ホラー短編集

緒方宗谷

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鬼胎

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 ちょうど洗濯を終えた貴子が自分の部屋に入ったところだった。
 貴子は、入って来た僕を見て嬉しそうに舌を出して訊いてきた。
 「それがさっき言っていたお酒入りのコーラ? それでお父さんはいつ上がって来るの?」
 「うん、もうすぐだよ」
 なんのことか分からないけれど、僕はそう答えた。たぶん、このコーラは和則からの差し入れだと思っているんだろう。僕はテーブルに毒入りコーラのコップを置くと、急いで一階におりた。和則を和室に呼び出さないといけない。玄関の外にある車を洗っている和則のもとへ向かおうとした時、北側の庭からバンッ、という大きくて渇いた破裂音がした。それと同時に一斉に窓が割れる音が響いて、家全体が揺れ動く。僕は唖然とした。
 「まさか、まさか――」
 あの手りゅう弾のことが頭をよぎる。
 二階から「ぎゃぁぁぁぁぁ」という呪われたような声が響いた。びっくりして思わず二階に走った。そこには、カーペットの上でのたうちまわる貴子がいた。テーブルやらなにやらをひっくり返してもがいている。仰向けで仰け反って僕を見た貴子は、皮がむけるほどに首を掻き毟って、割れるような声で叫ぶ。
 「なにを飲ませたー! 慎吾、わたしに何を飲ませたー」
 歯噛みする口の中は吹いた泡でいっぱいだった。糸を引いたよだれを垂らしてつばきをまき散らしながら。瞬きもせず、潰れそうな血走った目を見開いて、僕を視線で突き刺し続けた。
 僕は叫んだ。
 「お前が、お前が悪いんだ。お母さんたちを殺したから」
 「あぐわがががが~――なにをーなにをー」
 一重の目を大きく向いて痙攣していた貴子は、そのまま動かなくなった。恐ろしく苦しむ表情そのままに。
 外から男の叫ぶ声がする。その声を聞いて我に返った僕は、僕を見つめ続ける女から視線をそらして、一階に走った。北の庭に行くと、上半身が血まみれになった見るも無残な弥紗が倒れていて、和則が跪いてワナワナ震えている。
 和則は僕に向かって怒鳴り散らした。
 「慎吾がやったのか! お前が花火をやろうって言ったから、こんなことになったんだな。なんで花火をやってこんなになるんだ」
 そう言いながら、何かに目をうばられた様子の和則は、見つけた何かに歩み寄って手に取った。「・・・」しばらく黙っていた和則は、僕に訊いた。「なんだこれは!」
 それはあの手りゅう弾だった。内側から弾けて千切れて裂けておかしな形になっていたけれど、それは間違いなくあの手りゅう弾だった。
 和則は震える声で、僕に怒鳴った。
 「これをどこで手に入れた。爆弾じゃないか! もしかして慎吾が作ったのか!? 花火の火薬を使って!!」
 僕は咄嗟に首を横に振る。和則は、僕の肩を押しつぶすほどの強さで強く握って家に上がると、「お母さん、お母さん」と叫びながら、二階へと上がった。そして、妻の部屋に入るなり「ひっ」と叫んで動けなくなった。そこには悪魔に憑かれたかのような異様な格好で死んだ貴子がいたからだ。
 和則は、すごい形相で僕を見た。
 「まさか・・・これも・・・?」
 僕は怖くなって後退りすると、後ろを振り返って逃げだした。
 「待て」
 背中を掴もうとする和則の指に押されてバランスを崩した僕は、そのまま階段の一番上から下まで転げ落ちた。全身が痛い。すごい勢いで鼻血が噴き出すのが分かる。
 大きな足音を立てて駆けおりてきた和則は、僕の右の二の腕を鷲掴みにして立たせ、「おばあちゃん、おばあちゃん」とばばあを探して回る。
