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第六部 異世界建築士とよろこびのうた
第649話:八時間の苦闘
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……フェルミのために、自分の意思で彼女のお産を見届けるというつもりで居残った俺だけれど、いやもう、本当に自分の無力さを思い知らされることになった。
誘ってきたのはフェルミだが、妊娠させたのは俺だ。その彼女が、ずっと抱えてきたものが、おそらく今日、出てくる。マイセルの時には見ることができなかった出産に、今日、俺は立ち会うのだ。
で、マイセルの出産は比較的早かったらしい。どれくらい早かったかというと、陣痛が始まってしばらくしてから破水、そして陣痛が始まってから生れるまで、二刻とかからなかったそうだ。つまり、陣痛が始まってから二時間足らずで出産を終えたのだ。
二時間も痛みに耐えねばならなかったマイセルの苦労は、察するにあまりある。……のだけれど、実は二時間というのは、なかなかのスピード出産だったらしいのだ。
以前、マイセルの出産についてリトリィに聞いたら、「わたしたち獣人のお産は、ヒトよりは比較的早いそうですよ」という返答だった。ということは、フェルミのお産はマイセルより早く終わる可能性だってある。
それにしたって、これから早くても二時間の苦痛に耐えねばならないのかと考えると、この苦痛に耐えてうめくフェルミに、その時間を一緒に過ごすことの重みを改めて感じてしまった。
だが。
すぐに、そう思っていた自分の甘さを、心底痛感することになった。
「ここか? ここでいいか?」
「うん……そこ……っ!」
お腹を抱えるようにして横向きに体を丸めるその腰を、掌底で腰から背中の方に向けてぐりぐりとやる。マッサージとか、そんな生やさしいものじゃない。
陣痛が始まるたびにうなっているフェルミを見ながら、どうすることもできなくて始めたのがマッサージだった。最初は腰を揉んだりさすったりしていたのが、だんだんそれじゃ大して効かなくなっていって、しまいには掌底ぐりぐりになったんだ。そんな力一杯、腰をぐりぐりやって本当にいいのかと不安になるくらいの力で。
そんなぐりぐりを受けて、「痛みがマシになる」というくらいなんだ。彼女は今、相当な痛みや不快感と戦っているんだろう。
窓の外はすっかり暗くなり、俺もマイセルも汗びっしょりになって、陣痛が来るたびに、一緒にうなっていた。
「ご主人さま……ありがとうございます。ちょっと、痛みが引いてきました」
「痛いなら痛いって言ってくれよ? ……できることは少ないけど、俺もなんとか手伝えることはがんばるから」
「ありがとうございます。……その時はまた、甘えますね?」
彼女の額の汗を拭きながら、それでも表情が穏やかなことに、心底、有難さを感じていた。陣痛の間隔がだんだん一定に、そして短くなってきているとはいえ、もう四時間は経っている。破水もした。ゴーティアス婦人からも、「破水したから、じきに生まれるわよ」と言ってもらえた。
なのに、フェルミはいまだに苦しんでいる。あと何度、この陣痛を乗り越えたら、彼女は痛みから解放されるのだろう。
「だんなさま、フェルミさん。いま、落ち着いていますか?」
チビたちやお産の手伝いに来てくれている女性たちのために、夕食を作りに行ってくれたリトリィとマイセルが、顔をのぞかせる。その下で、チビたちも一緒になってこちらをのぞき込んできた。
「……ああ。今のところはな」
「フェルミさん、何か食べませんか。お昼から何も食べてないですし、まいっちゃいますよ? ムラタさんも」
そう言って、パンにチーズなどを挟んだ、簡単な食事を差し入れてくれた。
でも、正直言って、食べるどころじゃなかった。陣痛の合間に「スポドリ」で水分補給をしつつ、もう、とにかく早く生まれて欲しいとしか思えなかった。
「なかなか難儀しているようですけど、赤ちゃんは必ず生まれますからね。大丈夫、ここまできたらどっしり構えて待ちましょう」
産婆を務めるゴーティアス婦人が、にっこりと笑って言う。彼女が取り上げた赤ん坊は、三十人以上らしい。その彼女が言うのだ、間違いないと思いたい。
「ほら、いきんで! もうすぐですよ、がんばって!」
ゴーティアス婦人の声に、フェルミの悲鳴が上がる。そう、もはやフェルミの耐える声は悲鳴でしかなかった。
ヒョウ柄オバチャンの言っていたことが実感される。歯を食いしばり、吠えるようにうめき、「痛い、痛い痛い痛いっ! もうだめ、死んじゃうっ!」と首を振りながら悲鳴を上げる。
あの、門外街防衛戦でも彼女の諦念の言葉を聞いた俺だったけど、こんなに痛みを訴えられたのは初めてだ。
ものすごい力で俺の手を握りしめる彼女の鬼気迫る姿には、言葉が出ない。というよりも、励ましの声もかけていいものかためらうほどに苦しむフェルミの姿に、俺は「命を生み出す」ということの壮絶さを思い知らされた。
「いたい! いたいいたい! ムラタさん……ムラタ、さんっ……!」
クッションを抱くようにしてうつ伏せ、顔をこちらに向けてすがるように泣き叫ぶ彼女に、俺はどうしてやることもできず、ただ手を握り返してやるしかない。窓の外では、黒々とした夜空に、明々と月が輝いている。昼過ぎに破水してから、すでに八時間ほどになろうとしている。
百年の恋も冷める、男は役に立たない、と言ったオバチャンの言葉には、確かにうなずかされる重みがあった。「こんにちは赤ちゃん」どころの話じゃない。なぜ俺は、マイセルの出産のとき、そばにいてやれなかったのだろう!
