あはれ草子

宮島永劫

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おうた

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  山田藩にはいろんな歌がある。みんな好き勝手に歌っている。
   田植えの時には田植え頑張るぞの歌
   茶摘みの時には優しい乙女たち爽やかな歌
   機織りの時は機織りカタカタの歌
   雑草抜きの時はよっこいしょどっこいしょの歌
   収穫の時はありがたや雷様の歌
   薄荷の匂いを感じたら漂う香りに導かれの歌
   爽やかな風が吹いてきたらご機嫌な歌
   暑い日にはあちあちの歌
   寒い日にはさむさむの歌
   雨の日には恵みの雨の歌
   お出かけの時は行ってきますの歌
   お帰りの時はお疲れ様の歌
   山田藩を出ていくときは漂う香りに導かれの歌
   洗濯の時はきれいになぁれの歌
   竈の掃除はお目目ぱちぱち咳ごほごほの歌
   ご飯を作っているときはおいしくなぁれの歌
   雑巾がけの時はきれいにきれいにきゅっきゅっきゅっの歌
   怒られるときは雷様のわらべ歌
   温泉に入っているときはいい湯だなの歌
   お腹が空いたときは腹ペコの歌
   疲れた時は一日頑張りましたの歌
   寝るときにはねんねの歌
   ・・・

