ホラー短編集

緒方宗谷

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鬼胎

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 お姉ちゃんが続けて言った。
 「もしかしたら、慎吾の言う通り、警察に行くのかもしれない。だけれども結果は変わらないわ。だってあなたは三人も人を殺めてしまったんですから、逮捕されれば必ず死刑になることは間違いないわ。そうなればわたしたちの一族は滅びてしまう。わたしも外に出られないから、一生を屋根裏で過ごさなければならなくなる。
  この男にとってはそちらの方が安全かもしれない、自分で手を下すよりも」
 お姉ちゃんの両手が僕のお腹を滑り上がってくる。胸を撫でて頬を撫でて、そして両目を覆ったように感じた。急に、切り絵を使った影絵のように木々がざわめく。突然ドロドロした雰囲気に車の外が包まれた。
 和則が言った。
 「なにしているんだ。誰とも話していないのならスマホを置きなさい」
 車はスピードを落として左の道に入った。この道は町に行く道ではない。僕は全身を硬直させて、顔をひきつらせた。痙攣しているのが変わる。道と同じような線状に見える空は、もう陽が暮れ始めている。赤黒く染まっていた。周りの木々は闇色の影に包まれていて、歯ぎしりのような音を鳴らして揺れていた。
 震えが止まらない。僕は思わず「助けて」と叫んだ。
 「大丈夫」お姉ちゃんがスマホから囁いた。「お姉ちゃんが助けてあげる。言う通りにすれば大丈夫よ。なにも心配はいらない」
 お姉ちゃんの声は少し笑っているようだ。
 僕はあまりに震えすぎて、スマホを落とした。「拾わなくていい」と和則の声が響く。それでも僕は拾おうとお腹を“く”の字に折り曲げて、スマホを探した。それと同時に自分のシートベルトをはめる。実際はスマホを探していない。
 僕は深く何度も口で呼吸した。決意を固めてスマホをとろうと左手を伸ばす。それと同時にバランスをとろう、と右手を横に広げた。そのままどこにも手をつかずにいた。僕は、お姉ちゃんの合図を待っていた。
 「今よ」と言う声がスマホから聞こえて、僕は伸ばした右手をさらに伸ばして、和則のシートベルトをとめている赤いボタンを押した。一瞬にして外れた。それと同時に両手でハンドルを握る正則の右腕を勢いよく押し上げた。
 耳をつらぬくような急ブレーキの音がして、車が横に振れる。そして凄まじい音を発てて対向車と衝突した。一瞬見えたその車は赤い車だった。全身が激しく揺さぶられて、その時の記憶はほとんど無い。ただ、沢山の写真を一気に頭に焼き付けたかのような事故の記憶が数枚残っている。
 ぶつかって後ろのタイヤが持ち上がる赤い車。僕の乗る車もそうなっていた、と思う。車内に散乱する小物。和則の体が宙を舞って、天井や椅子に叩きつけられて、右のドアのガラスを叩き割った瞬間を鮮明に記憶している。
 二人の前にエアバックが噴き出したけれど、正則は車が横転して転がっていく衝撃で、僕の上にのしかかって、正面のガラスに向かって跳ね返った。ちょうど二つのエアバックの間を縫うように飛んでいって、ガラスに顔面を打ちつけた。
 その後の記憶は残っていない。目が覚めた時、僕は近くの町よりも大きな町の病院のベッドの上にいた。僕を育ててくれた人たちを失った僕は、退院と同時に施設に入った。それから十八歳になって高校を卒業するまで、一度も家には帰っていない。初めは、いつ僕は逮捕されるのだろう、と怯え慄いていたけれど、結局僕は逮捕されなかった。
 施設で聞いた話では、和則が一家を惨殺して山中で僕を殺そうと車を走らせていた時に、事故を起こして死んだことになっていた。僕がみんなを殺したとは誰も思っていなかったし、僕が事故を故意に起こしたなんて誰も考えていない様子だ。ましてや、天井裏のお姉ちゃんと共謀したなんて、微塵も思っていないだろう。
 高校を卒業した僕は、春休みの間に実家へと帰った。ボストンバック一つを持って。
