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第4話 何も変わらない
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外道連中生かしておけぬ
花に嵐の例えあり
義理と人情命花
狂い咲いての花吹雪
新宿の勢力地図に異変!愚連隊とヒロポンが街に蔓延する中で哲は、龍之介は、男としての死に花を咲かせて派手に散っていくのだった
新宿駅周辺は戦前から黒澤寿太郎親分他、数人の有力な親分衆の支配下にあった。戦後に至ってもそれぞれの組がそれぞれの縄張りに闇市を出し、それぞれに繁栄していた。
ところが、この頃になると戦前以来の勢力地図に異変が起き始めた。鼎会を名乗る愚連隊が急速に台頭し始めたのだ。
多くの愚連隊がそうであるように、鼎会も最初は単なる不良や戦災孤児の集まりに過ぎなかったのだが、この頃になると人数が増え、勝手に商売や賭場の開帳、その他犯罪行為を行って親分衆の縄張りを荒らすようになっていた。
特にオセローでの哲との喧嘩があって以降黒澤組との対立は激化し、小競り合いの無い日はないという有様であった。
とりわけ黒澤組を悩ませたのは、鼎会が一帯に流すヒロポンであった。黒澤組は麻薬の類を固く禁じていたが、この頃はマーケットにも中毒者がどんどん増えていた。
中でも哲の配下のバンドマンへの蔓延は酷く、使っていない者を探す方が困難なほどだった。
その日もオセローの便所でヒロポンを打っている現場を次郎に抑えられたバンドマンが、事務所で哲に油を絞られていた。
そうして哲が叱りつけ、何発か殴ってやれば一応バンドマン達はヒロポンを止めるのだが、数日もすればまた打ち始めるのが常だった。哲はつくづく嫌になっていた。
そうこうしていると、階下で飲んでいた寿太郎親分から哲へお呼びがかかった。襲撃の危険があるというのに、士気が下がるのを嫌って寿太郎は出歩くのをやめようとしなかった。
哲がフロアに降りてみると、寿太郎は龍之介を供に連れ、龍之介と懇意の例のグッデンという大佐と一緒に一番奥のテーブルに陣取っていた。
「哲、来週に缶詰がトラック3台分入ることになったんだが、それにあたって、基地のクラブにリリーを出演させてくれや」
寿太郎は向かいの席に座った哲のグラスに自らビールを注いだ。
「哲、頼む。どこか空けてくれよ」
龍之介も哲に頼んだ。どうやらそういう条件で物資が来ることになっているようだ。
「すぐとなると困りますが、月明けにならなんとか…」
哲は懐から手帳を取り出すと、リリーのスケジュールを確認した。
「あの、寿太郎親分っていうのはどなたでしょうか?」
4人が適当な日はないかとあれこれ相談していると、テーブルに花束を携えた花売りの少年がやって来た。どうやら戦災孤児らしく、身なりは汚れていた。
「実は、親分のお耳に入れたいことがあって来ました」
「ほう、何だい?」
奥の席に座った寿太郎が席を立つと、手前に座っていた龍之介がフロアに出て道を空けた。
「実は…」
花束を持ったまま寿太郎の方へと少年が身を乗り出した瞬間、その花束が火を吹いた。花束の中には拳銃が仕込まれていた。
「このガキ!」
龍之介が花束を取り上げて少年を殴り倒すまでの数秒で、3発の銃弾が寿太郎の身体に飛び込んだ。まさかこんなところで子供が銃を隠し持って襲ってくるとは誰も思っていなかった。
すぐに寿太郎は病院へ担ぎ込まれたが、弾の当たりどころが悪く、夜明けを待たずに息を引き取った。新宿にその人ありと謳われた大親分、黒澤寿太郎の最期はあまりにあっけなかった。
新宿の外れにある組の本部へ連行された少年を調べると、左の二の腕は注射跡で不気味に変色していた。まだ口を割らないが、鼎会がヒロポン漬けにした少年を鉄砲玉として送り込んだのは明白だった。
あまりに卑劣な手段で親分を殺された子分達の怒りは半端ではなく、たちまち本部は子分達と近隣の組が送り込んだ助っ人でごった返し、今すぐにでも鼎会との全面戦争を始めかねない騒ぎになった。
しかし、いまや組の霊代(注1)となった寿太郎の未亡人、艶子は子分達の勝手な行動を先手を打って制した。
黒澤組はわずか100人程、それに比べて鼎会は数千人の大人数で、しかも特定の拠点を持たないため、ボスの松本仁という男の所在を掴むのは困難だった。
