与一さんと俺のクロニクル

茂久白果

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ムーンライズ 2

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 その時、かたん、と音がして。いつのまにか側に来ていた店員さんが、グラスをテーブルに置いた。氷とレモンの浮かんだ水。
 そうだ、俺頼んだ。
 だけどそれは、寒いって気がつく前に。
 店内も冷え切っているし、革のソファーも冷たくて、お尻からも冷えてくる。
 とりあえず、早く出た方がいいか。

 なかなか立ち去らない店員さんを見上げたら、俺をじっと見ていた。
 丸い眼鏡を掛けて、襟の無い白シャツを着こなした背の高いお兄さん。俺より少し年上だろう。
 とりあえず頼んだし、グラスに口をつけて、ひと口飲んだ。
 お兄さんは、少し口角をあげて、微かに微笑んだような気がした。俺が飲むのを見たかったんだろうか。
 ふいに思った。
 この水はメニューにある水なんだろうか、それとも、サービスのそれなんだろうか。もうひと口、飲んでみる。
 爽やかなレモンの香り。ただの水だとは思えない、これはきっとメニューにある水に違いない。高いやつだ。

 突然、明日からどう暮らせばいいのか分からないことを思い出して。水なんて蛇口捻れば出てくるのに、おしゃれなカフェで高い水買ってる場合じゃないだろうって思ったら、なんか、落ち込む。
 チッチッチッ、と点火音がして。
 店員さんがそばにしゃがんでいるのに気がついた。
「少ししたら暖かくなります」
「あ、はい」
 すぐ近くで見上げてそう言われて。面食らって頷いた。俺が寒いって気が付いていたのか。
 今度はしっかりと口角をあげて目を細めて、にっこりと笑うと、お兄さんは離れていった。
 薄い白シャツに長い腰巻きの黒いエプロンを身につけた後ろ姿を見送る。俺はめっちゃ寒いのに、彼はえらく薄着だ。
 

 懐かしいような、灯油の匂いがして。
 すぐに、ストーブは熱くなる。
 手をかざして、冷えた指先を温める。

 はあ、あったかい。

 少ししたら、アウターを脱げるくらい暖かくなってきた。
 ふと気になって、テーブルの隅に立ててあったメニューを手に取る。このおいしい水は一体いくらするんだ。

 メニューの表紙には、Cafe Moon rise って書かれていた。ムーンライズっていうのか。
 OPEN 22:00 CLOSE 5:00
 夜カフェってやつか。へーって、ページをめくろうとして。

 思わずスマホを出して時間を確かめた。
 21時30分。
 えっ。

 灯りついてたし、ドアも開いたし、座っていいって言われたし。

 なのに、まだオープンまで30分もあっただなんて。勝手に入ってきて寒いって不満に思ったりして。なんて奴だ。
 いっそのこと気がつかなきゃよかったのに、知ってしまったからには、気まずくて、そわそわして。この水を一気飲みして今すぐ出て行った方がいいんじゃないかって。
 だけどこれがもしメニューに載ってない水だったら余計に失礼だよな。

 だめだ、頭回らない。どうするのが正解なのか分からない。だって酔っ払ってるし。それどころか、酔っ払ってなくたって普段からあまり外食もしないし、こんなお洒落なカフェに来ることなんてないから、余計に分からない、常識が分からない自分に、また悲しくなって来る。
 いっそのこと、すぐそばに店員さんが来てくれたら勢いに任せてすみませんって、言えるのに。カウンターの奥に引っ込んだままだし。今頃、あいつなに入ってきてんだよとか、思われてんのかな。どうしよう、気まずい。

 たまらなく気まずい状況なのに、ストーブは暖かくて、ふかふかのソファに沈み込んだ体はそのまま溶けてなくなりそうで。心地良過ぎて立ち上がりたくないし、まだ帰りたくない。まだひとりぼっちになりたくない。

 なんか、もう、いっかー、って。思えてくる。や、だめだよ、だめなんだよ。

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