643 / 785
第五部 異世界建築士と子供たちの楽園
閑話⑳:明日を刻むために
しおりを挟む
日記はいい。
そのまま自分史になる。
日々の出来事、思ったことや考えたこと、移ろう季節――そういったものを記録していくことが、自分の生きた証になる。
今日も一日のことを書き記して、棚に戻そうとした時だった。
ふとある一冊の日記帳が目に留まった。
「……もう一年になるのか」
もう一年。娘がムラタ――あのヒョロガリ男の元に嫁いでから。
「あんなヒョロガリ男の、いったいぜんたいどこが良かったんだか」
水桶一つ持つだけでフラフラしていたあの男。
娘はあの男の一体どこを気に入ってしまったのだろうか。婿を取るにせよ、嫁に出すにせよ、まだまだ先のことだと思っていたのに。
「……いや、あれが最後の機会だったのかもしれん。あのヒョロガリには、癪だが感謝しねえとならねえのかもな」
フラフィが言っていた。
――あの子ももう十九だったのだと。
すっかり失念していた。
――あの子はケモノの特徴が特に濃い獣人族であり、二十歳を超えると、極端に子供ができにくくなる、とされていることを。
事実、結婚してから一年経つというのに子供ができたという話を聞かない。
娘の夫の、もう一人の妻となった娘は、夏には子供を産むだろうというのに。
さっさと祝言を挙げさせてやっていれば、もしかしたらリトリィにも子供が出来ていたかもしれない。
「……すまんかったなァ、リトリィ。お前も、子供の顔が見たかっただろうに」
つい、娘の結婚式の頃の日記を手にとってしまう。
ありありと蘇る記憶。
娘は本当に幸せそうだった。あんな男のどこがよかったのか。娘に振り回されるようにしながらダンスを踊っていた男の、情けない姿が思い出される。
「将来はいい鍛冶屋になると思ったんだが……鉄よりも男を選びやがって」
毒づいてみせるが結局は負け惜しみだ。
「このわしが、孫ができるのを期待するようになるとは」
だからこそ、もっと早く嫁がせてやるべきだったと苦悩もしてしまう。
人里離れた山の中に住んでいると、よそと比べることもない。結局、親として気づかねばならないことに気づいてやれていなかった。亡き妻にくれぐれも子供たちを頼む、と言われていたのに、情けない限りだ。
「おじーちゃん!」
不意に声をかけられて顔を上げた。
ふわふわの亜麻色の毛に包まれた、長い垂れ耳――兎属人の少女。
息子のフラフィーが、なんの相談もなく突然連れて来た嫁の、連れ子だ。
あのときはさすがに驚いた。
しかも息子自身、こっそりと重ねてきた交際の果てに結婚を決意した、というわけではなく、妹の結婚式の夜、たまたま出会った兎属人の女性が元夫とトラブルになったのを助けて、そのまま自分の嫁にしてしまったという。
その成り行きを聞いた時、我が息子ながら呆れた。
人生を託す伴侶なのだ、もっと考えてからにしろと脳天に拳骨を食らわせたが、息子ときたら平然とそれを受けて、答えやがった。
『親父、親父はオレを拾ったとき、何日もかけて熟慮とやらをしたのか? 俺は親父がそんなことをしていた記憶なんざねぇぞ?』
まったく、本当にあきれた奴だ。正しくわしの「息子」をやっていやがる。
「おじーちゃん? モーナ、おやすみを言いに来たの!」
「……おお、そうか。ちゃんと挨拶に来て、偉いなモーナは」
「おじーちゃん、なにを読んでるの? 絵本?」
首をかしげるモーナに、おもわず笑みがこぼれてしまう。
「おじーちゃんのな、思い出なんだよ」
突然できた「孫」には、最初は本当に戸惑った。拾った頃のリトリィよりもさらに幼い少女は、髭面の自分の顔を見て、最初は母親の後ろに隠れてしまった。
けれど今はこうして、自分からおやすみを言いに来る。その愛らしい仕草に目を細めると、長男にも、次男にも、そして娘にも見せたことのないはずの笑顔を向けた。幼い孫は、夜着のすそをつまんでお辞儀をしてみせる。
――ああ、愛らしい。
そう思うのと同時に、ほぼ鉄一筋に生きてきた自分が、突然できた孫に目を細めている――その事実に、内心で苦笑する。
――これが、年をとるってことか。自分には一生、縁のない感情だと思っていたんだがな。
モーナがぴょこんと頭を上げる。まだまだ子供だ、優雅さには程遠い。
だが、そういった仕草こそがまた子供らしさを感じさせて、自分の目が横に糸のように伸びることを自覚する。
孫が部屋を去ってから、一度書き終えた日記を、もう一度開いた。
思ったことを、追記する。
孫が可愛いと思えたこと。
年老いたと実感したこと。
また数年して、もしこれを開くことがあったら、きっとその時はまた、別の感慨をもってこの短い書きつけを読むのだろう。
『日記はいいわよ? そのまま自分史になるんだから!』
