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第三部 異世界建築士と思い出の家

第201話:マイセルの特別な日(2/5)

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 さわやかに晴れ渡る冬の朝。
 冬と言っても、あとふた月もすればシェクラの花が満開になるという。日本でいう何月頃に相当するのかは分からないが、花が咲くなら間違いなく春だろう。
 春まで、あと二カ月。
 もう少しで、春。

 とはいえ――

「つめたーい!」
「ふふ、それでもお手伝いしてくれるのが、とってもうれしいですよ。ドレス、汚さないように気をつけてね」
「はあい!」

 風も水も冷たいのは間違いないのに、実に楽しそうに洗濯桶で踏み洗いをしている二人。

 設計時に洗濯に耐えうる耐水性の床の部屋をひとつでも作っておけばよかったのだが、なにせ公民館を想定していたものだから、そんな部屋はない。
 したがって、リトリィの言うところの「農村の洗濯」スタイルである、家の庭での踏み洗い、となるわけだ。

 洗濯洗剤には何を使うかというと、やっぱり灰を水に溶かした灰汁あくを使うほか、街では石鹸代わりにムクロジに似た実が売っていて、その皮を使っている。

 たしか、サポニンとかいう成分が、界面活性剤の作用――要するに汚れ落としの成分として働くんだっけ? 大学でナチュラルとかオーガニックとかにハマってた名物教授、楊枝屋ようじや先生の雑談にあったな。

 まあ、地球――日本でも昔はよく使われていたようだし、現代でも石鹸代わりにムクロジを使っている民族はいるらしいし、どんな世界でも共通の発見というものはあるのだろう。

「マイセルちゃん、ドレスのすそ、たくし上げすぎです。ドレスも大事ですけど、おひざが見えていますよ?」
「ひざくらい大丈夫ですよ。こうでもしないとすそが濡れちゃう」
「……ムラタさんが見ているんですよ?」

 たしなめるリトリィに、平気ですと答えるマイセル。
 いや、俺にしてみれば膝の見えるスカートなんて普通なんだが、淑女は基本的に肌を見せないようにしているこの街では、決して普通ではないだろう。

 そんな街で、スカートを太ももまでまくり上げて洗濯に興ずる、十七歳の娘。

 はたから見たら、女を捨てているかのようななのではないだろうか。ああ、マレットさん、こんなときにウチを見に来たりしませんように!!



 俺が建てた小屋は、前に建っていたオンボロ小屋よりも床面積をだいぶ縮小したため、そのぶん、庭が広くなった。庭といっても、まだ建てたばかりだし、芝を敷いたわけでも、砂利を敷いたわけでもないから、ただのむき出しの土があるばかり。
 それでも、日本人の庶民の感覚からすればなかなか広い庭である。テニスくらいはできそうだ。

 その庭の隅に生えているシェクラの木から伸ばしたロープに、洗濯物を引っかけていく。小春日和の日差しの中で、洗濯物がかすかに揺らめいているなかで、リトリィが、マイセルが、談笑しながら洗濯もののしわを伸ばしている。
 ああ、なんだか、実に家庭的な幸せを感じる。

「それで、マイセルちゃんは、ちゃんとおうちのかたにお許しをもらったんですか?」
「はい! 私はお姉さまとムラタさんの家族になるんだからって。だから十七歳のお誕生日は、こちらでって。お母さんたちは二人とも許してくれました!」

 ……マレットさんは? お父さんの許可は??

「でも、もしそうなら、事前に教えてくれていれば、お祝いの料理だって準備が……」
「大丈夫です! ちゃんとこの日のために、ケーキ、焼いておきましたから!」

 ……ああ、と思い出す。そう言えば、小さな肩掛けバッグを持ってきていたか。
 ってちょっと待て! そしたらあんな、テーブルにぽんと置いておくようなことしていいのか!? 中がクリームまみれになったりしていないか!?

 慌てて聞くと、マイセルは「クリーム? どういうことですか?」と、きょとんとして逆に質問してきた。

「いや、あんな、テーブルにぽんと置くようなことをしておいて、バッグの中が汚れたりしないのか?」
「大丈夫ですよ、ちゃんと布巾ふきんで包んできましたから!」

 大丈夫じゃない、ますます大丈夫じゃない!
 ケーキを布巾で包むってどういうことだ?
 せっかくのクリームが、デコレーションが台無しになっちゃうだろうに!

