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七
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付箋に書いたいくつかの連絡先のなかで、頼くんはSNSからメッセージを送信してくれた。
『俺が優月にコンタクトを取っていることはまだ誰にも言わないで欲しい。あとでちゃんと話すけど、本当は接触しない約束なんだ。バレたら消されるかも知れない』
物騒なことを書き綴っており、私はクスッと吹き出した。龍平は医療従事者ではないが、一応病院勤務だ。いくらなんでも病院の関係者が命を奪うことはしないだろう。
けれど、出産していただなんて重要なことを、記憶がないにしろ本人に告げられていなかったのは確かだ。
すぐに言ってくれれば全て思い出したかも知れないのに、何故伏せなければならなかったのだろうか。そんなに私と頼くんの関係を認めたくなかったのだろうか……
胸がズキッと痛む。
許されたことではないけど、好きな人の子どもを授かった私が嬉しくないはずないのに、親でさえ教えてくれないなんて。口止めされている可能性もあるし、両親だって、頼くんに託した孫の安否をきっと案じているだろうに。
物思いに耽っていると、いつの間にか日が暮れかかっていた。
室内に干してあるバスタオルに触れてみると、まだ乾ききっておらずやはり少し濡れていた。秋は暖房の風も弱く、かといって扇風機を回すと寒く、洗濯物の乾きは遅い。
「だよねー……」
これから起こるであろう出来事に、私は深いため息をついた。
玄関の鍵をガチャガチャ回す音がして、ぼーっとしていて閉め忘れていたリビングと寝室のカーテンを大急ぎで閉じる。
念のためテーブルを拭いて、トイレも黒ずみがないか、ペーパーは切れていないか見渡して、パートから帰宅して脱ぎっぱなしだった靴下をカゴに洗濯カゴに入れる。
龍平が帰ってくる前の私は一日で最も忙しく動き回っている。
「この部屋、臭くねぇ? ほら、洗濯物全然乾いてねぇじゃん」
でもやっぱりこうなってしまうらしい。
毎度恒例の流れに、私は得意の愛想笑いをした。「ごめんね」と形だけの謝罪をして、気にしていないふりをして、乾いていない洗濯物を別の部屋に集め扇風機の強さを最大にした。
この家の主は龍平だ。
どんなに忙しくったって疲れていたって彼に従わなければ居場所がない。私の役目は彼に居心地のいい居場所を提供し、栄養バランスのよい食事を提供すること。
彼の言うことは受け流し、黙って言うことを聞いていればいいのだ。
私と頼くんが恋人同士だった過去があっても、大和くんという子どもがいても、それは変わらない。
私は大和くんの母親である前に、龍平の婚約者だから……。
龍平はスーツを脱ぎルームウェアに着替えると、どさっとソファに腰を下ろし、そのまま夕食を食べ始めた。
スマホをテーブルに置き、それを見ながら黙々と箸を進めている。彼好みの辛めに味付けをして、それなりに頑張って作った肉じゃがとサラダだ。
|(せめて一言、美味しいって言ってくれればいいのに……)
龍平はいただきますもごちそうさまも、特に言うことはない。もう慣れたつもりだったそんなことが、今日はやけに気になってしまう。
私は日中会った、頼くんの子どもの顔を思い出した。くるくるした髪の毛の、可愛らしい赤ちゃんだった。
|(本当だったら、今食卓を囲んでいるのは龍平じゃなくて頼くんとあの子だったのかな)
言われて見れば、唇の形や眉の角度がどことなく小さい頃の自分にも似ているような気がして、なんだか急に恥ずかしくなった。
そして同時に、頼くんが羨ましくなった。
仕事は忙しいけど、あんな可愛い息子が自分を必要としていて自分の帰りを待っていてくれるのならば、私なら俄然やる気になってしまいそう。
素っ気ない龍平の態度よりも、小さくてあどけないあの子の笑顔の方が、何倍も価値のあるものに思えた。
