壺中春暁

アルストロメリア

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後編

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 その日以来、颯太は毎朝壺の中を覗いて、彼等と話をするのが日課になった。両親は忙しくてなかなか会話が出来ず、明弘伯父も出張で不在のため話し相手が祖父母しかいなくなってしまった颯太にとって、名前も知らない小さな彼等は、両親にも内緒の秘密の友人のようなものだった。

 彼等は最近の流行りのことは知らないけれどとても物知りで、颯太は色々な話を彼等から聞かせてもらった。薪で火を起こす方法、花を枯らさないで育てる方法、剣術の基本の型、簡単な釣竿の作り方、夜に輝く星の見つけ方……。それらを聞くたびに颯太は彼等ともっと話がしたくなってたまらず、彼等も事あるごとに颯太を壺の中へ招こうとするのだが、しかし両親も明弘も捕まらないのでは颯太は首を縦に触れないのだった。

 そうして、彼等との交流が一週間を過ぎたある日のこと。出張から帰ってきた明弘の姿に、颯太はパァッと顔を明るくしてその大きな体に抱き付いた。

「おかえりなさい、おじさん!」
「おう、ただいま。いい子にしてたか? 壺は割ってないか?」
「そんなことしないよ! あのね、おじさんに聞いてほしいことがあるんだ」

 そう言って颯太が弾んだ声で話す内容に、明弘の顔は徐々に強張っていった。無理もない。まだ子供の颯太はあの事象を『少し不思議なこと』程度にしか捉えていなかったが、大人の目から見たら立派な怪奇現象である。顔を青くした明弘は、だが動揺をそれ以上表に出すことはなく、「そうか」とただ頷いた。

「颯太がそんなにお世話になってるんだったら、伯父さんもちょっと挨拶しないといけないなぁ。今から部屋に行ってもいいか?」
「うん、いいよ!」

 颯太はニコニコと笑って頷く。その頭を一つ撫でると、明弘は颯太に居間に残るように言いつけて、彼の部屋へと入って行った。

 ――おじさんも、みんなと仲良くなれるかなぁ。ぼくがあそびに行ってもいいって言ってくれるかしら。

 居間の炬燵で足をパタパタさせながら待っていた颯太は、しかし「ふざけるな、馬鹿野郎!!」という明弘の怒鳴り声にびくりと身を震わせた。ややあって壺を片手に出てきた明弘は、颯太を見ることなくそのまま外へ向かおうとする。尋常でない伯父の様子に、颯太は慌てて彼の後を追った。

「おじさん、まって! そのツボをどこへもって行くの!?」
「あいつに突き返してくるんだ。お前はついてくるな」
「どうして!? みんな優しくていい人たちなのに!」

 半べそをかきながら明弘に追い縋る颯太に、明弘はようやく足を止めると、険しい形相で「優しくなんかない」と吐き捨てた。ガシガシと頭を掻きむしると、明弘は颯太の小さな肩にそっと手を置いて、彼の顔を覗き込む。

「……いいか颯太、この壺の中にいるのは優しい友達なんかじゃない。これ以上仲良くしちゃダメだ」
「……じゃあ、だれがいるの?」
「……鬼だ。お前を食べようとしている鬼が、この中には住んでいるんだ」

 え、と颯太は声を漏らす。嘘だ、と言うよりも先に、明弘が小脇に抱えたままの壺から「チッ」と敵意に満ちた舌打ちが聞こえてきた。明弘は苦々しい顔で手元を睨むと、手早くスーツを脱いで壺をぐるぐる巻きに包んでしまう。

「とにかく、これは返しに行ってくる。代わりの壺が欲しかったら、また今度探しに行こう」

 ぐしゃりと力強く頭を撫でられて、颯太はポロポロと泣きながら明弘の足から手を離す。急すぎる話はほとんど理解はできなかったが、壺の中の彼等と二度と話が出来ないことだけは、颯太にもよく分かった。


 ……そうして、その壺は明弘伯父の手で骨董品屋に返された。もしくは道中で叩き割られたのかもしれないが、颯太はその顛末を知らない。

 後年、颯太はふとあの壺のことを思い出して、明弘に「実際にあの時は何が見えていたのか」と尋ねてみたらしい。明弘は嫌なことを思い出すように顔を顰めながら、一言。

「地獄だ」

 ……と。それだけを答えたという。


【了】
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