とにかくこの場は我慢をして黒澤組の跡目を決め、襲名を済ませて体制を整えてから戦争を始めても遅くないというのが艶子の主張であった。
艶子の言うことももっともと言えばもっともで、考え直した子分達は多くがその場は引き下がったのだが、一人納得しない男がいた。
少年は放っておけばヒロポンが切れて知っていることは何もかも喋るだろうという龍之介の考えで、縄で縛られて納屋の梁から逆さに吊るされていた。
寿太郎の通夜の支度もあって忙しく、組員達は少年を放っておいたのだが、一人納得しなかった哲は違った。
こっそり準備を抜け出して納屋へ入るやいなや、昔取った杵柄でサンドバッグを叩くように少年の腹を殴りつけた。
舌を噛み切らないように猿ぐつわを噛まされた少年は、突然哲に殴りつけられて声にならない声を上げて苦しんだ。
「松本の居場所を吐け」
哲は少年に問いかけたが、少年は涙を流しながら首を横に振った。本当に知らないのかもしれないが、この際どうでもよかった。
「吐け!」
怒りで半ば正気を失った哲は、拳も砕けよとばかり散々に少年を殴りつけた。何発か殴るたびに吐く意志を少年に訪ねたが、なかなか首を縦に振らない。
そんなやり取りを何回繰り返しただろうか。業を煮やした哲が、拳で殴るのを止めてそばにあった薪を手に取った時、とうとう少年は折れた。
「松本さんは駅の裏の女の家に居ます。曜日ごとに決まった女のところへ行くんです」
息も絶え絶えに少年は答え、今日松本がしけ込むはずの家の住所を哲に教えた。
「お願いです。僕を助けて…僕が話したと知ったら殺される…」
哲は答えもせずに納屋を飛び出ていった。
翌朝、哲は隠し持っていた拳銃を懐に松本の潜伏先のアパートへと急いだ。2階の一番奥の部屋がそうだという話だった。
首尾よくアパートにたどり着いた哲は、銃を手に取ると部屋のドアをノックした。
「電報です。いませんか?」
これで誰か出てくればそのまま部屋に突入するところだが、返事はなかった。ドアノブを回してみると鍵がかかっている。
哲は銃をドアノブの鍵穴に当てると、鍵の代わりに銃弾をぶちこんだ。ドアノブは派手な音を立てて壊れ、哲はドアをそのまま蹴破って部屋に押し入った。
簡素な六畳間に布団が敷かれていて、中に誰かが居るようだ。だが、哲が布団をめくると中には丸めた座布団が入っているだけだった。
罠だと気付いた瞬間にはもう手遅れだった。隣の部屋に隠れていた鼎会が部屋に雪崩込み、木刀で哲の後頭部を殴りつけた。遠のく意識の中で哲は後悔した。
哲が目を覚ますと、そこは見知らぬ倉庫の中だった。服を脱がされて両手足を縄で縛られ、殴られた後頭部がずきずきと痛んだ。
「よう、アンコ哲」
哲の周囲を鼎会らしき男達が取り囲んでいた。哲に呼びかけた男がどうやらボスの松本らしかった。
「インポだって馬鹿にされるから、馬鹿にした連中を見返すために俺を襲ったんだろう。哀れなやつだ」
「畜生!殺せ!殺しやがれ!」
図星を突かれた哲は暴れて倉庫の床を転げ回ったが、所詮は無駄な抵抗であった。
「そう怒るな。ちゃんと愛する兄貴のところへ帰してやるよ」
松本が合図をすると、男の一人が松本に注射器を差し出した。
「やめろ!」
「強がってられるのも今のうちだ。じきにこいつ欲しさに俺のケツの穴でも舐めるようになるからな」
松本はさも楽しそうに笑うと、子分達が数人かかりで哲の身体を押さえつけた。
「何が龍之介命だ。このオカマ野郎」
松本は暴れる哲の左の二の腕に注射針を突き刺した。
「糞!殺せ!」
哲は狂ったように喚く。それが鼎会の面々を余計に煽った。
「おい、このアンコをメチャクチャにしてやれ」
松本が命じると、子分達は服を脱いで哲に一斉に襲いかかった。喚く口には栓をするように肉棒がぶちこまれ、龍之介以外を受け入れたことのない秘穴も見知らぬ男にたちまち貫かれた。左の二の腕にはまた何本かの注射器が突き刺さった。
「殺さないように気をつけろ」
松本はそう言い残してその場を立ち去った。ヒロポンが効き始めた哲は、見知らぬ男達の肉棒がもたらす快楽に叫び声を上げた。
哲が少年を拷問して姿を消したというので、黒澤組は寿太郎の葬儀の支度があるというのに大騒ぎになった。
そうしているうちに哲が松本の襲撃に失敗して鼎会に連れ去られたという情報がもたらされると、葬儀の準備とは別に捜索と戦争の準備が同時に始まった。
