かちょもふっ~課長と始めるもふもふライフ~

恵喜 どうこ

文字の大きさ
13 / 26

第13話 猫好きとしての責任です

しおりを挟む
 射殺さんばかりに睨みつけている部長にも動じることのない妹尾の天然ぶりには感服すらする。
 彼は係長を胸に抱いて、にこにこと天使のごとく笑顔を湛えていた。

 一触即発。
 いつ、なんどき、酒井部長が妹尾に殴りかかってもおかしくない状況に俺はごくりと生唾を飲みこむ。

「妹尾君。その子猫は……なんだね?」

 俺の胸ぐらを掴む部長の手がふるふると小刻みに震えている。
 少しばかり声も上ずっている。
 最悪だ。
 部長の怒りをさらに増長させてしまっている。
 当たり前か。
 会社に猫を連れてくるなんて許されるようなことではない。
 たとえば死に瀕している状態で、どうしても保護が必要であるという状況であったとしても、上司の許可なく連れてくるなんてもってのほかだ。
 いや、俺が許可を出してはいるのだけど、所詮は課長職。
 その上の許可が必要なのは変わらない。

「係長です」

 妹尾はハッキリと告げた。部長の声がますます震える。

「どうして係長はここにいるんだね?」
「ぼくが連れてきました。捨てられていたのを放っておけなくて」

 妹尾が八の字に眉尻を下げて小さく笑った。
 傷心のヒロインような切ないほほ笑みを湛えた彼が係長の顎の下を撫でると、係長は指先に顔をこすりつけて目を細めた。
 その光景に俺の心臓が激しく波打った。

 ああ、今すぐぎゅうっと抱きしめたくなる――
 
 とか妄想の世界に引っ張られている場合ではない。
 部長の手から力が抜ける。
 俺の胸ぐらから離れた部長の手がまっすぐに妹尾に伸びる。
 その肩は先ほどよりも大きく揺れている。
 怒りが頂点に達したのだろう。
 
 まずい。
 非常事態だ。
 このままでは妹尾も、係長も無事では済まないかもしれない。

「部長!」

 部長の手が妹尾――ではなく、係長に触れる。
 それも非常に優しいタッチで。

「そうでちゅかあ。君は捨てられちゃってたんですかあ」

 突如、部長から発せられた赤ちゃん言葉に目を白黒させたのは俺だけではあるまい。
 部屋の空気が違う意味で凍ってしまう。
 決して暖房が効いていないからという理由だけではない。
 部長が身を屈めて、係長の顎の下や耳の後ろを撫でる。
 慣れている。
 猫の扱いにものすごく慣れている――と初心者の俺の目から見てもわかる扱いぶりだ。

「この子の大きさだと二カ月から三ヵ月くらいというところだねえ。よくぞ保護してくれた、妹尾君」
「野良猫を保護するのは猫好きとしての責任だと思っていますから」

 ほんわかとした空気が部長と妹尾から発せられている。
 二人のいる場所だけ温度が違う。
 先ほどの剣幕がウソのように部長はニコニコ、いや、デレデレしている。
 妹尾から係長を受け取って、その腕に抱いた彼は仏の面持ちになっている。

「ぶ……部長は猫が好きだったんですね」

 おずおずと二人に話しかける。
 部長は下げられるところまで思いっきり目尻を下げて「知らなかったのか」というように俺を見た。

「部長は駅前にある『ねこねこふぁんたじあ』という猫カフェに週四で通うほどの猫スキーさんですよ」

 部長の隣に立つ妹尾が胸を張って答える。
 猫カフェの名前があまりにも部長に似つかわしくなくて、どういうリアクションをしていいのか悩んでしまう。
 それどころか週四で通っているというのもショッキング。
 人は見た目で判断できないを絵で描いている。
 あと、猫好きを『猫スキー』と呼ぶのは業界用語なのかというツッコミも飲みこんだ。

「まったくう。子猫を保護したんなら、なんで俺に最初に報告しないんだよお、妹尾ぉ」
「すみません、部長。LINEにメッセージを入れようかと思ったんですが、心配をおかけしたくなくて。部長なら、この子が心配できっと出張やめてしまわれるかなと思ったんです」

 部長と妹尾の会話に口が半開きになる。
 部長とLINEでやりとりするまでの仲だったとは――そう思った瞬間、ぎゅうっと胸が押しつぶされるような痛みが走る。
 
 息が苦しい。
 なんだ、これは。
 発作? 
 狭心症? 
 部長と妹尾の仲睦まじい姿を見るだけで胸が苦しくてたまらない。

「ところで、この子はどうする気でいるんだね? 居所がないのなら、うちで面倒をみるが?」
「いえ、それには及びません。この子は課長が育ててくださるので」
「なに? 小宮山君が?」

