと開いた大きな赤い口。
(食われる)
真っ白な脳内に浮かんだその言葉。
ぬるりと赤黒い舌が、
獲物を歓迎するかのようにスルリと動いた、
その瞬間。
「失礼いたします」
バタン、
と誰かが室内へ入ってきました。
「へ……え……?」
「お待たせいたしました。山盛りポテトでございます」
少々ハデな色合いの髪をした店員は、
ノックもせずに個室内に入ってきたかと思うと、
テーブルの上にドサリとポテトを起きました。
「あ……あの。私、頼んでない……」
「えっ? ……あっ、すいません。ここ、10号室でしたか。
隣と間違えてしまったみたいで……」
軽く謝罪した金髪店員は、
入ってきた時と同様、そそくさと退出していきました。
残されたのは、
音の戻った個室に一人の私のみ。
今のバタバタの合間で、
あの幽霊は消え去っていて、
マイクも、ディスプレイも通常通り映像が写されていました。
「たす、かった……?」
ふだんであればイラつく間違いも、
今回ばかりは天の助け。
私は手早く支度をし、
今日もまた途中で個室を退出したのです。
「あ、さっきはすみませんでした」
「い、いえ……」
会計をしてくれたのは、
さきほどの金髪の店員です。
少々気まずさを覚えつつ、予定時間より早い為割引の効いた会計を終え、
さっさとカラオケボックスから出ようとドアに手をかけた時。
「……狙われてますよ。気を付けて」
「え……っ?」
小声で呟かれたその台詞に、バッと振り返るも、
休憩室へ入ってしまったのか、
かの店員はすでに受付から姿を消していました。
あんなできごとにあってからしばらくは、
家でも一人になるのが怖くて、
しばらく姉妹の部屋や、母の部屋に入り浸っていました。
しかし、幸いというべきか、
あれ以降、妙なできごとに遭遇することなく、
今のところ生きています。
あれが私についてきたものなのか、
それともそれぞれのカラオケボックスに存在するものなのか。
あれから、それぞれの店の評価をふたたび
ネットで検索しても、心霊現象のしの字もでてきませんでした。
幻覚、幻聴――夢。
片付けようと思えば、
きっとそれで片付いてしまうのでしょう。
でも、アレから私は、
もうカラオケボックスには行ってしません。
家族や友人に誘われても、
適当な理由をつけては、断っています。
どうしても、怖くて怖くて、
仕方がないのです。
また、ふいに一人になった時、
あの異形な物体に会うのではないかと。
そして、今度こそ――
あの赤い赤い口に、飲み込まれてしまうのではないか、と。
私はあれがただの勉強疲れから来た
ただのまぼろしだったんじゃないか、
なんて思い始めてきました。
冷静に考えても、
あんな化け物が現実に存在するなんてありえないし、
ネットの口コミを見たって、
そんな曰く付きの情報などもありません。
オマケに、その日は好きな歌手がCDを発売したばかりで、
新曲を歌いたくてウズウズしていたのです。
少し躊躇もしましたが、
いつも行く遠いカラオケボックスではなく、
町内にある近い方へ行くことにしました。
幸い、知り合いに出会うことなく受付をすませ、
宛がわれた個室へ入ります。
(……寒くは、ない)
先日のあのできごとが、
フッと脳内に浮かびました。
あの幽霊は、
幻覚だったのか……?
