生んでくれてありがとう

緒方宗谷

文字の大きさ
11 / 33

焦り

しおりを挟む
 「当時、私は何を学んだんだろう」
 ボランティアに参加した直後、佳代は今のように人を助けたいという思いに溢れていたし、その後も何度かボランティアに参加していたのだが、それから月日を経た今は、完全に当時の思いを忘れている。
 ボランティアに参加する前に東京で見たニュースで、身動きの取れない避難所生活の影響で身体が弱っていき、以前のように軽快に動き回れなくなった高齢者や、寝たきりになってしまった高齢者が、神戸や新潟で多くいたとの話が紹介されていた。
 佳代は、そのような高齢者の健康を維持したいと願ってボランティアに参加していたのだが、1回目は災害ごみの分別、翌年の2回目は、地元小学生を招いたバーベキューの準備、3回目はボランティアが寝泊まりする施設の掃除、最後に行った4回目の石巻では、ボランティア団体の拠点整備と、避難所となった小学校で子供たちと遊ぶことが主な活動だった。4回とも参加前の志は達成されていない。
 自分が参加したボランティアも十分必要なことで、被災者に寄り添い心を癒すことにおいて、十分貢献できたと自負できるのだが、それで満足してしまったことが、完全に忘れてしまっていたことの原因だ、と佳代には分かっていた。
 それでも思い出せたのだから、今この施設でそれを達成したいと願って、意を決して、みんなに食事の内容に問題はないのか、とリーダーの豊橋に相談してみることにした。
 「確かにね、それは俺も思うよ。
  でも変わるのかな?」
 折を見て日誌をつけていた豊橋に思いを伝えると、少し考え込んだ様子を見せ、周りの高齢者を見渡しながら、そう返事が返ってきた。
 「たくさん食べる人とあまり食べられない人とで、一律同じ食事が同じ量出てくるなんで、おかしいと思います。
  白いご飯だけとか、デザートだけとか、食べるものが偏る人もいますし・・・」
 「そうなんだよ。
  ただ、ナースもいるし、体調管理は問題ないんだよ」
 関田さんに至っては、佳代の知る限りほぼ毎日食事はとっていない。自分が食事介助を担当していない日に食べているかもしれないが、それでも食事をとらなさすぎだ。
 豊橋の言うとおり、そのような状況でも関田さんの血色は良く、佳代が入社した時と比べて特別弱った様子はない。ただ1日中寝てばかりいて、何もする様子がない。
 同じ席の入所者は、楽しくおしゃべりをしたり、トランプや塗り絵を楽しんでいるので、この陰影の差が佳代に大きな印象を与える。
 同じ席で同じ環境にある入所者なのに、一方は寝てばかりで痴ほう症が進んでいて、一方は比較的頭がはっきりしているし、完食とはいかないが毎日ほとんど食べているのだ。
 老化が進めば、胃腸も弱ってきて消化能力が落ちてくるだろうし、筋力も落ちてきて基礎代謝も減ってくる。おのずと食べる量も減る。
 老いと虚弱化のスパイラルにはまっていないのか、との考えを真っ向から否定するスタッフはいなかったが、これといった改善策などが示されることもなかった。みんな分かっているが、素人は傍観するしかないと考えているのだろう。
 佳代は言った。
 「たとえば、食べられなくなっている人には、少量でも十分栄養が取れるような献立にするとかはどうでしょうか。
  ここの食事はすばらしいと思いますが、食べられなければ意味がありません。
  メニューは毎回違いますが、それでも同じメニューを定期的に繰り返しているだけのように思えます。
  揚げ物が出る回数も多いですし、もう少し胃に負担がかからない物とか、考えた方がいいんじゃないでしょうか。
  それに、DHAやフラボノイド、フィトケミカルが豊富になるような献立とか、脳や筋肉に良く、医食同源というか、食事療法になるような献立はできないでしょうか。
  調べると、ある成分がボケ防止に良いとか、筋肉の分解を抑制してくれるとか、色々な良い成分が発見されているし、しかも普通の野菜に含まれていたりします。
  食は命の基だと思いますし、私たちの体は食べたものからできていると思います。
  食べることはとても楽しいことですし、そう思わせることで、皆さんにも良い刺激になると思うんす。
  食事制限がある方は別として、私は、しっかり食べてくれるように献立を工夫するべきだと思うんです」
 いつも考えていたことだからなのか、本人も意外に思うほど佳代の口は流暢に言葉を発した。
 「ただ、無理に食べさせてはいけないよ。
  誤嚥の可能性があるし。
