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92.鬼除け①(怖さレベル:★☆☆)

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(怖さレベル:★☆☆:微ホラー・ほんのり程度)

ちょっと前、牧場に勤めていたことがあったんですよ。

……ええ、まあ、バイトで短期間、ですけどね。

遠い親戚のうちが人手不足で、
夏の間だけでも手伝いに来てくれないか、なんて言われて。

当時大学生だったオレは、彼女もいなかったし、
出かけるほど親しい友人もいなかったしで、二つ返事でOKしました。

それに、そういうトコで働くのって、
なんだかのんびりできそうじゃないんですか。

みどりの中で、牛や鳥にエサをやって、穏やかな時間を過ごす――なんて。

まぁ、そんな見積もりが甘かったことは、
初日っから思い知らされるんですけど。

まず、朝がめちゃくちゃ早い。

大学生活でだらけきっていたオレの身体は、
朝日の昇る前からの労働に慣れぬのに、二週間は要しました。

その上……これがまぁキツいんですが、臭いがね……。
爽やかに自然に囲まれて風を感じて、なんてとんでもない。

夏場だから、なお強力な獣臭に、彼らの排せつ物の汚臭。
マスクなんて、あってないようなモンでしたよ。

設備の整ったデカい農場だったら、そういう排気や防臭設備、
機能性のあるマスクだとかでずいぶん違ったのかもしれませんが、
うちの農場は、昔っからの古いモンだったから、なおさらですかね。

……と、まぁ、他にもいろいろ大変なことは山もりで、
牧場=牧歌的でユルい、なんちゅう生ぬるい考えは、はやばやと消え去りましたよ。

ただもちろん、悪いことばかりでは当然なくて。

生まれたばっかだっていう乳牛の子どもや、ふわふわしたヒヨコは可愛かったし、
生みたての卵や、しぼりたての牛乳を堪能させてもらったり……あれはマジで美味しかった。

それに、休憩の時には広い牧場内をゆったり散歩したりして、
人間関係のわずらわしさからは解放された、穏やかな時間を過ごす楽しみもありました。

……と、オレの牧場生活のことばかり語っていても仕方ないですね。

さて、ここからが本題です。
……そこの牧場。なんと、出るんですよ。

熊?
……まぁ、たまには出没するらしいですけど、ちがいます。

幽霊?
……惜しい、けど、違います。

妖怪?
んー……半分正解、ですね。

はは……すみません、イジワルでしたね。
答えは……『鬼』。そう、鬼が出るんですよ、そこ。

ふふ、信じませんね? まぁそうでしょう。
鬼なんて、突拍子もない話。

オレもね、もちろん信じませんでしたよ。

そもそも、それを知ったのだって、
ようやく早起きになれ始めた、バイト二週間だったんですから。



その日、オレは毎朝の日課をこなし終え、
これから午前中の休憩に入ろうか、という頃合いでした。

「おじさーん、これ、外してもいいですか?」

牛舎のある一部、中から外へ出る部分に、
通行に邪魔な赤いヒモが蜘蛛の巣のように張られている一角があって、
ちょっと前から、ずっと気になっていたんです。

「ん……どうした、ケン坊」

オレの声に反応して、ひょっこり隣の小屋から牧場主であるおじさんが姿を現しました。

「おい、何を持っ……」

と、オレがヒモを握っているのを見て、
ギョッと目をひん向きました。

「だ……っ、ダメだダメだ! それに触るな!!」
「え、あ……」

あまりの剣幕にひるむと、彼はハッと身体をビクつかせ、頭を左右にゆすりました。

「悪い。いやはや……そうだった。一番最初に説明しとかんといけなかったな。
 ……うちに外部から人を入れるのは久々だから、すっかり頭から抜けてたわ……」

おじさんはボソボソと独り言をしゃべりつつ、
ふと腹を決めたように顔を上げました。

「そいつはな。……鬼除け、だ」
「えっ……鬼、除け?」

まるで聞きなれない、その単語。

オレが不審な顔をしているのに気づいてでしょう。

生まれたての卵が親鳥に踏みつぶされたのを
見たときのような苦い表情でおじさんは続けました。

「魔除け、は聞いたこと有るだろ? あとは神社とかである、しめ縄とかな。
 ……そいつは、似たようなモンだ」
「魔除け、しめ縄って……なんだそれ。
 泥棒を入れたくないんだったら、セキュリティとか入れたほうがいいんじゃないの?」

オレが冗談交じりに入れたツッコミにピクリとも笑わず、
おじさんは柱にバシッと片手をつきました。

「おれが恐れてるのはそういうモンじゃない。……鬼除け、って言っただろう? ……出るんだ、鬼が」
「……鬼ィ?」

オレは耳にした台詞が信用できず、
ジロジロと例の赤いヒモを眺めました。

鬼除け、などといっても、牛舎のある一定の場所に張り巡らされているだけで、
これでは他の入り口や、少し離れた母屋の方にはらくらくで入れてしまいます。

「まぁ、今信じろっていったって信じらんねぇだろうなぁ。……気になるか? 鬼が」

妙に目をギラつかせ、低い声で尋ねてきました。

その気迫に押されつつ、オレは少しだけ逡巡じたものの、

「……見たい」

好奇心に打ち勝つことはできず、力強く頷きました。

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