『そのときの自分に立ち返ることができるの。私たちの愛だって、日記を開けばいつだって思い出せるのよ? 素敵だと思わない?』
亡き妻が続けていた習慣に感化されて始めた日記。
もう二十年になるだろうか。
妻との間に子供はできなかったが、拾った孤児三人は、それぞれに立派に成長した。技術を身に着け、今ではもう、助言こそすれ、教えることなどなにもない。
――とはいえ。
「リトリィに全部を叩き込んでから、もういつ死んでもいいと思ったが……あいつが産んだ孫を抱くまでは、死ぬわけにはいかんなあ……」
まだまだだ。
妻の待つ世界には、いつでも旅立てると思っていたが、まだ、もう少し待っていてもらわねばならぬ目標ができてしまったのだ。
ずらりと棚に並ぶ日記帳の背表紙を見回したあと、手の日記を、棚に戻す。
また明日を、刻むために。
そのまま自分史になる。
日々の出来事、思ったことや考えたこと、移ろう季節――そういったものを記録していくことが、自分の生きた証になる。
今日も一日のことを書き記して、棚に戻そうとした時だった。
ふとある一冊の日記帳が目に留まった。
「……もう一年になるのか」
もう一年。娘がムラタ――あのヒョロガリ男の元に嫁いでから。
「あんなヒョロガリ男の、いったいぜんたいどこが良かったんだか」
水桶一つ持つだけでフラフラしていたあの男。
娘はあの男の一体どこを気に入ってしまったのだろうか。婿を取るにせよ、嫁に出すにせよ、まだまだ先のことだと思っていたのに。
「……いや、あれが最後の機会だったのかもしれん。あのヒョロガリには、癪だが感謝しねえとならねえのかもな」
フラフィが言っていた。
――あの子ももう十九だったのだと。
すっかり失念していた。
――あの子はケモノの特徴が特に濃い獣人族であり、二十歳を超えると、極端に子供ができにくくなる、とされていることを。
事実、結婚してから一年経つというのに子供ができたという話を聞かない。
娘の夫の、もう一人の妻となった娘は、夏には子供を産むだろうというのに。
さっさと祝言を挙げさせてやっていれば、もしかしたらリトリィにも子供が出来ていたかもしれない。
「……すまんかったなァ、リトリィ。お前も、子供の顔が見たかっただろうに」
つい、娘の結婚式の頃の日記を手にとってしまう。
ありありと蘇る記憶。
娘は本当に幸せそうだった。あんな男のどこがよかったのか。娘に振り回されるようにしながらダンスを踊っていた男の、情けない姿が思い出される。
「将来はいい鍛冶屋になると思ったんだが……鉄よりも男を選びやがって」
毒づいてみせるが結局は負け惜しみだ。
「このわしが、孫ができるのを期待するようになるとは」
だからこそ、もっと早く嫁がせてやるべきだったと苦悩もしてしまう。
人里離れた山の中に住んでいると、よそと比べることもない。結局、親として気づかねばならないことに気づいてやれていなかった。亡き妻にくれぐれも子供たちを頼む、と言われていたのに、情けない限りだ。
「おじーちゃん!」
不意に声をかけられて顔を上げた。
ふわふわの亜麻色の毛に包まれた、長い垂れ耳――兎属人の少女。
息子のフラフィーが、なんの相談もなく突然連れて来た嫁の、連れ子だ。
あのときはさすがに驚いた。
しかも息子自身、こっそりと重ねてきた交際の果てに結婚を決意した、というわけではなく、妹の結婚式の夜、たまたま出会った兎属人の女性が元夫とトラブルになったのを助けて、そのまま自分の嫁にしてしまったという。
その成り行きを聞いた時、我が息子ながら呆れた。
人生を託す伴侶なのだ、もっと考えてからにしろと脳天に拳骨を食らわせたが、息子ときたら平然とそれを受けて、答えやがった。
『親父、親父はオレを拾ったとき、何日もかけて熟慮とやらをしたのか? 俺は親父がそんなことをしていた記憶なんざねぇぞ?』
まったく、本当にあきれた奴だ。正しくわしの「息子」をやっていやがる。
「おじーちゃん? モーナ、おやすみを言いに来たの!」
「……おお、そうか。ちゃんと挨拶に来て、偉いなモーナは」
「おじーちゃん、なにを読んでるの? 絵本?」
首をかしげるモーナに、おもわず笑みがこぼれてしまう。
「おじーちゃんのな、思い出なんだよ」
突然できた「孫」には、最初は本当に戸惑った。拾った頃のリトリィよりもさらに幼い少女は、髭面の自分の顔を見て、最初は母親の後ろに隠れてしまった。
けれど今はこうして、自分からおやすみを言いに来る。その愛らしい仕草に目を細めると、長男にも、次男にも、そして娘にも見せたことのないはずの笑顔を向けた。幼い孫は、夜着のすそをつまんでお辞儀をしてみせる。
――ああ、愛らしい。
そう思うのと同時に、ほぼ鉄一筋に生きてきた自分が、突然できた孫に目を細めている――その事実に、内心で苦笑する。
――これが、年をとるってことか。自分には一生、縁のない感情だと思っていたんだがな。
