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piece9 甘いさよなら
『柴崎さん』
***
『柴崎さん』
悠里の唇から、他人のように呼ばれた瞬間。
剛士の心は揺れ、痛みに呻いた。
いま、彼女と自分の間に、明確な一線が引かれたことがわかった。
ついさっきは、『ゴウさん』と、呼んでくれた彼女の唇。
いま、自分を『柴崎さん』と呼んだ唇。
それは彼女らしい、優しい微笑みを浮かべたままだった。
そこに感じるのは、彼女の揺るぎない、決意。
――ああ……俺の弱さを、取っ払ってくれたんだな。
俺が、バスケだけを見るように。
ハッパをかけてくれてるんだな。
そのために悠里は、俺の傍から、居なくなろうとしているんだな……
言葉の後ろにある、彼女の強い思いを、感じ取る。
剛士は胸の痛みを堪え、悠里の目を見つめた。
真っ直ぐに、剛士の心を励ますように。
じっと、自分を見つめてくれる、大きな瞳。
すぅっと、一粒の涙が零れ落ちた。
それでも彼女は、剛士から目を逸らさず、笑顔のままでいた。
この涙が、『大好きだよ』と伝えてくれていると思うのは、自惚れではないはずだ。
彼女が、自分の気持ちを殺してまで、背中を押してくれているんだ――
剛士は、本当なら彼女に縋りたい両の手に力を込め、グッと拳を握り締める。
――応えなければ。
大切な女の子に、ここまでして貰ったんだ。
負けるわけにはいかない。
いま、俺がするべきことは、ひとつだ。
剛士は目を閉じ、彼女へ溢れ出しそうになる思いを、胸に押し込む。
それから彼女に倣い、ゆっくりと微笑みを口元に刻んだ。
「――うん。俺……がんばるよ」
本当は、その先に続けたい、未来への言葉。
――がんばるから。だから……
俺がもう一度、傍に行ける日まで。
悠里のことを、迎えにいくまで。
どうか……
それをいま、口にしてはいけない。
甘えては、いけない。
彼女を縛る言葉を、伝えてはいけない……
代わりに剛士は、彼女に向かって真っ直ぐに、微笑んでみせた。
悠里の唇が、優しい瞳が、嬉しそうにほころんだのがわかった。
剛士は、掠れそうになる声を振り絞り、何とか囁く。
「……ありがとな」
2人の間に、さよならの空気が流れ始める。
話が、終わってしまった。
どちらかが身体を動かせば、2人きりのこの空間は、終わってしまう。
笑みの消えた2人の唇は迷いながら、互いの唇がどう動くかを、探っていた。
ふいに、ポツリ、ポツリ、と微かな冷たさが頬に、鼻に触れた。
2人は、ハッとして、暗い空を見上げる。
――今日、雨降る予報だったか?
