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二ノ巻 闇に響くは修羅天剣
二ノ巻7話(前編) 崇春が道着に着替えたら
しおりを挟むやや傾いた日の差し込む柔道場で、二人の男が組み合っていた。
「むう……!」
その片方は白帯の崇春――いつもの僧衣ではなく、借りた柔道着姿。寸が足らず、逞しい手足が袖から裾から突き出ている――。
いつも頭に巻いていた布は外し、黒く濃く太い長髪をさらしている。
組んで力を込めた肩が、腕が震えている。しかし、筋肉を備えたその腕も、決して低くはないその上背も。今は小さく、細くさえ見えた。組み合っている相手と比べれば。人の形をした山のような、その男の前では。
「っ……ス」
巨漢。一言で言えばそうだった、黒帯の男、斉藤逸人は。そして、そのでっぷりと垂れた脂肪の奥、女子の脚ほどもあろうかという太い腕の中には。野の獣のそれを思わせる、巌の如き筋肉が在る。
二人の男はやや腰を引き、互いの襟を袖をつかみ合ったまま動かない。だが、二人の間では常に力がせめぎ合っていた。二つの潮流がぶつかるように、押し、引く力が。相手を崩し、技の体勢に持ち込もうとする力が。
だが、そのうちに一瞬、斉藤の力が緩む。息をついて体を休めようとしたように。
同時、崇春が動いた。
「……! 【スシュン背負い】じゃああ!」
腰を落とし、襟と袖を引き込んで自らの背に相手を負う、双手での背負い投げの形。
――だが。斉藤はそれを見越していたかのように、腰を落としてこらえていた。
そして、投げを防がれ背を向けたままの、無防備な崇春の体を腰から抱える。
「……っス!」
潮が渦を巻くような、有無を言わせぬ動きで。腰を反らせて抱え上げた崇春を、畳へと叩きつける。
快ささえ感じさせる、畳の音が高く響く中。審判を務めていた、別の柔道部員が手を上げる。指を揃え、天井へ向けて。
「一本!」
柔道場の場外、端に敷かれた畳に座った、数名の部員から拍手が上がる。
その横に座った、かすみと賀来もそれにならった。
百見が声を上げる。
「斉藤選手、【裏投げ】お見事。崇春はといえば、綺麗にしてやられたな」
斉藤がはにかんだように微笑み、小さく頭を下げた横で。崇春は身を起こし、畳の上にあぐらをかいた。
「がっはっは! 全く、見事な一本よ! わしとしたことが、すっかり目立たれてしもうたわい!」
立ち上がり、掌を――受け身のために畳を叩いて痛むのか――さすった後。合掌し、頭を下げた。
「さすがよ。それにしても、快い技じゃったわい」
斉藤も深く頭を下げる。
「ありがとうございました。……っス」
袖で汗を拭った後、続ける。
「でも……なんというか、っスけど……さすが、凄いパワーっス。オレも、あそこでわざと隙を作らなかったら……やばかった、っス」
なるほど、とかすみは思った。斉藤が一瞬力を抜いたように見えた、あの隙はいわば罠であり、斉藤の技術だったということか。
崇春は濃緑の布を、バンダナか頭巾のように頭へ巻きつけていたが。その手を止めて目を瞬かせた。
「む? 隙じゃと?」
がっはっは、と笑って続けた。
「何を言うちょる、お主にそんなもんなかったわい! じゃけぇわしはわしで、全力をぶつけた! それが通じなんだまでよ!」
百見が息をつく。
「やれやれ、技術の差は仕方がないとしても。力はあってもセンスはないということか」
横で賀来が口を開く。
「私……我にはよく分からぬが。やっぱり強いな、斉藤くんは。自然で、綺麗な動きだった……格好良かったぞ」
「……ども……っス」
恥じ入るように斉藤はうつむき、賀来へ深く頭を下げた。
その後で、斉藤は崇春を真っ直ぐに見た。
「でも……本当に。技術さえ覚えれば、強くなると思うっス……オレより、も。どう、スか……うちの部に、入って、は」
