13 / 13
最終話 袴とスカートに距離はなく
しおりを挟む二人きり。二人きりだ、僕らはまた。半纏を贈った数日後。
僕も彼も、何も言わなかった。互いを見もしなかった――いや、それは違うか。
夜の道場に残った僕らは、離れた場所で準備を整える。あるいは竹刀をゆっくりと振り、あるいは改めてストレッチをし――ただ、横目で僕らは互いを見ていた。
不意に斬りかかられれば死ぬからだ。何しろ、これから斬り合いだから。
何度かやった真剣勝負、竹刀といえどそれは真剣。斬られれば死ぬ、僕か彼かが――いや、彼が。今日こそは彼が死ぬ。僕が勝つ。勝ってみせる。
防具のうち面と小手を外し、胴と垂――胴から下、腰部分に垂れ下がる防具――をつけた姿で。僕はゆっくりと竹刀を振るう。重心を、軸を、刃筋を確かめ、なぞるように。最強にして最短、最高効率の剣閃、その軌跡を想い、なぞるように。
僕の足指が、豆が剥けては治り剥けては治り、分厚くなった足裏の皮膚が。軋む土踏まずが、張り詰めたふくらはぎの筋肉が。がちりと太く厚くなった――武道経験のない者のそれとは違う、ましてや女の子のそれとは似ても似つかない――太腿が。
勝ちを求めて叫んでいる。
重心の重みを受け止めた腰が、六つに割れた腹筋が、背骨の一節一節が。厚く盛り上がった後背筋が。引き締まる大胸筋が、波に削られた巌のように、堅い丸みを帯びた肩が上腕が。それらの力を余すことなく受け取った、前腕が手首が十指が。
今日こそ斬ると応えている。
そして、全ての力を漲らせた竹刀が、僕の真剣が。
今、走った。最強にして最短、最高効率の剣閃。その軌跡を、確かに。竹刀で対手を斬り捨てられるそれを、初めて。
その驚きを、興奮を悟られぬよう、努めて平静に呼吸をして。僕は袴の裾をさばき、対手から顔を背けた。無論、横目の端でその動きをうかがえる位置で。
ふと感じる。両脚を隔てる袴の布地を。その上、股ぐらにぶら下がるものを。
在って良かったのだと、それを想う。
性ホルモンを由来とする筋肉量すなわち筋力の差。骨格、体格。少なくとも力において、男女の間には遠大な距離が在る――ほとんどの武道やスポーツにおいて、公式戦のそれは男女別となっている。その事実がそれを物語る――。
それは差別ではなく、区別にしてはっきりとした差異。つまるところ、ただの現実。
腹の底から息をついた。
良かった、これが在って。良かった、性差による筋力差が無くて。ただでさえ経験と才能の差があるのだ、これ以上の差があってたまるものか。
僕は竹刀を構え直した。もう一度繰り出す、最高の剣閃を。今度は踏み込みながらの小さな動き、剣道のそれで。
想う、僕は僕の筋肉の張りを。全身から溢れるようで、しかし無駄のない力の流れを。今、放った剣閃を。――美しい、と。
空を斬る音を上げたそれは、確かに。対手を、仮想敵を討ち倒した。ごく短い舞いのように。
そうするうち、彼は無言で道着を整え、床に置いていた小手と面の前に座る。頭に手拭いを巻き、面をかぶった。その間もその視線は、僕の方へと注がれていた。一瞬の油断すらなく。
僕もまた、道着を整えて座し、手拭いと面を着ける。
斬る。彼を。今日こそ、いや今こそ、ここで。斬る。
そう、斬る――そう考えつつ頭の後ろで面の紐を結んでいたとき、ふと頭をよぎった――ガッ! と斬って! バッ! と抱いて! ブッチュウウウ! ――そう言った魔女の言葉が。
さすがに苦笑した。その一方で頭のどこかが想う。
この勝負に勝ったとして、何を望む? 勝者が敗者に何でも望める、この勝負に勝ったとして。決して約束を違えない、彼に何を? 僕は、彼に――
ぶんぶんぶんとかぶりを振る。面紐が当たって音を立てる。
落ち着け。落ち着け僕よ、全てはこの勝負の後。彼を倒してからのこと、彼を斬ってからの――ガッ! と斬って! バッ! と抱いて、いや違う、だいたいひど過ぎる、さすがにそれは人として――。
僕はいったん、面を外す。
深く呼吸を吸って吐き、胸の内に冷たい風を通した後。
ぱん! と強く音を立て、両頬を叩いた。
その熱さを感じたまま面を着け直し、小手に手を通した。
指先までしっかりと通し、具合を確かめた後。竹刀を取って立ち上がる。
僕は、果たして。
試合の後、何かを彼に告げるだろうか――それは例えば、秘めていたものをぶつけるような。
さすがに自分を鼻で笑い、小さくかぶりを振る。
無い、絶対に無い。せいぜいそうだ、「アイス買えよアイス、業務用のでかいやつ」とか。「あんみつでもおごらせてやるよ、あんことクリーム盛り盛りのを」とか。それをそう、彼に「あ~ん」と食べさせてもらって――
面を着けたままの顔をぶん殴る。小手を着けたままの手で、自分で。
彼の目が不審げに瞬いたような気がした――面金の奥ではっきり見えるはずもない――が。
僕は遠間から竹刀を構えた。真剣勝負に礼法は無い、戦いはもう始まっている。
その構えを以て示す――今ので気合は充分だ、と。君の方こそ覚悟はいいか、と。
彼は構えを取る。剣道のそれとは違う形。左足を前に出した、野球の打者のような姿から、肘を寝かせ竹刀を斜め前に倒した構え。おそらくは彼の流派の、居合ではなく剣術としての形。部活の中では見たことのない形。
その構えは物語る――覚悟なんぞあるワケがねェ、と。あるのはてめェを斬る覚悟だ、と。
僕はうなずく。
彼もうなずく。
つながっていた、僕らは。互いを貫く、熱く堅いもので。
やがて僕が放つ、最高の剣閃。
同時に彼が放つ、最高の剣閃。
その行方は、その後のことは。僕ら二人だけが知っている。
(了)
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる
cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。
「付き合おうって言ったのは凪だよね」
あの流れで本気だとは思わないだろおおお。
凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?
ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜
キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」
(いえ、ただの生存戦略です!!)
【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】
生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。
ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。
のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。
「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。
「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。
「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」
なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!?
勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。
捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!?
「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」
ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます!
元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる