ムラタのむねあげっ!~君の居場所は俺が作る!異世界建築士の奮闘録~

狐月 耀藍

文字の大きさ
684 / 785
第六部 異世界建築士とよろこびのうた

第649話:八時間の苦闘

しおりを挟む
 ……フェルミのために、自分の意思で彼女のお産を見届けるというつもりで居残った俺だけれど、いやもう、本当に自分の無力さを思い知らされることになった。

 誘ってきたのはフェルミだが、妊娠させたのは俺だ。その彼女が、ずっと抱えてきたものが、おそらく今日、出てくる。マイセルの時には見ることができなかった出産に、今日、俺は立ち会うのだ。

 で、マイセルの出産は比較的早かったらしい。どれくらい早かったかというと、陣痛が始まってしばらくしてから破水、そして陣痛が始まってから生れるまで、二刻とかからなかったそうだ。つまり、陣痛が始まってから二時間足らずで出産を終えたのだ。

 二時間も痛みに耐えねばならなかったマイセルの苦労は、察するにあまりある。……のだけれど、実は二時間というのは、なかなかのスピード出産だったらしいのだ。

 以前、マイセルの出産についてリトリィに聞いたら、「わたしたち獣人のお産は、ヒトよりは比較的早いそうですよ」という返答だった。ということは、フェルミのお産はマイセルより早く終わる可能性だってある。

 それにしたって、これから早くても二時間の苦痛に耐えねばならないのかと考えると、この苦痛に耐えてうめくフェルミに、その時間を一緒に過ごすことの重みを改めて感じてしまった。

 だが。
 すぐに、そう思っていた自分の甘さを、心底痛感することになった。



「ここか? ここでいいか?」
「うん……そこ……っ!」

 お腹を抱えるようにして横向きに体を丸めるその腰を、掌底で腰から背中の方に向けてぐりぐりとやる。マッサージとか、そんな生やさしいものじゃない。

 陣痛が始まるたびにうなっているフェルミを見ながら、どうすることもできなくて始めたのがマッサージだった。最初は腰を揉んだりさすったりしていたのが、だんだんそれじゃ大して効かなくなっていって、しまいには掌底ぐりぐりになったんだ。そんな力一杯、腰をぐりぐりやって本当にいいのかと不安になるくらいの力で。

 そんなぐりぐりを受けて、「痛みがマシになる」というくらいなんだ。彼女は今、相当な痛みや不快感と戦っているんだろう。
 窓の外はすっかり暗くなり、俺もマイセルも汗びっしょりになって、陣痛が来るたびに、一緒にうなっていた。

「ご主人さま……ありがとうございます。ちょっと、痛みが引いてきました」
「痛いなら痛いって言ってくれよ? ……できることは少ないけど、俺もなんとか手伝えることはがんばるから」
「ありがとうございます。……その時はまた、甘えますね?」

 彼女の額の汗を拭きながら、それでも表情が穏やかなことに、心底、有難さを感じていた。陣痛の間隔がだんだん一定に、そして短くなってきているとはいえ、もう四時間は経っている。破水もした。ゴーティアス婦人からも、「破水したから、じきに生まれるわよ」と言ってもらえた。

 なのに、フェルミはいまだに苦しんでいる。あと何度、この陣痛を乗り越えたら、彼女は痛みから解放されるのだろう。 

「だんなさま、フェルミさん。いま、落ち着いていますか?」

 チビたちやお産の手伝いに来てくれている女性たちのために、夕食を作りに行ってくれたリトリィとマイセルが、顔をのぞかせる。その下で、チビたちも一緒になってこちらをのぞき込んできた。

「……ああ。今のところはな」
「フェルミさん、何か食べませんか。お昼から何も食べてないですし、まいっちゃいますよ? ムラタさんも」

 そう言って、パンにチーズなどを挟んだ、簡単な食事を差し入れてくれた。
 でも、正直言って、食べるどころじゃなかった。陣痛の合間に「スポドリ」で水分補給をしつつ、もう、とにかく早く生まれて欲しいとしか思えなかった。

