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蓬莱の傀儡子、弟子をとる
蓬莱の傀儡子、子供の名前を知る
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「とりあえず、応急処置はこれで済んだ」
天月は、自分を襲ってきた少年の手当てを済ませた。薬でベタベタになった背中を湿布し、包帯を巻いていく。
鏡泉峰で罰を受けた少年は、その小さな背中を何回も叩かれて、青紫に腫れ上がり、割れた皮膚からは湧き水のように血が流れていた。
怪我はひどいが、沈清澈が術をかけていたおかげで怪我の悪化が止められていたことだ。本来は酒の酸化を防ぐための、時を遅らせる術。そのおかげで少年は失血と怪我の乾燥を防ぐことができたらしい。
(……それよりもネズミくらいの小瓶にどうやって入れるんだ?)
天月には頓珍漢にしか見えないが、道術師範補佐として活躍している沈清澈に感心しながら、少年の体に包帯を解けないように結び目を作った。
うつ伏せにしている少年には、背中の怪我の他に、頭に冷やした手拭いをのせている。表情は青白く、意識が無いのに辛いのか「ううっ」と時々うめき声が聞こえる。
「あー……咄嗟のこととはいえ、かなり強く打ってしまったな」
咄嗟とはいえ、少年の入っていた亀の蓋を、思い切りよくぶつけたせいで、後頭部に拳大のタンコブを作ってしまった。流石の天月も少年が襲ってくるとは思わなかったので、若干の気まずさはあった。
(仮にこのまま死んだとしても、それは鞭打ちのせいで、俺が殴ったせいではない! 絶対!)
清澈に頼まれた子供を死なせても、天月には何の咎はない。だが、何かしらの後遺症に至ったら、という考えが頭から離れない。
「確か清澈が、先生が集会に呼ばれてるって言ってたな……」
呟けば、天月はそそくさと、羅銘軒宛の手紙を書き、連絡用のスズメの傀儡を空に放つ。
天月の師匠である羅銘軒は、この国で指折りの医者だ。しかし、天月の『医者の師』というわけではない。
天月は、薬草を煎じて薬湯を作ることもできなければ、特に治療の腕が良いわけでもない。銘軒の言われたことをやるだけの、文字通りの木偶人形にすぎない。
それでも銘軒は、傀儡しか頭にない天月に、根気よく最低限の知識を頭に詰め込んだ。そして人形の体になっても、朽ち果てず旅を続け、洞窟という粗末な診察室で応急処置を行えるのも、銘軒の根気と執念の勝利と言う他ない。
放たれたスズメの傀儡は夜の暗い空を風と共に流れていく。竹と紙でできた傀儡は、流れ星のようにあっという間に見えなくなった。
「さぁて、続き、続き……」
天月は途中だった少年の着物を着せる作業に入る。
洞窟に帰る前、薬屋の後に呉服屋で子供用の着物を購入していた。白い綿の布地の着物にしたのは、師匠の患者が着ていた服として馴染みの深いものだった。
少年の着ていた着物は使い古されていてボロ雑巾そのものだった。流石に治療した後だと言ううに、不潔な着物を着させるわけにはいかない。
新品同様の白い着物を敷き、少年をその上に横たわらせる。少年の細い体は、ろうそくで照らされていても青白く、いかにも栄養不足で骨の形が肉の上からでもわかった。
「ずっとロクなもん食べてこなかったんだろうな……」
天月はため息をつきながらも、着物の裾を通そうと少年の右腕を持ち上げた。子供特有の細い腕は年中外で活動していたのか、二の腕の内側は特に真っ白だった。
「……っ⁉︎」
真っ白な腕には、数多の古傷が刻まれていた。どれも痛々しく、刃物の切り傷だけでなく、殴る蹴るといった打撲が皮膚の色として癒着していた。
だが天月が目を止めたのはそこじゃない。
少年の脇の近くに、黒い縁の中に丸を三つくりぬいたような、コウモリの形をした刺青が描かれていた。その紋様を見て天月は即座に、その一門の名前を呟く。
「白壁衆……なんで……」
そのわずかな時間に、天月の頭の奥底には火薬の匂いに、土と血が混ざり合った泥、みるも無惨な遺体がそこかしこに横たわっている情景が流れた。
白壁衆とはかつて皇帝にも絶大な信頼を誇り、他の峰にはない人心掌握を得意とした一門であり、今は誰ひとり存在しないはずの一族。その中でも、上級に当たる貴族だけが刻むことを許される蝙蝠の刺青が、少年の腕の中に隠れるように存在していた。
(あの抗争で子供だからと見逃されたのか)
あの抗争で何もわからない幼子を、子持ちの兵士が哀れみから逃すことはよくあることだ。その後、どうなったかなど知る由もないことも。
「……」
天月は目を瞑り、できる限り口の端を吊り上げた。
(まずい、まずい、まずいまずいまずい……‼︎)
白壁衆は、子供と言えど、いまだに手配されてる一族だ。役所に届ければ、一月は遊べるほどの報奨金が出る。何故なら役所は、「怪しき者は殺せ」と言わんばかりに真偽問わず通報を受け付けているからだ。そして取り調べの際に目印となるのが刺青だ。四つの円で表現されたコウモリの刺青が体のどこかに彫られていることで判断されるのだという。
(着物に隠れる肩やら、腹だったりはあるが、何故こんな隠すように……?)
