ホラー短編集

緒方宗谷

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鬼胎

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 干からびて半分ミイラのようになった肌に血色は無い。何よりも目玉が無く、首の肉も無くなっていて、骨がむき出しになっている。とても生きているようには見えなかった。
「うわぁ!」
 驚いた榎本が後ろに転げて、慌てて出口に逃げるが、扉があかない。ガラスが割れていて外が見えている扉を破壊しようとするも、ガラスを填める木の格子を壊せずにいる。
 店主の声が、力なく店内に響く。
「もう……しょうがないでしょう? 座ってください」
 入り口にいる榎本を見やりながら、男が店主に言った。
「ここのラーメンが最高だぞって教えてやっているのに、コイツら何度も道を間違えて、食べてないんだよ。
 だからさ、ここのおすすめの手打ちラーメンを食べさせてやってよ」
「しょうがないですね、いつものしか出来ませんけど」
「いつもので良いよ」そう答えた男は、後輩たちに笑顔を振りまいて、「ここはさ、醤油ラーメンしかやっていないんだよ。どこも味噌やってるのに、ここは醤油だけ、醤油に命かけているんだよ」さも自分のことであるかのように、自慢げに言った。
「へえ、そうなんですか?」
 みんな苦笑いで、男に返事をする。
 ラーメンが出来るまでの間、ふと思い出したかのように、男が話し始めた。
「そう言えばさ、ずっと昔に、ここに美味いラーメン屋があったんだよ。
 二十年くらい前だったかな、流行らない店ばかりが入れ替わる前にあったんだけどさ、本当に美味かったんだよ。
 それで俺さぁ、こんな田舎じゃなくて、都市部の駅でやるべきだって、アドバイスしてやったのよ。この味は、こんな田舎で食わすには勿体ないってさ」
 ラーメン通を自称する男は、ラーメンが出てくるまで、一人で延々としゃべり続けた。
「ここいらじゃ五百五十円が相場だけど、都市部なら千円取ってもいけるぞってな。
 そしたら、ここの店主が真に受けちゃってさ、この店売っぱらって都市に移転しちまったんだ。
 どうしてるかなぁ、あの店、すんげー美味かったから、繁盛してるんだろうな」
 注文した四つのラーメンはすぐに出てきた。自家製の手打ちだから、出来上がりも早い。男の言葉が止むのを見計らってテーブルにラーメンを置きながら、店主が口を開いた。
「その店…もう潰れましたよ」
「え? マジ?」ギョッとする男。
「ええ、一年位だったかな、すぐでしたよ、全然客が入らなくて。
 ここ売ったお金に借り入れを足して、仙台駅のそばに店を開いたんですけど、全然お客さんが入らなくって、借金だけが残ったんです」
「へえ、何で知ってるの?」
「私ですから」
「またまた、冗談言っちゃって、全然違うじゃない、こんなに痩せてなかったし。確か、小太りの男だったよ。
 まあ確かにあの味は田舎の味だよな、都会でやっていけるわけないよ、田舎だから美味しいんだよ、そういう味さ。バカだねぇ、あの店主も、本当に移転しちゃうなんてさ」
 無責任に笑う男は、麺がのびては大変だと言って、急いで啜り始める。一口すすって、一向に食べようとしない後輩たちを見やって言った。
「どうしたんだよ、さっさと食っちまえよ。ラーメンはできたてが命だからな、刻一刻と味が落ちていくんだぞ」
 突然、町田が吐いてしまった。しかし、誰も介抱もせず男に釘付けになっていた。男自身も、おう吐した後輩に気もくれずに、黙々と啜っている。
 みんなは顔を見合わせ、自分の前に置かれたラーメンに視線を落とす。そして、合図もなしに一斉にゆっくりと店主を見た。店主は、干からびた唇でニンマリとした笑みを返してきた。
 どんぶりの中には、激しくうねくり回るミミズが、清掃されていない和式の公衆便所に流されずに放置された下痢便のような汚臭を放つグリストラップのスープにまみれている。男は、それを然も美味そうに啜っていたのだ。
 店主が「食べるまでは帰しませんよ」と言うと、男が続けて言った。
「そうだぞ、ご主人に失礼だろ?」
 引き継いで店主が続ける。
「ああ、それと、この店のことは他言無用に願います。隠れ家的なお店なので」
 後輩たちは、顔の筋肉を小刻みに動かしながら、得体のしれないヘドロ色の汚物に満たされたどんぶりを凝視していた。食べるのか、食べないのか、決めあぐねているようだ。食べざるを得ない。食べなければ、この呪われた廃屋からは逃れられないだろう。
 顔をしかめながらも、鈴木が箸を取った。同僚みんなが固唾を飲んでそれを見守る。