 部長と妹尾が揃って俺を見る。

「小宮山君、大丈夫か? 息づかいが荒いぞ?」
「本当ですね。心なしか顔も赤らんでいらっしゃいます。インフルエンザですか?」
「い、いえ。なんでもありません。なんでも」

 呼吸を整えて、俺は背筋を伸ばした。
 いくらなんでも、部長と妹尾が一線を越えているとは思えない。
 そうだ。
 彼らは単なる猫好き仲間であって、そういう関係性ではない――と思いたい。

「小宮山君」

 落ち着いたところで部長が再び俺を呼んだ。
 ゆっくりと近づいて来ると、俺の胸元を直し「悪かったな」と頭を下げた。
 部長のバーコードのように薄い毛の合間から、ツヤツヤの頭皮が見える。

 頭をあげた部長は俺のデスクの上のグッズやその後ろのケージを見てから、妹尾を見た。

「今後も会社に連れてくるのかね?」
「はい。課長のマンションは動物飼育が禁止されているので、当面はこちらがいいかと。係長がいることで、課長のストレスの軽減にもなりますし」

 さらりと猫の有用性を説明する。
 同じ猫好きであるがゆえに、それだけで部長はうんうんと大きくうなずいた。

「小さいうちはなるべく親がそばにいたほうがいいからな。ナイスアイデアだ、妹尾君」

 部長から二つ返事で許可が出る。
 いや、稟議書上げなくて本当にいいのだろうか。
 最初に許可をというか、押し切られて許可を出さざるを得なかったのは俺自身だが、本当にこれでいいのか、大丈夫なのかと不安でならない。
 そんな俺の思いが伝わったのか。
 部長がくるりとこちらに向き直った。

「上には俺が報告しよう。君はとにかくこの子をしっかり育てなさい」
「は、はい」

 部長が上に掛け合ってくれるなら、喜んで世話をしよう。
 実際、係長はかわいい。
 このまま世話を続ければ、妹尾との時間も増えるわけだし……
 って、俺はなにを考えている! 
  今のなし。
 純粋に係長との暮らしを楽しみたいだけだ。
 妹尾との暮らしじゃない、断じて。

 コホンという咳払いでハッと我に返る。
 部長が俺を神妙な面持ちで見上げていた。
 背筋を伸ばしてニコリと笑みを作る。
 やましい思いを抱いたのを見抜かれないように。
 まったく、俺はなにをしているんだか。

「あの、部長。そろそろ業務に」

 このまま何事もなかったことにしようとデスクに体を向けようとしたが、それは許されなかった。

「小宮山君。この子の面倒を見てくれることと、専務の娘さんのことはまた別の話だぞ」
「そ、そうですね」

 部長の声のトーンが入ってきたときよりもかなり穏やかに変化したのは幸いだ。
 係長に感謝しかない。
 これならきちんと説明できる。
 部屋の空気も和やかだ。
 エアコンの暖房もようやく効いてきて、さらに話しやすい雰囲気になっている。
 
 チャンスだ。
 昨日のことは事故だと話そう。
 なんなら、その子を守るためだったとつけ加えよう。

「そのことなんですが、部長。実はそれには大きな誤解がありまして」

 部長に昨日のいきさつを説明しようとした、まさにそのとき、部屋の扉がまたしても大きな音を立てて開いた。
 驚いて音のしたほうを見た全員が一斉に息を飲みこんだ。
 開けっ放しの扉から冷気がひゅうるりと流れてくる。
 つま先がその風によって一気に冷やされる――そんな感覚に襲われた。

「どうしたんだね、小宮山君。続きを話したまえ」

 ツカツカと歩み寄ってくる人物に全身の毛がブワッと逆立った。
 ロマンスグレーの髪の毛をオールバックにして固めた痩身の男性。
 見間違えるはずもない。
 その人物こそ、噂の遠藤専務だったからだ。

 部長は慌てて係長を妹尾に渡すと、専務に椅子を持ってきた。
 部長の用意した椅子にどっかりと腰を預けた専務は俺を見上げながら腕を組む。
 威圧的なオーラが専務から放たれている。
 世紀末覇者と対峙した雑魚キャラのごとく、俺は身を小さく屈めた。

「娘が君に辱めを受けたと泣いて私に訴えたこと。きちんと説明してもらおうかね」

 阿修羅のごとき形相で睨む専務を前に、心の中で俺は大きくため息を吐いた。
 そして今度こそ神様に懇願した。
 どうか、妹尾が余計なことを言わないように――と本当に土下座して頼みこんだのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...