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第三部 異世界剣士と血塗れの聖女
第90話:貧しき民の聖女セイクレア
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雪の積もる裏路地を、ギルドに向けて急ぐ。
肩の方から、白い息が流れてくる。
言うまでもなく、背負っている雪豹の獣人女性のものだ。
「……あなたさまの背中……。こんなにあたたかくて、広いなんて……」
「だまって。ご主人さま、だれにでも優しいだけなの。ボクが一番なんだから」
嗚咽すら交えながら、妙に感極まったようにつぶやいている雪豹の女性に、さっきまでうれしそうにしていたはずのシェリィの、「だから猫ってボク、きらいなんだ」と妙にとげとげしく感じる言葉。
とにかく、彼女にとって少しでも安全で温かい場所を確保するため、冒険者ギルドに向かって足早に歩き始めた時だった。
「お待ちください」
どこか聞き覚えのある声に呼び止められてそちらを向くと、そこには、銀色の長い髪の、白いドレスのような服を着た女性がいた。
そばで荒い息をしている、猫の獣人の少女もいる。
「ファーシャ……お前、なんでここに」
「よ、呼んできたんだよ、聖女さまを! だって、にいちゃん、あぶないとこ、行っちゃったから……!」
「呼んできたって……なんでそんなことを?」
「だ、だって……。あんなにいっぱい、お金くれたヒト、もし死んじゃったら、気分わりぃだろ!」
ファーシャはそう言って、荒い息をしながらも、駆け寄ってきて、うれしそうに笑った。
「でもよかった! にいちゃん、無事で……! にいちゃん、強かったんだな!」
「……そうか。俺のために応援を呼んでくれたんだな。ありがとう」
スケベ野郎だのなんだの、さっきはさんざんに言われたけど、なんだかんだ言って義理堅くもあったファーシャ。なんだかほだされて頭をなでると、懐から銅貨を取り出した。
「心配してくれて、ありがとな」
「え……?」
ファーシャは、目を丸くしていた。にぎらせた数枚の銅貨を見もしないで、俺の目を見つめ続ける。
「にいちゃん……?」
「ん? どうした?」
なぜか突然、ファーシャの頬が赤く染まっていく。
「あ……。え、えっと、……にいちゃんって、獣人、好きなのか?」
「……なんでだ?」
「だ、だって犬のねえちゃん、つれてるし、いまもその……白い猫のねえちゃん、背負ってるし……」
唐突な質問に驚くけれど、シェリィのことは可愛いと思うし、当然嫌ってるはずもないから、「まあな」とうなずいてみせる。
「だ、だから、あたしも……?」
獣人が好きだから金をくれたのか、という意味だろうか。
「いや、それは関係ない」
俺は、隣の女性に目をやりながら、笑顔を作って答えた。
「ファーシャが、俺のことを心配して人を呼んでくれたからさ。人として気に入ったからだ。ありがとう」
「……ヒト、として……?」
「ああ。人として」
ますます目を見開いて、顔が真っ赤になっていくファーシャ。
ほめられ慣れてないんだろうか。言葉遣いを考えれば相当にすさんだ環境で暮らしてきたんだろうし、そういうこともあるのかもしれない。
「……とにかく、この人は冷え切ってるし、怪我もひどい。ファーシャ、ここから冒険者ギルドまでの最短の道って、分かるか?」
「え? えっと……」
はっとしたように、きょろきょろし始める彼女だけれど、隣の女性がそれを遮った。
「ファーシャが私のところに飛び込んできたときは驚きましたが、いまのやり取りを見ていて、あなたが悪い人ではないと、改めて理解できました。たしかにここは安全とは言えませんが、そちらの女性は、とても危険な状態です。その方のためにも、私たちの家に来てくださいませんか?」
「……あんたは?」
聞き返した俺に、銀の髪の女性は胸に手を当てるようにして答えた。
「改めまして、私はセイクレアと申します。先日は、ジュスタスが大変失礼なことをいたして申し訳ありませんでした」
「今度はこっち」
ファーシャの先導で、細い路地を歩く。いったい何度、くねくねと曲がっただろう。どう考えても最短距離とは思えない。
