上 下
287 / 355

113.義母と義兄嫁④(怖さレベル:★★☆)

しおりを挟む
『きょうも食事がなかった』
『冷蔵庫のなかに、なにも食べものがない』
『かぎがかけられて、買いものにもいけない』
『あつい、あつい。窓があかない。エアコンは暖房しかつかえない』

などの文言が、えんえんとつづられていたのです。

私がなにも言えず、ただ義兄に視線を動かすと、
彼は両手で目をおおって、か細い声で言いました。

「母さんの世話……あいつにまかせっきりで。
 おれが、もっとちゃんと……やってれば……」

と、後悔と懺悔をないまぜにしたようにうめきました。

しかし、私たち夫婦だって、いくら彼らが引き受けてくれたからといって、
ほぼほぼ義兄夫婦に義母の面倒をおしつけていたわけで、
今となっては、責めることなどできようはずもありません。

「いえ……私たちもご負担をかけてばかりでしたし……
 それにおかあさん、痴ほう症が進んでいたんでしょう?
 いろいろ忘れてしまって、こんなことを書いたのかもしれませんし……」

と、なぐさめの声をかけましたが、
横の夫が、ため息とともに、大きく首を横に振りました。

「……今度は、そっちのノートを見てみろ」

残された、もう一冊。
表紙にデフォルメされたかわいらしい猫がプリントされた、
雑貨店などでよく見かけるタイプのノートです。

(なにか、わかるの……?)

疑問を浮かべつつ、そっとノートを開きました。

そして、まっさきに目に飛び込んできた一言に、
度肝を抜かれてしまったのです。

『殺してやりたい』

えんぴつを紙に押しつけるように殴り書かれた文字の下に、
さらに恐ろしい言葉が続いていきます。

『はやくいなくなれ、ババア』
『なんで生きているのか』
『死んでしまえばいい』

目をうたがうほどの罵詈雑言と呪詛の数々が、
紙面をのたうつように這いまわっていました。

まるでこれ自身が呪いの書でもあるかのように、
ノートの端々から、強い負の感情がうかがえます。

「あ、あの……これって……もしかして……」

うすうす気づきつつも、確認のために義兄を見ると、

「……義姉さんのだよ」

と、冷たい声が夫から投げ入れられました。

「ほとんどのページがそんなありさま。
 最初は近所の人だとか、パート先のことばっかりだけど……
 途中から、母さんに対する個人攻撃の数々だ」

軽蔑しきった目でノートをにらんだ夫は、にがにがしい声でそう吐き捨てました。
ビクリと震えた義兄の肩を、しかし夫は、なぐさめるように叩きます。

「悪い。……兄貴には、つらい内容だった」
「いや……すまん。俺が悪いんだがな……」

心底弱りきった声で謝罪した義兄は、目に片手をあてて続けました。

「これ……母さんの方のノート、仏壇に入っていたんだ」
「仏壇に……?」

フッ、と。

あの日――義母を見舞いに行った日のことが、脳内に想起されます。

黒く現れた、もやのようなモノ。
あれは、義母の恨みの念だったのでしょうか。

それとも、義母が言っていた通り、
義母がいびられていることを知った、義父の霊だったのかも、しれません。

私が、しんみりとあの日の記憶にひたっていると、

「兄貴……これ、警察に提出するぞ」
「ああ……」

と、二人がなにやら頷きあっていました。

「えっ……たしかにイジメは問題だけど、二人とも亡くなってるのに、
 警察って対応してくれるの?」

家庭内のイジメ問題に、警察が介入してくれるのだろうかと、
私が首をかしげていると、

「そのノート……最後のとこ、読んでみろよ」

夫はいっそ憎しみすらこもった声で、語気を荒げました。
私は眉をひそめつつ、言われるがままにページをめくり――
その内容に、戦慄しました。

『ついに、アレを殺してやった』
『食事抜きにしてしばらく。もうロクに力も入らないらしく、
 風呂場に引きずっていったって抵抗もしない』
『あっけない最期だった。もう先だって長くないんだ。イイ気味!』

手のひら全体がブルブル震えて、指先からノートが滑り落ちました。

間違いない、殺人の告白。
それも、なんの後悔も懺悔もない、最低の。

「わかっただろ?」

夫は落ちたノートをつまみ上げ、乱暴にベッドの上へと放り投げます。

そこに至って、ようやく――ようやく私は、
この二人がここまで陰鬱な表情をしている意味を、心から理解しました。

「兄貴……気をしっかり持てよ」

夫は、もはやなんの声も発しなくなった義兄の背中を、
ひたすらなぐさめるように撫で続けていました。



……事件は、これで終了です。

義母は事故死から一転、殺人の被害者に代わり、
亡くなった義兄嫁が被疑者とされました。

私も……えぇ、驚きの連続でした。
たしかに、彼女は独特の性格をしていましたけれど……
まさか、義母を手にかけていた、なんて。

そして……当人までもが、同様に浴室で亡くなってしまう、なんて。
夫などは「因果応報だな」なんて吐き捨てていましたが……。

例の日記は、二冊とも警察が証拠品として押収し、
今も、手元には戻ってきていません。

ただ……義母の日記の最後のページ。
ノートを提出する直前、偶然目に入った言葉があったんです。

ほんの一瞬でしたし、チラっと見ただけで、
もしかしたら――見間違い、かもしれませんが。

ずっと空白だった、ノートの後半。
その最終ページに、元気だったころの義母の優しい字体で、
ひと言、文字が書かれていました。

『あいつもみちずれ』
と。

義兄嫁の死も、ただの事故、だったのでしょうか。
あれからもう三年が過ぎ去っても、いまだにそれは、謎のままです。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

さて、このたびの離縁につきましては。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:19,981pt お気に入り:237

【完結】元婚約者は可愛いだけの妹に、もう飽きたらしい

恋愛 / 完結 24h.ポイント:418pt お気に入り:7,771

あなたならどう生きますか?両想いを確認した直後の「余命半年」宣告

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:1,491pt お気に入り:37

ドラゴン☆マドリガーレ

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:1,450pt お気に入り:672

極悪チャイルドマーケット殲滅戦!四人四様の催眠術のかかり方!

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:1,242pt お気に入り:35

転生先の異世界で温泉ブームを巻き起こせ!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:688pt お気に入り:359

処理中です...