そうとも知らず、哲は倉庫で男達の玩具になっていた。3日3晩に渡って身体に嫌というほどヒロポンと精液を注ぎ込まれ、もはや哲は正常な思考を失っていた。
「おら、もっと腰使え!」
「良いぞ、しゃぶるのが上手くなったな」
哲は前後から男に激しく攻められていた。最初は必死に抵抗した哲だったが、最初の夜のうちにすっかりヒロポンの虜になり、今では代わる代わる注射器を持って訪れる男達の肉棒を咥えこんで快楽を貪ることしか考えられない身体になっていた。
「おら!イクぞ!」
哲を掘っていた男が哲の左腕に注射器を突き立てると、哲は快楽に秘穴を激しく収縮させて男の興奮を煽った。哲の左腕は注射跡でびっしり埋まり、もはや龍之介命と彫った入れ墨は判読不能であった。
哲は肉棒を前後に咥え込みながら声にならない叫び声を上げると、3人同時に絶頂に達した。こんな事を飲まず食わずで3日も繰り返せば、頭がおかしくなるのも無理からぬ話だ。
だが、この一発を最後に哲は今度は放ったらかしにされた。そうこうするうちに薬が切れ、哲は激しい禁断症状で苦しみ始めた。
「頼む!薬をくれ!」
哲は我を忘れて泣きわめいた。もはやなぜここに居るのかさえ忘れていたかもしれない。考えられることはヒロポンのことだけだった。
禁断症状が一番苦しくなるタイミングで再び松本が現れた。
「おう、薬が欲しいか?」
松本は携えた一升瓶を哲の鼻先に突きつけた。中身はヒロポンの溶液であった。
「頼む。何でもするから薬をくれ」
「よし、それなら一つやってもらいたい仕事がある」
「何でもする。いいからくれ!」
「阿修羅の龍之介を殺してこい」
「あ、兄貴を?」
哲は一瞬だけ正気を取り戻した。
「お前ならやろうと思えば簡単だろ?適当な事を言って近づいてよ」
「い、嫌だ。それだけは嫌だ」
「いいのか。断ったらそのまま死ぬまで放っておいてやるからな」
松本は一升瓶の栓を開けると、中身を少しづつ地面にこぼし始めた。哲が喉から手が出ほど欲しいヒロポンは、たちまちのうちに地面に吸い取られていく。
「わかった。やる!やるからくれ!」
「一文にもならない義理人情より、ヒロポンのほうが良いよな。気に入ったぜ」
松本は満足そうに笑うと、注射器を瓶の中に入れて溶液を入れ、哲に打った。哲は悪魔に魂を売った後悔に苛まれながら、薬が体内にまわる感覚を楽しんだ。
龍之介は焦っていた。戦争をしたがる若い衆を押さえ込みながら寿太郎の葬儀を済ませ、必死に哲を捜索したが、一向に哲は見つからない。龍之介が跡目欲しさに保身に走っているという噂さえ世間には流れ始めていた。
毎日八方手を尽くして哲を探し回り、組のシノギを切り盛りするのは目の回るほど忙しかった。龍之介はこの頃男を抱く気力もなく、毎晩自宅に帰り着くとそのまま布団に倒れ込んでしまうようになっていた。
「兄貴…」
その日、まさに布団に倒れ込んだ瞬間、庭の方から哲の声が聞こえた。あのときと同じだった。
「哲!」
龍之介は確信を持って庭に飛び出し、先んじて裏木戸を開けた。果たしてそこに哲は居た。
「兄貴、会いたかった」
哲は感極まって涙を流し、哲に抱きついた。
「馬鹿野郎。心配かけやがって!身体は無事か?」
「兄貴、このまま聞いて下さい。後ろの電柱の陰に、鼎会の見張りが居ます」
哲は小声でそうささやくと、そのまますばやく庭に飛び込んだ。龍之介は察してそのまま電柱の裏の見張りへと襲いかかった。
「この野郎!」
龍之介は慌てて男が取り出した拳銃を男の手ごと掴むと、そのままドアノブをひねるように一回転させた。銃声の代わりに男の悲鳴と骨の折れる音があたりに響いた。
「もっと恐ろしい目に遭わせてやる」
龍之介はそう言って男の首を締めると、まもなく男は意識を失った。龍之介は男を担いで家へと戻った。
しかし、そこには信じられない光景が広がっていた。哲が隠し持ったドスで腹を切り、縁側で力無く死を待っていた。
「哲!お前正気か!」
「兄貴、俺、あいつらにヒロポンを打たれて輪姦されて、薬欲しさに兄貴を殺してくるよう頼まれたんだ。俺、兄貴を裏切っちまった」
哲は泣いていた。もはやこうするより仕方無くなった我が身の情けなさに、龍之介への申し訳なさに泣いていた。
「馬鹿野郎、早まった真似しやがって」
「俺、ヒロポンなしじゃもう生きていけねえよ。けど兄貴は殺せねえ。こうするしかなかったんだ」
「お前は俺の物だ。勝手に死ぬなんて許さねえ!」
