ホラー短編集

緒方宗谷

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鬼胎

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 僕の心は準備が整っていた。でも怖くて力が抜けていく。弥紗はどうなるのだろう。あの子は嫌いだけれど、僕たちのお母さんたちを殺していない。みんなが殺された時は、まだ生まれていないはず。僕は思い切って頼んだ。
 「弥紗は殺さないで。僕殺したくないよ。だってあいつは何もしていないから」
 「どうして?」とても悲しげな表情で、お姉ちゃんが訊き返してきた。「あの子のせいで、あなたがどれだけ苦しんできたの? あの子がいさえしなければ、叩かれたりしなかったかもしれないことはたくさんあるのに」
 「でも、お母さんたちの仇じゃないから。僕殺人犯になりたくない」
 あの人たちを殺すことだって殺人罪だけれど、僕はそうは思わなかった。
 その決意をお姉ちゃんに話すと、お姉ちゃんはとても喜んだような表情を浮かべて、影の中に沈んでいくように笑った。
 「ありがとう、慎吾、決意してくれて。お姉ちゃん嬉しいわ」
 お姉ちゃんは、僕の顔を胸に抱きしめて、大きく息を吸い込みながらそう言った。そして続けた。
 「あなたがいつも寝ている和室の下の押入れの奥の方に、軍刀がしまわれているわ。その刀の鞘を抜いて、刃を下に向けてふすまに立てかけてほしいの。和則を呼びこんで、首を掻っ切ってやりたいから」
 探してみると、本当に軍刀があった。抜いてみると、本物に見えないほど、物静かな鉄色をしている。サビがあるのが生々しい。鞘にしまおうと思って刃を下に向けると、柄が壊れてすっぽ抜けた。ドスッと音がして、畳に刃の先が刺さる。危うく左足の親指が切れてしまうところだった。
 綺麗な紐を編んだ生地で作った柄の下に包まれていたのは、ブツブツのサメ肌みたいな黄ばんだ筒状のものだった。それが何だかは分からない。サメの皮だったのか、サメの卵だったのか、プラスチックだったのか。僕は、柄を包みなおして、言われた通りに刀を押し入れの内側からふすまに立てかけた。下に敷いてある布団の上に乗ると沈み込んで、刀の刃が落ちるように上手く。
 僕は訊いた。
 「他の人が引っ掛かったりしないの?」
 ずっと上の方からお姉ちゃんの声がした。
 「ええ、もちろん。でも引っかかってもいいでしょう? だって皆殺しにするんですから」
 僕は絶句した。下の押入れから顔を出した僕の顔を、天井裏へ上る穴から覗き込んで、お姉ちゃんが笑う。「もちろん、弥紗以外。ひぇっひっひっひっ」不気味な笑い声をあげた。
 それから何日か経った日曜日。氷が降りそうな寒い日だった。僕を殺そうと乳母車を押していたばばあが、庭の枯草を掃いている。もともとはおじいちゃんが作った日本庭園だ。おじいちゃんがガンで死んだ後もおばあちゃんが一生懸命手入れしていたのに。それをあのばばあが台無しにした。今はたくさんの花が植わっている。今は枯れてしまっているけれど、春になればたくさんの花が咲く。前はそれが大好きだったけれど、今は好きだとは思えない。春になると、ジャスミンの小さな白い花がたくさん咲いて、庭が甘たるい匂いで充満する。夏になると、どぎついランの匂いが、僕の部屋にも届く。
 あまり咲いたところは見ないけれど、月下美人も植わっていて、それが咲くと鼻がねじれるほど香る。他にもパンジーやスミレなんかも咲いている。全部嫌いだ。おばあちゃんの庭を返せ。そう思うと、お湯が煮えるように怒りがこみ上げてくる。苦いものを噛んだような気持ちだ。
 枯葉を掃くばばあが、僕を呼んで言った。
 「見ているのなら、手伝いなさい。応接間の掃除が終わっていないから、掃いて拭き掃除をしておいてちょうだい」
 「うん」僕は返事をして、応接間に行った。
 応接間は、足の短い濃い茶色の縁のある白く塗られた面の木のテーブルが二つ置いてあって、三人が腰かけられる長いソファが二つと、一人がけのソファが一つある。曇りガラスの戸棚のついた飾り棚が並んでいて、備え付けの棚には古いレコードが並んでいた。引いて開く木の扉のついた押入れくらい奥行きのある物置がついている。そして立派な暖炉がある。煙突のついた本物だ。
 掃き掃除を終えた頃に、急に電話が鳴った。耳慣れない音だ。古い電話のベルの音で、どこから聞こえてくるのか分からない。この部屋にも電話があるが、鳴る音はプルルルル、といった音。この電話が鳴っているのではないと思いながらも、僕は念のため受話器とってみた。やっぱり違う。
 いつまで経っても鳴りやまない。僕は懸命に探して、物置を開けた。奥の方から聞こえてくる。段ボール箱の合間を縫って奥に行くと、古い和ダンスが置いてあって、その上に今は見ない黒電話が置いてあった。鳴っているのは間違いなくそれだ。ケーブルが巻いてあるのを見つけて手に取ると、先は切ってあって、とても細い針金みたいなのがゲジゲジとしている。