「……ファーシャ、遠回りをしてるんじゃないのか?」
「いいんだよ、これで」
いい加減、ぐるぐる回っている感覚になってきたころ、唐突に彼女が開けたドア。
「着いたよ」
そこは、小さな小さな部屋だった。簡素なベッドと、いくつかの椅子。そして簡素な戸棚。あまりにも殺風景な部屋に、思わず「なんの部屋だ?」と聞いてしまった。
「ここ、クレアねえちゃんの部屋! ここで、あたしらみたいなビンボー人のケガとかビョーキとか治してくれる、聖女さまなんだぜ!」
「聖女様……?」
「ちがいますよ、ファーシャ。聖女様は、ちゃんと神殿にいらっしゃるではありませんか」
「神殿にこもりっきりの顔も見たことねえヤツなんか知らねえよ。あたしらの聖女さまっつったら、クレアねえちゃんだけだ!」
改めて見回してみたけれど、戸棚の中になにかの壺みたいなものが並ぶ程度で、ここで医療行為が行えるとはとても思えない。けれどセイクレアさんに促されて、俺は背負っていた女性をベッドの上に下ろす。
名残惜しげに「……あなたさま……」と呼ばれたものだから、ふと、彼女の名前をまだ知らないことに、ようやく気が付いた。昨日、今日と、そんなことを聞く余裕もなかったのだと思い知らされる。
「ええと、俺は遠野……一真。カズマって呼んでくれ。そっちは?」
途端に、シェリィ以外の周りが一斉に俺を見る。
「お、お貴族さまでいらっしゃったのですか……!」
……しまった、またやった。名字をいうと、この世界の人たちはなぜか俺を貴族とかと勘違いをする。雪豹の女性なんて、なぜかひれ伏してしまっている。
「……にいちゃん、貴族だったのか?」
「違うよ。名字があるってだけで……」
「家名もちのお家柄ということですね。トォーノ家というのは耳新しいお家名ですが、どちらにご領地を……?」
だからセイクレア、違うって。
雪豹の女性は、デリィクヮートゥアと名乗った。……獣人の名前って、発音しづらいものにしろっていうルールでもあるんだろうか。ファーシャは言いやすくて助かったのに。
「……ごめん、俺、この地方の人の名前って、慣れてなくて言いづらくて。すっごく申し訳ないんだけど、デリカって呼んでいい?」
頭を下げて頼んだら、「あなたさまからお名前を頂戴するなんて……! もう、いつ冥府に召されてもかまいません!」と、はらはらと涙を流された。なんでだ。
「そんなこと、させませんよ。横になってください」
セイクレアが割って入ってくれなかったら、本当にそのままこの世からおさらばしそうな勢いの恍惚とした表情だったからありがたかった。
で、セイクレアはすこし、デリカのお腹を触診するようなことをしていたけれど、すごく、言いづらそうな顔をした。
「……ひどいです。こんな……どうして」
「……どういうことですか?」
どうせ、彼女の耳では外に出ても聞こえてしまうでしょうから、と、セイクレアは目を伏せながら答えてくれた。
デリカのお腹の中はグチャグチャになっているという。なんでC Tスキャンをしたわけでもないのに分かるんだ、と思ったけど、手が青白い光に包まれている。多分、法術か何かで察したんだろう。
それにしても、お腹の中がグチャグチャって、一体どんな状況なのかゾッとそる。昨日、そしてさっきの暴行のせいだろう。
「ただ、それとは別に、子供の産めない体になっているように思われます。多分、古い古い傷のせいです」
……そういえば、さっき突入する前、男たちがそんなようなことを言っていたっけ? 二十歳を過ぎたら妊娠しないとかなんとか……。
……不妊手術をされてるってことか?
この世界は、獣人女性は二十歳を過ぎると不妊手術を受けさせられるとか?
そう思ったら違った。どうも、獣人の女性というのはもともと人間との間では子供ができにくいけれど、二十歳を過ぎるとさらにできにくくなるんだそうだ。
「その、……カズゥマ様がお聞きになられたのは、多分そのことでしょう。でも、このかたのお腹は、……カズゥマ様がおっしゃったとおりです。おそらく、万が一にも子供ができぬよう、火搔き棒かなにかで、傷つけられているのでしょう……」
さらにゾワッと、背筋に冷たいものが走る!
