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番外編:ジェラルド視点
3.月下の白百合から王宮の赤い薔薇へ
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「すみません。それでは」
美しく編み上げられたパイ生地の間から、チェリーの赤色が覗く。フォークを刺し入れるとさくりと音がした
「あ、本当だ。美味しいです」
甘酸っぱいチェリーの味もそれを支える土台のパイもどちらも美味しい。ジェラルドは特段甘いものが好きというわけではないが、これはいい。
「でしょう」
隣のロジータがなぜだか得意げな顔をする。こんな風に大輪の花のように輝くロジータを目にできる時間が、ジェラルドは一番好きだった。
作った張本人はにこにこと「そう言って頂けると嬉しいです」と笑っていた。
「基本のパイを覚えてしまえば、フィリングを入れ替えるだけで色んな味が楽しめますよ。アップルパイとかも」
「アップルパイ……!」
それを聞いてロジータの顔が一段と輝いた。それがロジータの大好物であるとジェラルドはよく知っている。
「お義姉様、それは本当に作れるの?」
「はい。ロジータ様もよかったら一緒に作ってみますか?」
両手を胸の前で握りしめたロジータがぶんぶんと頷く。自分が心配することではないと分かっているけれど、これなら義姉妹の仲は安泰と言っていいだろう。
「やめておけ。ロジータが使う分の材料に失礼だ。お前は食べるだけにしておきなさい」
涼やかな声は残りのパイを口に運びながらそんなことを言う。途端に目つきが険しくなったロジータは不機嫌を隠そうともしない。
「これだからお兄様は。お義姉様も、こんな人のどこがよかったの?」
こんなことをシルヴィオがいる場で口にできるのは、世界でロジータだけである。いや、ジェラルドとて気にならないと言えば嘘になるけれど。
「えっと、そうですね……」
リリアーナは顎に手を当てて思い悩んでいる。
「何か決め手があったのでしょう?」
「決め手なんてものはなくて」
彼女がそう言った瞬間、シルヴィオが持っていたフォークが皿の上に落ちた。
ことん、と金属の軽い音がする。それでも顔色が一切変わらないところはさすがというべきか。こんな彼をジェラルドははじめて見た。
「わたしなんかがおこがましいって思ったんですけど」
口元で組んだ指を見つめながら、リリアーナは言う。丁寧に、言葉を選んでいるようだった。
「それでも、ずっと一緒に居たいなって」
ああ、何も変わらないと思った。
自分も、彼女も。
ジェラルドはまだそれを許されてはいないけれど、いずれそうありたいと心の底から願っている。きっと、リリアーナも同じだったのだろう。
リリアーナの隣に座るシルヴィオはそれを聞いて何もなかったかのように、フォークを持ち直した。怜悧な相貌は変わらないのに、それでもどこか嬉しそうに見える。
「それだけなの?」
ロジータだけがこの中で、一人怪訝そうな顔をしている。あんなに輝いていた青の瞳が、俯き加減にゆらゆらと揺れた。
「大丈夫です。ロジータ様にもちゃんとわかりますよ」
リリアーナはふわりと微笑みかけた。テーブルに置かれたロジータの手にそっと触れる。
それは予言にも似た、確信に満ちた言葉だった。
「多分、そんなに遠くの話ではないはずです」
「そうなのかしら」
ロジータだけが、この席に着いた者の中で恋を知らない。
「はい。きっと、すぐにわかります」
そう返した鳶色の瞳が、ジェラルドを見た。「頑張ってくださいね。応援してます」
もしかして、気づかれている?