龍之介は哲の血で汚れたズボンを脱がすと、自分の大業物を哲の秘穴に突き立てた。腹を切ったからだろうか、哲は中は燃えるように熱かった。
「兄貴、こうして兄貴に抱かれながら死ねるなんて、俺幸せだ」
もはや意識の混濁し始めた哲は、弱々しくつぶやいた。
「哲、死ぬな。俺が許さねえ。死ぬな!」
「兄貴、あの世の蓮の葉の上で、又こうして抱いてくれるかい?」
「この野郎、死ぬな。イクぞ!」
「兄貴、ありがとう…」
龍之介が絶頂に達したその瞬間、そう言い残して哲は死んだ。その死に顔は安らかであった。
とうとう哲までもがやられたという報告はその夜のうちに組中に知らされた。哲に捕らえられた見張り役は恐ろしい拷問を受け、鼎会の幹部連中が某所の料亭に数日後に集まることを白状した。
黒澤組の面々は怒り狂い、ありったけの武器を集めて料亭の襲撃を画策し始めたのだが、哲の葬儀が終わった夜、襲撃を翌日に控えた組員たちに、龍之介は勝手な行動を起こさないように厳命した。あくまで跡目の襲名を待ってからというのが龍之介の意見だった。
「頭は腰抜けだ!」
血気にはやったある組員はそう叫んだ。保身のために喧嘩を避けているという悪い噂はいよいよ真実味を帯び始めていた。龍之介は何も言わなかった。
龍之介は弟分達の罵声を尻目に、本部の奥座敷にある組の神棚に手を合わせた。神棚には寿太郎と哲の霊璽(注2)が安置されている。
どうしようもない荒くれで、相撲部屋にさえ見放された自分を拾っていっぱしの男に仕込んでくれた大恩ある親分も、たった一人情けと盃の両方をやったかけがえのない弟分も、鼎会に殺されてこんな白木になってしまっていた。一番悔しいのは他ならぬ龍之介であった。
龍之介は神棚のろうそくの火を消すと、二人の霊璽を手に取った。
一方鼎会は、その翌日に新宿の外れにある料亭を借り切って祝酒と洒落込んでいた。新宿の親分衆の中でも一番の有力者である寿太郎を始末し、黒澤組はもはや反撃に出る気配もなく、新宿を制圧するという野望はもはや実現目前であった。
「鼎会に乾杯!」
一帯の芸者を総揚げにしてご機嫌の松本は、幹部連と一緒に乾杯してビールをあおった。もはやこの世に怖いものはないといわんばかりの表情であった。
そんなさなか、料亭の表玄関の戸を叩く者があった。
「誰だ。今日は貸し切りだぞ」
護衛のチンピラのうちの1人が面倒臭そうに玄関を開けようとした瞬間、玄関のガラス戸とチンピラは、凄まじい音とともにたちまちバラバラになった。
ガラス戸の残骸を蹴散らして残ったチンピラたちに襲いかかったのは、旧軍が捨てていった軽機関銃を手にした龍之介であった。
「殴り込みだ!」
もう1人のチンピラはそう叫んだ瞬間、蜂の巣にされた。龍之介は幸か不幸か1人だけ生き残った最後のチンピラの頭を銃床で叩き割ると、階段を駆け上がって大広間の襖を蹴倒し、芸者の居ない方を見定めて残った弾を残らずお見舞いした。
「この野郎!」
何が起こったのか最初に飲み込んで立ち上がった勇気ある幹部には、弾切れになった軽機関銃が飛んできた。10キロもある鉄の塊を龍之介に投げつけられ、その幹部は何が起こったか分からぬまま絶命した。
「手前だけは許せねえ!」
龍之介は間髪入れずに腰にぶち込んだ刀を抜くと、一番上座に居た松本めがけて突進した。
流石にボスになるだけあって松本は喧嘩慣れしていた。懐の拳銃を抜くと慌てず狙いを付け、龍之介の腹に1発の鉛弾をお見舞いしたのだが、龍之介はそんなことでは止まらなかった。
次の瞬間には龍之介の刀が松本の腹に飛び込んだ。そのままの勢いで刀は松本の身体を突き抜け、そのまま背後の床柱に深々と突き刺さって止まった。
龍之介の背後に残った鼎会の連中がドスを手に飛びかかった。何人もに深々と背中を刺されてハリネズミのようになりながら龍之介は松本を道連れにして死んだ。
単身で仇を討って壮絶な最後を遂げた龍之介の懐中には、寿太郎と哲の霊璽があった。
その後、幹部の多くを失った鼎会は総崩れになり、新宿には平穏が戻った。黒澤組の跡目は寿太郎の舎弟分が継ぎ、マーケットは今まで通り何も変わらず、飢えた人々のために安く食べ物を供給し続けた。
だが、何も変わらないはずなのに、マーケットの人達の心には大きな穴が空いたような感覚がいつまでも消えなかった。
注1:霊代 親分亡き後、後継者が決まるまで仮に一家を預かる存在。基本的に親分の未亡人が務める
