猫のモモタ

緒方宗谷

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モモタとママと虹の架け橋

五十七話 オオワシ親父の悲劇

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 断崖絶壁の彼方で、キキの泣き叫ぶ声が聞こえました。

 「痛い! 痛い! やめて! 何するんだ」
 キキを片足で押さえつけたオオワシ親父が、何やら喚き散らしています。

 「なんだ、お前、俺を置いてどっかに行ってしまう気でいたんだろう。お前が羽ばたくのはまだ早い。もう少しここにいるんだ。大丈夫だ。父さんが上手く羽を抜いてやるから」

 そう言った後、オオワシ親父の「痛いっ」と言う悲鳴が響きます。

 キキがなんとかオオワシ親父の太ももに嚙みついたのです。からくも太く大きな爪から逃れたキキは、必死に身を引きずっていって、そのまま巣から落ちました。

 「息子―‼‼」驚いたオオワシ親父が追いかけます。

 眼下に広がる雪原が、キキの目前に迫ってきました。キキは、地面に激突してしまうのではないかと、とても怖く感じましたが、今羽を広げて減速すれば、たちまちの内に捕まってしまうでしょう。

 不意にキキが身を左に傾けました。

 それを見逃さなかったオオタカ親父は、先回りしてやろうと並行飛行して左に飛びました。

 それを目の端に見てとったキキは、すぐさま右に身を傾け地面ギリギリで翼を広げて、木々が多く生えた谷間の方に飛び去ります。

 オオワシ親父がそれに気がついて方向転換した時には、時すでに遅し。キキは谷間の向こうに消えていました。オオワシ親父が谷間の上へ飛来した時には、もうキキの姿はありません。

 執拗に周遊し続けていたオオワシ親父は、低いところを滑空しながら、くまなく谷間を探します。草木は枯れ果てて雪しかないのですから、茶色いキキは目立ちます。すぐ見つかるはずですが、オオワシ親父は全く見つけられません。

 それもそのはず。キキは素早く木の根元に不時着して、すぐさま穴を掘って仰向けになってその穴に隠れたのです。そしてくちばしで掘った雪を腹にかけ、頭を雪に押し込めたのでした。

 オオワシ親父は、長いことキキを探していましたが、全く見つかりません。もうここにはいなくなったと思ったのか、谷の奥へと飛んでいきました。

 キキは、オオワシ親父の気配がなくなったのを見計らって、穴から出ました。すぐに飛び立ちますが、上手く飛べずに地面に落ちて転げます。やっと新しい羽が生えてきたのに、それを毟られてしまったからです。

 仕方がないのでキキは、雪の中を歩いて行くことにしました。大きなオオタカですから、その重みに雪が耐えきれず、足が深くはまってしまいます。すぐに力尽きて、木の根元にへたり込んでしまいました。

 (すごく寒い。こんなところにいたら凍えて死んでしまう)

 キキは、毎晩おふとんになってくれたオオタカ親父の温もりを思い出しました。

 (あいつは、なんで僕を息子だって言い張っていたんだろう)

 そう考えていると、目の前に雪を踏む足音が聞こえました。見ると、塩の大地でキキと一戦交えたオオワシの姿がありました。

 オオワシがニヤリとして言いました。

 「なんだ、お前、アイツのもとから逃げられたのか。散々羽を毟られたあげく食い殺されちまうんじゃないかって思っていたんだがな」

 「オオワシ親父のこと知っているの」

 キキに素っ頓狂なことを言われて、オオワシは「オオワシ親父?」とびっくりした様子です。それからややあって、またニヤリとしました。

 今のキキはうまく飛べません。ですから、今ここでオオワシと戦ったら勝てる見込みがありませんでした。かといって逃げ切ることもできないでしょう。キキは翼を半開きにして羽を逆立て、クチバシをオオワシに向け、臨戦態勢をとります。

 ですが、オオワシは迫ってはきませんでした。このオオワシは大怪我をしていたからです。キキとの戦いで負った傷ではありません。オオワシ親父にやられた傷でした。

 実は、モモタが虹の雫を掘り当てたちょうどその時、十一羽のオオワシを蹴散らしたオオワシ親父が、キキを襲うこのオオタカ目掛けて突撃してきていたのです。瞬く間に爪に切り裂かれたこのオオワシは、くちばしでだめ押しの一撃を胸に食らって逃げたのでした。

