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第一部 異世界建築士と獣人の少女

第35話:建築士のおしごと…?(2/4)

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 つい先日まで、自分にはもう縁がなくなったものと思い込んでいた、リトリィのぬくもり。
 その毛並みの柔らかさと温かさを味わいたくて、つい、自分と彼女の間を通して抱え込まれている尻尾に、偶然を装って触れてみる。

 即、尻尾を引っ込められてしまった。

「……ムラタさん、女の子の尻尾を黙って触るのは、不作法ですよ?」

 上目遣いで睨んでくるが、しかし全然怖くない。むしろ、いとおしさが募ってくる。
 どうしてこう、彼女は、人の心をくすぐるような仕草を、自然にできるのだろう。俺は今まで、こんな女性に出会ったことがない。

「じゃあ、あらかじめリトリィに断っておけば、触っていいのか?」

 ちょっと意地悪な質問をしてみると、彼女は目を見開き、そして視線をそらすと、目を伏せ、ややあってから小さな声で答えた。

「だ、だめです……。ムラタさんは……触りたいんですか?」
「触ってみたい」

 即答してみせた俺に、ますますうつむくリトリィ。だが、だからと言って身を離すようなこともしない。
 ……むしろ、さらに肩に重みが載せられたように感じる。
 そのまま、しばし沈黙。ただただ、お互いのぬくもりを感じながら、時間だけが過ぎていく。

「……やっぱりだめ、です」

 だいぶ経ったあと、蚊の鳴くような声で返事が返ってきた。

「――そうだよな」

 まあ、予想していた通りだ。おどけて答えてみせたあと、首を傾けて、頬で彼女の耳に触れてみる。くすぐったそうに首を振った彼女は、しかし顔を寄せ、俺の頬にその鼻先をこすりつけてくる。
 ……うん、犬っぽい。

 しばらくそうやってじゃれあっていると、どうしてもまた、触ってみたくなる。もう一度、今度はリトリィにも偶然ではないと分かるように、そっと尻尾をなでてみる。

 彼女は途端に顔を離すと、「だめっていったのに……」と、上目遣いで咎め、しかしため息をつくと、また肩に顔をよせて、目を閉じ、うつむいて静かにもたれかかってくる。

 咎められはしたが、大して嫌そうにも見えない。不思議な行動だ。

 だめだ、そのちぐはぐな様子がまた愛おしい。なんでこんなにも、彼女のくるくると変わる表情に惹かれるのだろう。以前は分かりづらいと思っていた彼女の表情だが、今ではこんな暗がりの中でもよくわかる。彼女のことを理解できるようになったのか、それとも今までの自分が鈍感過ぎたのか。

 ――間違いなく後者だろうな、と思いつつ、よくわかるようになったからこそ、もうすこし、その表情の変化を楽しんでみたくもなる。

 とはいえ、これ以上やって本当に嫌われたら意味がない。だめだと言いつつ、別にその手を払いのける様子もなく、目を閉じたままそれ以上何か言う気配もなく、尻尾を撫でた手を触れさせたままにさせてくれてもいるのだが、一度手を引くことにする。

「あ……」

 目を開くと、引いたこちらの手を見遣り、そして残念そうな顔でこちらを見上げてきたのは、なぜだろうか。
 なにか選択肢を誤ったような気がして気まずくなり、誤魔化すように立ち上がると、探し物を再開するふりをする。

「いったい、どこにあるんだろうな」

 もう一度カンテラを巡らせる。もちろん、別に何かを探しているわけではない。すでにもう、捜索はあきらめている。

「あの……屋根の修理をするんですよね? 見つからないものって、なんですか?」

 尻尾の先の毛をつくろいながら聞いてきたリトリィに、じゃあ彼女は今まで何を探していたのだろうと苦笑する。

 見つからないもの、それはもちろん瓦だ。
 そう答えかけて、気づいた。
 ――屋根は、本当に、

「屋根ですか? こう、黒っぽい、魚の鱗みたいな形の板を並べていたと思います」

 ……全然違った、素焼きテラコッタ瓦じゃない!
 リトリィの言葉に愕然とする。
 自分のうかつさには、笑うしかない。

 程なくして、鱗状の、一枚の大きさが指を開いた手の平ほどの石の板の束を見つけた。なんのことはない、椅子代わりに座っていた、石板の束がそれだった。気づいたときには、二人でひとしきり笑い合い、そしてまた、座り直した。

 だが、その石板の正体を知って、俺は大興奮するとともに、状況を考え絶望することになる。

 スレート。
 日本でスレートといえば、セメントに繊維を混ぜて強化した薄い板――化粧スレートだ。「カラーベスト」とか「コロニアル」とかいう名前で売られている。安価ではあるが耐久性に難があり、モノや環境にもよるのだが十年から十五年程度で再塗装を繰り返す必要がある。

