かちょもふっ~課長と始めるもふもふライフ~

恵喜 どうこ

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第24話 やりましたね、課長

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「お……お祖父様ぁ!」

 小惑星が地球に突っ込んでくるくらいの衝撃に、俺は思わず叫んでしまった。
 御剣会長の登場でキーンッと凍りついた会議室にピキッと亀裂が入る。
 しまった――と自分の口を急いで塞いだが、すでに時遅し。
 恐る恐る管理職たちのほうへ顔を向ける。
 皆、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

「小宮山君。今、なんと言ったんだね?」

 ピクピクと片眉を震わせながら、遠藤専務が俺を見た。鋭く尖った目が俺を射殺さんとしている。

「えっ。ああっ。その。妹尾が会長のことを年寄り扱いするようなことを言ったもんですから」
「えっ? 言ってませんよ、そんなこと。ぼくの祖父だって言ったんですけど」

 管理職たちの驚いた顔を見る限り、妹尾が会長の孫であることを誰も知らなかったらしい。
 機転を利かせて誤魔化したつもりだったが、妹尾自身に速攻でひっくり返された。
 妹尾は空気を読まない。
 素直なやつとは言え、こういう場面ではつくづく苦労させられる。
 彼に悪気がまったくないのはわかっていても、頼むよと心の中でトホホとうなだれる。
 がっくりと肩を落とす俺とは対照的に、妹尾はニコニコと胸を張っている。

「君はたしか……妹尾隆成君だったかね」

 常務がぶるぶると震える声で妹尾に訊いた。
 妹尾が会長の孫だからなのか、はたまた会長の手前だからなのか。
 常務は若干低姿勢な気がする。
 そんなことはなにも感じていないらしい妹尾はいつも通り、飄々とした様子で「はい」とさらりとうなずいた。

「御剣会長のお孫さんというのは本当かね?」

 どうして疑われているのかわからないというように、妹尾が目をパチクリとさせる。
 すると「そのことですが」と、それまでずっと会議室のテーブルとの睨めっこに徹していた大木部長が口を挟んだ。

「妹尾君のことについては人事部長である私と会長だけの秘密事項になっておりました。採用に際して、会長直々に孫であることは隠すように言われたのです。孫であることが社内に知られると、妹尾君自身、仕事しにくくなるであろうという会長の配慮です」

 大木部長が尋常でない汗をかいている。
 ハンカチで拭いながら話す部長はこれ以上ないほど身を縮ませていた。
 俺の一言によって、さらに立場が危うくなっている。
 SMクラブに通っていること以外にも、彼には誰にも言えない秘密があったのだ。
 会長の孫と知っている以上、データを貸してくれと言われれば断れなかったわけだ。

「では彼の履歴書は詐称だらけだと?」

 総務部長がムムッと眉間のしわをさらに深くさせて大木部長に詰め寄る。
 コネで入社するなんて別に珍しいことでもなんでもない。
 こと、そこに関してはおそらく誰も問題にはしないだろう。
 経歴詐欺の社員がいるということが広まってしまうことを危惧しているのかもしれない。
 全国に支社がある、それなりに名の知れた大企業としては、スキャンダルは避けたいところなのだろう。
 まあ、妹尾の経歴詐欺なんて大した問題じゃないと俺には思えるが、最近はSNSでちょっとしたことも拡散されて炎上する。
 会社の損失に繋がる芽は小さくても潰しておきたいのだろう。

 そんな緊迫した空気に満たされた部屋で「わっはっは」と大らかな笑い声があがった。

「そんなに大木を責めんでやってくれ。儂の個人的な頼みごとを必死に守ってくれたのだ。男気があるやつだろうて」
「は……はい」

 会長に宥められ、総務部長は声を小さくさせた。
 大木部長が目元にハンカチを当てて肩を震わせている。
 今までずっとつらかったのかもしれない。
 ここ二日ばかりは特に。

「妹尾の姓は妻の実家のものでな。隆成というのも読み方は違うが、この子の本名であるのは間違いない。『御剣みつるぎ隆成たかなり』。これが儂の孫であるこの子の名前だ。いい機会なんでな、皆も覚えておいてくれ」

 わっはっは。わっはっは。

 会長の豪快な笑い声に、管理職の皆さま方も釣られるように笑い始める。
 とはいえ、みなさん、顔が相当引きつっている。
 特に遠藤専務は血の気が完全に引いてしまっている。
 それもそうか。
 会長の孫に手を上げようとしたのだし。
 会長の孫の前で俺を殴っているし。
 レジメを盗んだり、データを消失させたりしているのだ。
 もしかしたら、そのすべてが会長に筒抜けかもしれない――と思ったら生きた心地がしないのも致し方ない。
 自業自得というにはあまりにも不幸だろう。
 元凶は他でもない俺たちであるのだから。
 会議が終わったら、なるべく早く誤解を解かなければ。