そんな……残酷なことをされているなんて!
あの広場から逃げた男が、それをやったというのか!
「落ち着いてください。誰がしたのかなんて、分かりません。こちらを見てください。下腹部に、奴隷の紋様が付けられています」
言われて気づいた。下腹部の白い毛の下に、黒い、何かの模様がある。てっきり雪豹の模様の一部だと思っていた。
「ですから、この方は逃亡奴隷ですね?」
「……いや、多分違う。彼女は主人のところに戻りたがっている。昨日の話だけど、彼女は広場で、女神の狂信者たちに『異端だ』と言われて石打ちにされていた。おそらく彼女の主人は、連中に彼女を売ったんだ」
「では、どうされますか。怪我の治療だけおこなって、元の主人のもとへ?」
問われて、さっきの踏み込む直前のやり取りを思い出した。
彼女は、誰かを探していた。あの方にもう一度……と。
きっと、主人に聞きたかったんじゃないだろうか。
自分は助け出された。もう一度、仕えたいと。
……自分を捨てた男に、それでもすがる。
あまりにも悲しい行動に感じられた。
でもそれが、彼女の望みなんだ。
だったら、なにも言えない。
……そう考えていたら。
「いいえ。私はもう、戻りません」
デリカの言葉に驚いた。自分の予想が、大外れだったからだ。
「さっき、『あの方にもう一度』って言ってたのは?」
「はい。あのときは、まさかあなたさまが私のもとに来てくださるなど、思いもいたしておりませんでしたから……。女神さまは、やはり下々の者にも手を差し伸べてくださいました」
苦しそうだけれど、それでもうれしそうな目で、俺をまっすぐに見つめる。
「聖女さま。もう、私はあまり長く、生きられないのですね? でしたらもう、かまいません。わたしは、このかたの腕に抱いていただけました。この方のぬくもりと、背中の広さを感じさせていただけました……。これ以上の望みはもう、ありません」
……ちょ、ちょっと待てって。
俺を見ながらそれは無いだろ、もういつ死んでもいいって言いたいのか?
俺におんぶされてきた、ただそれだけで⁉
俺はセイクレイアを見た。
彼女も、苦しげな様子だ。
「ここに連れてきたっていうのは、怪我を治してくれようとしたんだよな……?」
「はい。……ですが、これほどとは思わなかったので……」
「つまり、治せないってことか?」
「……今の私では、完治とまでは……」
完治とまでは、ということは、ある程度は治せるってことか。
俺におんぶされたことを思い出にして満足されて死なれるなんて、そんな後味の悪い結末にしてたまるもんか!
「分かった、それでいい。とりあえず応急処置にでもなるなら。いくらだ?」
「お金などけっこうです。ファーシャがお世話になったようですので」
ファーシャが、耳をぱたぱたとさせてしっぽを揺らしながら、俺を上目遣いに見上げている。
「……いや、それとこれとは別だ。せっかく助けたのに死なれたら、俺だって気分が悪いってだけなんだから。とにかく、まず払えるだけ払う。だからこの人のこと、頼みます」
深々と頭を下げると、セイクレアはうなずき、あらためてデリカのお腹に両手を当てる。するとデリカが、顔を歪めながら身を起こそうとした。慌ててベッドに押し戻すけど、デリカは首を振って起き上がろうとする。
「い、いけません。あなたさま、そんな、私になんて……」
「いいから黙ってろ。あんたは治療の必要な人間。俺は、あんたに死なれたら寝覚めが悪いわがまま人間。だから治療させる。もうこれでいいだろ」
「にん、げん……。私を、あなたさまと同じだと、にんげんだと……?」
「ああそうだよ。俺は人間、あんたも同じ人間。だから自分なんて、みたいな言い方をするなって」
「おなじ……あなたさまと、私が、おなじ……? あなたさまは……」
呆然とした様子のデリカ。何かぶつぶつ言いながらも、とりあえずおとなしくなってくれた。セイクレアは、なぜか俺の顔をチラチラ見ながらも治療を始めてくれたようで、その手から青白い光が放たれはじめる。
以前、シェリィが手当てを受けた時のようだ。デリカのお腹のあたりも、青白く光り始める。
ひとまず応急処置でも何でもいい。せっかくあの場から助け出したんだ、とにかくよくなってくれよ……!