 キキも見ていました。そうして、キキはオオワシ親父に鷲掴みにされて連れ去られたのです。

 だいぶ前のことなのに、まだ血が滲んでいます。とても深い傷を何ヵ所も負っているようでした。

 それでもキキには勝てる気がしません。

 このオオワシも、まさか自分がキキに負けるとは思ってもみないでしょう。ですが、キキを襲いませんでした。この傷で戦えば激痛が全身に響くし、勝っても自分が死んでしまっては意味がないからです。

 キキは訊きました。

 「オオタカ親父は何て名前なの?」

 「さあな。なんて言ったかな。忘れてしまったよ」

 代わりに、自分の名前はイメルだと教えてくれました。

 「オオワシ親父は、なんで僕を息子だって言っていたのかな。あなたの話によると、僕の前にも息子にされたやつがいたみたいじゃない」

 「ああ、いたさ。大勢いたさ」

 「どうして?」とキキが訊くと、イメルが答えます。

 「何年前だったかな。この辺りで大きな病気が流行ったんだ。初めは誰も気がつかなかった。まずカラスが死に始めてな。そこら中に落ちた。ちょうど子育ての時期だったもんだから、多くのオオワシがそのカラスを巣に持ち帰ってヒナに食わせていたよ。

 初めはよかったんだ。だが、他の鳥も死にはじめて、ついにはオオワシからも死ぬ者が出始めた。年老いてたからじゃないぜ。若いやつも大勢死んだ。たぶん最初に死んだカラスが病気を持っていやがったんだ」

 キキは真剣に聞きました。

 イメルが続けます。

 「俺は当時巣立ったばかりで伴侶を得ることができなかったから、カラスは食べなかった。だってもっと美味いウサギや山鳩が捕れるからな。それに鮭もだ。こう見えても鮭を捕えるのは結構得意なんだ」

 「子育て中だからって、なにも死んだカラスなんか食べなくても」

 キキがそう言ういと、イメルが呆れて叫びます。

 「バカ言っちゃいけない。子育てがどんだけ大変か知らないから言えるんだ。夫婦共働きだって、三つも四つもの卵を孵化させてヒナを育てるなんて簡単なことじゃない。

  ヒナは一日中お腹を空かしているんだ。いくら食べても食べ足らず、休むことなくごはんをねだってくる。二羽掛かりでも足りないくらいなんだぜ。しかも夫婦ともども飲まず食わずであってでさえもだ」

 キキはそれを聞いて、両親のことを思い出しました。イメルの話を聞き続けます。

 「お前だってそうだっただろう。一日中お腹を空かせて『ぴーちくぱーちく』泣きわめいていたはずさ」

 キキには覚えがありません。ごはんをねだっていた記憶はあるし、両親がくれるごはんをおいしく食べていた記憶もなんとなく残っていましたが、一日中ご飯をねだっていたことは覚えていません。

 イメルが言いました。

 「自分の体以上の量を一日で食うんだぜ。それでも食い足りないってせがむんだ」

 キキは思いました。

 (そんな大変な思いをして僕は育てられたのか)

 キキは、初めて巣を飛び立った日、タヌキに食べられそうになったことを思い出しました。兄が二羽いましたが、二羽ともタヌキに食べられてしまっています。キキは、心底死ななくてよかった、と思いました。両親が注いでくれた愛情を無に帰すところだったからです。

 キキが話題を変えました。

 「奥さんはどうしたの? オオワシ親父は一羽だったけど」

 「ああ? どうしたんだろうな。ヒナが孵ってしばらくのうちはカラスを持ってきていたけど、いつの間にか戻らなくなっちまった。どうせ病で倒れたんだろ」

 「オオワシ親父は?」

 「ああ、あいつも倒れたよ。フラフラしながら頑張ってごはんを持って帰ってきてはいたが、一羽で四羽ものヒナを育てるなんて土台無理な話だ。発狂したかと思ったら、あいつ自分で食い殺しちまった。そのままばったりと臥せって動かなくなったよ。俺はてっきり死んだかと思ったぜ」

 とても悲しい出来事でした。

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