あはれの彼方

宮島永劫

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天明五年 崇同院僧侶の転落事故

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霊山雷山入山願

 霊山雷山にて
 崇同院大僧正の病気平癒祈願をしたく
 八月十一日の雷山案内
 その前日八月十日の宿を所望す

        京都 崇同院すうどういん 
        法慧ほうえ 真章まあき 遍斗べんと

          天明五年七月十日


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誓約書
               雷山神社

 霊山雷山ではすべて自己責任とすること
 管理する山田藩には一切干渉しないこと
 山田藩への申立は一切行わないこと
   
   署名 
       崇同院 法慧
           真章
           遍斗
         天明五年八月十一日

       
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調書
        天明五年八月十一日
        山田藩 町奉行所
  出席者
   真章 崇同院 僧侶
   遍斗 崇同院 僧侶
   宮本啓一郎 山田藩 寺社奉行
   宮本慎一郎 山田藩 寺社奉行所役人
   宮本恒一郎 山田藩 馬廻うままわり
   太助 山田藩 案内
   平次 山田藩 案内
   大岡金四郎 山田藩 町奉行
   中島良房 山田藩 国家老

天明五年八月十一日雷山入山
法慧 真章 遍斗
宮本啓一郎 宮本慎一郎
太助 平次
計七名

入山口から二里の山道で法慧 谷底に落下
列順
 宮本啓一郎 
 平次 
 真章
 法慧
 遍斗
 太助 
 宮本慎一郎
事故時 法慧の前に真章 後ろに遍斗
二人を聴聞したが不審な点無し
法慧本人の不慮の事故とみなす

証言
 真章
  後に法慧 事故発覚時 すでに姿なし
  細い山道 足元の凹凸 断崖絶壁
  自身を守ることに注力
  周囲 不審な点無し
  不慮の事故と考える
 遍斗
  前に法慧 事故発覚時 すでに姿なし
  法慧とは距離あり
  難所ゆえ自身の足元に専念
  周囲 不審な点無し
  法慧の不注意による事故と考える


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 天明五年(一七八五)七月、京都の崇同院から使いが来た。使いの持ってきた書には、霊山雷山に入山する日とその前日の宿の願いが書いてあった。受け取った役人は慌てて父・宮本慎一郎のもとに来た。父はすぐに太助を京都に送った。太助が聞いて集めた噂だと、
『現在の崇同院大僧正が病の床にしており、次の大僧正の座を得ようと二人の強欲な僧侶が争っている。そのうちの一人、法慧が大僧正のために雷山で祈祷きとうをすることで自分の名声を高めようとしている。法慧は悪徳商人とつるんで朝廷との関係を密にしており、たんまり得た賄賂で太り、腹は木魚よりも膨らんでいる。法慧は若かりし頃、比叡や鞍馬で修行に励んだということで危険と知られる霊山雷山を登頂できると信じて疑わず、弟子が止めるのを聞かなかった』
とのことだった。祈祷ということなので断る訳にもいかず、父は仕方なしに宿の用意を進めることにした。手続きを指示する父、なんとなく寂しそうだ。
 入山当日、まだ薄暗い中、私は祖父・宮本啓一郎、父に付き添い、待ち合わせ場所の雷山神社に向かった。待っていたのは崇同院僧侶の法慧、真章、遍斗、そして真固度村出身の平次と太助の五人だった。僧侶たちは大僧正の病気平癒祈願をしに行くとはとても思えぬようなきらびやかな僧衣をまとい、きらきら光る首輪と数珠をつけていた。でっぷり太った法慧が険しい雷山を登れるとは思えなかった。こんな奴らに付き合わねばならぬ気の毒な父から、雷山神社の石段を百回往復すること、その後、社務所にある記録帳に目を通しておくことを命じられた。祖父を先頭に、父をしんがりに七人は暗い森の中へ入っていった。
 父に命じられた石段の往復は二十回でやめた。周囲はとても静かで石段を上り下りする音は遠くまで響く。とはいえ父たちは山深く入っただろうから私のズルに気づかないだろう。石段は百段あるのに百回往復なんてやってられるか!
「ここには開山の時からの記録帳が残されていますよ。ひとまず、恒一郎様が十一歳で初めて署名したときから去年までを出しましょう」
社務所の管理者は安永九年(一七八〇)から天明四年(一七八四)の五年分の記録帳を書庫より出してきた。一年ごとに管理されている記録帳は右に入山日、在籍部署、役職、名前が自筆で記されている。同じように左にも下山日、在籍部署、役職、名前が記され対になっていた。私が入山したのは安永九年、五年前だ。その年の記録帳を開く、まずは私の署名を見よう、うわっ、汚い字だなぁ。恥ずかしいので表紙に戻って最初から確認することにした。太助、平次、宗右衛門は真固度村の往来で何度も記帳していた。この年は五人の単独の修行僧が記帳していた。社務所に戻れないものが一人いて、左の空白が物悲しかった。
 翌年、天明元年(一七八一)の記録帳に移る。あっ、祖父と父が署名している。祖父、父が関わるとなると寺社奉行所を通しての依頼だろう。