肩の方から、白い息が流れてくる。
言うまでもなく、背負っている雪豹の獣人女性のものだ。
「……あなたさまの背中……。こんなにあたたかくて、広いなんて……」
「だまって。ご主人さま、だれにでも優しいだけなの。ボクが一番なんだから」
嗚咽すら交えながら、妙に感極まったようにつぶやいている雪豹の女性に、さっきまでうれしそうにしていたはずのシェリィの、「だから猫ってボク、きらいなんだ」と妙にとげとげしく感じる言葉。
とにかく、彼女にとって少しでも安全で温かい場所を確保するため、冒険者ギルドに向かって足早に歩き始めた時だった。
「お待ちください」
どこか聞き覚えのある声に呼び止められてそちらを向くと、そこには、銀色の長い髪の、白いドレスのような服を着た女性がいた。
そばで荒い息をしている、猫の獣人の少女もいる。
「ファーシャ……お前、なんでここに」
「よ、呼んできたんだよ、聖女さまを! だって、にいちゃん、あぶないとこ、行っちゃったから……!」
「呼んできたって……なんでそんなことを?」
「だ、だって……。あんなにいっぱい、お金くれたヒト、もし死んじゃったら、気分わりぃだろ!」
ファーシャはそう言って、荒い息をしながらも、駆け寄ってきて、うれしそうに笑った。
「でもよかった! にいちゃん、無事で……! にいちゃん、強かったんだな!」
「……そうか。俺のために応援を呼んでくれたんだな。ありがとう」
スケベ野郎だのなんだの、さっきはさんざんに言われたけど、なんだかんだ言って義理堅くもあったファーシャ。なんだかほだされて頭をなでると、懐から銅貨を取り出した。
「心配してくれて、ありがとな」
「え……?」
ファーシャは、目を丸くしていた。にぎらせた数枚の銅貨を見もしないで、俺の目を見つめ続ける。
「にいちゃん……?」
「ん? どうした?」
なぜか突然、ファーシャの頬が赤く染まっていく。
「あ……。え、えっと、……にいちゃんって、獣人、好きなのか?」
「……なんでだ?」
「だ、だって犬のねえちゃん、つれてるし、いまもその……白い猫のねえちゃん、背負ってるし……」
唐突な質問に驚くけれど、シェリィのことは可愛いと思うし、当然嫌ってるはずもないから、「まあな」とうなずいてみせる。
「だ、だから、あたしも……?」
獣人が好きだから金をくれたのか、という意味だろうか。
「いや、それは関係ない」
俺は、隣の女性に目をやりながら、笑顔を作って答えた。
「ファーシャが、俺のことを心配して人を呼んでくれたからさ。人として気に入ったからだ。ありがとう」
「……ヒト、として……?」
「ああ。人として」
ますます目を見開いて、顔が真っ赤になっていくファーシャ。
ほめられ慣れてないんだろうか。言葉遣いを考えれば相当にすさんだ環境で暮らしてきたんだろうし、そういうこともあるのかもしれない。
「……とにかく、この人は冷え切ってるし、怪我もひどい。ファーシャ、ここから冒険者ギルドまでの最短の道って、分かるか?」
「え? えっと……」
はっとしたように、きょろきょろし始める彼女だけれど、隣の女性がそれを遮った。
「ファーシャが私のところに飛び込んできたときは驚きましたが、いまのやり取りを見ていて、あなたが悪い人ではないと、改めて理解できました。たしかにここは安全とは言えませんが、そちらの女性は、とても危険な状態です。その方のためにも、私たちの家に来てくださいませんか?」
「……あんたは?」
聞き返した俺に、銀の髪の女性は胸に手を当てるようにして答えた。
「改めまして、私はセイクレアと申します。先日は、ジュスタスが大変失礼なことをいたして申し訳ありませんでした」
「今度はこっち」
ファーシャの先導で、細い路地を歩く。いったい何度、くねくねと曲がっただろう。どう考えても最短距離とは思えない。
「……ファーシャ、遠回りをしてるんじゃないのか?」
「いいんだよ、これで」
いい加減、ぐるぐる回っている感覚になってきたころ、唐突に彼女が開けたドア。