龍平がソファから立ち上がり浴室へ行くのを確認して、頼くんからのダイレクトメッセージに返事を返した。手早く指を動かして文字を打つ。
『私たちって、付き合ってたときどんな感じだったの?』
息苦しい空気を変えようと、忘れた記憶の中に癒しを求める。思い出の中に少しだけ現実逃避したって罪はないだろう。
『ちゃんと付き合おうって言った訳じゃないけど……』
『はい?』
告白してもいないのにやることやっているのはどういう風の吹きまわしだろうか。らしくもない二人の姿にクエスチョンマークが浮かぶ。
私は龍平がいる以上簡単に一線を超えるとは考えられないし、頼くんも付き合ってもいないのに身体の関係を持ちたがるとは思えなかった。
『俺は幸せだったし、優月も同じ気持ちだったと思うよ。ほんのわずかな間だったけど、これが桃源郷なんだなって本気で思ったくらいね』
『桃源郷?』
理想の塊のような表現にさらに疑問を投げかけると、雑草が鬱蒼と生い茂った雑木林の写真がポン、と送られてきた。じめじめしてほの暗く、とても桃源郷のイメージとは程遠い。
『知ってる? こんな場所でも住めば都なんだよ』
『ここが?』
続けて、古い木造の日本家屋の写真も追加される。リフォームすればいけるだろうけど、ここにそのまま住むのは避けたい建物だ。
床はきしみ、すきま風が漏れ、今現在高層マンションに住んでいる私には耐えられそうにない。
だがこの流れ、もしかして牧野親子が住んでいる可能性もあり、露骨に嫌な顔をするのは避けたいところだ。
私はドラム缶の五右衛門風呂に肩を寄せ合って入浴する二人を想像しーー首を振った。
|(そういうことじゃないな)
きちんとした会社に勤めているんだから、もうちょっといいところに住めばいいのに……との思いは飲み込んで、頼くんの出方を伺う。
すると彼は、しばしの休憩を挟んでまた返事を返してくれた。
それを龍平の入浴後、自分も浴室から出た後に拝見した私は、驚きのあまりスマートフォンを落っことしそうになってしまった。
『ここが、俺たちが住んでた家。俺たち駆け落ちしてたんだ。なーんにもなかったけど本当に幸せだったよ』
森の中の古ぼけた一軒家は、どうやら愛の巣だったらしい。
『俺が優月にコンタクトを取っていることはまだ誰にも言わないで欲しい。あとでちゃんと話すけど、本当は接触しない約束なんだ。バレたら消されるかも知れない』
物騒なことを書き綴っており、私はクスッと吹き出した。龍平は医療従事者ではないが、一応病院勤務だ。いくらなんでも病院の関係者が命を奪うことはしないだろう。
けれど、出産していただなんて重要なことを、記憶がないにしろ本人に告げられていなかったのは確かだ。
すぐに言ってくれれば全て思い出したかも知れないのに、何故伏せなければならなかったのだろうか。そんなに私と頼くんの関係を認めたくなかったのだろうか……
胸がズキッと痛む。
許されたことではないけど、好きな人の子どもを授かった私が嬉しくないはずないのに、親でさえ教えてくれないなんて。口止めされている可能性もあるし、両親だって、頼くんに託した孫の安否をきっと案じているだろうに。
物思いに耽っていると、いつの間にか日が暮れかかっていた。
室内に干してあるバスタオルに触れてみると、まだ乾ききっておらずやはり少し濡れていた。秋は暖房の風も弱く、かといって扇風機を回すと寒く、洗濯物の乾きは遅い。
「だよねー……」
これから起こるであろう出来事に、私は深いため息をついた。
玄関の鍵をガチャガチャ回す音がして、ぼーっとしていて閉め忘れていたリビングと寝室のカーテンを大急ぎで閉じる。
念のためテーブルを拭いて、トイレも黒ずみがないか、ペーパーは切れていないか見渡して、パートから帰宅して脱ぎっぱなしだった靴下をカゴに洗濯カゴに入れる。
龍平が帰ってくる前の私は一日で最も忙しく動き回っている。
「この部屋、臭くねぇ? ほら、洗濯物全然乾いてねぇじゃん」
でもやっぱりこうなってしまうらしい。
毎度恒例の流れに、私は得意の愛想笑いをした。「ごめんね」と形だけの謝罪をして、気にしていないふりをして、乾いていない洗濯物を別の部屋に集め扇風機の強さを最大にした。