 あれから足掛け八年が立つ。正確には七年ちょい。とても懐かしいのどかな田園風景だ。なにも変わっていない。僕の住んでいた家もそのままだった。主を失った庭は荒れ果てて雑草に埋め尽くされていたが、家の中には誰かに侵入された形跡もない。あの日のまま家具は置き去りにされて、埃にまみれていた。
 僕は、このような光景は思いもよらなかった。ようやく解放されたお姉ちゃんが住んでいて、帰ってきた僕を温かく歓迎してくれるものだと思っていたからだ。
 僕は家の中に入ってまっさきに押入れに入って天井裏を覗いた。スマホのランプで奥を照らすけれど、誰もいない。いつもお姉ちゃんがいたお風呂場の真上には、赤い着物が落ちている。着物だけしかない。
 今の体格の僕では中に入っていけないので、屋根裏に上がるのは諦めた。和室に下りて廊下に出て、脱衣所の屋根板を外そうとするが、釘で打ち付けられていてはずれない。浴室の点検口を開けたけれど、横に通った梁が邪魔で、和服の全容は見えなかった。手を伸ばしても届かない。
 諦めて点検口を閉じると、和室から大きな音がした。急いで和室に戻ると、そこは静寂に包まれている。押入れの下の段から聞こえたように思えた僕は、下の段を覗き込む。何か気配がする。僕は、奥を覗き込もうとしたが、そうしなかった。
 今着ている服は一張羅だったから、埃にまみれさせるわけにはいかない。持ってきたのは、薄手のシャツと下着類だけ。僕は「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と声をかけたが、返事は返ってこない。
 これまでの月日の中で、忘れていたことを思い出した。ずっと昔にお姉ちゃんから聞いた話。それに加えて、今日知ったことも含めて、思い返す。
 江戸時代から明治期まで豪農だった僕の先祖は、大正時代に製糸工場を始めて、幾つかの会社を立ち上げたらしい。戦争中も比較的裕福に暮らしていたらしいが、戦後になって一気に没落したと、ここに戻る途中で覗いた町の郷土資料館で知ることが出来た。あの一家の祖父を助けた頃からだ。
 製糸工場が爆撃で焼けたのは関係ないだろうが、戦後まで残った会社は次々と人手に渡った、と書かれている。あいつらの祖父か息子とぐるになったやつらが乗っ取っていったのだろう。僕はそう考えた。
 平成の不況の中で残った財産も食いつぶされて、残ったのはこの家だけ。何か虚しさを覚える。お姉ちゃんを助けたくてあいつらを殺したのに、そのお姉ちゃんはどこに行ってしまったのだろう。もしかしたら、僕が帰ってきたことに気がついていないのかもしれない。あの一家が死んでから、お姉ちゃんはこの家を出たのだろうから。
 いつかお姉ちゃんが戻ってきたら、強く抱き合ってお互いの生還を讃えあいたい、と僕は思った。
 就職が決まっていた僕は、会社に提出する住民票が必要で役場に取りにいった。その時僕は、不意に家族全員分が記載された住民票が欲しくなった。あの家には、本当の家族の思い出は何もない。あいつらの思い出のアルバムと僕の写真しかない。
 僕は、会社に出す住民票とは別に、家族全員分が記載された住民票の交付も申請した。しばらくして交付されたそれを見ながら帰ろうとした時、ふとみんなの死亡の日付が目に飛び込んできた。
 日付は二〇一四年十一月十四日と書いてある。全員分を見比べたが、どれも同じ日付だ。おかしい。十八年前に、家族はみんなあいつらに殺されたはずなのに。死亡の日付が違う。二〇〇四年のはずだ。更に気がついた。家族の中にお姉ちゃんはいない。兄弟姉妹は妹だけ。名前は弥紗。全員の名前を確認する。祖母登紀子。母貴子。婿養子で入った和則。そして僕、慎吾。あと妹の弥紗。
 どこにもない。幸子なんて名前は、どこにもない。僕は戦慄を覚えた。全身に悪寒が走る。脳裏に「クスクスクス」とあの声が響く。僕は役場の部屋全体を見渡した。
 僕は愕然としながら、心の中で叫んだ。

「「「お前は一体誰なんだ‼‼⁉」」」

おわり

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