「はい、いきんで! 大丈夫、もうすぐだから! もうすぐ頭が出るよ!」
「フェルミさん、頭が出たら、あとはすぐですから! いきんでください!」
ゴーティアス婦人と、彼女の指導の下で産婆を代行しているリトリィの、二人の言葉が急に鮮明に聞こえてきた気がした。
それまで、確かに聞こえてはいたけれど、苦しむフェルミに気を取られていて、あまり内容を聞いていなかったんだ。
──頭!
じゃあ、もう少しじゃないか!
「むり、むりむりっ! いたい、裂けちゃう!」
フェルミの悲痛な叫び声が胸に痛い。安易に頑張れ、などと言っても、今の彼女には嫌味にすら聞こえそうで、俺は彼女の手を握りしめるしかなかった。
「大丈夫! ここまで頑張ったのよ、もうすこし! 赤ちゃんも頑張ってるんだから。もうすぐあなたがお母さんになるのですよ、さあ、いきんで!」
ゴーティアス婦人の言葉に、フェルミがかぶりを振って泣き叫ぶ。
「いやああっ! もうだめ、裂けちゃう、死んじゃうっ!」
あの地獄のような戦闘をかいくぐったフェルミが、重傷を負っても凛として醜態を晒すことなく生き延びた彼女が、恥も外聞もなく泣き叫ぶのだ。その痛みのレベル、想像もできない。
どう声を掛ければいいのか分からないまま、俺は彼女の手を握りしめる。せめて、俺はここにいて、君のことを見守っているのだと、伝えたくて。
「フェルミ、もうすぐだ。もうすぐだよ。俺と君との子と、もうすぐ会えるんだ。君が望んでくれた子と、会えるんだよ」
汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃのフェルミの顔が、また、さらに歪む。
「うう……むり、むりぃっ……!」
「フェルミ、俺は君を愛してる。君も俺を愛してくれた。その子と会えるんだ。やっと会えるんだよ」
フェルミの尻の向こうで、赤ん坊を受け止めようとしているリトリィの耳がぴくりと揺れたのが視界に入ったけれど、あえて見なかったふりをした。
「ムラタさんの、あかちゃん……!」
涙に滲む目を俺に向けながら、フェルミが歯を食いしばった。
「……ええ、そうよ! フェルミさん、いきんで! 赤ちゃんの頭がもう見えているのよ、がんばって!」
「うう……ううぅうううっ……!」
出産の姿を見たら百年の恋も冷める、とはよく言ったものだ。もし俺が、過程も知らずに急にお産の現場に立ち会うことになったならば、確かにそうだったかもしれない。
でも俺は、一部始終を見つめてきた。
軽口を叩き、俺に容赦ないツッコミをする彼女。けれども本当は孤独で寂しがり屋で、俺に愛を見出してからは男装もやめて、一途に慕ってくれている女性、それがフェルミだ。
その彼女が、数時間にわたって苦しみ続け、泣き叫ぶその傍らで、俺は無力感に打ちのめされながら、手を握り続けたんだ。
出産の姿を見たら百年の恋も冷める? そんなわけがあるか! むしろこれから百年の恋への礎になったようなものだ。愛する人が痛みに耐えかねて泣き叫ぶ姿を見て、これが生みの苦しみというものなのだと目の当たりにして、それで冷めるような奴がいたら、そんな奴に父親になる資格なんてあるものか。
「フェルミさん、顔が出ましたよ! 最後のひと踏ん張りです、さあ、いきんで!」
「ううぅ、あぁ、ああぁぁあああぁっ……!」
──その瞬間を、俺は忘れるものか。
四つん這いになるようにして大きな抱き枕状のクッションにしがみつき、俺の方に顔を向けながら歯を食いしばるフェルミ。
彼女のスレンダーな腰の向こうで、満足そうな顔で微笑むゴーティアス婦人と、金の美しい毛並みをどろどろに濡らして、小さな小さな赤ん坊を抱き上げるリトリィ。
そして、元気な産声を上げる、我が子。
ゴーティアス婦人に渡されたはさみで切る時の、分厚いキルト布を切るかのような、文字通りの「じょきり」という感触と共に切断した、へその緒。
「ほら、フェルミさん。だんなさまと、あなたの子です。……抱けますか?」
疲労の色が濃いものの、微笑みながら赤ん坊を差し出すリトリィと、ゆっくり体を横に向けて、よろよろと腕を差し出し、リトリィから赤ん坊を受け取るフェルミ。
「ありがとう、ござい、ます……」
「がんばりましたね。だんなさま、だんなさまの子です。なでてあげてくださいね」
リトリィに促され、俺はフェルミの腕の中の、小さな小さな赤ん坊の頭をそっとなでてみた。
──熱い。
元気な声で泣き続ける我が子の顔は真っ赤で、やっぱり遮光器土偶のような顔だと、マイセルの時と同じ感想を持つ。けれどその顔はしわくちゃというほどでもなく、意外に整った顔立ちに、将来はフェルミに似た美人になりそうだ、などと勝手に想像する。
涙でぐしゃぐしゃのフェルミの髪をなでると、俺は生まれたばかりの娘と、そしてその子を産んでくれた愛しいひとの頬に、そっとキスをする。
昼過ぎに破水してから、およそ八時間にも及ぶ長丁場を戦い抜いた、愛する二人をねぎらう思いで。
「ありがとう、フェルミ。愛している」
誘ってきたのはフェルミだが、妊娠させたのは俺だ。その彼女が、ずっと抱えてきたものが、おそらく今日、出てくる。マイセルの時には見ることができなかった出産に、今日、俺は立ち会うのだ。
で、マイセルの出産は比較的早かったらしい。どれくらい早かったかというと、陣痛が始まってしばらくしてから破水、そして陣痛が始まってから生れるまで、二刻とかからなかったそうだ。つまり、陣痛が始まってから二時間足らずで出産を終えたのだ。
二時間も痛みに耐えねばならなかったマイセルの苦労は、察するにあまりある。……のだけれど、実は二時間というのは、なかなかのスピード出産だったらしいのだ。
以前、マイセルの出産についてリトリィに聞いたら、「わたしたち獣人のお産は、ヒトよりは比較的早いそうですよ」という返答だった。ということは、フェルミのお産はマイセルより早く終わる可能性だってある。
それにしたって、これから早くても二時間の苦痛に耐えねばならないのかと考えると、この苦痛に耐えてうめくフェルミに、その時間を一緒に過ごすことの重みを改めて感じてしまった。
だが。
すぐに、そう思っていた自分の甘さを、心底痛感することになった。
「ここか? ここでいいか?」
「うん……そこ……っ!」
お腹を抱えるようにして横向きに体を丸めるその腰を、掌底で腰から背中の方に向けてぐりぐりとやる。マッサージとか、そんな生やさしいものじゃない。
陣痛が始まるたびにうなっているフェルミを見ながら、どうすることもできなくて始めたのがマッサージだった。最初は腰を揉んだりさすったりしていたのが、だんだんそれじゃ大して効かなくなっていって、しまいには掌底ぐりぐりになったんだ。そんな力一杯、腰をぐりぐりやって本当にいいのかと不安になるくらいの力で。
そんなぐりぐりを受けて、「痛みがマシになる」というくらいなんだ。彼女は今、相当な痛みや不快感と戦っているんだろう。
窓の外はすっかり暗くなり、俺もマイセルも汗びっしょりになって、陣痛が来るたびに、一緒にうなっていた。
「ご主人さま……ありがとうございます。ちょっと、痛みが引いてきました」
「痛いなら痛いって言ってくれよ? ……できることは少ないけど、俺もなんとか手伝えることはがんばるから」
「ありがとうございます。……その時はまた、甘えますね?」
彼女の額の汗を拭きながら、それでも表情が穏やかなことに、心底、有難さを感じていた。陣痛の間隔がだんだん一定に、そして短くなってきているとはいえ、もう四時間は経っている。破水もした。ゴーティアス婦人からも、「破水したから、じきに生まれるわよ」と言ってもらえた。
なのに、フェルミはいまだに苦しんでいる。あと何度、この陣痛を乗り越えたら、彼女は痛みから解放されるのだろう。
「だんなさま、フェルミさん。いま、落ち着いていますか?」
チビたちやお産の手伝いに来てくれている女性たちのために、夕食を作りに行ってくれたリトリィとマイセルが、顔をのぞかせる。その下で、チビたちも一緒になってこちらをのぞき込んできた。
「……ああ。今のところはな」
「フェルミさん、何か食べませんか。お昼から何も食べてないですし、まいっちゃいますよ? ムラタさんも」
そう言って、パンにチーズなどを挟んだ、簡単な食事を差し入れてくれた。
でも、正直言って、食べるどころじゃなかった。陣痛の合間に「スポドリ」で水分補給をしつつ、もう、とにかく早く生まれて欲しいとしか思えなかった。
「なかなか難儀しているようですけど、赤ちゃんは必ず生まれますからね。大丈夫、ここまできたらどっしり構えて待ちましょう」
産婆を務めるゴーティアス婦人が、にっこりと笑って言う。彼女が取り上げた赤ん坊は、三十人以上らしい。その彼女が言うのだ、間違いないと思いたい。
「ほら、いきんで! もうすぐですよ、がんばって!」
ゴーティアス婦人の声に、フェルミの悲鳴が上がる。そう、もはやフェルミの耐える声は悲鳴でしかなかった。
ヒョウ柄オバチャンの言っていたことが実感される。歯を食いしばり、吠えるようにうめき、「痛い、痛い痛い痛いっ! もうだめ、死んじゃうっ!」と首を振りながら悲鳴を上げる。
あの、門外街防衛戦でも彼女の諦念の言葉を聞いた俺だったけど、こんなに痛みを訴えられたのは初めてだ。
ものすごい力で俺の手を握りしめる彼女の鬼気迫る姿には、言葉が出ない。というよりも、励ましの声もかけていいものかためらうほどに苦しむフェルミの姿に、俺は「命を生み出す」ということの壮絶さを思い知らされた。
「いたい! いたいいたい! ムラタさん……ムラタ、さんっ……!」
クッションを抱くようにしてうつ伏せ、顔をこちらに向けてすがるように泣き叫ぶ彼女に、俺はどうしてやることもできず、ただ手を握り返してやるしかない。窓の外では、黒々とした夜空に、明々と月が輝いている。昼過ぎに破水してから、すでに八時間ほどになろうとしている。
百年の恋も冷める、男は役に立たない、と言ったオバチャンの言葉には、確かにうなずかされる重みがあった。「こんにちは赤ちゃん」どころの話じゃない。なぜ俺は、マイセルの出産のとき、そばにいてやれなかったのだろう!
「はい、いきんで! 大丈夫、もうすぐだから! もうすぐ頭が出るよ!」
「フェルミさん、頭が出たら、あとはすぐですから! いきんでください!」
ゴーティアス婦人と、彼女の指導の下で産婆を代行しているリトリィの、二人の言葉が急に鮮明に聞こえてきた気がした。
それまで、確かに聞こえてはいたけれど、苦しむフェルミに気を取られていて、あまり内容を聞いていなかったんだ。
──頭!
じゃあ、もう少しじゃないか!