  天明元年 七月十二日 
  銘仁めいじん神社 権宮司ごんぐうじ 本郷紀章きしょう
       禰宜ねぎ 一文字飛影ひえい
       禰宜 風見甘陽かんよう
  山田藩 寺社奉行 宮本啓一郎
      寺社奉行所役人 宮本慎一郎
      案内 平次
      案内 太助

 銘仁神社と言えば、河内地方を代表する神社だ。ここの破魔矢を飾っておくと金運が上がると商人がこぞって願をかける金持ち神社だ。わざわざこんな貧乏神社に来なくていいのに。それも本郷紀章は権宮司という役職、次の宮司だよな。こんな偉い人が何しに来たんだか、冷やかしかな。左に目を移す。

  天明元年 七月十二日
  銘仁神社 禰宜 一文字飛影
       禰宜 風見甘陽
  山田藩 寺社奉行 宮本啓一郎
      寺社奉行所役人 宮本慎一郎
      案内 平次
      案内 太助

 んっ? 入山時にあった本郷紀章が下山時にいない。どういうことだ? えっ、これって事故? 後で祖父に聞いてみよう。
 天明二年(一七八二)の記録は事故に関するようなものがなく問題なかったが、この年は父が一人で何度も入山していた。父は時々、山に一人で入る。宮本家は代々雷山神社の神職を世襲しているが、今は父が担っている。宮本家は神職の他、寺社奉行所役人、殿の護衛の番頭を兼務している。私は殿を守ることが一番の仕事だと思っているから番頭を目指しているが、役人見習いゆえ雑用ばかりしている。今の役職としては乗馬や馬の扱いを曾祖父から幼い頃より叩き込まれていることより馬廻を仰せつかっている、番頭の下の役人だ。曾祖父は藩校と寺子屋の先生、祖父は寺社奉行と番頭を最たるものとしている。天下泰平の世だから殿の護衛は参勤交代のときくらいだ。宮本家は番頭として武芸一般を体得しないといけないのだが父は一度も稽古に来ないし、試合も出ない。父の欠席、というか怠けは山田藩の暗黙の了解らしいが私は不満だ。
 天明三年(一七八三)に移る。この年も父は雷山に一人で入っている。真固度村出身の人が山道の管理をしていると真固度村の優しい人が言っていたが父は何をしているのだろう。

  天明三年 六月二十二日
  香月かげつ藩 町奉行所役人 菊池武蔵
      町奉行所役人 久保小次郎
      与力 鈴木日康にちやす
  山田藩 寺社奉行 宮本啓一郎
      寺社奉行所役人 宮本慎一郎
      案内 平次
      案内 太助

 香月藩と言えば、外様大名で五十二万石の大きな藩だ。そういえば二年前に転封てんぽうを命じられたのではなかったっけ? 叔父と息子の権力争いのお家騒動があったと聞いた。近隣の藩に喧嘩を吹っ掛ける、黒い部分の多い藩と藩校の授業で聞いた。そう思うと山田藩は平和だなぁ。

  天明三年 六月二十二日
  香月藩 町奉行所役人 久保小次郎
      与力 鈴木日康
  山田藩 寺社奉行 宮本啓一郎
      寺社奉行所役人 宮本慎一郎
      案内 平次
      案内 太助

 やっぱり、一人いない。いなくなったのは町奉行所役人の菊池武蔵だ。町奉行所役人といえば町の訴訟沙汰に関する役職だ。もしかしたら恨みを買うような判決に関わったのかな? 面倒なことをうやむやにしたんじゃないかな? 罰が当たったのか?
 天明四年(一七八四)、事故らしきものは見当たらなかった。父は雷山に一人で入った。そして、ひどい怪我をして帰ってきた。あの時、本当に父は死ぬかと思った。みんな泣いていたなぁ。
 五年分の記録帳に目を通し終わったとき、胸騒ぎがした。そこで追加でその前の五年分の記録帳を出してもらって目を通した。祖父と父が同行しているのは私でも知っているお金持ち藩の役人、大商人、寺社関係者だ。右側の入山時の人数に対し、左側の下山時の人数は常に一人足りなかった。誰かが事故にあっている。十年分しか見てないが、祖父と父が関係するときは全員で戻っていない。背筋に冷たいものが走った。
 未の刻に下山してきた。真章、弁斗が泣いている。法慧がいなかった。事故にあったことはすぐ察した。祖父は愚図る真章、弁斗に社務所で記録帳に署名させ、別の紙に法慧が崖道を踏み外し、谷底に落下したことを記載させた。その後、戻ってきた六人と私は町奉行所に向かった。そこで真章、遍斗の証言をもとに山田藩国家老の中島殿が調書を書いて江戸と京都に飛脚を走らせた。
 翌日、祖父、父は真章、遍斗とともに京都に向かった。京都所司代と崇同院に行き、不慮の事故を説明するのだろう。これは山田藩に嫌疑がかからぬよう取り計らうためだ。そして生き残った二人の僧侶に嫌疑がかけられぬよう崇同院まで付き添うのだろう。
 見送りを終え一人残された私、遠くの雷山を仰ぎ見る。昨日の町奉行所での聴聞に立ち会ったから、事件のことは知っている。祖父も父も法慧から離れているから関係ない。分かっている。でも、苦虫を噛み潰したような顔をする祖父、静かに憐れみを湛えた表情の父・・・、まさか・・・。
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