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第二部
16.その正体
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「さて、じゃあ本当に帰るよ」
膝裏に腕が回されて抱き上げられた。ハーディは一瞬眉を顰める。
「あのさ、君。元から軽かったけど、ちょっと軽すぎじゃないか」
「仕方がないじゃない。どこかの魔術師の夢ばかり見るから、ちゃんとご飯も食べられなかったのよ」
近づいた顔を見つめながら言うと、ハーディは申し訳なさそうな顔をした。
「……おれのせいか」
「今度思いっきりお菓子を食べるのに付き合ってもらうんだから」
「それは、まあ、喜んで」
偉大な魔術師さまが心の底から凹んでいる様なんて、なかなか見られるものではない。今はこの顔が見られただけでも、よしとするわ。
「しっかり掴まって。首に手回して」
言われた通りに、ハーディの首に手を回した。距離が近くてなんだかそわそわして、心臓の鼓動が速くなる。
「飛べ」
ハーディが呪文を唱えると、青い魔法の光が広がっていく。来た時と似たような、浮遊感がわたしを包む。目を閉じたら、やさしい声がした。
「大丈夫。ちゃんと連れて帰るから」
背中に回されたハーディの腕が、ぎゅっとわたしを抱き寄せる。体が密着して、さらに心臓が速く脈打つ。
下に落ちていくような感覚が続いて、その間わたしはずっと目を瞑っていた。
とん、と地に足がつく音がした。
「着いたよ」
目を開けると、見慣れた自分の部屋だった。
思えば、明るい中でハーディに会うのは初めてだった。太陽の光に照らされた銀髪は眩しいぐらいにきれいだった。
すぐに下ろされるかと思ったのに、ハーディはわたしを抱きかかえたままだった。
顔を覗き込んだら、青い瞳がとろんとして、わたしを見ている。
「ハーディ?」
返事はなくて、無言で貪るようにキスをされた。角度を変えて何度も何度も。隙をついて、舌が入り込んでくる。ひっこめたわたしの舌を熱いそれが絡めとる。上顎を舐められて、歯列をなぞられる。
呼吸さえ奪われてしまうような、深い口づけ。触れられてもいないのにお腹の奥がきゅんとなった。
「………はぁっ」
唇が離れた拍子に唾液が透明な糸を引いた。自分のしていることが途端に恥ずかしくなって、顔に血が集まってくる。
ハーディは寝台に向かって歩く。
寝台に背が触れたかと思うと、そのままハーディが覆いかぶさってきた。体重で寝台がぎしりと軋む。
ずっと、隠してきた瞳の炎を、ハーディはもう隠していなかった。
鼻先が触れそうな距離で、わたしをじっと見つめる。大きな手が、ナイトウェアに伸びてくる。
「あ、あの、ハーディっ!」
嫌ではない。けれど、ハーディにしては性急だなと思った。いつもの彼なら、わたしの顔が真っ赤になるようなことを延々と囁きながらこういうことをする。それがない。
陽の光の下に肌を晒すのかと思うととても恥ずかしい。
けれど、期待してしまう。これから起きることを、彼とわたしですることを。
がくんと、急にハーディの頭が落ちた。
「え、え、な、なに?」
力の抜けたハーディの体が、わたしの上に重くのしかかる。ハーディの体で寝台に縫い付けられたようになって、身動きが取れない。
「すー……」
静かに寝息を立てて、ハーディは寝ていた。
「うそでしょ……」
人の胸のときめきを返せ。ものすごくどきどきしたというのに。
ハーディの寝顔をみるのもはじめてだった。「眠るまで傍にいて」と何度かせがんだから、ハーディはわたしの寝顔を何度か見たのだろうけど。起きている時の飄々とした雰囲気が抜け落ちた寝顔は、随分と幼く見える。本当に三百歳を超えているのかしら。