 よっちゃんは困っていた。心の中で呟いていた。
「私、音痴なんだよね」
「何を歌っていいか分かんないんだよね」
「下手って思われたら嫌だな」
「みんなに嫌な思いさせたらどうしよう」
「みんなを困らせちゃう」
世継ぎで寺社奉行所の役人になることが決まっている慎ちゃん(宮本慎一郎)、勘定奉行所の役人になることが決まっている桐ちゃん(桐間貫太郎)、町奉行所の役人になることが決まっている金ちゃん(大岡金四郎)、三人ともがうまい。慎ちゃんは勉強しているときも、書を読むときも、走っているときも、常に鼻歌交じりだ。
「ふふんふん」
「ははぁん、ふふんふぅん」
ヘラヘラしている慎ちゃんを見て、慎ちゃんのおじい様の宮本孝一郎様やお父様の宮本啓一郎様は、
「慎一郎、真面目にやれっ!」
と怒っている。慎ちゃんは怒られた時だけ黙ってしょぼんとしている。おじい様やお父様が近づいてくるのを察した時にはさっと逃げて行ってしまう。逃げ足が速いと言われる所以だ。しかし、おじい様やお父様が藩校からいなくなるとすぐに、
「ふふん、ははん」
と歌い出す。桐ちゃんも金ちゃんも大笑いして、
「ふふぅん、ははぁん」
と歌い出す。三人は藩校の居残り組、山田藩の重要職に就くことが決まっているから読まなきゃならない書を『あはれの彼方』から渡されている。慎ちゃんは山岳信仰、神社関係などの神学、植物、薬の本を与えられている。桐ちゃんは山田藩の過去の貨幣の推移に関する歴史書だ。金ちゃんは『公事方御定書』など幕府からのお達しを渡されている。三人とも鼻歌交じりだと不真面目に見えるが、成績は優秀だ。私は残らなくてもいいけれど、いつも居残って勉強しているふりをしている。三人に興味があって仲良くなりたくて居残っている。でも、輪に入っていけないんだ。みんな声をかけてくれるけどうまく話せない。言葉がツラツラ出てこない。面白いことは言えないし思い浮かばない。身体能力は低いし、何をしても下手くそ、不器用なんだ。ほんとはもっと打ち解けたいのに・・・、涙が出ちゃう。
 慎ちゃんのおじい様やお父様、藩校の先生たちがいなくなり、他の生徒が帰った後、国家老の中島孝明様が藩校にやってくることがある。そして、
「慎一郎、先月の人口調査を教えなさい」
「桐間、今年は例年の米の収穫より一割少なかったの。北の方は冷害で通常の年貢が納められないらしいの。山田藩はどうなるか予想して」
「金四郎、今年の冬の準備について教えなさい」
など山田藩の情勢、今後の予定などを聞きに来る。質問内容は深く、とてもまじめだ。ところが、その時の中島様が嬉しそうにスキップをしながらやってくる。質問の時だって、
「ねぇねぇ、教えて~、ふふふん、慎一郎ぉ~」
「桐、桐、桐、きぃり、きり、教えて頂戴、きぃり、きり」
「金ちゃん、強い子、元気な子」
と前置き付きだ。まずは慎ちゃんだ。
「せんせんせんせん先月は~♪ おキタさんが元気な男の子をお産みになったよ~♪ あ~♪ 嬉しい♡ あ~♪ 嬉しいったらありゃしない♡ ばぶばぶばぁ♡♡♡」
身振り手振りが面白い、しゃかしゃかしゃか♪ 次は桐ちゃんだ。
「お上が倹約倹約と~♪ うるさいかもかもかも鴨と葱~♪ まぁまぁいつものことだから~♪ 気にせずに~♪ 工芸品作りに勤しみましょう~♪ 機織りかたことかたことかったんこっとんとん♪」
機織り動作、ずんちゃかちゃか♪ 最後は金ちゃんだ。
「冬に備えて木材準備中ちゅうちゅうちゅう~鼠がちゅう♪ 大雪で長屋が押し潰された時のため~♪ でもきっと大丈夫~♪ みんなで雪かきするもんね♪ よいしょどこいしょどっこらしょ♪」
雪かき棒で雪下ろしの動き、よっさよっさわっさわさ♪ 三人ともご機嫌な歌声と踊りだ。
 慎ちゃんが歌い終わると、
「きゃー、慎一郎、可愛い♡♡♡」
と言って中島様は慎ちゃんに抱きつく。
 桐ちゃんが歌い終わると、
「きゃー、桐間、あなたに未来を託しちゃう♪」
と言って中島様は桐ちゃんに抱きつく。
 金ちゃんが歌い終わると、
「きゃー、金ちゃん、今年も任せたわよ!」
と言って中島様は金ちゃんに抱きつく。中島様はとても豊かだ。山田藩を左右する人物なのに常に朗らかだ。鋭い顔つきだけど藩校にいるとき、三人といるときは常にニコニコだ。とりわけ慎ちゃんといるときはちょっと変だ。でも、それはとっても羨ましい変だ。好きという気持ちで溢れているんだもの。こんな感情に溢れる大人、見たことない。
 慎ちゃん、桐ちゃん、金ちゃん、三人ともとっても嬉しそう。みんなとっても楽しそう。見ていて幸せになる。いいなぁ、私も三人のようになりたいなぁ・・・。私は山田藩の役人になれるかどうかわかんないけど・・・。なりたいなぁ・・・。
 中島様がいなくなり、自習の時間になった。とはいえ気もそぞろ、書を読んでいるふりをしてさっきの三人の歌を思い出して頭の中で歌っていた。
「ねぇ、一緒に踊ってみない?」
と桐ちゃんが誘ってきた。
「実は気になっていたでしょ?」
と桐ちゃんは悪戯っぽく私を見る。私はコクリと頷く。
「よっちゃん、私の真似できる?」
桐ちゃんは機織りの真似をする。もう、五回はやっているんだけど、うまくなれない。
「いい感じだよ」
「うまい、私より上手」
金ちゃんも慎ちゃんも踊り出した。いつも助けられている。優しい人たちだ。みんな優しいのに何で涙が出ちゃうんだろう。
「大丈夫、大丈夫」
慎ちゃんが笑いかける。あぁ、なんかいい香りがする、薄荷の香りだ。桐ちゃんからも金ちゃんからも漂う。みんなが私に優しい。
「合わせなくてもいいんだよぉ。明日になったら振り付けも歌も変わっちゃってんだから!」
「ほらっ、慎ちゃん、全く違うよ。慎ちゃん、面白―い」
確かに毎回変わる、即席、即興。私はたどたどしいけど、みんなの楽しげな姿に嬉しくなっちゃう。扉ががらりと開く。
「何よっ! そのかわいい踊りは! 私も混ぜなさい!」
国家老の中島様は帰ったふりしてこっそり覗いていたんだ。部屋中がいったん静まり返ったが、慎ちゃんが歌い出した。
「おタキさんの赤ちゃん、可愛いよぉ~♪ 可愛すぎて食べちゃいたい♪」
しゃかしゃかしゃかしゃか踊ると、中島様も踊り出す。
「あはれ~、あはれ~、あれれのれ~♪ 子どもは宝~♪ 嬉しいなぁ~♪ じゃかじゃかじゃか~♪ れれれのれ~♪」
慎ちゃん、桐ちゃん、金ちゃんは大笑いしている。中島様ってすごいなぁ・・・。慎ちゃんの次に桐ちゃん、
「お上は何を言ってんだか~、かったんこっとんかたかたかた」
「倹約、倹約って聞き飽きたぁ~♪ 山田藩は楽しく過ごしましょ~♪ しゃかしゃかしゃか♪」
国家老がお上にうんざりしている、大声で文句を言っている。こんなの幕府にバレたらヤバいことだ。ここにいるみんなの内緒の内緒だ。でも、みんな陰でコソコソ言ってんだよな。幕府の政治はおかしい。金ちゃんの歌が始まった。
「今年も冬がやってくる。なんとか乗り切るさ。みんなで力を合わせてえっさほいさほいさっさ」
「山田藩は大丈夫♪ あなたたちがいるから大丈夫♪ あはれ~♪ あはれ~♪ あはれのれ~♪ れれれのれ~♪」
あはれ、あはれ、れれれで盛り上がる。私も一番端っこで見様見真似。慎ちゃんが手を差し出してくれた。あぁ、なんて優しんだろう。
「ほんとに困るわね、あなたたちには! ちょっと静かに勉強して頂戴! 気になってしょうがないわ! 分かりましたか?」
一連の歌と踊りが終わると、中島様はそう言い捨てて帰っていった。三人は自分の席に戻り、与えられた宿題をやり始めた。静か、少し前の騒ぎが噓のよう。私は興奮が止まらない、ドキドキしている。しかし、みんなと同じように勉強を始めた。だって、三人と同じようにしたいから・・・。

