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第三部 異世界建築士と思い出の家

第255話:幸せのために

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 夕日が、家と家の隙間から目を焼く。今日もこんな時間まで、依頼主との「お茶会」だ。
 テラスの修繕をしている大工の面々に挨拶をして、庭を抜ける。

 門の向こうの通りには、黒塗りの馬車が停車しているのが見えた。門外街だと馬車などほとんど見ないが、ここは城内街。カネは、ある所にはあるのだろう。

 ご婦人二人きりの生活のためか、使用人もほとんど置かずにいるゴーティアスさんたち。
 一見、質素に過ごしているように見えるが、この庭の花壇は、リトリィに言わせるとひと月ほど早く花を咲かせているそうだ。そしてその庭を維持するために、庭師を雇っているらしい。
 そういったところにカネをかけられるこの家は、やはり金持ちではあるのだ。

 その庭からは、軽快な金槌の音、ノコギリの音、カンナがけの音が響いてくる。
 テラスの修繕作業は、急ピッチで進められていた。マイセルも、その中の一人として今日も働いている。

 いつもなら、こういった作業はもっとゆっくり進めるらしいのだが、マレットさん曰く、「マイセルの花嫁修業もあるからな!」だそうである。

 大工の修行と並行して花嫁修業。
 実に大変だ、頭が下がる。

 だからこそ、本当は作業の終わりまで待って一緒に帰り、その苦労をねぎらってやりたいところだが、マレットさんがそれを拒んでいる。帰り道は、貴重な反省会の時間なのだそうだ。

 帰り道の間くらいは、とも思うが、今は辛くても、その先の幸せが見えているからだろう。マイセルは泣き言を言わないらしい。
 いまも、頭を下げつつ庭を抜けていた俺たちに手を振って、そしてマレットさんに拳骨を食らっていた。それでも笑顔でもう一度手を振ってから、また作業に戻っていた。本当に健気な少女だ。

 俺も、彼女に負けてはいられない。このリフォームの仕事を、誰にも文句を言わせない完璧さで遂行しなければ。



「ほんとうに、いいんでしょうか、これで……」

 家の門をくぐったところだった。リトリィが、家を見上げて、浮かぬ顔でぽつりとつぶやいた。

「どういう意味だ?」
「あ、……えっと、その……大奥様のことです。お話が決まってから、浮かない顔をなさっていることがあるので……」

 ……今日のお茶会を思い浮かべる。

 相変わらず俺とリトリィの話を聞きたがっていたゴーティアスさん。今日など、ついにリトリィも赤面のあまり言葉が続かなくなったのが、先日の藍月らんげつの夜の話。

 リトリィときたら、問われれば素直にしゃべってしまうので、夜の生活の話も請われるままに、ありのままにしゃべってしまうのだ。

 たまたまそのときは俺がトイレを借り、そして戻ってきたところだったのだが、まさか体の相性を聞かれるとは。ゴーティアスさんもシヴィーさんも、体を乗り出して聞いていたのだ。おもいっきりセクハラだぞばーさんズ!!

「あら、夜の生活の相性は大切ですよ? 子供に恵まれるかどうかにかかってきますから。なにしろ、リトリィさんは十九というではありませんか。ならば一層、子供のできやすい、二人にとっての相性のいいやり方で励まないといけませんでしょう?」

 二人そろって、ニコニコというよりニヤニヤしながら言いやがる。いくら依頼主でも怒るぞほんとに。

 そんなわけで、今日もリトリィが格好のおもちゃにされていたわけで。
 一体全体、あれのどこが浮かぬ顔だったのか。

 リトリィ自身は、同性の年長者にいじられるのは、恥ずかしいとは思っても嫌ではないらしい。あけすけであればあるほど、肉親ならこういうものか、と思えてしまうようだ。
 なるほど、本当の親を知らないからこその発想――であってたまるか! 彼女を言葉責めにしていいのは婚約者の俺だけだ、まったく!

「リトリィ、ゴーティアスさんは今日もリトリィをいじって遊んでいただけだぞ? どこか浮かない顔だったんだ?」
「おうちの改装案を詰めていたときです」

 ……そうか? むしろ、手すりを増やしてほしいとかドアや窓や戸棚の建て付けが悪くなってるところがあるから直してほしいとか、今日はいろいろ要望が多かったと思うんだが。

「いろいろ要望をなさっていたのは、奥様ですよ? 大奥様は、奥様の確認にうなずいてらっしゃっただけです」
「あー……、うん、そうだったっけ」

 俺の返事に、リトリィがすこし、咎めるような目つきになる。

「ムラタさん、お話がうまくいっているからって、なんだか、雑に考えていませんか?」
「そ、そんなこと、ないぞ?」
「いいえ。いつものムラタさんなら、きっとお気づきになられたはずです。いつもなら、考えすぎなくらいなのに」