注2:霊璽 仏教でいうところの位牌。一般にヤクザは神道であるため、多くの場合組には神棚がある
花に嵐の例えあり
義理と人情命花
狂い咲いての花吹雪
新宿の勢力地図に異変!愚連隊とヒロポンが街に蔓延する中で哲は、龍之介は、男としての死に花を咲かせて派手に散っていくのだった
新宿駅周辺は戦前から黒澤寿太郎親分他、数人の有力な親分衆の支配下にあった。戦後に至ってもそれぞれの組がそれぞれの縄張りに闇市を出し、それぞれに繁栄していた。
ところが、この頃になると戦前以来の勢力地図に異変が起き始めた。鼎会を名乗る愚連隊が急速に台頭し始めたのだ。
多くの愚連隊がそうであるように、鼎会も最初は単なる不良や戦災孤児の集まりに過ぎなかったのだが、この頃になると人数が増え、勝手に商売や賭場の開帳、その他犯罪行為を行って親分衆の縄張りを荒らすようになっていた。
特にオセローでの哲との喧嘩があって以降黒澤組との対立は激化し、小競り合いの無い日はないという有様であった。
とりわけ黒澤組を悩ませたのは、鼎会が一帯に流すヒロポンであった。黒澤組は麻薬の類を固く禁じていたが、この頃はマーケットにも中毒者がどんどん増えていた。
中でも哲の配下のバンドマンへの蔓延は酷く、使っていない者を探す方が困難なほどだった。
その日もオセローの便所でヒロポンを打っている現場を次郎に抑えられたバンドマンが、事務所で哲に油を絞られていた。
そうして哲が叱りつけ、何発か殴ってやれば一応バンドマン達はヒロポンを止めるのだが、数日もすればまた打ち始めるのが常だった。哲はつくづく嫌になっていた。
そうこうしていると、階下で飲んでいた寿太郎親分から哲へお呼びがかかった。襲撃の危険があるというのに、士気が下がるのを嫌って寿太郎は出歩くのをやめようとしなかった。
哲がフロアに降りてみると、寿太郎は龍之介を供に連れ、龍之介と懇意の例のグッデンという大佐と一緒に一番奥のテーブルに陣取っていた。
「哲、来週に缶詰がトラック3台分入ることになったんだが、それにあたって、基地のクラブにリリーを出演させてくれや」
寿太郎は向かいの席に座った哲のグラスに自らビールを注いだ。
「哲、頼む。どこか空けてくれよ」
龍之介も哲に頼んだ。どうやらそういう条件で物資が来ることになっているようだ。
「すぐとなると困りますが、月明けにならなんとか…」
哲は懐から手帳を取り出すと、リリーのスケジュールを確認した。
「あの、寿太郎親分っていうのはどなたでしょうか?」
4人が適当な日はないかとあれこれ相談していると、テーブルに花束を携えた花売りの少年がやって来た。どうやら戦災孤児らしく、身なりは汚れていた。
「実は、親分のお耳に入れたいことがあって来ました」
「ほう、何だい?」
奥の席に座った寿太郎が席を立つと、手前に座っていた龍之介がフロアに出て道を空けた。
「実は…」
花束を持ったまま寿太郎の方へと少年が身を乗り出した瞬間、その花束が火を吹いた。花束の中には拳銃が仕込まれていた。
「このガキ!」
龍之介が花束を取り上げて少年を殴り倒すまでの数秒で、3発の銃弾が寿太郎の身体に飛び込んだ。まさかこんなところで子供が銃を隠し持って襲ってくるとは誰も思っていなかった。
すぐに寿太郎は病院へ担ぎ込まれたが、弾の当たりどころが悪く、夜明けを待たずに息を引き取った。新宿にその人ありと謳われた大親分、黒澤寿太郎の最期はあまりにあっけなかった。
新宿の外れにある組の本部へ連行された少年を調べると、左の二の腕は注射跡で不気味に変色していた。まだ口を割らないが、鼎会がヒロポン漬けにした少年を鉄砲玉として送り込んだのは明白だった。
あまりに卑劣な手段で親分を殺された子分達の怒りは半端ではなく、たちまち本部は子分達と近隣の組が送り込んだ助っ人でごった返し、今すぐにでも鼎会との全面戦争を始めかねない騒ぎになった。
しかし、いまや組の霊代(注1)となった寿太郎の未亡人、艶子は子分達の勝手な行動を先手を打って制した。
黒澤組はわずか100人程、それに比べて鼎会は数千人の大人数で、しかも特定の拠点を持たないため、ボスの松本仁という男の所在を掴むのは困難だった。
とにかくこの場は我慢をして黒澤組の跡目を決め、襲名を済ませて体制を整えてから戦争を始めても遅くないというのが艶子の主張であった。
艶子の言うことももっともと言えばもっともで、考え直した子分達は多くがその場は引き下がったのだが、一人納得しない男がいた。