少年は幸いなことに、腕の内側に隠れるように彫られていたことから、雑な人買いも気づかなかったのだろう。もし見つかっていたら、今頃少年はここにはいない。
天月は少年の腕を袖に通し着替えさせた後、少年をおいて洞窟の外の茂みに隠れた。
(「近づかない」!「短時間の作業」!「遮蔽物に隠れる」!)
まるで危険物を発見した時のように、怪我をした少年から距離をとる。
「……どうする? この子の存在が人にバレたら、ついでに俺も捕まる。捕まった後に体をバラバラにされて質屋に売られる未来か、清澈のところか皇城で祓われる未来か……。こんなの、あかりを隠しながら、暗闇でかくれんぼしているようなものだ。それより、白壁衆は人の精神をいじる術に長けていた。だからこそ皆殺しにされたわけだし……え?じゃあ、俺は操られる可能性があるのか? なら、いっそのこと……」
(この少年を手にかけるのが最善なのでは?)と天月の頭をよぎったが、すぐに首を横に振る。
(ダメだ、ダメだ! 清澈に前払いされているし、さっき梅枝たちに喧嘩売った後だし……何よりまだ子供だ!)
「精神操作とかの高等技術は熟練の技で、確か子供は占術が主だったはず……。なら刺青だけどうにかしたら良い。痛いかもしれないが、師匠がいればどうにかなる!」
ここで天月はふと、思い出す。
「そうだ、先生がいる……この子に何かあったら、多分俺の方が無事じゃない……」
羅銘軒は、仕事熱心な人だ。「この世の病と患者は全て自分のものだ」と豪語するほど治療が大好きだ。もちろん、天月が助けた少年だって、彼女の患者である。たとえ天月が「別の医者に依頼している」と言っても、関係ない。天月は彼女の患者であるとともに、同僚でもあるのだ。天月が関わったものは全て患者だ。
そして彼女は自分の患者を横取りされたり、奪われることを最も嫌う。
「前に拾った小鳥を死なせたら、三体壊された……」
ただ落ちていたのを拾って、少し目を離したうちに死んでしまったのを、師匠に見つかったことがあった。その時に大事にしていた傀儡を三体を容赦なく破壊されてしまったのだ。
それ以降も人でも動物でも銘軒に報告しなかったら、手足を二、三本捥がれかねないことが多々あった。もし少年を、天月に関係のないところで死なせたとしても、天月の未来はないだろう。
「いや、何かあっても、まだ先生はこのことをしら……」
言い訳のように「知らないはず」と言いかけた口を閉ざす。
(さっき俺は何をした? さっき先生に手紙を送らなかったか?)