 リトリィの厳しい視線に、俺はたじろいでしまった。

「もう一度、よくお考え下さい。あんなに寝室を変えることに反対なさっていた大奥様ですよ? もう一度、お話をよく聞きませんか?」
「もう一度って、十分聞いてきただろ? リトリィだって、あんな恥ずかしい思いまでして……」
「わたしはいいんです。わたしがしあわせになれたお話をしているだけですから」

 幸せになれた話って……ただのセクハラ食らっていただけだろうに、とは、真剣な目の彼女にはとても言えぬまま、さらにたじろぐ。

「それよりも、いまは大奥様のしあわせです。ムラタさんは、住む人がしあわせになれるおうちを建てるんでしょう?」

 さらにずいっと迫られ、思わずのけぞる。
 リトリィの気迫に気圧されてか、目の前の家――さっきまでゴーティアスさんたちと話をしていた家が、妙に大きく迫ってくるように感じてしまう。

「そ、そうだけど……」
「じゃあ、やっぱり今のままでいいのか、お話を聞きましょう? あした、もういちど」

 譲らない彼女が、とんでもないことを口にする。
 今のままでいいのかと問う――つまり、話をひっくり返せということを、こちらから切り出せというのか?

「おいおい、図面ももう、何度も手直しをしたんだ。階段の一段の高さも打ち合わせて、おおよそ決まったところなんだぞ? それを、今からやり直せっていうのか?」
「それが住むひとのしあわせにつながるのでしたら、何度やり直したっていいじゃないですか」
「リトリィ、そんな簡単に言ってくれるなよ。今までだって、向こうは気軽にああだこうだ言ってきたけど、こっちはひとつひとつ、手間暇かけて計算した結果の図面なんだぞ?」

 パソコンがあれば、ここまでリトリィの意見に反対することはなかっただろう。要望に応じて数値を変えたり図面の手直しをしたりすれば、あとはクリック一発、印刷するだけだからだ。

 だが、この世界にはそんな便利なものはない。
 アプリを使えば自動的に計算してくれることも、自分で全て計算し直さなければならない。そして直すとなれば、一から全部、描き直しだ。

「あっちも、やっと納得してくれたというのに? それを、今度はこっちからひっくり返すのか?」
「わたしもお手伝いしますから。いっしょに、がんばりましょう?」

 思わず額に手を当て、ため息をつく。

 正直言うと、計算に関してはリトリィは当てにならない。一生懸命指を使って計算をしてくれるが、俺の暗算の方がはるかに速いし正確だ。図面に関しては、結局俺一人で描くことになる。

 だが、こういう時のリトリィがテコでも動かないのは、俺自身がよく理解している。正しいと思ったこと、俺のためになると思ったことは、絶対にひかないのだ。それが、妻としての心得であるとでも言いたげに。

 本当は、それが正しいことくらい、俺も分かってはいるのだ。
 お互いの、本当の幸せを考えれば。
 家に住むのは結局、依頼主なのだ。その依頼主が、妥協の末にもやもやを抱えたまま、それを引きずり続ける生活は、幸せとは言えない。

 そんなことぐらい、分かっている。
 ……分かっては、いるんだが……。

 俺を見上げるリトリィの、澄んだ瞳がまぶしすぎる。
 俺が、絶対に、彼女の信じる道を選ぶ――それを信じる目が。

「……分かったよ。明日、また、改めて話を聞こう。もう一度、本音を聞き出すことにするよ」

 観念した俺に、リトリィが飛びついてきた。
 嬉しそうに、俺の頬を舐めて、胸に顔をこすりつけてくる。

「はい! じゃあ、がんばるだんなさまのために、今夜はいっぱい、ご奉仕しますね!」
「……ほどほどでいいから」
「いいえ! わたしのわがままを聞いてくださったのですから! ムラタさんのしあわせのために、わたしもがんばります! いっぱいいっぱい、全身でご奉仕いたします!」

 連日のご婦人がたによる羞恥プレイで感覚がマヒしたのか、通行人など目に入らないかのように、リトリィが無邪気に抱きついてくる。
 いや、ラブラブぶりを見せつける側に立つってのは、リア充っぽくて嬉しいんだけど、でも恥ずかしい――

「エプロンがいいですか? 看護服にいたしましょうか。それともリボン巻きがよろしいですか? ムラタさんがお好きなかっこうで、ご奉仕いたしますね! あ、どれがいいかだなんて、ごめんなさい! せっかくですから、ぜんぶ使いますね! そうだ、オクラの粘り汁! あれ、久しぶりに作りましょうか?」

 やめて往来で俺の性癖を全力でぶちまけないでおねがい。
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