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28 死は愛を分かつことは出来ない
しおりを挟むある意味、姫は幸せだったのかもしれません。最愛のバラの神の胸の中に抱きしめられて死ねるのですから。
もし、生きて魔界の皇子に捕まろうものなら、薄汚れた花瓶に入れられて、呪われた水を飲まされ、埃にまみれた薄暗い部屋の小さなテーブルにでも置かれて、一生慰み物として、死んだ魚のような目に映されていたことでしょう。
ですが姫は死にました。自分の命と引き換えに甦ったバラの神気に擁かれながら。
バラは、最後の最後まで、魔界の皇子の掌の上で踊らされていました。
姫に捧げた愛は、自信を持って誇れるウソ偽りない愛だと自負してきました。ですが突如として、その愛情に疑惑が生じたのです。
皇子によって暴かれた自らの真相を、バラは認めたくありません。ですから、バラは頑なに皇子を拒絶しました。幾重にも重なる舌が発する邪な甘言を振り払い続けました。
そして、皇子の掌の上で、バラはこの様に思うに至りました。
確かに自分は、姫に愛される事のみを喜びとしてきたかもしれない。姫が、自分の愛情を1滴もこぼすことなく抱きしめてくれるのを良いことに、自分のすること成す事を受け入れてくれるのを良いことに、姫の無限の愛情を自らのみに注いでくれる様に望んできたのかもしれない、と。
姫のご寵愛が誰かに注がれることを恐れたバラのために、姫は睡蓮城を閉ざしました。
当時も今も、バラの力では、伝説の要塞である睡蓮城を封印する事など出来やしません。主である花の姫が、バラの全て、光り輝く部分も、影になった部分も受け入れてくれたからこそ、睡蓮城はイバラに抱かれて、自ら閉じたのです。
バラは数千年の間それに甘んじて、姫の優しさに帰依して、胎児のように眠っていました。花の姫は、バラにとって、どんな自分でも受け入れてくれる至高善の存在だったのです。
しかし突然、至高悪によって、温かく心地いい姫の温もりから引きはがされたバラは、自らの現実を突き付けられました。幾重にも重なった舌が、同時にバラに語りかけたのです。お前の愛は偽りだと。
バラは認めたくありませんでした。みんなに、皇子に、姫に、そして何より自分自身に、自らの愛が本物であることを証明しよう、と思いました。それ以外の思考はありません。そして、それを体現しようとしたのです。切り結ぶことによって。
いいえ、切り結ぶことすら必要ありませんでした。バラは、姫への愛を貫いて死ぬことによって、今まで姫に捧げてきた愛を、崇高な存在へと押し高めようとしたのでした。
花の姫に、自信を持って貴女を愛している、と言いたい。最後にそれを証明して死にたい、と望みました。ですが、畢竟それはなりませんでした。
もがき苦しむバラを、喜劇でも見るかのように鑑賞していた魔界の皇子の前では、一矢報いる事にすらなりませんでした。そればかりか、結局は無力な赤子の様に、姫に抱かれて、死に果ててしまったのです。
しかもバラは、残った全てを姫に転嫁してしまいました。未だに皇子の舌に絡め取られたままだったのです。
バラは、死ぬことによって姫への想いが純愛である事を証明しようとしました。それが証明できれば、それでバラは満足なのでしょう。ですが、残された姫はどうなるのでしょうか。バラは死して全てが終わるのでしょうが、その後も姫の命は続くのです。
バラの愛は、最後の最後まで一方的なものでした。もし開戦を姫が知っていたら、「どんなに無様でも、逃げて逃げて逃げて、何とか2人で生き延びましょう」と言ったでしょう。どうせ叶わぬ勝利なのであれば、2人で死にたい、と思ったでしょう。
バラは、霞のない愛を姫に捧げ、姫からの愛を霞のない心で受け止めていました。自分の方が神気で勝るようになってからも、バラは姫を尊重し続けました。ですが、理解までには至りませんでした。
もし、バラが姫を理解していたとしたら、もっと幸せに戦えたでしょう。そして、もっと幸せに死ねたでしょう。
もしかしたら、花の主神と一緒に、天上に住まう陛下の御足もとで、2人無事を喜び合っていれたのかもしれません。強く抱きしめ合って。
バラは無念でなりませんでした。魔界の皇子を前にして、姫を守りきれずに死にかけていたのですから。一歩間違えば、姫は悪魔に生け捕りにされていたのです。そして、こともあろうか、姫の命と引き換えにバラは甦ったのです。
自分の命と引き換えに姫を守るはずが、自分の為に姫を犠牲にしてしまいました。
「ああ、麗しき我が姫君よ、何故わたくしめの為なんかに、このような事をしたのですか。
隙間なく降り注ぐ雨粒の奥から、七色の色彩がまっすぐ通過するように、貴女1人なら、この群がるいやらしい汚辱でできた者共から逃げ果せたでしょうに」
バラは後悔しました。自分だけの姫様になってほしくて、城をイバラで覆いましたが、そのせいで母たる花の主神と天上界へ逃れることが出来なかったのです。
瞳を閉じた姫の表情は安らかでした。愛するバラを死の淵から救い出せたのですから。ですが、バラに姫の表情を読み取ることはできません。見えていたのは、頬を伝う2粒の涙のみでした。
「そのようなお顔を見せないでください。
目を開けて、その瞳の奥に僕の瞳を映してください。
もし、貴女がいなくなれば、降り注ぐ雨の中で色あせた世界に、誰が彩りを与えてくださるのでしょうか。幾千もの清らかで素朴な色彩を」
花の里の中心に、天上界から神々しい救いの光が差し込んでいるのを、バラも見ていました。石の巨神が凶悪なドラゴンや大蛇と闘っているのも見ていました。大輪の花が天高く昇っていくのも見えていました。
バラは、姫を宮殿の上空を昇る花の主神のもとまで連れて行くのを躊躇してしまったのです。その道で姫を奪われるのではないか、と恐れていたからです。
しかし、行動しない者は、その手に後悔しか残さないのです。2人の力なら、王子達や上位悪魔を倒しながら、なんとか花の主神の元まで行けたかもしれません。最悪バラが犠牲になって盾となり、姫お一人を母君のもとへ逃がすことはできたのです。
「それなのになんということか! 僕の欲が強いばっかりに、1番守らなければならない姫を失ってしまうとは!!」
悲しみは怒りを燃やす油となり、燃えあげる花弁をまき散らしながら、その身を業火で焼いていました。眷属のバラにとって姫を死なせてしまったことは、最大の罪である、と自分を責めていたのです。
バラは自らの命を燃やして極限まで戦い続けました。しかし、甦ったばかりのバラに残された力はありません。結界のイバラはみるみる朽ち果てていきます。
スズとハルは、姫とバラの胸の狭間で泣き叫んでいます。これほどまでに恐ろしい思いをしたことはありません。恐怖で悶え死んでしまいそうです。
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