 繋がるはずがない。僕はそう思ったけれど、受話器をとる。たぶんお姉ちゃんからだ。
 「もしもし」僕は言った。
 「慎吾――」やっぱりお姉ちゃんだ。「棚の戸を開けて。中の段ボールに入っているものを暖炉にくべなさい。そして火をつけるの。勢いよく燃え上がらせなさい」
 僕は受話器を置いた。そして言われた通りにするために、物置に積まれていた段ボールを端に寄せて、棚の中にあった僕の胴体くらいある二つの段ボールを応接間に引きだした。開けると、中にはぎっしりと炭が入っている。練炭もあった。円筒形でたくさん穴が開いたやつだ。もう一つ出した段ボールには、薪が入っていた。
 黒電話が鳴る。僕が取ると、お姉ちゃんが言う。
 「外に落ちている細い枝を集めてきて、丸めたたくさんの新聞紙と一緒に暖炉に積むの。その上に炭と練炭を山盛りにして、上から薪を乗せて見えなくして。そして火をつける前に透明のビニールテープで窓や扉を貼って覆ってしまいなさい。煙突の穴も。庭に通じるガラス戸以外ね」
 僕は言われた通りにした。煙突をふさいだ後すぐにつけた暖炉の炎は、離れていても肌を焼くように熱く感じられるほど、バチバチと火花を散らしてごうごうと燃え盛った。しばらくして庭から上がってきたばばあが言った。
 「まあまあ、本当にとても暖かいわね。暖炉の火だなんて久しぶりだね。慎吾が暖炉を焚いてくれたからとっても温かいよって呼んでくれたから、楽しみにしていたのよ。少し早いけれど庭掃除を切り上げてきてしまったよ」
 僕は呼んでいない。でもそれは黙って、別のことを言った。
 「この揺り椅子に座って。とても気持ちがいいよ」
 応接間の隅に追いやられて、僕や弥紗のおもちゃに埋もれていたやつだ。お姉ちゃんに言われた通りにばばあに勧めて座らせる。
 「お庭の掃き掃除は、僕がやっておくよ」
 「あら今日はいい子だね、嬉しいよ。じゃあ、任せてしまおうか」ばばあがそう言って笑う。
 僕は、自分のサンダルを履いて外に出た。ガムテープを剥がす音が聞こえないように応接間から少し離れたところに行ってテープを切り、応接間に戻って来ては、静かに慎重にガラス戸に目張りをする。雨水が流れているようにぼやけたガラス越しに見るばばあは、僕の行動に気がついていない。僕は、内側からテープを貼らなかったガラス戸全体を目張りし終えて、和室のほうに回って家の中に入ろうとした。
 「お兄ちゃん」
 後ろから弥紗の声がした。
 振り返ると、弥紗がボコボコになった古いバケツを両手で持っている。僕はギョッとして訊いた。
 「なに持ってるんだ。どこで見つけた?」
 「どこでって、お母さんに貰った。夏にやり残した花火があるから、一緒にやろうってお兄ちゃんが言ったんじゃない」
 そうか。だいぶ前にそういう話をした。でも何で今なんだろう。秋にした話じゃないか。僕は急いで裏の倉庫に走った。後ろから弥紗もついてくる。倉庫の床は閉ざされていて、開けられた形跡はない。以前に入った時の帰りに、床の上にトタン板の切れ端を乗せておいたけど、その時のまま動かされた気配はない。僕はホッとした。あのバケツじゃない。
 「どこでする?」弥紗がしつこく訊いてくる。
 「夜やろう」
 「えー? 今がいい」
 僕は、弥紗がおばあちゃんのところに行ってしまうのはまずい、と思った。
 「じゃあ、北側の庭でやろう。影の中でやったほうが綺麗だから」
 「わーい」とはしゃぎながら、弥紗は走って行く。二階のベランダを見やると、貴子が洗濯物を干している。
 僕は急いで食堂の冷蔵庫からコーラのペットボトルを取って、棚からウィスキー、そしてそれを飲むガラスのコップを持って自分の部屋に戻った。本棚の本をかき出して、無造作に床に落とす。裏には除草剤のガラス瓶が置いてある。ヒ素と書いてあった。よくわからないけれど、何かで聞いたことがある気がする。猛毒だ。
 ガラスのコップにウィスキーを注いで、除草剤の栓を抜く。そしてドボドボといれた。そしてコーラをなみなみ注ぐ。すごい勢いで細かな泡が立つ。勢い余ってコーラが溢れだした。そしていつまで経っても泡はおさまらなかった。
 泡が落ち着くのを待って、落ちていた脱ぎっぱなしのブルゾンで拭く。
 天井裏を爪で掻き毟る音がする。見上げると、お姉ちゃんが天井板に唇を押し付けて喋っているかのようなこもった声で言った。
 「もうすぐ洗濯物を干すのが終わる。早く行って労いの言葉をかけなさい」
 恐ろしげな声だった。
 「うん」
 僕はそう答えて、お母さんの部屋に急いで行った。

つづく


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