この家の主は龍平だ。
どんなに忙しくったって疲れていたって彼に従わなければ居場所がない。私の役目は彼に居心地のいい居場所を提供し、栄養バランスのよい食事を提供すること。
彼の言うことは受け流し、黙って言うことを聞いていればいいのだ。
私と頼くんが恋人同士だった過去があっても、大和くんという子どもがいても、それは変わらない。
私は大和くんの母親である前に、龍平の婚約者だから……。
龍平はスーツを脱ぎルームウェアに着替えると、どさっとソファに腰を下ろし、そのまま夕食を食べ始めた。
スマホをテーブルに置き、それを見ながら黙々と箸を進めている。彼好みの辛めに味付けをして、それなりに頑張って作った肉じゃがとサラダだ。
|(せめて一言、美味しいって言ってくれればいいのに……)
龍平はいただきますもごちそうさまも、特に言うことはない。もう慣れたつもりだったそんなことが、今日はやけに気になってしまう。
私は日中会った、頼くんの子どもの顔を思い出した。くるくるした髪の毛の、可愛らしい赤ちゃんだった。
|(本当だったら、今食卓を囲んでいるのは龍平じゃなくて頼くんとあの子だったのかな)
言われて見れば、唇の形や眉の角度がどことなく小さい頃の自分にも似ているような気がして、なんだか急に恥ずかしくなった。
そして同時に、頼くんが羨ましくなった。
仕事は忙しいけど、あんな可愛い息子が自分を必要としていて自分の帰りを待っていてくれるのならば、私なら俄然やる気になってしまいそう。
素っ気ない龍平の態度よりも、小さくてあどけないあの子の笑顔の方が、何倍も価値のあるものに思えた。
龍平がソファから立ち上がり浴室へ行くのを確認して、頼くんからのダイレクトメッセージに返事を返した。手早く指を動かして文字を打つ。
『私たちって、付き合ってたときどんな感じだったの?』
息苦しい空気を変えようと、忘れた記憶の中に癒しを求める。思い出の中に少しだけ現実逃避したって罪はないだろう。
『ちゃんと付き合おうって言った訳じゃないけど……』
『はい?』
告白してもいないのにやることやっているのはどういう風の吹きまわしだろうか。らしくもない二人の姿にクエスチョンマークが浮かぶ。
私は龍平がいる以上簡単に一線を超えるとは考えられないし、頼くんも付き合ってもいないのに身体の関係を持ちたがるとは思えなかった。
『俺は幸せだったし、優月も同じ気持ちだったと思うよ。ほんのわずかな間だったけど、これが桃源郷なんだなって本気で思ったくらいね』
『桃源郷?』
理想の塊のような表現にさらに疑問を投げかけると、雑草が鬱蒼と生い茂った雑木林の写真がポン、と送られてきた。じめじめしてほの暗く、とても桃源郷のイメージとは程遠い。
『知ってる? こんな場所でも住めば都なんだよ』
『ここが?』
続けて、古い木造の日本家屋の写真も追加される。リフォームすればいけるだろうけど、ここにそのまま住むのは避けたい建物だ。
床はきしみ、すきま風が漏れ、今現在高層マンションに住んでいる私には耐えられそうにない。
だがこの流れ、もしかして牧野親子が住んでいる可能性もあり、露骨に嫌な顔をするのは避けたいところだ。
私はドラム缶の五右衛門風呂に肩を寄せ合って入浴する二人を想像しーー首を振った。
|(そういうことじゃないな)
きちんとした会社に勤めているんだから、もうちょっといいところに住めばいいのに……との思いは飲み込んで、頼くんの出方を伺う。
すると彼は、しばしの休憩を挟んでまた返事を返してくれた。
それを龍平の入浴後、自分も浴室から出た後に拝見した私は、驚きのあまりスマートフォンを落っことしそうになってしまった。
『ここが、俺たちが住んでた家。俺たち駆け落ちしてたんだ。なーんにもなかったけど本当に幸せだったよ』
森の中の古ぼけた一軒家は、どうやら愛の巣だったらしい。
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