 混乱する俺に、リトリィも不思議そうに聞いてきた。

「あの、ムラタさん。ケーキですよ?」
「ああ、ケーキだよな?」
「クリームなんて、使わないですよ? ……生地に一緒に練り込むこともあるかもしれませんけれど、でも、焼き上げたあとなら、大丈夫ですよ?」
「……えっ?」
「……えっ?」

 ますます混乱する。ケーキと言ったら、やっぱりあれだよな? ほら、真っ白なホイップクリームに、いちごをのっけた、ショートケーキ。だって、マイセルの肩掛けバッグは、そんなに大きくなかった。ホールケーキを丸ごと一個だなんて、とても入らない。

 マイセルが首をひねる。
 リトリィも首をひねる。
 俺も首をひねっている。

「……じゃあ、マイセルちゃんが焼いてきたケーキ、お昼にもまだまだ早いですけれど、お洗濯でお腹もすきましたし、少しだけ、お茶でいただきましょう」

 結局、リトリィの提案で、俺は、この世界のケーキを知ることになった。



「えへへ、ケーキを焼いてから、今日でちょうど一カ月なんです!」

 その言葉を聞いた時の俺の気持ちを、皆、理解してくれるだろうか。

 緑色のほこりの塊になったケーキとやらを想像した俺を、「一カ月ってどういうこと!?」と、すっとんきょうな悲鳴を上げた俺を、誰が責められようか。

 バッグを開けようとしたマイセルが驚き、そして、すこし悲しそうな顔をしたのを見たリトリィが、即座に俺を奥の部屋まで拉致。
 ……ええ、叱られましたとも。あそこまで激怒したリトリィを、俺は見たことがない。静かに怒りを爆発させる姿に、山の男たちがリトリィを怒らせたくなかった理由を思い知ることになった。

「……いいですか? さっきも言いましたが、ムラタさん、もう二度とあんな真似、しないでくださいね?」
「ハイ、シマセン!」

「マイセルちゃんは、ちゃんとこの日のために、ひと月前から、自分でケーキを用意したんです。とってもえらい子なんです。それをほめてあげてくださいね?」
「ハイ、ホメマス!」

「しかも、本当ならおうちのかたと楽しむために作ったものを、わたしたちと過ごすために、もってきてくれたんです。そんな、特別なケーキなんです。ちゃんと、できばえも、味も、しっかりほめて、みとめてあげてくださいね?」
「ハイ、シッカリホメテ、ミトメマス!」

 ロボットみたいな返答をしてしまったが、有無を言わせぬその迫力に満ちた瞳の威圧に、敵うやつがいるものか!



 キッチンに戻ると、マイセルはもう、ケーキをまな板に出したところだった。
 少し寂しそうな顔に、今度は撃ち抜かれたような胸の痛みを覚える。
 ……ごめん、マイセル。

「すてきな香り……! マイセルちゃんは、何を練り込んだんですか?」

 リトリィの言葉に、マイセルの顔がぱっと輝く。
 瞬間、泣きそうに歪んだように見えたのは、錯覚じゃないだろう。おそらく、俺が奇妙に驚いたものだから自信を無くし、けれどリトリィが褒めてくれたから、きっと泣きそうに嬉しくなったのだ。

 マイセルの話によると、小麦を練った生地にたっぷりのはちみつとドライフルーツ、そしてナッツ類と思われる木の実をふんだんに練り込み、焼き上げたあと、たっぷりのバターを塗って、ひと月、熟成させたのだそうだ。
 リトリィが、マイセルのレシピを聞き出しているのを、横で聞いていただけなんだが。

 そういえば、ドイツにも、クリスマスに、一カ月くらいかけて少しずつ食べる、そんな感じのフルーツケーキみたいなものがあったっけ。低い気温と、バターをふんだんに使っているおかげで、傷まないんだっけか。

「ふふ、その作り方が、マイセルちゃんのお母さまのお味なんですね?」
「お姉さまは、違うんですか?」
「お山では乾燥果実が手に入りにくかったからだと思うのですが、木の実が多めでした」

 楽しげにケーキを切り分け、お茶を淹れ、ティータイムの準備が進む。
 しかし俺は、なんとも居心地が悪い。することがないからだ。

 ……だめだ、リトリィが妙にブロックしているように見えて、マイセルに声をかけづらい。リトリィのやつ、怒ってるなあ……。
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