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鈴木藍子side 私の夢

歌の先生

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昼休みに入るチャイムが鳴る。

私はシャーペンを置いて背中を伸ばした。

何気に身長とあってない丸テーブルは166センチの私に取って腰が辛い。

わがままは言えない立場とわかっているけど、体は痛かった。

しばらくすると保健室の扉が開いてヒロくんが顔を出す。

片手にはお弁当の袋を持っていた。



「失礼します」

「いらっしゃい九音くん。それじゃあ私は職員室に行ってるね」

「別に席外さなくても大丈夫ですよ?」

「いいの!若者の会話に入り込むのは大人のやることではないから!」



紗凪先生は椅子から立ち上がると私達に手を振って出て行く。

毎度のことながら申し訳なくなってきた。

毎度と言えるほどお喋り会は開いてないのだが。

ヒロくんは丸テーブルを挟んで私の前に座わりお弁当を広げる。

当然ながら私はお弁当は持ってきていない。

どうせ昼休み終わって少ししたら帰るのだから問題なかった。

私は目の前にあるヒロくんのお弁当を見る。

野菜と肉のバランスがちゃんとしているおかずと白ご飯。

ご飯はこれからふりかけで彩られるのは知っている。

私の目線に気づいたのか、ヒロくんは箸の持ち手を向けてきた。



「よかったら少し食べますか?」

「ううん。大丈夫。綺麗なお弁当だなと思って」

「母親が作ってくれるんです。感謝しています」

「素直に感謝できるのはヒロくんの良いところだよ。お母さん料理上手だね」

「確かにそうかもしれないです。創作料理を作るのが好きみたいなのでそういうのがよく食事に出てきます」

「ヒロくんお母さんって専業主婦?」

「いえ、歌の先生です。色々と有名な人からもレッスンを頼まれて……」



ヒロくんはお母さんの話を始めると何か思い付いたように笑顔になる。



「そうだ!先輩、俺の家に来ませんか?」

「え?ヒロくんの家?」

「べ、別にそういう意味ではありませんよ?母親に合わせたいんです。いや、深くは考えないでくださいね」

「別に何も想像はしないよ」



家に連れ込むとか、母親に合わせるとか少し意味深な言葉を言ってしまったヒロくんは慌てて弁解する。

それがなんだか可愛くて笑ってしまった。

別に変な意味として取るわけではないのに。

ヒロくんは落ち着くために1回咳払いをすると話続ける。



「先輩が良ければ俺の母親にに歌を聴かせてくれませんか?」

「私の歌を?」

「俺も詳しくは仕事についてわからないけど、腕は確かなはずです。それに母親はきつい性格じゃないからアドバイスも貰えると思います。アイドルにとって歌は必要事項でしょう?」



私はヒロくんの提案に納得する。

確かに現役の歌の先生に見てもらえれば、能力が伸びるかもしれない。

それに初めての人に向けて歌うのは良い練習だ。

けれどそんな簡単に見てもらえるのだろうか。

ヒロくんはそう言ってくれるが、私の中の遠慮心が出てくる。



「俺の先輩って言えば喜んで見てくれると思いますよ?実は俺自身あまり友達を紹介したことないんです。だから大丈夫」



自分のお弁当のおかずをつまみながらヒロくんは私に言った。

正直に言うと聴いてもらいたい。

緊張もあるけど、レベルアップできるという気持ちが勝っている。

私は決めた。



「お願い。ヒロくんのお母さんに指導して欲しい」

「任せてください!今メッセージ送ってみます」

「お仕事中じゃないの?」

「今日は休みだった気がします。土曜日にレッスンを頼まれたからって。早かったら今日見てもらえますよ」



今日見てもらえるかもしれない。

私はその言葉にドキッとする。

心の準備も出来ないまま歌うのかと思うと体が固まってしまった。

そんな私には気付かずヒロくんはスマホをポチポチタップする。



「既読はやっ」



やはりお仕事は休みだったらしい。

もうヒロくんのメッセージが読まれたようだ。

どんな返事が来るのか私は気になってしまう。

断られるかもしれないし、また後日と言われるかもしれない。

するとヒロくんは私にスマホの画面を見せる。



【歌が上手な先輩が居るんだけど、母さん見てもらうこと出来る?】

【いいよ!ちょうど休みだから連れて来な!】

【今日でいい?】

【OK!】



「大丈夫だそうです」

「そ、そっか…ありがとう」



意外とノリノリで返信してくれたヒロくんのお母さん。

文章からして元気系のお母さんだろうか。

でも断られなくて安心した。



「先輩は何時に帰るんですか?」

「5時間目始まったくらいかな」

「俺は今日6時間だから4時ですね。待ち合わせして行きましょうか?」

「うん。わかった。どこで待ち合わせする?」

「先輩はどこが良いですか?ほら、あまり人混みの所だと歌う前に疲れちゃいますよね?」



私の苦手を気にしてくれるヒロくんに心が温かくなる。

本当なら人混みの場所に慣れるために待ち合わせしても良いのだが、ヒロくんの言う通りその後に私は歌う。

精神的に疲れてしまったら綺麗には歌えないだろう。

それなら待ち合わせ場所に最適なのはいつものカラオケ店の前だろうか。

そこで待っている間に喉を温めておくのもいい。

多少練習した方が自分も安心できるはずだ。



「カラオケ店はどう?」

「ああ!良いですね。先輩も少しそこで練習できるし」

「ふふっ、同じこと考えていた」

「マジですか」



照れ笑いしてヒロくんはふりかけご飯を口に運んだ。

なんだか美味しそうに見える。

今日の私のお昼はふりかけにしようかな。

緊張しても良い状況なのに私の頭の中は意外と冷静だった。



「…ん。それじゃあ4時に下校するので真っ直ぐカラオケ店に向かいますね」

「うん。ありがとう」

「緊張しなくても大丈夫ですよ。さっきも言った通り、母さんは怖い人じゃないので」

「ふふっわかった」



お弁当をあっという間に平らげるとヒロくんは立ち上がった。

私は保健室の時計を見ると予鈴まで後5分ほどある。

ヒロくんは眉を下げて申し訳なさそうに私を見る。



「実は友達が明日甲子園の予選会なんです。放課後はゆっくり話せないから今話して来ますね。すみません。もう少し話したかっんですけど…」

「私の事は気にしないで。そっか野球部は明日なんだ。お友達さん頑張って欲しいね」

「あまり言うとプレッシャーが!なんてうるさくなるから適当に応援して来ます」

「そっか。それじゃあまた後でね」

「はい。また」



お弁当袋を持ってヒロくんは保健室から出て行く。

私は背中を見送った後、ゆっくり目を瞑った。

今はまだそこまでドキドキしていないが、直前になれば緊張はMAXになるかもしれない。

初めてプロの先生に自分の歌を聴いてもらえる。

一度カラオケ店のおじさんに聴いてもらった時もあったが、それとはまた別だ。

自分の歌を出せるだろうか。

別にオーディションという訳ではないのに私の中で不安感が少しずつ出てきた。
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