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第九章 消えた未来ととろけるチョコレートマフィン

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 季節が秋になり、気づけば『はぐれ猫亭』のデザート担当は夜空になっていた。
 そもそも善は、料理はできてもお菓子作りは得意ではないようだ。

 そういうわけで、お菓子作りの頭角を現した夜空は、プレートに添える一口デザートを任されている。
 夜空はレシピ本を購入し、時間があれば試作と研究を繰り返していた。
 努力のかいもあって、手作りケーキが『はぐれ猫亭』のメニューに加わったのはつい二、三日前。
 今日はマフィンをメニューに加えるため試作予定だったが、チョコチップが足りないことに気づいた。
 買い出しに行くにも作業途中だったため、ミックスナッツを砕いものを入れて焼いてみる。これが功を奏して、善からオッケーが出た。

「美味しいんですけど、やっぱりチョコチップも試したいです」
「そうだね。今から買いに行ってくる?」

 善の許可を得ると、夜空は弾むような気持ちで商店街の製菓用品を扱う店に向かった。
 買い物カゴを持って夜空はアーケードの下を歩く。すっかり顔なじみになった店員に、作ったばかりのミックスナッツマフィンを渡そうと思って持って来ていた。

「試食してもらって、今度感想を聞きに来よう」

 夜空が作ったお菓子に善が太鼓判を押してくれたので気分がいい。

「夜空、やけに機嫌よさそうだな」

 低い声に呼び止められる。見れば前髪がもっさりした人物が立っていた。

「祥さん、こんにちは。道草ですか?」
「これから調査結果渡しに行くところ。夜空は?」
「買い物です」

 祥はくんくん鼻を動かすような仕草をしたあと、買い物カゴに入っていたマフィンを目ざとく見つけた。

「食べます? 新作なんですけど」
「もらう。サンキュー」

 受け取ると、祥はその場で包みを解いてパクっと口の中に入れてしまった。

「一口マフィンだけど、まさか本当に一口で食べちゃうなんて」
「これ美味いな。あと十個はいける」

 祥はとんでもない甘党で、大食漢だ。
 料理に文句は言わないが、甘いものにはこだわりがある。そんな祥に褒められたので、夜空は嬉しくて破顔した。

「今度は大量にもらいに行く。食いたいときは善に連絡入れるから作って」

 素直に美味い美味いと褒められて、夜空は鼻高々だ。並んで歩きながら、祥はもう一つマフィンを口に入れて首を傾げる。

「そういえば、明日善とどこか出かけるのか?」
「いいえ。どうしてですか?」
「そっか。じゃあまあいっか」
「祥さん、どういう意味です? 明日、善さんは出かける予定があるんですか?」

 祥は訊かなきゃよかったなと、頭をポリポリ掻いた。

「俺から言うとなんかチクってるみたいだから」
「祥さんから聞いたって言いませんから」

 祥はそっか、と肩をすくめた。

「明日は善の婚約者の命日だ」
「――え?」

 夜空の反応に、祥はやっぱりと肩を落とした。

「あいつ、婚約者を事故で亡くしてんの。あとは善に聞いて」
「そんなこと聞けるわけないじゃないですか」
「じゃあ、黙って今まで通りにしていればいい」

 できるだろと凄まれ、夜空は首を縦に振るしかない。

「夜空が深刻に感じることじゃない」
「一緒に暮らしていますし、他人事のように思えないじゃないですか」
「他人だろ。ただ同居しているだけでさ」
「そうですけど」

 ズバッと言われて、夜空は押し黙った。
 祥はそれ以上話す気はないらしく、夜空の頭をぐしゃぐしゃ撫でると、手をひらひら振りながら去って行った。
 夜空は釈然としない気持ちのまま、材料屋の前で足を止める。モヤモヤしつつカゴの中を見ると、用意してあったはずのマフィンがぜんぶ無かった。
 祥に持っていかれたのだ。
 気付いた時には、すでに別れてからずいぶん経っていた。

「……ぬかりない、さすが探偵。でも勝手に全部食べちゃうなんてひどいな」

 善と婚約者の話が気になりすぎる。夜空は気が気じゃないまま買い物を終えた。
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