「負傷した少年を拾ったから、近く寄ったら来て」と言った内容を、いつもの癖で手紙を送った。
(報告のつもりで送ったが、先生が来るまであの子を保護しなければならないのか⁈)
銘軒にとって患者の階級や経歴などは全く意味をなさないため、少年を問答無用で診てくれるだろう。だがそれまで、この死神のような少年を生かさなければいけないとは思いもしなかった。
「ぐっ……」
少年が眠る洞窟から小さな声が聞こえた。天月は慌てて少年の元へ戻る。
洞窟は先ほど別段変わったところはない。洞窟の真ん中で少年が背を向けて寝ているだけだ。「どうした? 痛むのか?」
薄く、柔らかい寝巻きを着込んだ少年は、痛みを耐えるように肩口を握り絞めている。握りしめた手は震えており、ほんの少し血が指に滲んでいるのが見えた。
(いや、違う……)
痛みを耐えるようにも見えるが、天月はもしや、と思い、耳を少年の口元まで近づけてみる。少年の熱っぽい吐息とともに、水を求めるようにゼェゼェと掠れた声を聞いた。
「ハァハァ……い、さむい、……だれ、か……」
「しまった、血が足りないんだった!」
驚いた猫のようにバッと立ち上がり、天月はすぐさま自分の着物を彼の体の上に脱ぎ捨てる。そして普段傀儡に被せる布やら、なめした動物の皮まで、手当たり次第に少年に被せていった。被せた布で押し潰れそうな状態だったが、天月はそれでも足りず、火を起こし始めた。
「手頃な石を焼いて、布で巻いて……焼いた石って直接布で巻いて良いンだっけ?」
とにかく慌てて、暖をとれるものを作り、お湯を沸かし、焼いた石で懐炉を作った。懐炉は少年の腹に抱えるように持たせ、お湯は水分補給のために少しずつ少年の口を湿らせていく。
温められた少年の顔は幾分か和らぎ、天月はほっと、息を吐く。
(怪我人には保温が必要なことを忘れていた……ちょっと、危なかった)
怪我をすることも、失血することも傀儡の体になってからすっかり忘れていた天月。だからこそ、生身である少年の状態には、いつも以上に気を掛けなければならなかった。
「頼むからなんとか生きてくれ……じゃないと俺が先生に殺される」
その後も天月は少年の様子を幾度となく見守り、甲斐甲斐しく世話をする。いつしか夜もふけて、しん、と気温が冷えていく。
そして夜は更け、朝日が昇る。
洞窟を差し込む光に、気づいた天月は、夜が明けたことを悟った。
「……あの子は?」
少年は顔色こそ悪いものの、窮地を脱したのか、それとも痛み止めの薬が聞いたのか、呼吸は穏やかだった。夜の間に何回かぬるま湯を飲ませていたのも良かったのだろう。蒸し風呂と化した洞窟でも脱水症状にはならなかった。
(良かった……)
安心したのか、視界に変な挙動が現れた。目の前が何度か点滅するような、視界の痙攣が起こる。それは当たり前だが、彼には必要のない、「瞬き」という行為。だがそのふとした行為が自身の疲労を表す無意識の警報であることを天月は理解していた。
「……ちょっと休むか」
疲れ知らずの人形の体でも、休息は必要だ。肉体を動かしてはいなくとも、結局は脳を使って体を動かしている、普通の人間と変わらないのだ。定期的に睡眠は取らねば、いずれ目を開ける動作すらできなくなる。瞬きだって、操っている力が切れかかっている証拠だ。
徹夜で看病していた少年は、深く眠っており、目覚める気配はない。少しの間意識を手放しても問題はないだろう。
洞窟の入り口のそばで、座り込む。普段なら後座を敷いたりするが、もうその気力すら起きない。
(もう、ここには梅枝たちも来ることはできないだろうからな……)
彼らは今頃、無断外出、門限超過の罰を受けていることだろう。自分のいたころは、逆さづりにされたり、一日食事抜きだったりした。だが彼らには沈清澈がいる。うまいこと庇っているのかもしれない。
「……起きたら、名前、きかな……きゃ……」
疲労で力が尽きたのだろう、天月の体はかちゃん、と首も、手も、重力に引かれるがまま落ちた。
山奥の洞窟には少年の他には、さまざまな形の傀儡が置かれているだけだった。
◼︎
後から思うと、あの瞬間に意識が戻ったのは、幸運だったと思う。
「うわああああああ‼︎」
「⁈」
天月が目を覚ましたのは、甲高い、子供の悲鳴。
耳から入った情報に、とっさに飛び上がる。飛び上がったが、その反動で首が後ろにズレてしまう。首を留めている糸を引き締めてもどす。
「あッ、あっちいけえええ‼︎」
