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6話  私の愛車と、

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 店を出、駐車場の車の前に来て。私は足を開き腰に手を当て、下を向いた。目を閉じる。
「おや、どうされたので? お車はこちらですかな」
 後ろから聞こえた声に頬を歪めて。それから腹に力を込め、息を強く長く吐き出した。 そのままの表情で顔を上げる。
「ええ、その車。乗って」

 本当にやけだった。この奇妙な男とは関わるべきでないのかも知れない。だが関わらなければ関わらないで、後悔するというか、後でひどく気になるように思った。
 空白を埋めに来たのは確かだが。こんな妙な男の印象だとか、それをよく分からないまま放っておくだとか。そんなもやもやしたものでは、埋めたくなかった。

 男は短く刈り込んだあごひげをなで、しげしげと私の車を見る。
「ふむ。なかなか珍しい、変わったお車ですな」

 黄色のフィアット・パンダ。私の愛車だ。まるでミニカーか、ブリキのおもちゃにありそうな角ばったシンプルなフォルム。七十年代から九十年代のイタリア製大衆小型車。今ではもう大幅にモデルチェンジされていて、この型はとっくに製造されていない。
 変わった車、というのはよく聞く感想だった。現代に造られる車の多くは空気抵抗を軽くするためだろう、丸みを帯びた形をしている。この車のような、箱を組み合わせたみたいに角ばった車は変わって見えるに違いなかった。それでも私はこの車を、かわいい、と思って買ったのだし――

 そこまで考えて思い出す。彼はこの車を、格好かっけぇ、と言ったのだ。初めて私の車を見たとき。




――「うわ、格好かっけぇ! ロボットみたい、昔の!」
「ロボット?」
 そう問うと、彼は子供のような顔で言った。
「うん、レトロなアニメとかの。今のみたいなごてごてーっとしたんやのうて、こうシンプルに機械! っていう角ばり方が。変形とかしそうやのぅこれ」

 ごてごて、が今の車を指すのか今のアニメに出てくるロボットを指すのか、よく分からなかったが。
「私はかわいいと思うんだけど」
 彼は苦笑する。
「よう分からんのぅ、玖美サンの『かわいい』は」
 恭平の『格好かっけぇ』ほどではないと思った――。




 車に乗る。男も助手席に乗り込んだ。駐車場の中をゆっくりと走る。
「しかし、今さら言うのもなんですがな。いささか無用心ではございませんかな、女性としては。このような得体の知れない男を乗せるだなんて――」
 私はブレーキを踏み、車を止めた。エンジンを切って運転席を降り、助手席のドアを開ける。
「降りて」
 男は眉根をわずかに寄せて笑う。
「おや、これは手厳しい――」
 表情を変えず私は言う。
「読めるんでしょう、言わせないで。降りて。乗るなら後ろ」

 隣から男の声が聞こえたとき感じたのだった、強烈な違和感を。そこから聞こえてくる異性の声は、いつも彼だったから。少なくとも二年ほど前まで、助手席にいるのはいつも彼だったから。別れてから空の助手席に寂しさを覚えることはあったけれど。こんな感覚は初めてだった、島に来るまで。

 その助手席は今、空なのではなく。空白があった。彼が乗っていたままの空白が。誰にもそこに侵入されたくなかった。

 男は車を降り、助手席の後ろ、荷物の横にちょこんと座った。




 ――助手席にいるのはいつも彼だった、運転はいつも私だった。彼は免許なんて持っていなかったから。

 免許を取るように進めたことも何度かある。私だって、男の人の運転でドライブ――それが初心者とあっては不安だが――に行きたいと思うことはある。バイクの免許は持っていないが、男の人が運転するバイクの後ろには乗ってみたい。そんなちょっとした、女の子じみた願望はあった。

 けれど、そうしたことを聞く度に、無理無理、と彼は言うのだ。
「無理やって、おれやとろいからけん。運転しとるイメージすら湧かんわ。それよりか、ガンダム操縦せえ! って言われた方がまだできる気がする」
 何と言っていいか分からずにいると、彼は笑って続けた。
「そういや玖美サンの車、フィアットやろ? 知っとる? フィアットいうたらルパン三世が乗っとった車の会社やで、映画で! 玖美サンのとは型が違うみたいやけど」

 彼は本当に嬉しそうで、そのことは私も嬉しかったのだけれど。なぜ彼が嬉しがっていたのか、よくは分からなかった――。

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