モーナがぴょこんと頭を上げる。まだまだ子供だ、優雅さには程遠い。
だが、そういった仕草こそがまた子供らしさを感じさせて、自分の目が横に糸のように伸びることを自覚する。
孫が部屋を去ってから、一度書き終えた日記を、もう一度開いた。
思ったことを、追記する。
孫が可愛いと思えたこと。
年老いたと実感したこと。
また数年して、もしこれを開くことがあったら、きっとその時はまた、別の感慨をもってこの短い書きつけを読むのだろう。
『日記はいいわよ? そのまま自分史になるんだから!』
『そのときの自分に立ち返ることができるの。私たちの愛だって、日記を開けばいつだって思い出せるのよ? 素敵だと思わない?』
亡き妻が続けていた習慣に感化されて始めた日記。
もう二十年になるだろうか。
妻との間に子供はできなかったが、拾った孤児三人は、それぞれに立派に成長した。技術を身に着け、今ではもう、助言こそすれ、教えることなどなにもない。
――とはいえ。
「リトリィに全部を叩き込んでから、もういつ死んでもいいと思ったが……あいつが産んだ孫を抱くまでは、死ぬわけにはいかんなあ……」
まだまだだ。
妻の待つ世界には、いつでも旅立てると思っていたが、まだ、もう少し待っていてもらわねばならぬ目標ができてしまったのだ。
ずらりと棚に並ぶ日記帳の背表紙を見回したあと、手の日記を、棚に戻す。
また明日を、刻むために。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ペーパードライバーが車ごと異世界転移する話
ぐだな
ファンタジー
車を買ったその日に事故にあった島屋健斗(シマヤ)は、どういう訳か車ごと異世界へ転移してしまう。
異世界には剣と魔法があるけれど、信号機もガソリンも無い!危険な魔境のど真ん中に放り出された島屋は、とりあえずカーナビに頼るしかないのだった。
「目的地を設定しました。ルート案内に従って走行してください」
異世界仕様となった車(中古車)とペーパードライバーの運命はいかに…
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
#密売じゃありません!ミツバイギフトで最高に美味しい果物作ったら、領主令息が夫になった件について
国府知里
ファンタジー
「がんばっても報われなかったあなたに」“スローライフ成り上がりファンタジー”
人生に疲れ果てた北村めぐみは、目覚めると異世界の農村で少女グレイスとして転生していた。この世界では6歳で神から“ギフト”を授かるという。グレイスが得た謎の力「ミツバイ」は、果物を蜜のように甘くするという奇跡の力だった!村を、領地を、やがて王国までも変えていく果樹栽培の物語がいま始まる――。美味しさが未来を育てる、異世界農業×スローライフ・ファンタジー!
神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします
夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。
アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。
いわゆる"神々の愛し子"というもの。
神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。
そういうことだ。
そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。
簡単でしょう?
えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか??
−−−−−−
新連載始まりました。
私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。
会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。
余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。
会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
異世界へ行って帰って来た
バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。
そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。
ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる