闇の胎動

雨竜秀樹

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死霊王朝

第2話 吸血鬼同盟

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 霧が谷を覆い、夜の冷気が鋭く刺すように肌を撫でていた。星の見えない漆黒の夜空の下、軍の列が無音で進む。死者の軍団は、血の流れも呼吸も止まり、命令に従ってただ前へ進み続ける。先頭には、黒馬に跨った一人の男がいた。その姿は、闇そのものをまとっているかのように周囲に威圧感を放ち、名を知られることすら許されぬ、ただ「闇の支配者」とだけ呼ばれていた。
 その隣を歩く女性――ポレナ夫人の姿は、夜の闇とは対照的な冷たい白さを放っている。雪のように白い肌と、銀糸のように光る長い髪。かつて彼女は高貴な家の娘だったが、今は吸血鬼として闇の王に仕えている。そして、同時にその一族の最後の生き残りでもあった。

「すべてを失いました、閣下……」
 ポレナが小さな声で呟く。
 彼女の冷ややかな瞳には、かすかな怒りと悲しみが浮かんでいた。
 闇の支配者は無言で彼女を見下ろした。彼の存在はあまりに圧倒的で、言葉を発する必要さえない。彼は、彼女の感情の揺れを無視していたが、その暗黒の力が、何かを求めるかのように震えていた。
 ポレナは顔を上げ、静かながらも鋭い声で続けた。

「かつて、私の一族は王に忠誠を誓い、長年にわたってその地位を守り抜きました。しかし……、ある日、王は無情にも私の家を反逆罪で告発し、全てを奪いました。家族、栄誉、故郷……、すべてが灰となり消え去りました」

 彼女の声は次第に冷たく鋭くなり、雪のように冷ややかな感情が露わになっていく。

「今、私は彼に忠誠を誓う理由など一つもありません。むしろ、背を向け、打倒すべき相手です。そして、私は新たな統治者を見つけました……。あなた様です、閣下」

 ポレナは深々と頭を下げた。その動作は無駄のない優雅さに満ちていたが、その奥底には、かつての誇り高い血筋を裏切られた怒りが隠されている。
 闇の支配者はそのまま彼女を静かに見つめ続けた。彼の中には何の感情も見て取れない。しかし、ポレナは彼の沈黙が受容であることを理解していた。彼は言葉よりも力を重んじる。忠誠とは口先ではなく、行動によって証明されるべきものだと。
 やがて、闇の支配者が低く囁くように言った。

「お前の過去には興味がない。ただ、我が命を遂行するための力を示せばそれでいい。王を滅ぼすことが、我らが力を広げる道であるのなら、それもよかろう」

ポレナは微かに笑みを浮かべた。

「そのために、私はすべてを捧げます、閣下。あなたの力こそ、我が復讐と野望を叶える御方なのです」

 その夜、闇の支配者は新たな会合を開いた。
 冷たい月が雲間から顔を覗かせ、谷に射し込むその微光の中、ポレナによって新たに組織された吸血鬼の一族が闇の支配者の前に集まっていた。彼らの姿は幽鬼のごとく、青白い肌が夜の影と溶け合い、不気味な光を放っている。

「皆、よく集まった」

 闇の支配者は低い声で言った。その声は、まるで周囲の闇そのものを操るかのように重く響いた。
 吸血鬼たちはひれ伏し、その一言一言が闇の支配者の前に捧げられるかのようだった。

「良いだろう」

 闇の支配者は短く言い放った。

「だが、それだけでは足りぬ。我らが目指すのは、新たな王朝の建国だ。力を蓄えるだけでなく、その王国の根幹を揺るがす策が必要だ」

 ポレナが一歩前に出て、彼の言葉に応じた。

「我が主よ、私が考えておりますのは、戦場での力だけでなく、人間たちの心を支配することです。彼らの信仰や忠誠を内側から崩すことができれば、いずれ戦うまでもなく、彼らは我々の前に屈するでしょう。」

 闇の支配者は静かに頷いた。

「その考え、悪くない。」

ポレナは微笑み、吸血鬼たちに目を向けた。

「私の一族はかつて、策謀と策略で生き残る術を知っていました。そして今、その知恵と力をもってして、あなたにさらなる勝利をもたらしましょう」

 彼女の声には自信と誇りが満ちていた。闇の支配者に仕えることは、ただの従属ではなく、彼女自身の野望を実現させるための手段でもあった。
 無論、野望を持つのは彼女だけではない。
 吸血鬼の一人レスティアが、青白い手を掲げ、冷静な口調で答えた。

「閣下、ポレナ夫人の導きに従い、私たちはすでにあなたに忠誠を誓いました。私の担当するサンブレイブ王国ですが吸血鬼カルトは深く根を張っております。ポレナ夫人のおっしゃるとおり、人間たちを内より食い破る一手となりましょう」

 レスティアの発言を皮切りに、他の吸血鬼たちも自分の成果を誇示する。
 闇の支配者はその場に集まった吸血鬼たちを一瞥した。

「では、お前たちに任せよう。次の進軍に備え、全力で準備を進めよ。人間どもに我らの力を知らしめる時が来た」

 吸血鬼たちは深々と頭を下げ、命令を受け入れた。
 その夜、月の光がますます濃くなる中、ポレナは一人、闇の支配者のもとを離れて静かに歩いていた。彼女の銀髪が風に揺れ、青白い光に反射する。彼女の内には、復讐と野望が燃え盛っていた。

「滅ぼす……」

 ポレナは自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「かつて我が一族が忠誠を誓った王国に……彼らがすべてを奪ったのなら、私はそのすべてを焼き払い、奪われた以上を得なければならない」

 その冷たくも燃え盛る決意が、彼女をさらに闇の深淵へと引き込んでいく。かつての高貴な家の娘であった彼女は、もはや人間としての感情を捨て、闇の支配者の手の中で再び栄光を掴むため、全てを捧げる覚悟を決めていた。
 復讐のための盟約は結ばれた。闇の支配者の軍は、かつてない強大な力を手に入れつつあった。



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