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10.運命の乙女

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 想像したような痛みはなかなか訪れなかった。
 代わりに、ぴしゃりと何かが顔にかかった。鉄錆のような匂いを感じて、わたしは恐る恐る目を開けた。

 飛び込んできたのは、鮮烈な青。
 射殺すような強い瞳が、わたしを睨みつけていた。

「あず、らく、様?」
 顔を拭ってみる。血だ。けれど、これはわたしのではない。

 わたしの首筋を切り裂くはずだった剣は、アズラク様の右の手のひらを深く刺さっていた。傷から赤い血がだらだらと流れて、互いの白い夜着に染み込んでいく。

「……まったくお前というやつは」
 呆れたように呟く声を聞いて、やっと我に返る。

「大丈夫ですか! 痛くないですかっ!?」
「ばかか。痛くない訳がないだろう。むちゃくちゃ痛い」
「そ、そうですよね……」

 急いで寝台の敷布を引き千切る。包帯のようにして大きな手に巻き付けてきゅっと結ぶ。粗雑さは否めないけれど、何もしないよりはずっといいだろう。

「アズラク様……その」
 わたしの目の前に居るのは、いつものアズラク様だった。

「でもそのおかげで、何とかなっている」

 いつまで保つかは分からないけどな、とアズラク様は吐き捨てる。瞳の色が戻っているということは、そういうことなのだろう。アズラク様は左手を伸ばしてわたしを抱き寄せてきた。

「人の話はちゃんと聞け。言っただろう、お前を殺さなくて済む方法を考えるから、と」

「……わたしは、『運命の乙女』じゃ、なかった」
「はあ、やっぱりそうなるのか」

 アズラク様はやれやれとばかりに首を振った。呆れたようにわたしの肩に頭を乗せる。そのまま、静かな声で言った。

「なあ、ネージュ。そもそも『運命の乙女』とはなんだと思う」

「アズラク様や皆さんの呪いを解くことのできる、選ばれた存在……?」
「まあそういうことになっているな。でも、そんな都合のいい存在が本当にいると思うか?」
 それがそもそも甘えだったのだと彼は言った。
 
「でもっ」

 彼女がいなかったらアズラク様達は、ずっとこのままだ。

「大体な、俺はもううんざりなんだ。誰かに呪いだなんだと言われるのも、運命を決められるのも。傍に置く女まで訳の分からないものに定められてたまるか」

 背中に回された腕の力がぐっと強くなる。

「だから、俺はお前を“運命”にする」
 アズラク様が顔を上げる。

「神様でも悪魔でもなくて、俺が決めるんだ。お前がいいって」

「それじゃあ、ずっとアズラク様は苦しいです」
「だったらなんだ。お前がいなくなって俺が楽になれると、心底思っているのか?」
「それは……」

 アズラク様は、こつん、額を合わせてきた。吸い込まれそうな青い瞳は、真っ直ぐにわたしだけを見つめている。

「そんな顔で忘れてくれなんて、言うな」

 血が滲んだ包帯の巻かれた手が、顔に触れる。そっと指が頬を撫でていって、そこではじめてわたしも泣いていたのだと気が付いた。

 その目から逃れるように俯いたら、はらはらと涙が流れた。それは床に散ったアズラク様の血と混じりあって、境界線が分からなくなって、一つになる。

「物事を勝手に決めるな。お前一人だけ楽になるなんて、俺は認めない」

 その手は、わたしの手を取った。そのままアズラク様はわたしの手首に口づける。熱い唇は何度も手首に落ちる。唇や首にキスされることは多かったけれど、こんなところは初めてだった。

「一緒に苦しめ」

 長い指に指を絡めとられて。決して離さないと、強く手を握られた。
 苦しめと言われているはずなのに、それはまるで永遠を誓う愛の告白のようで。
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