「なかなか難儀しているようですけど、赤ちゃんは必ず生まれますからね。大丈夫、ここまできたらどっしり構えて待ちましょう」

 産婆を務めるゴーティアス婦人が、にっこりと笑って言う。彼女が取り上げた赤ん坊は、三十人以上らしい。その彼女が言うのだ、間違いないと思いたい。



「ほら、いきんで! もうすぐですよ、がんばって!」

 ゴーティアス婦人の声に、フェルミの悲鳴が上がる。そう、もはやフェルミの耐える声は悲鳴でしかなかった。
 ヒョウ柄オバチャンの言っていたことが実感される。歯を食いしばり、吠えるようにうめき、「痛い、痛い痛い痛いっ! もうだめ、死んじゃうっ!」と首を振りながら悲鳴を上げる。

 あの、門外街防衛戦でも彼女の諦念ていねんの言葉を聞いた俺だったけど、こんなに痛みを訴えられたのは初めてだ。
 ものすごい力で俺の手を握りしめる彼女の鬼気迫る姿には、言葉が出ない。というよりも、励ましの声もかけていいものかためらうほどに苦しむフェルミの姿に、俺は「命を生み出す」ということの壮絶さを思い知らされた。

「いたい! いたいいたい! ムラタさん……ムラタ、さんっ……!」

 クッションを抱くようにしてうつ伏せ、顔をこちらに向けてすがるように泣き叫ぶ彼女に、俺はどうしてやることもできず、ただ手を握り返してやるしかない。窓の外では、黒々とした夜空に、明々と月が輝いている。昼過ぎに破水してから、すでに八時間ほどになろうとしている。

 百年の恋も冷める、男は役に立たない、と言ったオバチャンの言葉には、確かにうなずかされる重みがあった。「こんにちは赤ちゃん」どころの話じゃない。なぜ俺は、マイセルの出産のとき、そばにいてやれなかったのだろう!

「はい、いきんで! 大丈夫、もうすぐだから! もうすぐ頭が出るよ!」
「フェルミさん、頭が出たら、あとはすぐですから! いきんでください!」

 ゴーティアス婦人と、彼女の指導の下で産婆を代行しているリトリィの、二人の言葉が急に鮮明に聞こえてきた気がした。
 それまで、確かに聞こえてはいたけれど、苦しむフェルミに気を取られていて、あまり内容を聞いていなかったんだ。

 ──頭!
 じゃあ、もう少しじゃないか!

「むり、むりむりっ! いたい、裂けちゃう!」

 フェルミの悲痛な叫び声が胸に痛い。安易に頑張れ、などと言っても、今の彼女には嫌味にすら聞こえそうで、俺は彼女の手を握りしめるしかなかった。

「大丈夫! ここまで頑張ったのよ、もうすこし! 赤ちゃんも頑張ってるんだから。もうすぐあなたがお母さんになるのですよ、さあ、いきんで!」

 ゴーティアス婦人の言葉に、フェルミがかぶりを振って泣き叫ぶ。

「いやああっ! もうだめ、裂けちゃう、死んじゃうっ!」

 あの地獄のような戦闘をかいくぐったフェルミが、重傷を負っても凛として醜態を晒すことなく生き延びた彼女が、恥も外聞もなく泣き叫ぶのだ。その痛みのレベル、想像もできない。

 どう声を掛ければいいのか分からないまま、俺は彼女の手を握りしめる。せめて、俺はここにいて、君のことを見守っているのだと、伝えたくて。

「フェルミ、もうすぐだ。もうすぐだよ。俺と君との子と、もうすぐ会えるんだ。君が望んでくれた子と、会えるんだよ」

 汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃのフェルミの顔が、また、さらに歪む。

「うう……むり、むりぃっ……!」
「フェルミ、俺は君を愛してる。君も俺を愛してくれた。その子と会えるんだ。やっと会えるんだよ」

 フェルミの尻の向こうで、赤ん坊を受け止めようとしているリトリィの耳がぴくりと揺れたのが視界に入ったけれど、あえて見なかったふりをした。

「ムラタさんの、あかちゃん……!」

 涙に滲む目を俺に向けながら、フェルミが歯を食いしばった。

「……ええ、そうよ! フェルミさん、いきんで! 赤ちゃんの頭がもう見えているのよ、がんばって!」
「うう……ううぅうううっ……!」

 出産の姿を見たら百年の恋も冷める、とはよく言ったものだ。もし俺が、過程も知らずに急にお産の現場に立ち会うことになったならば、確かにそうだったかもしれない。

 でも俺は、一部始終を見つめてきた。
 軽口を叩き、俺に容赦ないツッコミをする彼女。けれども本当は孤独で寂しがり屋で、俺に愛を見出してからは男装もやめて、一途に慕ってくれている女性、それがフェルミだ。
 その彼女が、数時間にわたって苦しみ続け、泣き叫ぶその傍らで、俺は無力感に打ちのめされながら、手を握り続けたんだ。