自分が八年間ひた隠しにしてきた、この感情が。
そのために、自分はこの席に呼ばれたのだろうか。
これは、ジェラルドには決してできない振る舞いで、おそらくシルヴィオとて無理だろう。全てをお膳立てして、リリアーナは控えめに笑っている。
小柄で可愛らしい人だと思う。どこにでもいるような、いわゆる普通の貴族の令嬢だと思っていたけれど。
これはなかなか、しなやかに強い。シルヴィオが彼女を選んだ理由が、ジェラルドには分かる気がした。
ならば己がすべき返答はただ一つだろう。
「勿論です」
誰にも渡さないと決めている。誰より眩しくて美しい人。
その隣に在るために、ジェラルドは何一つとして己を惜しみはしない。
一部始終を見ているはずのシルヴィオが口を挟むことはない。彼は素知らぬ顔で優雅に紅茶を飲んでいた。青い目はちらりとこちらを見るだけだ。
この目に適う者になる。
「俺に、迷いはありません」
ジェラルドは大きく頷いた。
ロジータは三人の顔を見回して小首を傾げてみせる。
「どうしてここでジェラルドが出てくるのかしら。変なの」
彼女がこの意味を知るのは、もう少しだけ先の話。
美しく編み上げられたパイ生地の間から、チェリーの赤色が覗く。フォークを刺し入れるとさくりと音がした
「あ、本当だ。美味しいです」
甘酸っぱいチェリーの味もそれを支える土台のパイもどちらも美味しい。ジェラルドは特段甘いものが好きというわけではないが、これはいい。
「でしょう」
隣のロジータがなぜだか得意げな顔をする。こんな風に大輪の花のように輝くロジータを目にできる時間が、ジェラルドは一番好きだった。
作った張本人はにこにこと「そう言って頂けると嬉しいです」と笑っていた。
「基本のパイを覚えてしまえば、フィリングを入れ替えるだけで色んな味が楽しめますよ。アップルパイとかも」
「アップルパイ……!」
それを聞いてロジータの顔が一段と輝いた。それがロジータの大好物であるとジェラルドはよく知っている。
「お義姉様、それは本当に作れるの?」
「はい。ロジータ様もよかったら一緒に作ってみますか?」
両手を胸の前で握りしめたロジータがぶんぶんと頷く。自分が心配することではないと分かっているけれど、これなら義姉妹の仲は安泰と言っていいだろう。
「やめておけ。ロジータが使う分の材料に失礼だ。お前は食べるだけにしておきなさい」
涼やかな声は残りのパイを口に運びながらそんなことを言う。途端に目つきが険しくなったロジータは不機嫌を隠そうともしない。
「これだからお兄様は。お義姉様も、こんな人のどこがよかったの?」
こんなことをシルヴィオがいる場で口にできるのは、世界でロジータだけである。いや、ジェラルドとて気にならないと言えば嘘になるけれど。
「えっと、そうですね……」
リリアーナは顎に手を当てて思い悩んでいる。
「何か決め手があったのでしょう?」
「決め手なんてものはなくて」
彼女がそう言った瞬間、シルヴィオが持っていたフォークが皿の上に落ちた。
ことん、と金属の軽い音がする。それでも顔色が一切変わらないところはさすがというべきか。こんな彼をジェラルドははじめて見た。
「わたしなんかがおこがましいって思ったんですけど」
口元で組んだ指を見つめながら、リリアーナは言う。丁寧に、言葉を選んでいるようだった。
「それでも、ずっと一緒に居たいなって」
ああ、何も変わらないと思った。
自分も、彼女も。
ジェラルドはまだそれを許されてはいないけれど、いずれそうありたいと心の底から願っている。きっと、リリアーナも同じだったのだろう。
リリアーナの隣に座るシルヴィオはそれを聞いて何もなかったかのように、フォークを持ち直した。怜悧な相貌は変わらないのに、それでもどこか嬉しそうに見える。
「それだけなの?」
ロジータだけがこの中で、一人怪訝そうな顔をしている。あんなに輝いていた青の瞳が、俯き加減にゆらゆらと揺れた。
「大丈夫です。ロジータ様にもちゃんとわかりますよ」
リリアーナはふわりと微笑みかけた。テーブルに置かれたロジータの手にそっと触れる。
それは予言にも似た、確信に満ちた言葉だった。
「多分、そんなに遠くの話ではないはずです」
「そうなのかしら」
ロジータだけが、この席に着いた者の中で恋を知らない。
「はい。きっと、すぐにわかります」
そう返した鳶色の瞳が、ジェラルドを見た。「頑張ってくださいね。応援してます」
もしかして、気づかれている?
自分が八年間ひた隠しにしてきた、この感情が。
そのために、自分はこの席に呼ばれたのだろうか。
これは、ジェラルドには決してできない振る舞いで、おそらくシルヴィオとて無理だろう。全てをお膳立てして、リリアーナは控えめに笑っている。
小柄で可愛らしい人だと思う。どこにでもいるような、いわゆる普通の貴族の令嬢だと思っていたけれど。
これはなかなか、しなやかに強い。シルヴィオが彼女を選んだ理由が、ジェラルドには分かる気がした。
ならば己がすべき返答はただ一つだろう。
「勿論です」
誰にも渡さないと決めている。誰より眩しくて美しい人。
その隣に在るために、ジェラルドは何一つとして己を惜しみはしない。
一部始終を見ているはずのシルヴィオが口を挟むことはない。彼は素知らぬ顔で優雅に紅茶を飲んでいた。青い目はちらりとこちらを見るだけだ。
この目に適う者になる。
「俺に、迷いはありません」
ジェラルドは大きく頷いた。
ロジータは三人の顔を見回して小首を傾げてみせる。
「どうしてここでジェラルドが出てくるのかしら。変なの」
彼女がこの意味を知るのは、もう少しだけ先の話。
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