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第4話
しおりを挟む数日の後、ことづけておいた銭と刀は来た。余計な者と一緒に。
「兄上、お言いつけのものをお持ちいたした」
八島紘孝。父亡き今、留守を任せてあるはずの弟が自ら来ていた。
頭を下げて代金を待たせてある宿の自室で、剛佐は弟から目をそらす。
「……ご苦労だったな」
背筋を伸ばし、弟は言う。
「不躾ながらお尋ねいたす。銭は分かり申す。一人修行に出たといえ、恥掻き捨てる旅の道、ついついの散財もござりましょう。またあるいは、うっかりと失くす、これも無いことではござりますまい。しかし。お腰のものを送れとは、いかなる事情にございましょうや」
「聞くな」
「無礼ながら。町の者どもが噂しており申す、武士のみを狙う斬り剥ぎが山中に出ると。その賊の剣技相当のものにて、命を取らず銭と刀のみを奪うと。よもや兄上――」
踏みしだくように畳を蹴り、剛佐は立ち上がった。
「ついて参れ」
それだけ言って宿を出ていく。弟も後へ続いた。
着いた場所は町外れ。数日来、剛佐が棒切れを振るっている場所であった。
「取れ」
言って、弟へ棒を放る。自らも別の棒を取り、構えた。
「参れ」
「兄上?」
「参れ」
いぶかしげな顔をしながらも弟は構える。そこへ剛佐は打ち込んだ。高い音を立てて棒がかち合う。剛佐はそこから手を緩めず、連続で打ち込んだ。弟は防ぎながらも押されるように後ずさる。
体勢を立て直そうと弟が跳びすさる、そこへ。剛佐も跳び込んでいた。弟と同じ距離の跳躍、しかし身を開いて片腕を伸ばして。剛佐の片手突きは弟の間合いの外から、正確に喉をとらえていた。寸前で止めてはいたが。
棒を下ろし、剛佐は言う。
「もう一本」
何合か打ち合った後、弟が棒を振り上げようとしたその瞬間。空いた小手を、剛佐の棒がぴたりと押さえる。無論、本来なら打てていた隙だった。
「もう一本」
振り下ろされる棒をはね飛ばし。剛佐は肩へと、したたかに打ち込む。今度は止めなかった。
「取れ」
肩を押さえてうずくまる弟に再び棒を差し出し、剛佐は続けた。
「わしが弱いか」
「兄上、何を……」
「わしが弱いかと聞いておる!」
打った。うずくまる弟の頬を、棒で。無理やりに立たせ、さらに打ち込んだ。
かつて斬壺を成功させた後、剛佐は全ての技を会得した。弟ほどすぐに覚えられたわけではないが、それまでに比べれば遥かに早く、技の骨子を押さえることができた。斬壺を抜きにしても今や弟を越え、先代にも比肩し得る腕となった、そう自負していた。
腕に顔にあざを作って倒れた、弟へと言い放つ。
「思い違うな。斬らねばならん糞虫がおる、故に刀が要る。それだけよ」
弟は目を伏せながら顔を上げた。
「……心得、申した。しかし、いかにして」
胸の内から押し出すように、剛佐は声を絞り出した。
「斬壺」
その日から。宿場町には妙な光景が見られた。陶物屋といわず古道具屋といわず、宿、酒屋、商家ではない家々までに。壺を売ってくれ、と武士が尋ねてくるのである。
町外れではさらに奇妙な光景があった。店開きでもしたかのように、ずらりと壺の並ぶ前に。抜き身の刀を手にした、年かさの武士がいた。仇でも討ちにいくかのように、白鉢巻に白だすき、袴の裾をからげた姿で。そのそばには壺を買い集めた武士が、いかにも厳粛な面持ちで控えていた。桶から柄杓で、白鉢巻の武士が手にした刀へ水を注ぐ。それはまるで、介錯の際の作法であった。
白鉢巻の武士は助走をつけ、裂帛の気合いと共に壺へと刀を振り下ろす。当然の如く壺は割れた。いくつかの破片に。
武士はなぜだか歯噛みして、また別の壺へ刀を振り下ろす。それも同じように割れる。そんなことが繰り返された。遠巻きに眺める町の者もまばらにあった。
全ての壺を割り終えても、武士の表情は決して晴れなかった。次の日、また次の日も、徳利といわず土鍋といわず、さらに陶物が買い集められた。
「明朝にござりまするな」
おぼろげな行灯の光の中、宿で弟はそう言った。
開け放った障子の前、月明かりの下で剛佐はうなずく。何も言わずに。
「勝算は」
弟の声に剛佐はまた、うなずく。
弟がゆっくりと、強く目をつむる。平伏した。
「お逃げなさいませ」
何も言わずにいると、弟は伏したまま続けた。
「兄上が、斬壺なくば勝てぬというほどの相手であれば。……勝ちは、ございますまい」
剛佐は答えず、身じろぎもしない。
弟が顔を上げた。その目に白く月明かりが映る。
「もしも立ち合うと仰るならば。拙者も、加勢を」
「たわけ」
つぶやくように剛佐は言った。
「立ち合いは一人と一人。他は無い」
「されど……」
剛佐は立ち上がり、刀を手に部屋を出る。
「もう言うな。先に休め」
月明かりの下を一人、町外れへと歩く。壺の破片が散らばる辺りへと着いて、剛佐は刀を抜いた。軽く振る。あまりにも、いつもの手応え。
剛佐は腕をだらりと下げ、ため息をついた。加勢させることができるなら、それであの童をなぶり殺せるなら、どんなによいか。けれど流派の長として、いや、剣士として。それだけは出来なかった。それどころか。下手をすれば、弟ともども斬られるのではないか――その光景が頭に浮かび、鳥肌が立った。
かぶりを振り、息をつく。見上げた月はただ白かった。
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