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死霊王朝
第3話 死の下僕
しおりを挟む月光がまばらに差し込む霧深い谷。その冷たい光は、深淵の底に沈んだかのような暗黒の軍勢を薄ぼんやりと照らし出していた。霧の中を静かに進む彼らの行軍は、まるで世界そのものが息を潜め、死者の行進を見守っているかのようだった。先頭を進む闇の支配者は、黒きマントを風に翻し、冷たく光る瞳で前方を睨んでいる。その姿は、夜の王とも言える威圧感を放っていた。
「ポレナ」
彼の低い声が、隣を歩く白い影に向けられた。その声は、静かながらも凍てつくような冷たさがあった。
「人間どもが守りを強固にしている。オークとドワーフの傭兵を雇ったようだ」
闇の支配者の言葉には、わずかな苛立ちが滲んでいたが、それが彼の全能に何かしらの脅威となるわけではない。
「まだ自分たちが勝てると信じているのでしょう」
ポレナ夫人――闇の支配者に従う高貴なる吸血鬼の女が、静かに答える。彼女の声は、まるで夜そのものの囁きのように冷ややかだった。
彼女は、青白い肌を月光に照らされながらも、その美しさはむしろ不気味さを際立たせていた。銀の糸のような髪が風に揺れ、彼女の微笑みは、まるで命を弄ぶ者のそれであった。
「人間は愚かです。自らの限界を知らずに、無謀な戦いを挑む。それがどれほどの無意味な抵抗かを教えてやりましょう」
闇の支配者は、一瞬だけ不快そうに眉をひそめると、再び遠くを見据えた。
「ならば、彼らにその過ちを思い知らせるべきだ」
彼の声には、冷酷な決意がこもっていた。
「オークもドワーフも、忠誠心からではなく、ただの金で動いているに過ぎん。だが、王は金を生み出すわけではない。金を生み出しているのは商人たち、そして王に貢いでいるのは愚かな市民どもだ。すでに我々は、内部の離反を誘導している。王国の経済的支柱は崩壊寸前だ」
ポレナは、興味深げに闇の支配者を見つめた。彼女の冷たい微笑みが、月の光の中で浮かんでいた。
「残るは……」
「長年の税金を溜め込んだ、王の宝物庫だけだな」
「どう攻略するおつもりですか? 宝物庫は王に忠誠を誓ったゴーレムによって守られていますが」
ポレナは口元にわずかに好奇心を浮かべた。闇の支配者の計画が、彼女にとって興味深い謎であるかのように。
「心を持たぬ魔導兵器に、脅しも買収も効かぬ。しかし、それも問題ではない」
闇の支配者の唇に、わずかな笑みが浮かんだ。
「ダークエルフの<痛みの王>から、ゴーレムを欺く方法をすでに聞き出してある。すでに準備は整っている。宝物庫はまもなく、我が手に落ちる」
「それで、王国の守りは完全に崩壊するというわけですね。もはや民も軍も、王を守る者は残らないでしょう」
ポレナの声には、冷たく無情な悦びが宿っていた。
「その通りだ。側近たちも、王に反旗を翻すしかない。彼らは我々の力を恐れている」
闇の支配者は、すでに彼の策が完成しつつあることを確信していた。
ポレナは、満足そうにうなずくと、その冷たい瞳を細めた。
「王の側近の中にはすでに、あなたを新たな支配者として仰ぐ者が現れています。彼らは暗黒の啓蒙を目の当たりにし、理解し始めたのです。真の力とは何かを」
闇の支配者は、しばし沈黙したまま、彼女の言葉を聞いていた。
「ならば、彼らは自らの王を我々に差し出すのだろうか?」
「はい、主よ。王は、あなたの前に引きずり出されるでしょう」
「よろしい。王を処刑した後、この国はお前に任せよう。公主として人間どもを支配し、恐怖と苦痛で統治せよ」
闇の支配者は冷たい声でそう告げたが、その言葉には揺るぎない確信が込められていた。
ポレナは一瞬、自らがその役を果たすにふさわしいのかという疑念が頭をよぎったが、それをすぐに振り払った。
「本当に、私でよろしいのでしょうか?」
「無論だ。お前にはその力がある。そして、この国の民を恐怖と苦痛で支配するのに相応しい。終わりなき悪夢を続ける限り、私はお前を支援しよう」
「感謝いたします。我が主!」
ポレナは深々と頭を下げた。だが、その顔には歓喜の笑みが浮かんでいた。彼女はただの従者ではなく、この機に乗じて自らの権力を手に入れるという野望を抱いていた。
吸血鬼夫人が去っていくのを見送りながら、闇の支配者は再び静かな谷を見渡した。その目は遥か彼方にそびえる世界樹を見据えていた。
「ヴァルゴス様、偉大なる死の魔王よ。今しばしのご辛抱を。いずれすべての生命は、死を望むようになるでしょう。貴方様の望み通り、すべてを苦痛から解放するために」
そう呟く彼の姿は、支配者というよりも従者のようであった。
それもそのはずで、彼は気が遠くなる昔から、ずっと死の魔王ヴァルゴスの従者である。
彼の背後には、遠く過去から続く運命の鎖が見え隠れしていた。
闇の支配者はかつて、エルフの女王によって封じられたヴァルゴスの忠実な僕であり、その命を受けて暗躍してきた。だが今や、彼の肉体は古代の二つの魔術に巻き込まれ、限りなく不死に近い状態にあった。
「死を望む者がいなくなる時が、やがて来る……。そして私は、その時まで生き続ける」
彼はその言葉を呟くと、再び暗い谷の霧の中へと姿を消した。
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