少年は放っておけばヒロポンが切れて知っていることは何もかも喋るだろうという龍之介の考えで、縄で縛られて納屋の梁から逆さに吊るされていた。
寿太郎の通夜の支度もあって忙しく、組員達は少年を放っておいたのだが、一人納得しなかった哲は違った。
こっそり準備を抜け出して納屋へ入るやいなや、昔取った杵柄でサンドバッグを叩くように少年の腹を殴りつけた。
舌を噛み切らないように猿ぐつわを噛まされた少年は、突然哲に殴りつけられて声にならない声を上げて苦しんだ。
「松本の居場所を吐け」
哲は少年に問いかけたが、少年は涙を流しながら首を横に振った。本当に知らないのかもしれないが、この際どうでもよかった。
「吐け!」
怒りで半ば正気を失った哲は、拳も砕けよとばかり散々に少年を殴りつけた。何発か殴るたびに吐く意志を少年に訪ねたが、なかなか首を縦に振らない。
そんなやり取りを何回繰り返しただろうか。業を煮やした哲が、拳で殴るのを止めてそばにあった薪を手に取った時、とうとう少年は折れた。
「松本さんは駅の裏の女の家に居ます。曜日ごとに決まった女のところへ行くんです」
息も絶え絶えに少年は答え、今日松本がしけ込むはずの家の住所を哲に教えた。
「お願いです。僕を助けて…僕が話したと知ったら殺される…」
哲は答えもせずに納屋を飛び出ていった。
翌朝、哲は隠し持っていた拳銃を懐に松本の潜伏先のアパートへと急いだ。2階の一番奥の部屋がそうだという話だった。
首尾よくアパートにたどり着いた哲は、銃を手に取ると部屋のドアをノックした。
「電報です。いませんか?」
これで誰か出てくればそのまま部屋に突入するところだが、返事はなかった。ドアノブを回してみると鍵がかかっている。
哲は銃をドアノブの鍵穴に当てると、鍵の代わりに銃弾をぶちこんだ。ドアノブは派手な音を立てて壊れ、哲はドアをそのまま蹴破って部屋に押し入った。
簡素な六畳間に布団が敷かれていて、中に誰かが居るようだ。だが、哲が布団をめくると中には丸めた座布団が入っているだけだった。
罠だと気付いた瞬間にはもう手遅れだった。隣の部屋に隠れていた鼎会が部屋に雪崩込み、木刀で哲の後頭部を殴りつけた。遠のく意識の中で哲は後悔した。
哲が目を覚ますと、そこは見知らぬ倉庫の中だった。服を脱がされて両手足を縄で縛られ、殴られた後頭部がずきずきと痛んだ。
「よう、アンコ哲」
哲の周囲を鼎会らしき男達が取り囲んでいた。哲に呼びかけた男がどうやらボスの松本らしかった。
「インポだって馬鹿にされるから、馬鹿にした連中を見返すために俺を襲ったんだろう。哀れなやつだ」
「畜生!殺せ!殺しやがれ!」
図星を突かれた哲は暴れて倉庫の床を転げ回ったが、所詮は無駄な抵抗であった。
「そう怒るな。ちゃんと愛する兄貴のところへ帰してやるよ」
松本が合図をすると、男の一人が松本に注射器を差し出した。
「やめろ!」
「強がってられるのも今のうちだ。じきにこいつ欲しさに俺のケツの穴でも舐めるようになるからな」
松本はさも楽しそうに笑うと、子分達が数人かかりで哲の身体を押さえつけた。
「何が龍之介命だ。このオカマ野郎」
松本は暴れる哲の左の二の腕に注射針を突き刺した。
「糞!殺せ!」
哲は狂ったように喚く。それが鼎会の面々を余計に煽った。
「おい、このアンコをメチャクチャにしてやれ」
松本が命じると、子分達は服を脱いで哲に一斉に襲いかかった。喚く口には栓をするように肉棒がぶちこまれ、龍之介以外を受け入れたことのない秘穴も見知らぬ男にたちまち貫かれた。左の二の腕にはまた何本かの注射器が突き刺さった。
「殺さないように気をつけろ」
松本はそう言い残してその場を立ち去った。ヒロポンが効き始めた哲は、見知らぬ男達の肉棒がもたらす快楽に叫び声を上げた。
哲が少年を拷問して姿を消したというので、黒澤組は寿太郎の葬儀の支度があるというのに大騒ぎになった。
そうしているうちに哲が松本の襲撃に失敗して鼎会に連れ去られたという情報がもたらされると、葬儀の準備とは別に捜索と戦争の準備が同時に始まった。
そうとも知らず、哲は倉庫で男達の玩具になっていた。3日3晩に渡って身体に嫌というほどヒロポンと精液を注ぎ込まれ、もはや哲は正常な思考を失っていた。
「おら、もっと腰使え!」
「良いぞ、しゃぶるのが上手くなったな」
