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最終話  袴とスカートに距離はなく

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 二人きり。二人きりだ、僕らはまた。半纏はんてんを贈った数日後。

 僕も彼も、何も言わなかった。互いを見もしなかった――いや、それは違うか。
 夜の道場に残った僕らは、離れた場所で準備を整える。あるいは竹刀をゆっくりと振り、あるいは改めてストレッチをし――ただ、横目で僕らは互いを見ていた。

 不意に斬りかかられれば死ぬからだ。何しろ、これから斬り合いだから。


 何度かやった真剣勝負、竹刀といえどそれは真剣。斬られれば死ぬ、僕か彼かが――いや、彼が。今日こそは彼が死ぬ。僕が勝つ。勝ってみせる。

 防具のうち面と小手を外し、胴とたれ――胴から下、腰部分に垂れ下がる防具――をつけた姿で。僕はゆっくりと竹刀を振るう。重心を、軸を、刃筋を確かめ、なぞるように。最強にして最短、最高効率の剣閃、その軌跡を想い、なぞるように。

 僕の足指が、豆が剥けては治り剥けては治り、分厚くなった足裏の皮膚が。軋む土踏まずが、張り詰めたふくらはぎの筋肉が。がちりと太く厚くなった――武道経験のない者のそれとは違う、ましてや女の子のそれとは似ても似つかない――太腿ふとももが。
 勝ちを求めて叫んでいる。

 重心の重みを受け止めた腰が、六つに割れた腹筋が、背骨の一節一節が。厚く盛り上がった後背筋が。引き締まる大胸筋が、波に削られたいわおのように、堅い丸みを帯びた肩が上腕が。それらの力を余すことなく受け取った、前腕が手首が十指が。
 今日こそ斬ると応えている。

 そして、全ての力をみなぎらせた竹刀が、僕の真剣が。
 今、走った。最強にして最短、最高効率の剣閃。その軌跡を、確かに。竹刀で対手あいてを斬り捨てられるそれを、初めて。

 その驚きを、興奮を悟られぬよう、努めて平静に呼吸をして。僕ははかまの裾をさばき、対手あいてから顔を背けた。無論、横目の端でその動きをうかがえる位置で。

 ふと感じる。両脚を隔てる袴の布地を。その上、股ぐらにぶら下がるものを。
 在って良かったのだと、それを想う。

 性ホルモンを由来とする筋肉量すなわち筋力の差。骨格、体格。少なくとも力において、男女の間には遠大な距離が在る――ほとんどの武道やスポーツにおいて、公式戦のそれは男女別となっている。その事実がそれを物語る――。
 それは差別ではなく、区別にしてはっきりとした差異。つまるところ、ただの現実。

 腹の底から息をついた。
 良かった、これが在って。良かった、性差による筋力差が無くて。ただでさえ経験と才能の差があるのだ、これ以上の差があってたまるものか。


 僕は竹刀を構え直した。もう一度繰り出す、最高の剣閃を。今度は踏み込みながらの小さな動き、剣道のそれで。

 想う、僕は僕の筋肉の張りを。全身からあふれるようで、しかし無駄のない力の流れを。今、放った剣閃を。――美しい、と。
 空を斬る音を上げたそれは、確かに。対手あいてを、仮想敵を討ち倒した。ごく短い舞いのように。


 そうするうち、彼は無言で道着を整え、床に置いていた小手と面の前に座る。頭に手拭いを巻き、面をかぶった。その間もその視線は、僕の方へと注がれていた。一瞬の油断すらなく。

 僕もまた、道着を整えて座し、手拭いと面を着ける。
 斬る。彼を。今日こそ、いや今こそ、ここで。斬る。

 そう、斬る――そう考えつつ頭の後ろで面の紐を結んでいたとき、ふと頭をよぎった――ガッ! と斬って! バッ! と抱いて! ブッチュウウウ! ――そう言った魔女の言葉が。

 さすがに苦笑した。その一方で頭のどこかが想う。
 この勝負に勝ったとして、何を望む? 勝者が敗者に何でも望める、この勝負に勝ったとして。決して約束を違えない、彼に何を? 僕は、彼に――

 ぶんぶんぶんとかぶりを振る。面紐が当たって音を立てる。

 落ち着け。落ち着け僕よ、全てはこの勝負の後。彼を倒してからのこと、彼を斬ってからの――ガッ! と斬って! バッ! と抱いて、いや違う、だいたいひど過ぎる、さすがにそれは人として――。

 僕はいったん、面を外す。
 深く呼吸を吸って吐き、胸の内に冷たい風を通した後。
ぱん! と強く音を立て、両頬を叩いた。

 その熱さを感じたまま面を着け直し、小手に手を通した。
 指先までしっかりと通し、具合を確かめた後。竹刀を取って立ち上がる。

 僕は、果たして。
 試合の後、何かを彼に告げるだろうか――それは例えば、秘めていたものをぶつけるような。

 さすがに自分を鼻で笑い、小さくかぶりを振る。
 無い、絶対に無い。せいぜいそうだ、「アイス買えよアイス、業務用のでかいやつ」とか。「あんみつでもおごらせてやるよ、あんことクリーム盛り盛りのを」とか。それをそう、彼に「あ~ん」と食べさせてもらって――

 面を着けたままの顔をぶん殴る。小手を着けたままの手で、自分で。

 彼の目が不審げに瞬いたような気がした――面金の奥ではっきり見えるはずもない――が。


 僕は遠間から竹刀を構えた。真剣勝負に礼法は無い、戦いはもう始まっている。
 その構えを以て示す――今ので気合は充分だ、と。君の方こそ覚悟はいいか、と。

 彼は構えを取る。剣道のそれとは違う形。左足を前に出した、野球の打者のような姿から、肘を寝かせ竹刀を斜め前に倒した構え。おそらくは彼の流派の、居合ではなく剣術としての形。部活の中では見たことのない形。
 その構えは物語る――覚悟なんぞあるワケがねェ、と。あるのはてめェを斬る覚悟だ、と。

 僕はうなずく。
彼もうなずく。

 つながっていた、僕らは。互いを貫く、熱く堅いもので。

 やがて僕が放つ、最高の剣閃。
 同時に彼が放つ、最高の剣閃。
 その行方は、その後のことは。僕ら二人だけが知っている。


(了)


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