「よっちゃん、無理しなくていいよ。合わせなくていいよ。私たちお馬鹿だからさ、ついつい歌っちゃうのさ」
帰り道、桐ちゃんが私に気遣う。
「無理なんかしてないよ! それより私が邪魔しちゃっているんじゃないかって・・・」
なんだか涙が出てきそう、ほんと私って駄目な人間だ。最低だ。
「よっちゃんって邪魔してたっけ?」
慎ちゃんが不思議そうに言う。
「よっちゃんが邪魔しているなんて誰も思わないよ」
「そうだよ」
金ちゃんも桐ちゃんも優しい。
「でもさ。他のみんなは気を使って帰るのにさ。私は勝手に居残ってさ。図々しいよね。ごめんなさい」
涙が出ちゃう。清く身を引いた方がいいのにさ。しつこい自分が嫌になる。でも、一緒にいたいと思う気持ちが止められない。
「よっちゃんがいてくれて私はとっても嬉しいよ」
慎ちゃんが嬉しそうに言う。
「私もだよ」
「私も嬉しいよ」
三人とも優しい。
「慎ちゃん、やっぱり優しいなぁ」
桐ちゃんは慎ちゃんに抱きついた。
「えへへ、やったね! いぇい! ふふんふふん♡」
「慎ちゃん、やっぱり人気者♡ ふふんふんふん♡」
「なんだか楽しい、ふふんふん♡」
「みんなといると嬉しいねぇ、ふっふっふっふっふんふんふん♡」
三人の歌声がおかしくて、三人の優しさが嬉しくて、涙が出てきちゃう。
 もうすぐ厳しい冬がやってくる。冷たい風が頬に触れる。でも、心は暖かかった。
 雷山が山田藩の未来を背負う四人を優しく見守っていた。

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