 しかしこれは、本物――天然石のスレートだった。

 天然石スレートをくなんてのは、ウチの事務所で薦めたことなど、ただの一度もない。とにかく天然石スレートは高価だからだ。薦めるどころか、提示したことも、資料を見せたこともない。

 ウチの事務所で薦めるなら、瓦以外であればまず第一の選択肢が、セメント製の化粧スレートだった。既製の工業製品だから安価、釘で直接打ち付けて固定できるから施工も簡単、すぐできるから工期の圧縮につながり、ひいては安く家を建てることにつながる。

 本物のスレートは、元の世界ならば粘板岩を薄く割って作った、平たい石板だ。少々脆いのが欠点だが、それでも天然石。屋根材としては、耐候性も高く、ヨーロッパの伝統的な建物にはこのスレートが使われているものも多い。
 日本でも、例えば東京駅なんかがスレート屋根の代表格と言っていいだろう。セメント製のとは根本的に違うのだ。
 
 だが、このスレート、少々厄介なのだ。耐候性は高いが、脆い。つまり、補修するために安易に上に乗ると、破損する恐れがあるのだ。

「……難しいんですか?」

 俺の顔色をうかがったのか、リトリィが不安そうに見上げてくる。ここで「そうだよ」なんて言えるもんか。そう、こんなときはこう言うのだ。

「うん難しいなあ」

 ……ちっが~う!
 なんで俺は、こういうときに安心させてやれる気の利いたことを言うんじゃなくて、馬鹿正直なことを口走っちまうんだ!
 ほら見ろ彼女の顔を! こんなにキラキラした目でこっちを見上げて……

「すごいです、ムラタさん! 難しいって言ってるのに、自信たっぷりだなんて!」

 あー、いや、そういうつもりじゃ――
 なんて言えるかっ!
 ああもう、こうなったら、意地でもやるしかないだろ!

 命を救われた。
 うまい飯も食わせてもらった。
 拗ねた俺を見守り、受け入れてくれた。
 ――そんな彼女の部屋が雨漏りしている、というのだ。ここで手を貸してやらねば男が廃る。

 彼女のふわふわな尻尾を撫でながら――今度はちゃんと許可も取って――明日の段取りをいろいろ考える。

 屋根――高所での作業。本当は足場を組みたいところだが、日本と違ってそもそも足場を組むためのパイプなんてどこで調達すればいいのか。おそらく、天窓か屋根窓か、そのあたりから出て、修理箇所に向かうしかないのだろう。

 そうすると、たとえ二階建て程度であっても命綱が欲しいところだ。万が一落ちてもすぐに病院に運んでもらえる日本と違って、ここでは骨折ひとつが、命に係わる重傷につながりかねないのだから。

 ふと、彼女の吐息が、妙に艶っぽく感じて、手を止める。いつのまにか、結構根元に近いところを触っていることに気が付いた。

 彼女と目が合う。
 もふる。

 ――根元を。

 乾いた音が小屋に響いた。



 倉庫を出ると、空には三つの月が浮かんでいた。それほど長くいたつもりはなかったが、青い月が中天にあるということは、もう夜の半分を過ぎた、ということだそうだ。時間にして二刻――二時間ほどはあの倉庫にいたということになるらしい。あの狭い倉庫で、二時間も何をしていたのか。

 ――実質、屋根材スレートの位置を把握した以外は、明日の作業につながることは何もしていない。

 うん、していない。
 二人で、妙に長かった倉庫での時間を振り返り、どちらからともなく、笑いが起きる。

「また明日」

 俺は努めて明るく言い、挨拶のために右手を挙げる。

「はい――また、明日」

 リトリィはその手に合わせるようにを上げると、今度もまた、そっと手のひらを重ねてきた。
 今度はすぐに離すのではなく、

「明日――お願いしますね」

 そう言って、まっすぐ俺の顔を見ながら微笑みを浮かべる。

 特別な相手に対してのみ行うという、手のひらを重ね合わせる挨拶。
 それを、彼女から、俺にしてくるという、この事実。
 ――それは、俺が、彼女にとって、特別な相手だということを意味するはずなのだ。

 その意味を考えると、自分の年齢=いない歴という暗黒の時代はようやく終わりを迎え、ついに「いる歴」が始まろうとしているのかもしれない。ああ、俺は今、歴史の転換期にいるのだ!
 とまあ、馬鹿なことを考えてみる。

 俺の左の頬には、彼女からいただいた紅葉がたぶん、はっきりと形作っているのが、なんとも間抜けなのだが。



 ムラタの異世界レポート。
 獣人さんの尻尾は、不用意に触ってはいけない。
 断りを入れれば、触ってよかった。
 もふもふ。きっとどれほど堪能していても飽きない、魔性の部位。
 ただし、根元あたりに触れると本気で怒られる。特に、根元の裏側。理由は不明だが、よっぽど触られたくないらしい。
 実際に触ってみた時、彼女の可愛らしい悲鳴が上がり、直後に俺の顔に紅葉が散った。
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