天井にへばりついていたそれの映像が、
写真のように鮮明に記憶に蘇ります。
あの、だらんと垂れ下がった、
ドロドロと粘着質な髪。
その合間から覗く、
暗く無感情な目。
白さを通り越し、
うっすら透けている薄い肌。
節くれだった、
まるで昆虫のような手足。
赤さの際立つ、
湿った口腔――。
「……やめやめ」
思い返せば思い返すほど、
ゆううつな気分に陥ってきます。
今日はせっかくのストレス発散。
このままでは逆にストレスになってしまうと、
テンポの速い頭が空っぽになれる曲を立て続けに予約しました。
ノリノリで叫んでいると、
あのイヤな記憶などすぐに吹き飛びます。
そんな調子で何曲も歌い、
さて、一休みしてトイレでも、
とマイクを置いた時です。
――プツッ。
「あっ」
突如として、
カラオケの液晶が消えました。
「……あれ、おかしいな」
マイクもスイッチが入らなくなってしまい、
スピーカーからも一切の音がしません。
機器の故障かと、
備え付けの電話機でフロントへ電話しようと手を伸ばした、
その時です。
――ゾク。
「…………っ!?」
凍える程の冷気。
この寒さは、
憶えています。
一週間前に体験した、あの時と同じ。
「……うっ」
――視界の隅。
そこに、なにかがいる。
「……だ、だれ……?」
消えそうなほどに掠れた声が、
必死に漏らしたその言葉。
そのなにかは、まるでそれに反応するかのように、
スススッと視界の外、私の背後へと移動したのです。
後ろには、
カラオケボックスの出入り口があります。
もしかして、出ていったのだろうか?
そう、期待する心とうらはらに、
あの底冷えする寒気は未だ消えず、
するすると首筋を撫でていました。
「……う」
私は、見えないそれを確認したい気持ちと、
けっして見たくないという気持ちの合間で揺れ動いていました。
このまま、そのなにかがいなくなるのを待つ?
――でも、前のように消えてくれるとは限らない。
それとも、振り返って一目散に扉から逃げ出す?
――真正面には、あのバケモノがいるかもしれない。
(……怖い、けど)
硬直する身体を叱咤して、
一つ深呼吸した私は、バッと後ろを振り返りました。
「……あ」
歪な声がもれました。
真正面。
振り向いた視線のすぐ前に、
カパリと開いた大きな赤い口。
(食われる)
真っ白な脳内に浮かんだその言葉。
ぬるりと赤黒い舌が、
獲物を歓迎するかのようにスルリと動いた、
その瞬間。
「失礼いたします」
バタン、
と誰かが室内へ入ってきました。
「へ……え……?」
「お待たせいたしました。山盛りポテトでございます」
少々ハデな色合いの髪をした店員は、
ノックもせずに個室内に入ってきたかと思うと、
テーブルの上にドサリとポテトを起きました。
「あ……あの。私、頼んでない……」
「えっ? ……あっ、すいません。ここ、10号室でしたか。
隣と間違えてしまったみたいで……」
軽く謝罪した金髪店員は、
入ってきた時と同様、そそくさと退出していきました。
残されたのは、
音の戻った個室に一人の私のみ。
今のバタバタの合間で、
あの幽霊は消え去っていて、
マイクも、ディスプレイも通常通り映像が写されていました。
「たす、かった……?」
ふだんであればイラつく間違いも、
今回ばかりは天の助け。
私は手早く支度をし、
今日もまた途中で個室を退出したのです。
「あ、さっきはすみませんでした」
「い、いえ……」
会計をしてくれたのは、
さきほどの金髪の店員です。
少々気まずさを覚えつつ、予定時間より早い為割引の効いた会計を終え、
さっさとカラオケボックスから出ようとドアに手をかけた時。
「……狙われてますよ。気を付けて」
「え……っ?」
小声で呟かれたその台詞に、バッと振り返るも、
休憩室へ入ってしまったのか、
かの店員はすでに受付から姿を消していました。
あんなできごとにあってからしばらくは、
家でも一人になるのが怖くて、
しばらく姉妹の部屋や、母の部屋に入り浸っていました。
しかし、幸いというべきか、
あれ以降、妙なできごとに遭遇することなく、
今のところ生きています。
あれが私についてきたものなのか、
それともそれぞれのカラオケボックスに存在するものなのか。
あれから、それぞれの店の評価をふたたび
ネットで検索しても、心霊現象のしの字もでてきませんでした。
幻覚、幻聴――夢。
片付けようと思えば、
きっとそれで片付いてしまうのでしょう。
でも、アレから私は、
もうカラオケボックスには行ってしません。
家族や友人に誘われても、
適当な理由をつけては、断っています。
どうしても、怖くて怖くて、
仕方がないのです。
また、ふいに一人になった時、
あの異形な物体に会うのではないかと。
そして、今度こそ――
あの赤い赤い口に、飲み込まれてしまうのではないか、と。
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