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107.目玉の神様①(怖さレベル:★☆☆)

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(怖さレベル:★☆☆:微ホラー・ほんのり程度)

私は今でこそ、こうしてOLとして平凡に会社勤めをしていますが、
いっとき……その、すごく病んだというか、自暴自棄になったことがありまして。

というのも、苦労して就活で決まった会社が、
就職して一年たたぬ間に、倒産してしまったんです。

まだ社会人一年目。なんだかよくわからぬ間に会社はなくなってしまって、
一人、路頭に迷うハメになってしまって。

家族仲がいい家庭だったら、親に相談して実家に戻って……
なんてこともできたんでしょうけれど、
あいにくうちの両親はネグレクト気味の、子どもに興味がない人たちで。

友だちは仕事が忙しいらしく連絡もとどこおりがちで、
つながっているSNSを見るかぎり、充実したキラキラした毎日を送っている子ばかり。
とてもじゃありませんが、会社が倒産した、なんて相談もできませんでした。

今思えば……ネットで検索するなり、職業安定所にかけこむなりすればよかったんですよね。

あの時は、会社がつぶれたショック、これから先の未来への不安、誰にも相談できない恐怖。
それらが合わさって……私はどこか、おかしくなっていたんだと思います。

食事は、大量にまとめ買いしてきたカップ麺や冷凍食品。
栄養バランスなんてなにも考えられず、
食欲もたいしてわかないので、食事は一日一回。

起きている間は、布団の上で常にボーッとして、
気まぐれに風呂に入ったり、携帯をもてあそぶくらい。

ろくに眠ることもできず、体はつねに重たくて、
頭痛とめまい、うっすらとした気持ち悪さに、いつもまとわりつかれていました。

そんな有様ですから、当然家のなかは荒れていき、
よくテレビで特集されるような、ゴミ屋敷の様相になっていきました。

そして、布団のまわりにゴミが集まり始めたころから、
幻聴、幻覚のたぐいが見えてきたんです。

昼夜をとわず、クスクスとあざけり笑う声が聞こえてきて、
カサカサとシーツの下を這う虫のような足音。

視界の端でつねにユラユラと白いもやが見えて、
キラキラと七色の光を放つ妖精が、ときおり部屋のなかを飛び回ったり。

今思えば、明らかに精神的に狂っていたというのに、
その当時の自分は、夢と現実、妄想と正気の区別もろくにつかず、
ふわふわと生きていました。

そうして、幻聴と幻覚が当たり前になって、
もはや、いちいち驚くこともなくなった頃のことです。

その日。先行きのみえない不安にさいなまれながら、
ポヤーッと天井を眺めていました。

布団に仰向けに寝転がって、ぼんやりと定まらない視線のなか、
フッ、とある位置に視線が向いたのです。

「あ……シミ……」

天井。自分の見上げる場所のすこし右側に、
濡れたような、わずかな斑点が見えました。

毎日見上げていたのに、気づいていなかった、それ。

クリーム色の天井に染みだした茶色っぽいシミは、
うすくひろく、天井を浸食していました。

じんわりと縦に広がったそれは、
まるで人間の目玉のような、ほそ長い楕円形をしています。

(目……)

ジッと見上げていると、まるでその眼球に見つめかえされているかのような、
不思議な感覚に陥ってきました。

恐怖や不気味さはなぜか感じず、ただ、
大きななにかに見下ろされているという、奇妙な感覚です。

パチパチと目をしばたいてもそれは消えることなく、
ジーっと私のことを見下ろしていました。

(あぁ……神様が、見てるのかなぁ)

幻覚が見えるのなんて日常茶飯事え、
もはや自分が感じているのが夢なのか現実なのかもわからなくなっていたため、
なぜか、すんなりとそんなファンタジーなことを考えたのです。

神様が見ている。

そう考えて周囲を見回せば、
あふれかえるゴミ、ゴミ、ゴミの山。

目玉は、ゴミだめの中心で埋もれる私を、
ただただジィっと見下ろしています。

そのシミをボーッと見ていると、
私は突然、羞恥心がわきあがってきました。

(なにしてるんだろ、私……こんな、人に見せられないような生活、して)

かすみがかっていた意識が、フッと少しだけ光を見いだしました。

なにもやる気がわかなかった心が動きだして、
周囲にまきちらされたゴミを、ひとつだけ拾います。

ひとつ拾うと、もうひとつ、と、やる気が少しずつわきだしてきて、
私はあたりの荷物をガサゴソとかきわけ始めました。

はきだめとなった部屋は、いくらわずかに正気をとりもどしても、
当然、ほとんど片付きません。

私は、いままで通りボーッとする時間と、
目玉のシミを意識して動く時間とを交互にくり返しながら、
少しずつ、少しずつ、部屋を片づけていきました。

そうなると不思議なもので、あれだけ自堕落になっていた生活も、
徐々に改善されていきました。

一日一回だった食事は二回になり、
身だしなみを整えて、外に出て買い物をしたり。

しめ切っていた部屋の窓を開けて空気を入れ替えたり、
滞納していた家賃や光熱費を貯蓄から支払ったり。

その頃になるとだいぶ精神も安定し始めて、
幻覚、幻聴の頻度もおちついて、私は元気を取り戻していました。

ゴミ屋敷から、平凡な女性のアパート部屋となった頃には、
アルバイトの募集誌を眺められるくらい、回復していました。

それでも、あいかわらず天井の目は私のことをずっと見下ろしていて、
見えなくなった幻覚の、それが唯一の生き残りでした。

(この目玉の神様のおかげだね……)

正常な意識であれば、きっとおそろしいと思ったであろう、
その眼球のようなシミ。

いまだ残る幻覚であっても、それは自分を救ってくれた恩人のようなもので、
キレイになった部屋で布団に寝転がりながら、
目に入るたび、感謝の思いを抱いていました。

決定的なことがあったのは――それから数日後のことでした。

その日、クローゼットのなかでホコリを被っていたスーツをひっぱりだして、
クリーニング店に置いてきた帰りです。

夕暮れのぼんやりしただいだい色の光の下で、
のんびりと自分の参っていた頃のことを思い返していました。

あれだけまとわりついていた異様な不安や恐怖は、
部屋を片づけ、食事をしっかりとり、よく眠るようになってからはいくらか薄らいでいました。

天井から見下ろす目玉の幻覚のおかげだな、と思うと、
申し訳なさとともに、どこかありがたい気持ちすら湧いてきます。

私は帰り際にスーパーに立ちよって、お神酒代わりに小さな日本酒を購入しました。
感謝の意をこめて部屋でささげよう、なんて考えながらアパートに帰りつこうとした時。

……ウゥー……ウウー……

「……サイレン?」

自宅アパートの方角から、
パトカーのサイレンのような音が聞こえてきます。

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