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109.祖母の髪飾り②(怖さレベル:★☆☆)

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(い、痛ッ……!!)

鏡のなか。髪飾りの先端が、左腕を貫いています。

「い、ぐっ……!!」

激しい痛みに、私は身体の感覚をとりもどし、
ハッとうしろを振り返りました。

しかし。

「え……っ!?」

なにも、いない。

現実世界のこちらには、
髪飾りどころか、あの不気味な腕すらありません。

慌てて服をめくっても、腕にはなにか刺された跡もなければ、
それらしき傷も残っていません。

だというのに、感じる痛みはまちがいなく本物。
先端を突きさされた部分は、ビリビリとしびれています。
傷跡はないのに、太い針で肉をえぐられたような強烈な痛みでした。

「なっ……なに、これ!?」

動揺と混乱で、ふたたび鏡に視線を移すと、
指はいまだ銀板のなかに存在し、機嫌の良さをしめすように、
グネグネとはげしく関節を動かしているのです。

(もしかして……笑ってる……!?)

それは、幼子がアリの巣を踏みつぶして、無邪気に喜んでいるかのような。
残酷であるのに、心からそれを楽しんでいるかのような。

そんないっそ狂気を感じるおぞましい光景に、
私が恐怖に支配され、背を向けて逃げ出そうとした瞬間。

――シャン

「痛ッ……!!」

再びの、激痛。

今度は、右肩への激しい痛み。
ぐりっと骨に響くような、息苦しささえ伴う激痛です。

(ウソ……こんなに、痛いなんて……っ!)

とっさに鏡に目を向けると、そこにはろくろ首のように長く伸びた生白い腕が、
ぐんにゃりと端から伸びて、私の背中あたりを狙っている姿がありました。

つかまれた髪飾りの鋭い先端は、まっすぐ、心臓の上を狙っています。

(もし……刺されたら!?)

腕や肩で、これほどの痛み。
これでもし、心臓を貫かれてしまったら。

白い腕は、まるで私をあざわらうようにグニャグニャと指をしならせています。

(にっ、にげ、逃げないと……!!)

私は鏡から外れ、洗面台から離れようと足を伸ばしますが、
腕は逃がさないとばかりに、とたんに動きを速め、

(……間に合わない!!)

あと一歩。鏡から逃げられる、という瞬間。
ギュンッと手は近づいて、

プルルルルッ!!

「わあっ!?」

突然の電子音に、私はつま先をひっかけて転がってしまいました。

「いっててて……」
「もう、なにしてるの?」

床にしたたかにひざを打ち、悶絶している私の横を、
母があきれ顔で通り過ぎました。

プルルルル……

鳴っているのは、どうやら自宅の電話のようです。
床にしゃがみこむ私の目前で、母が受話器を取ったのが目に入りました。

(……あれ? 腕と肩、痛くない)

次におそってくると思われた、心臓の痛み。それもまったくありません。
まるで、たった今強打したひざの痛みにすべて上書きされてしまったかのように。

(もしかして……今の、電話で)

音に驚き、つまづいてしまったことで、鏡から私は消えました。
だから、あの腕から逃れられたのかもしれません。

私はそのまま廊下にへたりこんで、深く深くため息をはきだしました。

「……はぁ」
「ちょっと? おばあちゃんから、電話入ってるよ」
「えっ……私に?」

電話で話しこんでいた母が、座り込んでいるこちらを見て首を傾げました。

「おばあちゃんちのモノ、持ってきてないか、って……心当たり、ある?」
「……あ」

即座に、例の髪飾りが浮かびました。
居間で拾った、銀とムラサキの髪飾り。もしかしたら、さっきの元凶かもしれない、モノ。

「なんかねぇ、それ、ものすごく大事なモノらしくて……
 返しに来なさい、っていうから。おばあちゃんのうちに戻るよ」
「い、今から?」
「当たり前でしょう。勝手にひとんちのモン持ってきたんだから」

と、母は娘が盗みまがいのことをした事実に、イライラと受話器を置きました。

「ごっ……ごめんなさい」
「もう。……ほら、謝りにいくよ。準備して」

私は慌てて部屋へ戻ると、ランドセルを背負って母の車に乗りこみました。

おそるおそるランドセルの中身を確認すると、
暗い底の方に、コロン、とそれは存在していました。

うす暗い社内の明かりに反射する銀色が、
みょうに冷たさを感じさせて、そら恐ろしかったのを覚えています。

そして、祖母の家につくと――
玄関での開口一番、私はこっぴどく叱られました。

ふだんの、おっとりおだやかな姿はいったいどこへいったのかと思うほど、
罵詈雑言をふくめた苛烈な怒りっぷりに、母が止めに入るほど。

私は、祖母をここまで怒らせてしまった罪悪感と悲しみと、そして恐怖で、
ボロボロと涙がとまりませんでした。

母になだめられいくらか落ち着きをとり戻した祖母は、
私から髪飾りを奪いとると、無言で家のなかへと入って行ってしまいました。

その場に残ったのは、夜の闇のしずけさばかり。

「……帰ろうか」
「ん……うん……」

だいぶ口調をやわらげた母が、泣きじゃくる娘を見かね、そう声をかけてきました。
私は感情がグチャグチャでなにも考えられず、ただ、うんうんと頷くことしかできません。

二人そろって祖母宅からおいとましようと、玄関の外に出ると、
再び祖母が、駆け足で家からとび出してきました。

私はさらに祖母に叱責されるのかと身を固くして、
母も緊張した表情で、祖母と向かい合っています。

しかし、祖母はまるで憑き物でも落ちたかのようにおだやかな表情で、

「文句言っちゃって悪かったねぇ。気にしないで、またいつでも来てねぇ」

と、いつもの優しい彼女の声で言いました。

私はコクコクと頷き、母も愛想笑いを浮かべて、そのまま車で家へと戻りました。
こちらを見送る祖母の顔は、やはりあの、優しい祖母の表情でした。

でも――その変わりようが、かえってとても恐ろしくて。
震えているのに気づいた母が、そっと肩をなでてくれたことを覚えています。



そして――その後。私は、祖母の家にひとりで預けられることはなくなりました。

母が「もうすぐ高学年になるから」という理由で父と相談し、
祖母にも同じ理由で断りを入れたようです。

祖母はたいへん残念がっていたようですが、私は心の底からホッとしました。

原因は、私が無断で彼女のモノを持っていってしまったこと。
それは悪いことですし、それで怒られたのは自業自得です。

ただ、あれだけの剣幕、それも悪口を含めた叱責をされて、
再び元通りの関係を演じるなんて、とてもできる気がしませんでしたから。

それに――これが理由として、一番大きいのですが。

祖母の家から辞そうとした時。
ちょうど、車のガラスに光が当たって、鏡のように反射したんです。

そこに映っていたのは、にこやかに私を見送っていた祖母ではなく。
あの髪飾りを握りしめ、怒り狂った表情でこちらをにらみつける、
おそろしい老婆の姿でした。

きっとあの髪飾りは、祖母にとってなにか、特別なものだったのでしょう。
私が体験した事柄から考えて、呪いすらかかっていたのかもしれません。

そんな大事なモノが、なぜ偶然、居間に転がっていたのかはわかりませんが……。

祖母はまだ、生きています、が――
決して、ひとりで会いに行くことはできません。
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