 白濁とした中に、疥癬病の膿んだ瘡蓋に似た錆色のうわばみがシミのように広がるスープに箸を突っ込んで麺を挟み上げると、うねうねと悶えて身をよじる幾匹ものミミズが姿を現した。みちゃみちゃ、と音を発てて絡み合うミミズが飛ばす汁が、鈴木の顔に飛ぶ。鼻をもぐほどの強烈な汚臭を放つそれは、あたかも皮膚を腐らせるのではないか、と思えるほどだった。
 箸ですくうと同時に、どんぶりの底に堆積していたオリが巻き上げられて、細かい残飯屑で、より濁る。そして沸き立つ湯気が、更に悍ましい匂いを含んで頬を撫でた。
 鈴木が鼻で息を吸うと同時に、凄まじい匂いが鼻腔の奥を、酸っぱくも痛痒く爪先で掻き毟りこねまわす。思わず床に吐しゃしてしまった。そんな状況にも男は我関せず、といった様子で、一心不乱にミミズを啜っている。
 後輩たちは誰も手を付けなかった。男が食べ終われば帰れる、と思ったからだ。休憩時間は一時間しかない。だから、タイムリミットが近づけば、ここに居続けることはできないだろう。誰もがそのような淡い期待を秘めていた。そして男を見やったまま凝然としていた。だが、一向に男は食べ終わらない。誰もが信じられない、と言った様子で顔をしかめて、彼の前にあるどんぶりを見つめていた。いくら男がすすっても、ミミズは減らなかった。
 店主が言った。
「ひっひっひっひっ、ここで餓死してお仲間になりますか?」
 みんなは目を合わせあう。仕方がない。意を決して、みんなしてミミズをすくった。いったい誰が最初に食らうのか。無言の駆け引きが続く。それに耐えかねて意を決したのは、榎本だった。
 勢いよくミミズを啜る。口内一杯に汚物臭さが広がって、鼻呼吸を通して咽喉の奥から肺までを満たし、そして鼻腔を抜けて噴出される。噛みちぎられてなおのたまうミミズの中から、ジャリジャリとした食感の混じった土のようなものが、噛み合された歯に押しやられて口の中にみちゅっ、と出る。
 スープのグリストラップは、酸化して酸っぱくなった不愉快な味の油で、舌触りはさらり、としていた。鳥ガラのコラーゲンか軟骨片らしき粒粒や、客の食べ残しのような細かい麺か何かの残飯にまみれたミミズの食感に交じって、砂粒のようなものが波打つ舌の上を転がる。
 榎本は、舌と喉の筋肉を使って、噛み擦り潰したミミズを咽頭へと押しやった。それと同時に、胃の内容物が食道を逆流する。一瞬固まった榎本の頬が膨張し、消化された飲食物が、飲み込もうとしたミミズ諸共どんぶりの中に吐き出された。胃酸の酸っぱい匂いがこみ上げる吐しゃ物で、どんぶりが溢れる。そしてテーブルを汚して、一筋に床へと流れ落ちていく。
 榎本の全身、細胞全てが、食べるのを拒絶していた。
「あらあら」と店主が言う。厨房の奥から、背を向けたまま続けて「どうなさいました? 吐き出したりなんかして」と言った。
「そうだぞ。遊んでばかりいないで食っちまえ」男が言う。
 みんなは、ボロボロと涙を流して嗚咽しながら、こみ上げてくるゲロを何度も吐き出し、繰り返しミミズを啜る。そして下痢便のような臭いを発する汚物汁を口に含む。噛み潰されて胃液にまみれたミミズを2度3度と飲み込む。そして、ようやく3人がそれらを食べ切り、汚物汁を飲み干すと、それを待っていたかのように、男が最後の汁を名残惜しそうに飲み干した。
「ご馳走さん。美味かったよ。」
 男は、そう満足気に店主に言って、四人分の代金をテーブルに置く。
「またのおこしを」店主が返した。
外に出ると、すでに夜のとばりが下りている。鈴木が時計を見ると、深夜12時を過ぎていた。
 男は、爪楊枝で歯の隙間をいじくりながら、みんなに向き直って見渡す。
「んじゃ、また明日会社でな。夜遅いから気を付けて帰れよ」
 そう言って会社の車に乗り込むと、1人で帰ってしまった。
 げっそりした3人には、言葉を返す気力も体力もない。バスはもう終わっている時刻だし、ここいら辺ではタクシーも捕まらない。3人はそれぞれの家へと向かって別れ、トボトボと歩いて行った。一番家が近い者でも家まで10キロは下らない。その道のりを思うだけで、みんな死んでしまいそうだ。本当に生きた心地のしない一日だった。
 この店を訪れた後輩の3人が後日それぞれ調べたところによると、20年前にあの店を所有していた店主は、移転先で事業に失敗して、あの店の裏で首を吊って自殺したらしい。
 周りは田んぼだらけの田舎だから発見が遅れ、警察が来た時には、首に縄が食い込んで、そこだけ腐って、肉が無くなっていたという。
 ちょうど東南側に位置していた自殺現場は、日中常に日差しが照る場所で、冬で乾燥していたこともあり、全身は腐らずに干からびてミイラになったのだろう、と推察される。
 この日以降、みんなはこの街道に足を運ぶことは無かった。男一人を除いて。

おわり
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