少し、現実に戻ったような感覚がする。
剛士は、鞄から黒い折り畳み傘を取り出した。
そうして、自分の前に立つ彼女に、声を掛ける。
「……傘、持ってるか?」
「……あ、」
同じく、現実に立ち返った気持ちなのだろう。
悠里は、パチパチと目を瞬かせた後、自分を見つめて口ごもった。
「じゃあ……」
持っていけ、と彼女に傘を差し出そうとした。
その手を止め、剛士は一瞬、考える。
それから、口に出す言葉を変更した。
「……一緒に、入ってくか?」
不安そうな目をしていた彼女の顔が、ホッとしたように微笑んだ。
「……はい!」
正解だったようだ。
剛士もホッとして、笑った。
初めて会ったときも、そうだった。
『ダメです、風邪ひいちゃいますよ!』
剛士を心配して、彼女は頑なに、傘を受け取ろうとはしなかった。
――懐かしいな……
あの日の自分たちと、いまを、重ね合わせる。
剛士は立ち上がり、手早く傘を開く。
悠里と一緒にいられる、残り僅かな時間。
大切に、一歩を踏み出す。
そうして剛士は、彼女の隣りに立った。
『柴崎さん』
悠里の唇から、他人のように呼ばれた瞬間。
剛士の心は揺れ、痛みに呻いた。
いま、彼女と自分の間に、明確な一線が引かれたことがわかった。
ついさっきは、『ゴウさん』と、呼んでくれた彼女の唇。
いま、自分を『柴崎さん』と呼んだ唇。
それは彼女らしい、優しい微笑みを浮かべたままだった。
そこに感じるのは、彼女の揺るぎない、決意。
――ああ……俺の弱さを、取っ払ってくれたんだな。
俺が、バスケだけを見るように。
ハッパをかけてくれてるんだな。
そのために悠里は、俺の傍から、居なくなろうとしているんだな……
言葉の後ろにある、彼女の強い思いを、感じ取る。
剛士は胸の痛みを堪え、悠里の目を見つめた。
真っ直ぐに、剛士の心を励ますように。
じっと、自分を見つめてくれる、大きな瞳。
すぅっと、一粒の涙が零れ落ちた。
それでも彼女は、剛士から目を逸らさず、笑顔のままでいた。
この涙が、『大好きだよ』と伝えてくれていると思うのは、自惚れではないはずだ。
彼女が、自分の気持ちを殺してまで、背中を押してくれているんだ――
剛士は、本当なら彼女に縋りたい両の手に力を込め、グッと拳を握り締める。
――応えなければ。
大切な女の子に、ここまでして貰ったんだ。
負けるわけにはいかない。
いま、俺がするべきことは、ひとつだ。
剛士は目を閉じ、彼女へ溢れ出しそうになる思いを、胸に押し込む。
それから彼女に倣い、ゆっくりと微笑みを口元に刻んだ。
「――うん。俺……がんばるよ」
本当は、その先に続けたい、未来への言葉。
――がんばるから。だから……
俺がもう一度、傍に行ける日まで。
悠里のことを、迎えにいくまで。
どうか……
それをいま、口にしてはいけない。
甘えては、いけない。
彼女を縛る言葉を、伝えてはいけない……
代わりに剛士は、彼女に向かって真っ直ぐに、微笑んでみせた。
悠里の唇が、優しい瞳が、嬉しそうにほころんだのがわかった。
剛士は、掠れそうになる声を振り絞り、何とか囁く。
「……ありがとな」
2人の間に、さよならの空気が流れ始める。
話が、終わってしまった。
どちらかが身体を動かせば、2人きりのこの空間は、終わってしまう。
笑みの消えた2人の唇は迷いながら、互いの唇がどう動くかを、探っていた。
ふいに、ポツリ、ポツリ、と微かな冷たさが頬に、鼻に触れた。
2人は、ハッとして、暗い空を見上げる。
――今日、雨降る予報だったか?
少し、現実に戻ったような感覚がする。
剛士は、鞄から黒い折り畳み傘を取り出した。
そうして、自分の前に立つ彼女に、声を掛ける。
「……傘、持ってるか?」
「……あ、」
同じく、現実に立ち返った気持ちなのだろう。
悠里は、パチパチと目を瞬かせた後、自分を見つめて口ごもった。
「じゃあ……」
持っていけ、と彼女に傘を差し出そうとした。
その手を止め、剛士は一瞬、考える。
それから、口に出す言葉を変更した。
「……一緒に、入ってくか?」
不安そうな目をしていた彼女の顔が、ホッとしたように微笑んだ。
「……はい!」
正解だったようだ。
剛士もホッとして、笑った。
初めて会ったときも、そうだった。
『ダメです、風邪ひいちゃいますよ!』
剛士を心配して、彼女は頑なに、傘を受け取ろうとはしなかった。
――懐かしいな……
あの日の自分たちと、いまを、重ね合わせる。
剛士は立ち上がり、手早く傘を開く。
悠里と一緒にいられる、残り僅かな時間。
大切に、一歩を踏み出す。
そうして剛士は、彼女の隣りに立った。
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