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第十二章 そして、これからのごはんを食べよう

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 海辺の街の冬は、体験したことがない寒さだった。
 風が強い日も多く、夏の暑さが恋しくなるような日々。真冬にもかかわらず、サーファーたちはウェットスーツを着ながら波を待っている。
 そんな姿を遠くに見ながら、夜空はレトロな灯油ストーブを強にしていた。

「ううっ、さっぶ……」

 女性客が増えたこともあり、お店にはもこもこのブランケットを設置した。足元用の小さなヒーターも用意する。サーキュレーターも併用しつつ、心地良い空間づくりを目指した。

 正月は一人かと思っていたのだが、祥が休みだと言って長く滞在し、結果的には一人ではないお正月となった。
 彼女や家族と一緒に過ごさなくていいのか尋ねると、彼女は面倒だから作りたくないし、実家はたまに顔を出すのだからいいと言われてしまった。

「いいんだよ、欲しい時に作ればさ、彼女なんて」
「そう言えるのは、祥さんが隠れイケメンだからだと思いますよ。結構、そのお年頃だとみんな焦りますけど」
「いらねーよ、仕事の邪魔になっても困るし。だいいち、こんな怪しい仕事してる彼氏なんて、恋人が認めるかよ?」

 それはどうだろう。本当に祥のことが好きなら我慢できるかもしれない。もし本当に祥のことを愛しているのなら、彼の人生にそもそも踏み込みすぎないかもしれない。
 どうでもいい話をしながら、くだらない正月特番を見て、ケタケタ笑う。温かいお茶とミカンを片手に、ぐずぐず過ごすのも楽しかった。

「男女関係のもつれって多いんだよ。それ見てるだけで、恋人だのなんだのって面倒としか思えないね。昨日は愛する人だったのに、今日は世界一憎い人になってるんだぜ、あきれるよ人の心の様変わりようにはさ」

 うんざりだとミカンの皮をむいて、口に放り込んだ。

「夜空だって面倒だろ、恋人だの恋愛だの」
「まあそうなんですけど」
「最近の若者はそういうの多いらしいぞ。恋愛も人付き合い面倒ってな」

 それはそうだ、と夜空は頷く。

「いい恋愛は人を良くするけど、悪い恋愛は人を駄目にしますね。俺は後者でした。今は、メニューと祥さんに急かされる新作お菓子のことで手一杯です」

 祥はケタケタ笑った。

「いいことじゃないか、熱中できるものがあってさ」
「やかましいお菓子作れ作れ怪獣がいるから、もう毎日神経削られて」

 途端に祥はむっとして夜空の額に軽めのデコピンをする。痛みに仰け反ると、祥はふんと勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
 善と一緒にいる時も楽しかったが、祥と一緒にいるのも夜空は楽しかった。
 どちらも気さくで、プライベートな部分にはずかずかと入り込んでくることはしない。
 祥は人の汚い部分を見過ぎて、すべて面倒になったらしい。煩わしいことが嫌いというスタンスが夜空にとってもちょうど良かった。

「……善さん、今頃どこにいるんですかね」
「野垂れ死んではいないだろ。あいつ、けっこう図太いから」
「まあ、どこにいてなにをしていようと、無事ならいいです」

 出て行ったきり、善は連絡をよこさない。
 携帯電話を海外で使っていないのか、音信不通だ。
 もちろん夜空から連絡をすることもないので、今はどうしているのかまったくわからない。

「気になるか?」
「そりゃあ。だってここ、善さんの家でお店ですよ。ずっと待つって言いましたけど、赤の他人の俺がいつまでもこうしてていいんですかね」

 いいんじゃないの、と祥があくびをしながらソファにどすんと背中を預ける。

「世の中の家族も、子ども以外は赤の他人だろ。結婚して書類に名前書いてその瞬間から家族ですって、夜空は納得できる? 一秒前まで他人で、ハンコ押したら家族で、法律でいろいろな制約がなされるんだぞ」

 夜空は口を曲げた。

「たしかに……冷静に考えると、おかしいというかなんというか」
「そんなくだらない書類も大事だけどさ、要はお互いが家族のように思える関係で、心持ちなのが大事ってわけ。それこそ本当の家族なんじゃねーの、今の時代」

 たしか、出て行く前の善ともそんな会話をしたなと夜空は思い出す。

「じゃあ、今の俺にとっては『はぐれ猫亭』にくるお客さんや、祥さんが家族ですね。もちろん、善さんも」

 そうだな、と祥はつまらなそうにもう一度あくびをする。

「人がまじめな話してるのに……」
「悪い悪い。当たり前すぎてアホらしく思えて。それより腹減った。なんか作って」
「え、朝にパンあんなに食べたじゃないですか!」
「あんなんおやつと一緒だ。パンってなんか食べた気しねーんだよな」
「米粉パンは腹持ちがいいはずなんですけど……じゃあまあ、チャーハンでも作りますから」
「おう。しょっぱめで」

 早死にするぞと言いたかったのだが、身体が大きい祥は運動量も多いので、そこは口にしないでおいた。
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