哲は前後から男に激しく攻められていた。最初は必死に抵抗した哲だったが、最初の夜のうちにすっかりヒロポンの虜になり、今では代わる代わる注射器を持って訪れる男達の肉棒を咥えこんで快楽を貪ることしか考えられない身体になっていた。
「おら!イクぞ!」
哲を掘っていた男が哲の左腕に注射器を突き立てると、哲は快楽に秘穴を激しく収縮させて男の興奮を煽った。哲の左腕は注射跡でびっしり埋まり、もはや龍之介命と彫った入れ墨は判読不能であった。
哲は肉棒を前後に咥え込みながら声にならない叫び声を上げると、3人同時に絶頂に達した。こんな事を飲まず食わずで3日も繰り返せば、頭がおかしくなるのも無理からぬ話だ。
だが、この一発を最後に哲は今度は放ったらかしにされた。そうこうするうちに薬が切れ、哲は激しい禁断症状で苦しみ始めた。
「頼む!薬をくれ!」
哲は我を忘れて泣きわめいた。もはやなぜここに居るのかさえ忘れていたかもしれない。考えられることはヒロポンのことだけだった。
禁断症状が一番苦しくなるタイミングで再び松本が現れた。
「おう、薬が欲しいか?」
松本は携えた一升瓶を哲の鼻先に突きつけた。中身はヒロポンの溶液であった。
「頼む。何でもするから薬をくれ」
「よし、それなら一つやってもらいたい仕事がある」
「何でもする。いいからくれ!」
「阿修羅の龍之介を殺してこい」
「あ、兄貴を?」
哲は一瞬だけ正気を取り戻した。
「お前ならやろうと思えば簡単だろ?適当な事を言って近づいてよ」
「い、嫌だ。それだけは嫌だ」
「いいのか。断ったらそのまま死ぬまで放っておいてやるからな」
松本は一升瓶の栓を開けると、中身を少しづつ地面にこぼし始めた。哲が喉から手が出ほど欲しいヒロポンは、たちまちのうちに地面に吸い取られていく。
「わかった。やる!やるからくれ!」
「一文にもならない義理人情より、ヒロポンのほうが良いよな。気に入ったぜ」
松本は満足そうに笑うと、注射器を瓶の中に入れて溶液を入れ、哲に打った。哲は悪魔に魂を売った後悔に苛まれながら、薬が体内にまわる感覚を楽しんだ。
龍之介は焦っていた。戦争をしたがる若い衆を押さえ込みながら寿太郎の葬儀を済ませ、必死に哲を捜索したが、一向に哲は見つからない。龍之介が跡目欲しさに保身に走っているという噂さえ世間には流れ始めていた。
毎日八方手を尽くして哲を探し回り、組のシノギを切り盛りするのは目の回るほど忙しかった。龍之介はこの頃男を抱く気力もなく、毎晩自宅に帰り着くとそのまま布団に倒れ込んでしまうようになっていた。
「兄貴…」
その日、まさに布団に倒れ込んだ瞬間、庭の方から哲の声が聞こえた。あのときと同じだった。
「哲!」
龍之介は確信を持って庭に飛び出し、先んじて裏木戸を開けた。果たしてそこに哲は居た。
「兄貴、会いたかった」
哲は感極まって涙を流し、哲に抱きついた。
「馬鹿野郎。心配かけやがって!身体は無事か?」
「兄貴、このまま聞いて下さい。後ろの電柱の陰に、鼎会の見張りが居ます」
哲は小声でそうささやくと、そのまますばやく庭に飛び込んだ。龍之介は察してそのまま電柱の裏の見張りへと襲いかかった。
「この野郎!」
龍之介は慌てて男が取り出した拳銃を男の手ごと掴むと、そのままドアノブをひねるように一回転させた。銃声の代わりに男の悲鳴と骨の折れる音があたりに響いた。
「もっと恐ろしい目に遭わせてやる」
龍之介はそう言って男の首を締めると、まもなく男は意識を失った。龍之介は男を担いで家へと戻った。
しかし、そこには信じられない光景が広がっていた。哲が隠し持ったドスで腹を切り、縁側で力無く死を待っていた。
「哲!お前正気か!」
「兄貴、俺、あいつらにヒロポンを打たれて輪姦されて、薬欲しさに兄貴を殺してくるよう頼まれたんだ。俺、兄貴を裏切っちまった」
哲は泣いていた。もはやこうするより仕方無くなった我が身の情けなさに、龍之介への申し訳なさに泣いていた。
「馬鹿野郎、早まった真似しやがって」
「俺、ヒロポンなしじゃもう生きていけねえよ。けど兄貴は殺せねえ。こうするしかなかったんだ」
「お前は俺の物だ。勝手に死ぬなんて許さねえ!」
龍之介は哲の血で汚れたズボンを脱がすと、自分の大業物を哲の秘穴に突き立てた。腹を切ったからだろうか、哲は中は燃えるように熱かった。
「兄貴、こうして兄貴に抱かれながら死ねるなんて、俺幸せだ」