「むり、むりむりっ! いたい、裂けちゃう!」
フェルミの悲痛な叫び声が胸に痛い。安易に頑張れ、などと言っても、今の彼女には嫌味にすら聞こえそうで、俺は彼女の手を握りしめるしかなかった。
「大丈夫! ここまで頑張ったのよ、もうすこし! 赤ちゃんも頑張ってるんだから。もうすぐあなたがお母さんになるのですよ、さあ、いきんで!」
ゴーティアス婦人の言葉に、フェルミがかぶりを振って泣き叫ぶ。
「いやああっ! もうだめ、裂けちゃう、死んじゃうっ!」
あの地獄のような戦闘をかいくぐったフェルミが、重傷を負っても凛として醜態を晒すことなく生き延びた彼女が、恥も外聞もなく泣き叫ぶのだ。その痛みのレベル、想像もできない。
どう声を掛ければいいのか分からないまま、俺は彼女の手を握りしめる。せめて、俺はここにいて、君のことを見守っているのだと、伝えたくて。
「フェルミ、もうすぐだ。もうすぐだよ。俺と君との子と、もうすぐ会えるんだ。君が望んでくれた子と、会えるんだよ」
汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃのフェルミの顔が、また、さらに歪む。
「うう……むり、むりぃっ……!」
「フェルミ、俺は君を愛してる。君も俺を愛してくれた。その子と会えるんだ。やっと会えるんだよ」
フェルミの尻の向こうで、赤ん坊を受け止めようとしているリトリィの耳がぴくりと揺れたのが視界に入ったけれど、あえて見なかったふりをした。
「ムラタさんの、あかちゃん……!」
涙に滲む目を俺に向けながら、フェルミが歯を食いしばった。
「……ええ、そうよ! フェルミさん、いきんで! 赤ちゃんの頭がもう見えているのよ、がんばって!」
「うう……ううぅうううっ……!」
出産の姿を見たら百年の恋も冷める、とはよく言ったものだ。もし俺が、過程も知らずに急にお産の現場に立ち会うことになったならば、確かにそうだったかもしれない。
でも俺は、一部始終を見つめてきた。
軽口を叩き、俺に容赦ないツッコミをする彼女。けれども本当は孤独で寂しがり屋で、俺に愛を見出してからは男装もやめて、一途に慕ってくれている女性、それがフェルミだ。
その彼女が、数時間にわたって苦しみ続け、泣き叫ぶその傍らで、俺は無力感に打ちのめされながら、手を握り続けたんだ。
出産の姿を見たら百年の恋も冷める? そんなわけがあるか! むしろこれから百年の恋への礎になったようなものだ。愛する人が痛みに耐えかねて泣き叫ぶ姿を見て、これが生みの苦しみというものなのだと目の当たりにして、それで冷めるような奴がいたら、そんな奴に父親になる資格なんてあるものか。
「フェルミさん、顔が出ましたよ! 最後のひと踏ん張りです、さあ、いきんで!」
「ううぅ、あぁ、ああぁぁあああぁっ……!」
──その瞬間を、俺は忘れるものか。
四つん這いになるようにして大きな抱き枕状のクッションにしがみつき、俺の方に顔を向けながら歯を食いしばるフェルミ。
彼女のスレンダーな腰の向こうで、満足そうな顔で微笑むゴーティアス婦人と、金の美しい毛並みをどろどろに濡らして、小さな小さな赤ん坊を抱き上げるリトリィ。
そして、元気な産声を上げる、我が子。
ゴーティアス婦人に渡されたはさみで切る時の、分厚いキルト布を切るかのような、文字通りの「じょきり」という感触と共に切断した、へその緒。
「ほら、フェルミさん。だんなさまと、あなたの子です。……抱けますか?」
疲労の色が濃いものの、微笑みながら赤ん坊を差し出すリトリィと、ゆっくり体を横に向けて、よろよろと腕を差し出し、リトリィから赤ん坊を受け取るフェルミ。
「ありがとう、ござい、ます……」
「がんばりましたね。だんなさま、だんなさまの子です。なでてあげてくださいね」
リトリィに促され、俺はフェルミの腕の中の、小さな小さな赤ん坊の頭をそっとなでてみた。
──熱い。
元気な声で泣き続ける我が子の顔は真っ赤で、やっぱり遮光器土偶のような顔だと、マイセルの時と同じ感想を持つ。けれどその顔はしわくちゃというほどでもなく、意外に整った顔立ちに、将来はフェルミに似た美人になりそうだ、などと勝手に想像する。
涙でぐしゃぐしゃのフェルミの髪をなでると、俺は生まれたばかりの娘と、そしてその子を産んでくれた愛しいひとの頬に、そっとキスをする。
昼過ぎに破水してから、およそ八時間にも及ぶ長丁場を戦い抜いた、愛する二人をねぎらう思いで。
「ありがとう、フェルミ。愛している」
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