 そして応接間に辿り着いた和則は、目張りされて開かないドアを不審に思った様子を見せた後で、無理やりにこじ開けた。開いた瞬間、すごい量の煙が廊下に溢れ出る。「うっ」と顔を背けて、「まさか、中におばあちゃんがいるのか」そう言って中に駆け込む和則だったが、一瞬の内によろめいて、膝をついた。
 僕は逃げた。すぐ後ろを「待て」と言う声が追いかけてくる。
 天上から声が聞こえた。
 「車に逃げなさい」
 僕は言われるがままに外に裸足で出た。
 窓ごしに車の中を見ると、キーがついている。あの男の膝に乗って運転させてもらったことがあるから、運転の仕方は知っている。走って逃げても追いつかれると思った僕は、運転席に乗り込んだ。キーを回す。浅く座って足を伸ばして、アクセルを踏み込む。ゆっくりと走り出した。
 なんとか前を見ながら、車を走らせた。でもうまく運転できずに、誰かの家の植え込みに突っ込んでしまった。和則の声が追いついてきた。運転席の扉を開けると、和則は勢いよく僕の頬を叩いた。何度も何度も叩いて、終いにはグーで殴りつける。僕は「あ~~~~~」と叫んだ。
 正則は、僕を助手席に押しやって運転席に座った。
 「お前みたいな悪魔のような奴は警察に突き出してやる。お父さんじゃどうしようもない。みんなを殺してしまうなんて」
 そう言って、エンジンをかけ直して車を発進させた。
 僕の家のある村は、周りを山に囲まれた小さな村だ。昔この辺りの畑は全部僕のご先祖様のものだったらしい。豪農と言うやつだと教わったことがある。交番はない。消防団の倉庫が一つあるだけで、警察署も消防署も山を二つ超えた向こうの町にある。
 車は山道を進んでいく。和則の荒い息づかいと車のエンジン音だけが聞こえる。後ろからも向かいからも車は来なかった。僕たちだけだ。町までに十分くらいしかない。僕は警察に捕まってしまうのか、と絶望した。
 そんな時、ダッシュボードの中に置いてある和則のスマホが鳴った。
 「でるな! 出なくていい!」
 和則が怒鳴る。
 でも電話は鳴りやまずに延々となり続ける。普通は留守電になるはずだけれど、留守電にはならなかった。
 僕は、急に背中に悪寒を感じて、身を震わせた。両方の脇に起こった悪寒は、背筋を上って首筋を伝い後頭部を凍りつかせる。お姉ちゃんだ。僕はそう思った。後部座席を見やるけれど、お姉ちゃんはいない。いるはずがない。だって天井裏から出てこられないから。
 お姉ちゃんが電話を鳴らしているんだ。僕はスマホに手を伸ばす。
 「出るな、出るんじゃない」
 和則がそう叫び続ける。それでも僕は電話に出た。
 「慎吾――」お姉ちゃんの声だ。「あなたは殺されるわ。逃げ切れられずに捕まってしまったから」
 僕は否定して言おうとした。“警察に突き出されるんだ”、と。でも声が出なかった。
 お姉ちゃんが言う。
 「警察に連れていかれると思っているんでしょう? そんなのウソ。その道はわたしを殺そうとした時に通った道だから」
 嘘だよ。僕はそう思った。だって崖なんてない。急な斜面はあるけれど、沢山の杉が生えていて、車が落ちても引っ掛かる。なによりも車が“落ちる”と言うほどの高い斜面でもない。
 お姉ちゃんが言った。
 「その息づかい、信じないのね。・・・いいわ、今に分かるから。もうすぐその道は二股に別れる。右に行けば二つ目の峠を越えて町に出るけれど、左に行けばさらに深い山の奥に繋がっている。中に入って死んだら、もう二度と見つからないような深い山に」
 分かれ道が見えてきた。本当に二股になっている。凍えるほどの悪寒が走る。お姉ちゃんがいる。この車にお姉ちゃんがいる。僕にはそう思えた。僕とシートの間にお姉ちゃんがいるように思えた。

つづく


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