もはや意識の混濁し始めた哲は、弱々しくつぶやいた。
「哲、死ぬな。俺が許さねえ。死ぬな!」
「兄貴、あの世の蓮の葉の上で、又こうして抱いてくれるかい?」
「この野郎、死ぬな。イクぞ!」
「兄貴、ありがとう…」
龍之介が絶頂に達したその瞬間、そう言い残して哲は死んだ。その死に顔は安らかであった。
とうとう哲までもがやられたという報告はその夜のうちに組中に知らされた。哲に捕らえられた見張り役は恐ろしい拷問を受け、鼎会の幹部連中が某所の料亭に数日後に集まることを白状した。
黒澤組の面々は怒り狂い、ありったけの武器を集めて料亭の襲撃を画策し始めたのだが、哲の葬儀が終わった夜、襲撃を翌日に控えた組員たちに、龍之介は勝手な行動を起こさないように厳命した。あくまで跡目の襲名を待ってからというのが龍之介の意見だった。
「頭は腰抜けだ!」
血気にはやったある組員はそう叫んだ。保身のために喧嘩を避けているという悪い噂はいよいよ真実味を帯び始めていた。龍之介は何も言わなかった。
龍之介は弟分達の罵声を尻目に、本部の奥座敷にある組の神棚に手を合わせた。神棚には寿太郎と哲の霊璽(注2)が安置されている。
どうしようもない荒くれで、相撲部屋にさえ見放された自分を拾っていっぱしの男に仕込んでくれた大恩ある親分も、たった一人情けと盃の両方をやったかけがえのない弟分も、鼎会に殺されてこんな白木になってしまっていた。一番悔しいのは他ならぬ龍之介であった。
龍之介は神棚のろうそくの火を消すと、二人の霊璽を手に取った。
一方鼎会は、その翌日に新宿の外れにある料亭を借り切って祝酒と洒落込んでいた。新宿の親分衆の中でも一番の有力者である寿太郎を始末し、黒澤組はもはや反撃に出る気配もなく、新宿を制圧するという野望はもはや実現目前であった。
「鼎会に乾杯!」
一帯の芸者を総揚げにしてご機嫌の松本は、幹部連と一緒に乾杯してビールをあおった。もはやこの世に怖いものはないといわんばかりの表情であった。
そんなさなか、料亭の表玄関の戸を叩く者があった。
「誰だ。今日は貸し切りだぞ」
護衛のチンピラのうちの1人が面倒臭そうに玄関を開けようとした瞬間、玄関のガラス戸とチンピラは、凄まじい音とともにたちまちバラバラになった。
ガラス戸の残骸を蹴散らして残ったチンピラたちに襲いかかったのは、旧軍が捨てていった軽機関銃を手にした龍之介であった。
「殴り込みだ!」
もう1人のチンピラはそう叫んだ瞬間、蜂の巣にされた。龍之介は幸か不幸か1人だけ生き残った最後のチンピラの頭を銃床で叩き割ると、階段を駆け上がって大広間の襖を蹴倒し、芸者の居ない方を見定めて残った弾を残らずお見舞いした。
「この野郎!」
何が起こったのか最初に飲み込んで立ち上がった勇気ある幹部には、弾切れになった軽機関銃が飛んできた。10キロもある鉄の塊を龍之介に投げつけられ、その幹部は何が起こったか分からぬまま絶命した。
「手前だけは許せねえ!」
龍之介は間髪入れずに腰にぶち込んだ刀を抜くと、一番上座に居た松本めがけて突進した。
流石にボスになるだけあって松本は喧嘩慣れしていた。懐の拳銃を抜くと慌てず狙いを付け、龍之介の腹に1発の鉛弾をお見舞いしたのだが、龍之介はそんなことでは止まらなかった。
次の瞬間には龍之介の刀が松本の腹に飛び込んだ。そのままの勢いで刀は松本の身体を突き抜け、そのまま背後の床柱に深々と突き刺さって止まった。
龍之介の背後に残った鼎会の連中がドスを手に飛びかかった。何人もに深々と背中を刺されてハリネズミのようになりながら龍之介は松本を道連れにして死んだ。
単身で仇を討って壮絶な最後を遂げた龍之介の懐中には、寿太郎と哲の霊璽があった。
その後、幹部の多くを失った鼎会は総崩れになり、新宿には平穏が戻った。黒澤組の跡目は寿太郎の舎弟分が継ぎ、マーケットは今まで通り何も変わらず、飢えた人々のために安く食べ物を供給し続けた。
だが、何も変わらないはずなのに、マーケットの人達の心には大きな穴が空いたような感覚がいつまでも消えなかった。
注1:霊代 親分亡き後、後継者が決まるまで仮に一家を預かる存在。基本的に親分の未亡人が務める
注2:霊璽 仏教でいうところの位牌。一般にヤクザは神道であるため、多くの場合組には神棚がある
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