「さて、小宮山君」

 笑いを収めた会長がずずいっと俺の前にやってきた。
 下からぐうっと力強い視線が上ってくる。
 ごくっと大きな唾を空気と一緒に飲みこんだ。
 会長から発せられる気に押されて、一歩後退しそうになる。
 なんとか必死に足を叱咤して、踏みとどまる。

「会社で猫を飼うという君の考え方に儂は期待しようと思う。君はそんな儂の期待にしっかり応えられるかね? 君の語ったビジョンを実現できるかね?」

 腹の中を見透かされそうな勢いのある会長の目をしっかり見つめ返す。
 なんて力強いのだろう。
 まさしく獅子だ。
 百獣の王の目がたしかに俺の前にある。
 ここでNOは言えない。
 できないなんて言えない。
 しかし、言ったら最後、それを完遂させなくちゃならない。
 戦うか。
 それともこのまま食われるか。
 会長自らに進退を突きつけられているのだ。

 すうぅっと小さく息を吸う。
 ふぅっと肺の中の空気と入れ替えてから俺は「はい」と返事をした。

「会社で猫を飼うことで、利益をあげます。実績を作ることで、保護猫活動にも積極的に企業として参加できると思います。より多くの資金を投資できる企業としての強みを活かしていくんです。このノウハウを他企業に販売して、事業化もできると考えています。実際に猫を保護して世話をする人を雇用したり、保護猫と飼いたい人とをつなぐ人材育成も実現可能と考えています。行政機関やメディアも巻きこめば、全国的に広げていくことも可能です。我が社はオフィスで猫育成するパイオニアとして、大きく躍進できます。いいえ、してみせます!」

 大きく胸を張る。その胸を拳で力強く叩く。
 俺にはビジョンがある。夢がある。実現しようという情熱だってある。独身だから時間はたっぷりある。

「そうか。なかなかの男っぷりよ」

 ふふふと会長は目を細めた。
 しかし、その目にはまだ鋭さが残っていた。

「簡単な道ではないが、それでもやりきると君は言いきれるのだね」
「はい! どんなことも簡単にはいきませんから」
「あいわかった」

 うんうんと大きくうなずいて、会長は俺の肩をぽんぽんっと叩いた。
 足が床にめり込みそうな錯覚を覚える。それほど、会長の力は強かった。
 さすがに一代で全国規模の企業に育てた人は違う。
 人生経験の重みをずっしりと感じた。

 会長が管理職たちに向き直って「もう一度、採決しよう」と告げた。

「賛同者は挙手をせい」

 その一言に一斉に手が上がる。
 酒井部長なんて、天井を突き抜けそうなくらいビシッとまっすぐ手を上げている。
 反対に遠藤専務はしぶしぶだった。
 恐ろしく根に持っている。
 いや、今回のことで、さらに溝が深くなったのだろう。
 謝っても許してもらえなさそうなほど、専務の顔が険しい。

「では、会社で猫を飼うことを許可しよう」
「あ、ありがとうございます」
「やりましたね、課長!」

 妹尾が俺の手をとって、ブンブンッと振った。
 そこに割り込むように会長は「コホンっ」とひとつ咳払いした。

「ただし、今のままでは二足のわらじとなろう。それでは何事も成せないと儂は考える」

 会長に視線を戻す。
 彼は愉快そうに「ふふふ」と不敵な笑みを浮かべてから、俺に告げた。

「小宮山君、君と隆成《たかなり》には異動を命ずる。詳細は追って確認するがよかろう」
「は、はい!」

 背筋を伸ばして、急いで頭を下げた。
 会長が係長の小さな鼻先をちょんちょんと突いて「がんばりなされ」と囁いた。
 その大きな期待に応えるように、係長は胸を張り、力強い声で「みぃ!」と鳴いた。

 管理職会議はそのまま続くので、俺と妹尾、それから係長だけが会議室を後にする。
 部屋を出ると、ふうっと大きなため息が自然に口を突いた。
 足がガクガクと震える。
 耳がぼおっとして遠くなる。

「課長?」

 視界が右に左に大きく揺れる。残像が後を追う。

「課長!」

 遠くで妹尾が俺の名を叫んでいる。
 天井がどんどん高くなる。
 足に力が入らず、頭が白いスクリーンに覆われていく。

「せの……」

 かわいい部下の顔が白い世界に滲んでーーなにも見えなくなった。
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