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122.水族館の人魚②(怖さレベル:★★★)
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その日の夕方でした。
私は彼女に連れられて、水族館の門をくぐりました。
とはいえ、正式なバイトでもない私は、あくまで一般来場者として中に入り、
彼女がタイミングを見計らって声をかけてくれる、という話でした。
水族館の営業は十八時までなので、三十分程度、
私は一人で久々の水族館めぐりをしつつ、時間をつぶすことにしたのです。
(それにしても……人魚って、ホントかなぁ)
どこか怯えすら見せていた、マリコの様子。
海藻のゆれだとか、魚に光のあたった加減だとかじゃ?
なんて失礼なことも考えました。
しかし、私よりよほど海の生物に詳しい彼女が、
そんな初歩的な見間違いをすると思えません。
(……結局、どんな人魚かも教えてくれないし)
彼女は一緒に来て欲しい、とは言ったものの、
見たという人魚の容貌にかんして、かたくなに口を閉ざしていました。
かろうじて聞きだせた情報といえば、
バイト終わり間際にそれを見てしまったこと、
おそらく、女の人魚であろうこと。
以上の、たった二つだけでした。
(正直……信じられない、けど)
無邪気にお化けや幽霊を信じていた幼少期とはちがい、
高校生ともなれば、そういったウワサなどは穿ってみるお年頃。
しかし、あのマリコの様子を見てしまうと、
あっさり一笑に付すなんてことはできません。
平日夕方の水族館は人の姿もまばらで、どこか不思議な雰囲気を感じます。
エビが数種類展示されているコーナー。
妙な形をしたクラゲが青い光にぼうっと照らし出されている展示室。
深海生物が不気味に土の上を這いまわる水槽。
閉まる寸前ということもあるのでしょうか。
ただでさえ薄暗いなか、水中を揺らめく魚群をジッと見つめていると、
自分自身もまるで海のなかを漂っているかのような、
心もとない感覚にさらわれます。
そうして、私がぼんやりと館内をめぐっていると、ふと、
スピーカーから閉館の通知が流れてきました。
「……おーい」
「あ……」
と、真後ろから小さな声が聞こえてきました。
「マリコ、終わったの?」
設備内の片隅、目立たぬ従業員用出入口の扉がわずかに開いて、
見知った友人の顔が覗きました。
「うん。……案内するよ、こっち」
と、彼女は慎重に周囲に目を光らせつつ、私を中へ招きます。
通路はわりと狭く、ところどころ水に濡れていました。
いつだったか、彼女が
「都会の水族館と違って、あっちこっちガタが来てるんだよね」
なんて言っていたなぁ、
と思い出しつつ、案内されるがままに後をついていきます。
「……あ、ついたよ」
「えっ……ここ、って」
彼女に連れてこられたのは、水族館の一番奥。
目玉となっている大水槽の前です。
「いや、ごめん。実はね……ここ、もう一つ。壁のむこうに水槽があって……」
と、彼女はふところからカギ束を取り出して、
水槽の横を通り過ぎ、その奥の扉に差し込みました。
「ついてきて」
「う、うん……」
まさに、未知の領域。
やたら厳重な鉄の扉にドキドキしつつ、私は後に続きました。
「……ここ」
「わ……っ」
そのさらに狭くなった通路をぬけた先に、
ひとつ大きな水槽が設置されていました。
平屋の一軒を覆えるくらいの、巨大水槽。
暗い館内よりさらに薄暗く水はよどんでいて、
なかに薄っすらと水草だかが、ゆらゆらと揺れているのがわかる程度です。
「これ、なに? まさか、人魚の……」
私は呆然と傍らのマリコに問いかけました。
「これは……館内の水槽の汚れを集めたもの。
管がつながってるでしょ? これでろ過して循環するシステム」
彼女は視線を水槽から外さないまま、ゆっくりと近づきました。
「……って、教えてもらって。私も、
なんの違和感もなく信じてた。でも……冷静に考えたらおかしくない?」
彼女の声のトーンが、だんだんと低く、暗く下がっていきます。
「それにしても、こんなに大きなサイズがいるのかな?
そういうのって、地下とか、もっと人目につかないトコにあるものでしょう?
これじゃ、まるで……もともとは展示水槽だったのを、むりやり改造したような……」
言いつつ、彼女は水槽のとなり、室内の壁をそっと撫でました。
「この壁とか、明らかに今の水族館の壁紙ともちがう。
そう疑問に思って……バレないように、それとなくここの様子を見てたんだ」
彼女の顔はほのかな照明の光を浴びて、なぜかとても青白く見えました。
「それで……私は、見たの」
ぺたり。
水槽に手のひらを押し当てて、彼女は私に背を向けます。
「見た……って、人魚、を?」
私の問いかけは、静かな室内に波をたてるように、
ポン、と宙に放り出されました。
「…………」
マリコは、こちらに背を向けたまま小さく震え、
ふ、と息を吐きだします。
「人魚。そう……あれは、人魚、なのかなぁ」
彼女は独り言のように、ぼそぼそと呟き、
「ねぇ。あれ……なにに見える?」
スッ、と彼女の右手が水平に上げられました。
指先は、真っすぐ正面の水槽に向けられています。
「……え、っ?」
吸い寄せられるように視線が誘導され、
その水槽のなかにあったソレの存在を認知し、硬直しました。
よどんでいた巨大水槽。
色とも、おうど色ともつかなかったその液体の一部。
中心に集う黒い、黒い水流がとぐろをまくヘビのように、
グルグルと渦を巻き始めたのです。
「え……な、なに……?」
思わず、ずりずりと後ずさりました。
ゴポゴポと異常なほどの気泡が吹き上がる水槽。
眼前に集う渦巻きはとまることなく、さらに濃くよどみを増して、
比例するように周りの水は透明になっていきます。
>>
私は彼女に連れられて、水族館の門をくぐりました。
とはいえ、正式なバイトでもない私は、あくまで一般来場者として中に入り、
彼女がタイミングを見計らって声をかけてくれる、という話でした。
水族館の営業は十八時までなので、三十分程度、
私は一人で久々の水族館めぐりをしつつ、時間をつぶすことにしたのです。
(それにしても……人魚って、ホントかなぁ)
どこか怯えすら見せていた、マリコの様子。
海藻のゆれだとか、魚に光のあたった加減だとかじゃ?