恐る恐るやわらかな銀髪を撫でる。ハーディは起きる気配もなく、すやすやと寝ている。
「姫様、おはようございます」
丁寧な三回のノックの後、コルネリアの声が響いた。
ナイトウェアで赤い顔をしたわたし。
乱れたシーツ。
覆いかぶさる謎の男。
これは、よくない。とてもよろしくないわ。
何もないのに、確実に何かあった様相を呈している。唯一現状を打ち崩すことができそうな偉大な魔術師本人は、わたしの胸元に頭を埋めて穏やかに寝入っている。
「あ、え、おはようございますっ」
変に上擦った声しか出なかった。
扉を開いていくのが、とてもゆっくりに見えた。永遠に開けないでと思ったのに。逃れようのない現実を前に、なんて言い訳をしよう。できるだけハーディを悪者扱いしない方法を考えたけれど、何も思い浮かばなかった。
扉を開けたコルネリアの眉が一瞬動いた。とても小さな声で「あら」と言うのが聞こえた。
途端に、体にかかる重さが消えた。今まで動けなかった反動で勢いよく起き上がってしまった。
「姫様のお気に入りの小鳥、また来てくれたんですね」
「えっ……」
寝台を見回すと、枕元で銀色の翼の小さな小鳥が眠っていた。ぴぃーと微かに鳴いている。
「姫様、ずっと待っておられましたもんね」
わたしのお気に入りの小鳥。ほかとは違う頭の、とさかのようなふわっとした毛。
どういうことなのかは、あとで目覚めた本人に聞くことにするわ。
「久しぶりだから、今日は沢山パンをあげないといけないですね」
表情一つ変えずにコルネリアは言った。誰にもバレていないと思っていたのに。
世の中はわたしが知られていないと思っているだけで、本当はみんな知っていることばかりなのかもしれない。
「朝食はいかがなされますか?」
「頂くわ」
どきどきして、緊張して、そして安心したらとてもお腹が空いた。珍しく今日はちゃんと食べられそうだ。
わたしの返事を聞いたコルネリアの瞳が、一瞬嬉しそうな色を見せて、すぐいつもの顔に戻った。今日も変わらず、コルネリアは仕事のできる侍女だ。
膝裏に腕が回されて抱き上げられた。ハーディは一瞬眉を顰める。
「あのさ、君。元から軽かったけど、ちょっと軽すぎじゃないか」
「仕方がないじゃない。どこかの魔術師の夢ばかり見るから、ちゃんとご飯も食べられなかったのよ」
近づいた顔を見つめながら言うと、ハーディは申し訳なさそうな顔をした。
「……おれのせいか」
「今度思いっきりお菓子を食べるのに付き合ってもらうんだから」
「それは、まあ、喜んで」
偉大な魔術師さまが心の底から凹んでいる様なんて、なかなか見られるものではない。今はこの顔が見られただけでも、よしとするわ。
「しっかり掴まって。首に手回して」
言われた通りに、ハーディの首に手を回した。距離が近くてなんだかそわそわして、心臓の鼓動が速くなる。
「飛べ」
ハーディが呪文を唱えると、青い魔法の光が広がっていく。来た時と似たような、浮遊感がわたしを包む。目を閉じたら、やさしい声がした。
「大丈夫。ちゃんと連れて帰るから」
背中に回されたハーディの腕が、ぎゅっとわたしを抱き寄せる。体が密着して、さらに心臓が速く脈打つ。
下に落ちていくような感覚が続いて、その間わたしはずっと目を瞑っていた。
とん、と地に足がつく音がした。
「着いたよ」
目を開けると、見慣れた自分の部屋だった。
思えば、明るい中でハーディに会うのは初めてだった。太陽の光に照らされた銀髪は眩しいぐらいにきれいだった。
すぐに下ろされるかと思ったのに、ハーディはわたしを抱きかかえたままだった。
顔を覗き込んだら、青い瞳がとろんとして、わたしを見ている。
「ハーディ?」
返事はなくて、無言で貪るようにキスをされた。角度を変えて何度も何度も。隙をついて、舌が入り込んでくる。ひっこめたわたしの舌を熱いそれが絡めとる。上顎を舐められて、歯列をなぞられる。