意外ではあるが納得だ、そんな風にかすみは感じた。
以前、怪仏と化した斉藤を崇春は殴り飛ばしていた。その怪力があれば武道だろうとスポーツだろうと、いくらでも活躍できるだろう。
それなら目立ちたがりの崇春としても、願ったり叶ったりではないか。
しかし、崇春はうつむき、腕組みをする。
「むう……」
かすみが意外に思ったそのとき。
道場の隣のスペース、板敷きの剣道場から、気合いを入れるような声が上がった。向こうでも試合形式の練習をしているのか、防具を見につけた部員二人が互いに竹刀を向け合っている。その近くには審判だろう渦生の姿も見えた。
百見がかすみに身を寄せ、小さく言う。
「今試合している二人……こちらに背を向けてる方が、平坂円次だ」
そうだ、思わず崇春たちの試合に見入っていたが。本来の目的はこっちだった。
「やああ!」
再び、気合いをかける声が響く。平坂円次ではなく――先ほどと同じく――相手の部員一人だけの声だった。
その声には聞き覚えがあった。さっき、崇春と戦った人物。垂れ――胴の下に下がる、下半身を守る防具――にも、『黒田』と名が入っている。
黒田は前後に細かく動いて間合いを取り、あるいは打ち込むタイミングを計る。時折さらに気合いを上げては、平坂の竹刀を弾いて隙を作ろうとする。
平坂は対照的だった。その場からほとんど動くこともなく、自分から打っていくこともなかった。黒田に竹刀を弾かれても、その力に逆らうことなく受け流しては、すぐに、ぴたり、と竹刀を相手に向ける。自分の腹から相手の喉へ、芯でも通っているかのように真っ直ぐに。
それでも、黒田は竹刀をさらに振り上げ、平坂の竹刀へ打ちかかる。
「め――」
面、と声を上げようとしたのだろう、平坂の竹刀を打ち落として続けざまに面を打とうと。
が。
「小手ッッ!」
黒田がその言葉を言い終えるより早く、平坂がその右手を打っていた――相手の動きを読んでいたかのように、打ち落としてくる竹刀をかわし。宙を空振った竹刀が、体勢を立て直して面を狙ってくるよりも速く。まさに斬り捨てるような鋭さで――。
「が……!」
黒田は竹刀を取り落とし、しゃがみ込んで右手を押さえた。平坂の攻撃は確かに防具の、小手の上からのものだったが。それでも、それほどの威力があったのか。
あまりに痛そうで、かすみは思わず自分の右手を押さえた。
横で斉藤がつぶやく。
「さすが、圧倒的……スね」
百見もうなずく。
「ああ、そのようだ。とはいえ、剣道家としては十分可能な動きのはず。今のところ不自然な点は――」
そう言う間にも、黒田はどうにか再び竹刀を取り、互いに再び構え直した。どうやら三本勝負で、まだ試合は続くらしい。
再び気合いの声を上げ、打ちかかる――よりも先に、今度は平坂が動いていた。
「面ッッ!」
防ぐ暇、いや反応する暇もなく。響く音を立て、平坂の竹刀が相手の頭部を打った。
審判、渦生も平坂の方へ手を掲げる。
が。平坂はまだ止まらなかった。
「おぉらァ!」
ふらついて、どうにか足を踏みとどまる相手に向かい。竹刀を大きく振りかぶりざま、打った――腰を落とし横から竹刀を回し、振り抜く――、明らかに防具のない、脚を。
弾くような音が上がり、黒田が声にならない呻きを上げる。
その間にも平坂の攻撃は続いていた。片脚を引いて半身の姿勢になりながら、居合を思わせる片手での胴打ち。流れるように竹刀を振り上げ、面へ、顔の側面へ、肩へ、連続で斜めに斬り下ろす。さらには肩から体当たりし、相手を突き飛ばした。
明らかに、どう見ても、剣道のルール――少なくとも現代の――にはない攻撃。
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