 出産の姿を見たら百年の恋も冷める? そんなわけがあるか! むしろこれから百年の恋への礎になったようなものだ。愛する人が痛みに耐えかねて泣き叫ぶ姿を見て、これが生みの苦しみというものなのだと目の当たりにして、それで冷めるような奴がいたら、そんな奴に父親になる資格なんてあるものか。

「フェルミさん、顔が出ましたよ! 最後のひと踏ん張りです、さあ、いきんで!」
「ううぅ、あぁ、ああぁぁあああぁっ……!」

 ──その瞬間を、俺は忘れるものか。

 四つん這いになるようにして大きな抱き枕状のクッションにしがみつき、俺の方に顔を向けながら歯を食いしばるフェルミ。
 彼女のスレンダーな腰の向こうで、満足そうな顔で微笑むゴーティアス婦人と、金の美しい毛並みをどろどろに濡らして、小さな小さな赤ん坊を抱き上げるリトリィ。

 そして、元気な産声を上げる、我が子。
 ゴーティアス婦人に渡されたはさみで切る時の、分厚いキルト布を切るかのような、文字通りの「じょきり」という感触と共に切断した、へその緒。

「ほら、フェルミさん。だんなさまと、あなたの子です。……抱けますか?」

 疲労の色が濃いものの、微笑みながら赤ん坊を差し出すリトリィと、ゆっくり体を横に向けて、よろよろと腕を差し出し、リトリィから赤ん坊を受け取るフェルミ。

「ありがとう、ござい、ます……」
「がんばりましたね。だんなさま、だんなさまの子です。なでてあげてくださいね」

 リトリィに促され、俺はフェルミの腕の中の、小さな小さな赤ん坊の頭をそっとなでてみた。
 ──熱い。
 元気な声で泣き続ける我が子の顔は真っ赤で、やっぱり遮光器土偶のような顔だと、マイセルの時と同じ感想を持つ。けれどその顔はしわくちゃというほどでもなく、意外に整った顔立ちに、将来はフェルミに似た美人になりそうだ、などと勝手に想像する。

 涙でぐしゃぐしゃのフェルミの髪をなでると、俺は生まれたばかりの娘と、そしてその子を産んでくれた愛しいひとの頬に、そっとキスをする。
 昼過ぎに破水してから、およそ八時間にも及ぶ長丁場を戦い抜いた、愛する二人をねぎらう思いで。

「ありがとう、フェルミ。愛している」


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

ペーパードライバーが車ごと異世界転移する話

ぐだな
ファンタジー
車を買ったその日に事故にあった島屋健斗(シマヤ)は、どういう訳か車ごと異世界へ転移してしまう。 異世界には剣と魔法があるけれど、信号機もガソリンも無い!危険な魔境のど真ん中に放り出された島屋は、とりあえずカーナビに頼るしかないのだった。 「目的地を設定しました。ルート案内に従って走行してください」 異世界仕様となった車(中古車)とペーパードライバーの運命はいかに…

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

#密売じゃありません!ミツバイギフトで最高に美味しい果物作ったら、領主令息が夫になった件について

国府知里
ファンタジー
「がんばっても報われなかったあなたに」“スローライフ成り上がりファンタジー”  人生に疲れ果てた北村めぐみは、目覚めると異世界の農村で少女グレイスとして転生していた。この世界では6歳で神から“ギフト”を授かるという。グレイスが得た謎の力「ミツバイ」は、果物を蜜のように甘くするという奇跡の力だった!村を、領地を、やがて王国までも変えていく果樹栽培の物語がいま始まる――。美味しさが未来を育てる、異世界農業×スローライフ・ファンタジー!

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

処理中です...