呼吸さえ奪われてしまうような、深い口づけ。触れられてもいないのにお腹の奥がきゅんとなった。
「………はぁっ」
唇が離れた拍子に唾液が透明な糸を引いた。自分のしていることが途端に恥ずかしくなって、顔に血が集まってくる。
ハーディは寝台に向かって歩く。
寝台に背が触れたかと思うと、そのままハーディが覆いかぶさってきた。体重で寝台がぎしりと軋む。
ずっと、隠してきた瞳の炎を、ハーディはもう隠していなかった。
鼻先が触れそうな距離で、わたしをじっと見つめる。大きな手が、ナイトウェアに伸びてくる。
「あ、あの、ハーディっ!」
嫌ではない。けれど、ハーディにしては性急だなと思った。いつもの彼なら、わたしの顔が真っ赤になるようなことを延々と囁きながらこういうことをする。それがない。
陽の光の下に肌を晒すのかと思うととても恥ずかしい。
けれど、期待してしまう。これから起きることを、彼とわたしですることを。
がくんと、急にハーディの頭が落ちた。
「え、え、な、なに?」
力の抜けたハーディの体が、わたしの上に重くのしかかる。ハーディの体で寝台に縫い付けられたようになって、身動きが取れない。
「すー……」
静かに寝息を立てて、ハーディは寝ていた。
「うそでしょ……」
人の胸のときめきを返せ。ものすごくどきどきしたというのに。
ハーディの寝顔をみるのもはじめてだった。「眠るまで傍にいて」と何度かせがんだから、ハーディはわたしの寝顔を何度か見たのだろうけど。起きている時の飄々とした雰囲気が抜け落ちた寝顔は、随分と幼く見える。本当に三百歳を超えているのかしら。
恐る恐るやわらかな銀髪を撫でる。ハーディは起きる気配もなく、すやすやと寝ている。
「姫様、おはようございます」
丁寧な三回のノックの後、コルネリアの声が響いた。
ナイトウェアで赤い顔をしたわたし。
乱れたシーツ。
覆いかぶさる謎の男。
これは、よくない。とてもよろしくないわ。
何もないのに、確実に何かあった様相を呈している。唯一現状を打ち崩すことができそうな偉大な魔術師本人は、わたしの胸元に頭を埋めて穏やかに寝入っている。
「あ、え、おはようございますっ」
変に上擦った声しか出なかった。
扉を開いていくのが、とてもゆっくりに見えた。永遠に開けないでと思ったのに。逃れようのない現実を前に、なんて言い訳をしよう。できるだけハーディを悪者扱いしない方法を考えたけれど、何も思い浮かばなかった。
扉を開けたコルネリアの眉が一瞬動いた。とても小さな声で「あら」と言うのが聞こえた。
途端に、体にかかる重さが消えた。今まで動けなかった反動で勢いよく起き上がってしまった。
「姫様のお気に入りの小鳥、また来てくれたんですね」
「えっ……」
寝台を見回すと、枕元で銀色の翼の小さな小鳥が眠っていた。ぴぃーと微かに鳴いている。
「姫様、ずっと待っておられましたもんね」
わたしのお気に入りの小鳥。ほかとは違う頭の、とさかのようなふわっとした毛。
どういうことなのかは、あとで目覚めた本人に聞くことにするわ。
「久しぶりだから、今日は沢山パンをあげないといけないですね」
表情一つ変えずにコルネリアは言った。誰にもバレていないと思っていたのに。
世の中はわたしが知られていないと思っているだけで、本当はみんな知っていることばかりなのかもしれない。
「朝食はいかがなされますか?」
「頂くわ」
どきどきして、緊張して、そして安心したらとてもお腹が空いた。珍しく今日はちゃんと食べられそうだ。
わたしの返事を聞いたコルネリアの瞳が、一瞬嬉しそうな色を見せて、すぐいつもの顔に戻った。今日も変わらず、コルネリアは仕事のできる侍女だ。
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