「着いたよ」
そこは、小さな小さな部屋だった。簡素なベッドと、いくつかの椅子。そして簡素な戸棚。あまりにも殺風景な部屋に、思わず「なんの部屋だ?」と聞いてしまった。
「ここ、クレアねえちゃんの部屋! ここで、あたしらみたいなビンボー人のケガとかビョーキとか治してくれる、聖女さまなんだぜ!」
「聖女様……?」
「ちがいますよ、ファーシャ。聖女様は、ちゃんと神殿にいらっしゃるではありませんか」
「神殿にこもりっきりの顔も見たことねえヤツなんか知らねえよ。あたしらの聖女さまっつったら、クレアねえちゃんだけだ!」
改めて見回してみたけれど、戸棚の中になにかの壺みたいなものが並ぶ程度で、ここで医療行為が行えるとはとても思えない。けれどセイクレアさんに促されて、俺は背負っていた女性をベッドの上に下ろす。
名残惜しげに「……あなたさま……」と呼ばれたものだから、ふと、彼女の名前をまだ知らないことに、ようやく気が付いた。昨日、今日と、そんなことを聞く余裕もなかったのだと思い知らされる。
「ええと、俺は遠野……一真。カズマって呼んでくれ。そっちは?」
途端に、シェリィ以外の周りが一斉に俺を見る。
「お、お貴族さまでいらっしゃったのですか……!」
……しまった、またやった。名字をいうと、この世界の人たちはなぜか俺を貴族とかと勘違いをする。雪豹の女性なんて、なぜかひれ伏してしまっている。
「……にいちゃん、貴族だったのか?」
「違うよ。名字があるってだけで……」
「家名もちのお家柄ということですね。トォーノ家というのは耳新しいお家名ですが、どちらにご領地を……?」
だからセイクレア、違うって。
雪豹の女性は、デリィクヮートゥアと名乗った。……獣人の名前って、発音しづらいものにしろっていうルールでもあるんだろうか。ファーシャは言いやすくて助かったのに。
「……ごめん、俺、この地方の人の名前って、慣れてなくて言いづらくて。すっごく申し訳ないんだけど、デリカって呼んでいい?」
頭を下げて頼んだら、「あなたさまからお名前を頂戴するなんて……! もう、いつ冥府に召されてもかまいません!」と、はらはらと涙を流された。なんでだ。
「そんなこと、させませんよ。横になってください」
セイクレアが割って入ってくれなかったら、本当にそのままこの世からおさらばしそうな勢いの恍惚とした表情だったからありがたかった。
で、セイクレアはすこし、デリカのお腹を触診するようなことをしていたけれど、すごく、言いづらそうな顔をした。
「……ひどいです。こんな……どうして」
「……どういうことですか?」
どうせ、彼女の耳では外に出ても聞こえてしまうでしょうから、と、セイクレアは目を伏せながら答えてくれた。
デリカのお腹の中はグチャグチャになっているという。なんでC Tスキャンをしたわけでもないのに分かるんだ、と思ったけど、手が青白い光に包まれている。多分、法術か何かで察したんだろう。
それにしても、お腹の中がグチャグチャって、一体どんな状況なのかゾッとそる。昨日、そしてさっきの暴行のせいだろう。
「ただ、それとは別に、子供の産めない体になっているように思われます。多分、古い古い傷のせいです」
……そういえば、さっき突入する前、男たちがそんなようなことを言っていたっけ? 二十歳を過ぎたら妊娠しないとかなんとか……。
……不妊手術をされてるってことか?
この世界は、獣人女性は二十歳を過ぎると不妊手術を受けさせられるとか?
そう思ったら違った。どうも、獣人の女性というのはもともと人間との間では子供ができにくいけれど、二十歳を過ぎるとさらにできにくくなるんだそうだ。
「その、……カズゥマ様がお聞きになられたのは、多分そのことでしょう。でも、このかたのお腹は、……カズゥマ様がおっしゃったとおりです。おそらく、万が一にも子供ができぬよう、火搔き棒かなにかで、傷つけられているのでしょう……」
さらにゾワッと、背筋に冷たいものが走る!
そんな……残酷なことをされているなんて!
あの広場から逃げた男が、それをやったというのか!
「落ち着いてください。誰がしたのかなんて、分かりません。こちらを見てください。下腹部に、奴隷の紋様が付けられています」
言われて気づいた。下腹部の白い毛の下に、黒い、何かの模様がある。てっきり雪豹の模様の一部だと思っていた。
「ですから、この方は逃亡奴隷ですね?」
「……いや、多分違う。彼女は主人のところに戻りたがっている。昨日の話だけど、彼女は広場で、女神の狂信者たちに『異端だ』と言われて石打ちにされていた。おそらく彼女の主人は、連中に彼女を売ったんだ」
「では、どうされますか。怪我の治療だけおこなって、元の主人のもとへ?」
問われて、さっきの踏み込む直前のやり取りを思い出した。
彼女は、誰かを探していた。あの方にもう一度……と。
きっと、主人に聞きたかったんじゃないだろうか。
自分は助け出された。もう一度、仕えたいと。
……自分を捨てた男に、それでもすがる。
あまりにも悲しい行動に感じられた。
でもそれが、彼女の望みなんだ。
だったら、なにも言えない。
……そう考えていたら。
「いいえ。私はもう、戻りません」
デリカの言葉に驚いた。自分の予想が、大外れだったからだ。
「さっき、『あの方にもう一度』って言ってたのは?」
「はい。あのときは、まさかあなたさまが私のもとに来てくださるなど、思いもいたしておりませんでしたから……。女神さまは、やはり下々の者にも手を差し伸べてくださいました」
苦しそうだけれど、それでもうれしそうな目で、俺をまっすぐに見つめる。
「聖女さま。もう、私はあまり長く、生きられないのですね? でしたらもう、かまいません。わたしは、このかたの腕に抱いていただけました。この方のぬくもりと、背中の広さを感じさせていただけました……。これ以上の望みはもう、ありません」
……ちょ、ちょっと待てって。
俺を見ながらそれは無いだろ、もういつ死んでもいいって言いたいのか?
俺におんぶされてきた、ただそれだけで⁉
俺はセイクレイアを見た。
彼女も、苦しげな様子だ。
「ここに連れてきたっていうのは、怪我を治してくれようとしたんだよな……?」
「はい。……ですが、これほどとは思わなかったので……」
「つまり、治せないってことか?」
「……今の私では、完治とまでは……」
完治とまでは、ということは、ある程度は治せるってことか。
俺におんぶされたことを思い出にして満足されて死なれるなんて、そんな後味の悪い結末にしてたまるもんか!
「分かった、それでいい。とりあえず応急処置にでもなるなら。いくらだ?」
「お金などけっこうです。ファーシャがお世話になったようですので」
ファーシャが、耳をぱたぱたとさせてしっぽを揺らしながら、俺を上目遣いに見上げている。
「……いや、それとこれとは別だ。せっかく助けたのに死なれたら、俺だって気分が悪いってだけなんだから。とにかく、まず払えるだけ払う。だからこの人のこと、頼みます」
深々と頭を下げると、セイクレアはうなずき、あらためてデリカのお腹に両手を当てる。するとデリカが、顔を歪めながら身を起こそうとした。慌ててベッドに押し戻すけど、デリカは首を振って起き上がろうとする。
「い、いけません。あなたさま、そんな、私になんて……」
「いいから黙ってろ。あんたは治療の必要な人間。俺は、あんたに死なれたら寝覚めが悪いわがまま人間。だから治療させる。もうこれでいいだろ」
「にん、げん……。私を、あなたさまと同じだと、にんげんだと……?」
「ああそうだよ。俺は人間、あんたも同じ人間。だから自分なんて、みたいな言い方をするなって」
「おなじ……あなたさまと、私が、おなじ……? あなたさまは……」
呆然とした様子のデリカ。何かぶつぶつ言いながらも、とりあえずおとなしくなってくれた。セイクレアは、なぜか俺の顔をチラチラ見ながらも治療を始めてくれたようで、その手から青白い光が放たれはじめる。
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