  早坂さんは、沢山食べさせようとする傾向があるから、気を付けてね」
 「はい」
 豊橋は佳代ががんばっていることをほめつつ、食事介助の危険性を淡々と述べた。
 何も知らずに行うのであれば、食事介助、口腔ケア、排せつ介助の中で、食事介助が一番楽そうである。実際、隣に座って、料理をすくって相手の口に運ぶだけだ。
 それに対して、排せつ介助は、一人で立ち上がれない高齢者を立たせたり、転ばないように支えたりと、結構体力のいる作業になることもある。さらに介助があってもトイレにいけない入所者は、居室のベッドでオムツ交換をしなければならない。
 当然、オムツには便がついていて、それがお尻や太ももを汚している。排せつ介助をされていると理解している入所者ならいいが、わからない入所者はウェットティッシュで下半身を拭われるのを嫌がる。状況によっては、スタッフまで汚れてしまうこともある。
 辞めてしまうスタッフの多くは、排せつ介助に耐えられなかったためだ。佳代もそのように考えていたから、豊橋の指摘には意見を述べることもできなかった。
 豊橋は続けた。
 「高齢者は飲み込む力が弱まってきているし、気道と食道を使い分けることも難しくなっているから、誤って食べたものが肺の方に行ってしまうんだよ。
  そうなると、窒息したり誤嚥性肺炎になる可能性もあるし、最悪亡くなってしまうこともありうる。
  我々が行う作業の中で一番大変なのは、実は食介なんだ。
  早坂さんの言いたいことは分かるし、ここの食事がベストというわけではないけど、他の施設と比べて悪いというわけでもないし、ちゃんと栄養士が考えた食事だし、ナースが全員の体調管理をしている。
  こういうところに入る人たちだから、とても健康なわけではないけど、食事が原因で特別悪化しているわけでもない、難しいよね」
 豊橋は上に伝えてみる、と言ってくれたが、佳代自身何かが変わるとは思えなかった。誤嚥性肺炎のくだりは佳代の話から外れてはいたものの、命にかかわる重大な作業だということを教えてくれた。
 栄養や体調管理に関しては、渡辺さんと安村さん以外に弱っていく様子がないのだから、食事体制に問題があるわけではない。ただの老衰というのか、2人に与えられた天命というのか、人知ではどうすることもできない定めなのだろう。
 思うと、移乗やトイレなどを2人で介助しなければならなかった入所者が、1人介助に変更になることもある。臥床対応が解除されることもある。入所者に出た良いことはあまり記憶に残らず、現在進行形の悪いことの印象が強く心に残っている、と不意に佳代は思った。
 初めて施設の食事を見た時、結構豪華だと感じた記憶が佳代によみがえる。確か、ご飯とみそ汁、焼いたか煮たかした魚、煮物、サラダか果物。ご飯味噌汁焼魚とお新香からなる焼き魚定食を食べているようなサラリーマンより良い食事だ。
 500円を払えばスタッフも食べられる。ジャンクフードで済ます千里もこのくらいは払っているだろうから、値段に対して相当良い内容だ。
 塩分を気にしなければならない人、たんぱく質を気にしなければならない人もいる。当たり障りなく全員に出せる病院食のような質素なものではない。
 医師に止められているとか、極端に何かを制限しなければならない方を除けば、皆同じ食事をしている。
 若い健常者の佳代が毎日食べたとしても栄養に問題ないのだが、何かモヤモヤが残るのは、それだけよい食事であるにもかかわらず、それを食べることのできない安村さんと渡辺さんの変化に、佳代の心が過敏に反応していることが原因なのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

フッてくれてありがとう

nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」 ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。 「誰の」 私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。 でも私は知っている。 大学生時代の元カノだ。 「じゃあ。元気で」 彼からは謝罪の一言さえなかった。 下を向き、私はひたすら涙を流した。 それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。 過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

処理中です...