なんて失礼なことも考えました。
しかし、私よりよほど海の生物に詳しい彼女が、
そんな初歩的な見間違いをすると思えません。
(……結局、どんな人魚かも教えてくれないし)
彼女は一緒に来て欲しい、とは言ったものの、
見たという人魚の容貌にかんして、かたくなに口を閉ざしていました。
かろうじて聞きだせた情報といえば、
バイト終わり間際にそれを見てしまったこと、
おそらく、女の人魚であろうこと。
以上の、たった二つだけでした。
(正直……信じられない、けど)
無邪気にお化けや幽霊を信じていた幼少期とはちがい、
高校生ともなれば、そういったウワサなどは穿ってみるお年頃。
しかし、あのマリコの様子を見てしまうと、
あっさり一笑に付すなんてことはできません。
平日夕方の水族館は人の姿もまばらで、どこか不思議な雰囲気を感じます。
エビが数種類展示されているコーナー。
妙な形をしたクラゲが青い光にぼうっと照らし出されている展示室。
深海生物が不気味に土の上を這いまわる水槽。
閉まる寸前ということもあるのでしょうか。
ただでさえ薄暗いなか、水中を揺らめく魚群をジッと見つめていると、
自分自身もまるで海のなかを漂っているかのような、
心もとない感覚にさらわれます。
そうして、私がぼんやりと館内をめぐっていると、ふと、
スピーカーから閉館の通知が流れてきました。
「……おーい」
「あ……」
と、真後ろから小さな声が聞こえてきました。
「マリコ、終わったの?」
設備内の片隅、目立たぬ従業員用出入口の扉がわずかに開いて、
見知った友人の顔が覗きました。
「うん。……案内するよ、こっち」
と、彼女は慎重に周囲に目を光らせつつ、私を中へ招きます。
通路はわりと狭く、ところどころ水に濡れていました。
いつだったか、彼女が
「都会の水族館と違って、あっちこっちガタが来てるんだよね」
なんて言っていたなぁ、
と思い出しつつ、案内されるがままに後をついていきます。
「……あ、ついたよ」
「えっ……ここ、って」
彼女に連れてこられたのは、水族館の一番奥。
目玉となっている大水槽の前です。
「いや、ごめん。実はね……ここ、もう一つ。壁のむこうに水槽があって……」
と、彼女はふところからカギ束を取り出して、
水槽の横を通り過ぎ、その奥の扉に差し込みました。
「ついてきて」
「う、うん……」
まさに、未知の領域。
やたら厳重な鉄の扉にドキドキしつつ、私は後に続きました。
「……ここ」
「わ……っ」
そのさらに狭くなった通路をぬけた先に、
ひとつ大きな水槽が設置されていました。
平屋の一軒を覆えるくらいの、巨大水槽。
暗い館内よりさらに薄暗く水はよどんでいて、
なかに薄っすらと水草だかが、ゆらゆらと揺れているのがわかる程度です。
「これ、なに? まさか、人魚の……」
私は呆然と傍らのマリコに問いかけました。
「これは……館内の水槽の汚れを集めたもの。
管がつながってるでしょ? これでろ過して循環するシステム」
彼女は視線を水槽から外さないまま、ゆっくりと近づきました。
「……って、教えてもらって。私も、
なんの違和感もなく信じてた。でも……冷静に考えたらおかしくない?」
彼女の声のトーンが、だんだんと低く、暗く下がっていきます。
「それにしても、こんなに大きなサイズがいるのかな?
そういうのって、地下とか、もっと人目につかないトコにあるものでしょう?
これじゃ、まるで……もともとは展示水槽だったのを、むりやり改造したような……」
言いつつ、彼女は水槽のとなり、室内の壁をそっと撫でました。
「この壁とか、明らかに今の水族館の壁紙ともちがう。
そう疑問に思って……バレないように、それとなくここの様子を見てたんだ」
彼女の顔はほのかな照明の光を浴びて、なぜかとても青白く見えました。
「それで……私は、見たの」
ぺたり。
水槽に手のひらを押し当てて、彼女は私に背を向けます。
「見た……って、人魚、を?」
私の問いかけは、静かな室内に波をたてるように、
ポン、と宙に放り出されました。
「…………」
マリコは、こちらに背を向けたまま小さく震え、
ふ、と息を吐きだします。
「人魚。そう……あれは、人魚、なのかなぁ」
彼女は独り言のように、ぼそぼそと呟き、
「ねぇ。あれ……なにに見える?」
スッ、と彼女の右手が水平に上げられました。
指先は、真っすぐ正面の水槽に向けられています。
「……え、っ?」
吸い寄せられるように視線が誘導され、
その水槽のなかにあったソレの存在を認知し、硬直しました。
よどんでいた巨大水槽。
色とも、おうど色ともつかなかったその液体の一部。
中心に集う黒い、黒い水流がとぐろをまくヘビのように、
グルグルと渦を巻き始めたのです。
「え……な、なに……?」
思わず、ずりずりと後ずさりました。
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