(なんだ⁈ 何があった⁉︎)
子供は必死の声で何かと対峙している。軽く首を振って無理やり洞窟の奥に顔を向ける。だが日差しが強いせいで、影が洞窟の中を塗りつぶして見えない。
だが、昼間であることを思い出した天月は、少年が怯えるものの正体に気がついた。
「しまった……! 急げ、オレ!」
自分を叱咤して、すぐに洞窟の奥をみる。
大人一人、余裕で立ち上がれる高さがある洞窟に、天井いっぱいの黒いかたまり。その奥には恐怖に怯えて、天月の着物を盾にしている少年の姿。
山のような黒い影は天月を背にしているため、顔が全く見えない。だがその大きな頭部は、後ろからでも尖った耳と耳まで裂けた真っ赤な口の端が見えていた。
「グルルルルル……」
雷のように喉を鳴らす音が、天月がいる洞窟の入り口まではっきりと聞こえた。そこからは黒い化け物が少年を襲っているようにしか見えない。天月は咄嗟に、出せる限りの大声で化け物の注意を逸らした。
「コラァ! 大黒!」
「ヒャンッ!」
化け物は甲高い声をあげて、慌てて声のした方、天月に向かって振り返る。大の大人、薬屋の店主よりもずっと大きく、狐のように細い顔の獣だ。その大きな顎なら天月の頭など、簡単に砕いてしまうだろう。それなのに、飼い主に叱られた犬のように、天月に対して鼻先を震わせて目を伏せている。
「子供を驚かせるな! お前デカいんだから、怖いんだよ!」
叱りつけながらずんずんと洞窟に踏み入れていく。天月が、「大黒」と呼んだ獣と少年の間に割り込んでいくころには、大黒は鼻先を地面につけて前足で顔を隠していた。
少年の方は天月の着物を前に握りしめて、突然現れた天月に困惑している。
「こいつは大黒と言って、この辺りを縄張りにしている妖怪だ。多分コイツに危害を加えるだけの度胸はないから安心してくれ」
この大きな妖怪は天月が住んでいる洞窟の本来の主人である。巨体に加えて大きな白く濁ったような瞳は、見つめられるだけで竦んでしまう。だが大黒の本来の性格は穏やかで、子供にも負ける天月に住処を分ける、心優しき山の主である。
天月は叱られて怯えている大黒の鼻先を撫でながら、少年を正面に見据える。少年は初めこそ困惑で呆然としていたが、天月を前にして今度は警戒心を隠しながら睨みつけた。
「あ、あ、あの時の……人形の」
「お、今度は覚えているようだな」
天月は満足げに頷く。少年は眉を寄せて疑念を浮かべた後、ギリッと歯を剥き出した。
昨夜は目覚めた瞬間、天月にハサミを向けたが、反対に後頭部を思いっきり殴られたことを
覚えていたのだろう。
「どうして、私を助けたのですか? 私めはあなたの仲間を」
「オレは頼まれたんだよ、君を助けた鏡泉峰の沈清澈が、君の世話をしろってな」
「? あなたは、……旦那様はあの峰の者じゃないのですか?」
「『元』な。……オレは破門された身なんだ。今はしがない傀儡子だよ」
「人形の体で、ですか?」
「人形が人形を操る、バレても芸として、誤魔化せるし、そっちの方が都合が良いんだ」
天月がそういうと、少年は納得はしていないようだが、追求することはなかった。
「オレは天月、君は?」
三日前に出会ったときよりも、他人に対する警戒心は増したようだ。少年は嫌そうな顔をしながら、口を閉ざす。その様子に天月は困ったように笑った。
そもそも術には名前を知られるだけで魂を縛ることができるという。それを得意としていたのが何を隠そう、白壁衆だ。
適当な偽名を使わないのは、まだまだだが、すぐに名乗らないだけでも及第点だ。だからこそ天月は確信した。
(やっぱり、この子は道術の知識か、訓練を受けている)
人買いのもとに現れた天月を一瞬で人形と見破ったこと、今も言葉を話せるのに沈白華の尋問をかわせたこと。「一見、人間にしか見えない人形を見破る観察眼のあること」と、「質問の意味すらわからない、言葉も通じない痴呆であること」が共通する人物は稀だ。ならば別の考えが浮かぶ。
「君は白壁衆、道術の教育を受けたことがあるな?」
「ッ! ……見たのですか」
少年は刺青のある右腕に目を向ける。着物を握りしめて天月を静かに見つめる。天月は「あー、仕方がなかったんだ」と人形の手の平を少年に向けた。
「怪我の手当ての時に見つけてしまったんだ……わざと、というか不可抗力だ」
「不可抗力」と言いながらも、居心地が悪いのか「ごめん」と謝る天月に、少年は怪訝そうにみる。
「知りながらも、役所に突き出さないのですか?」
「……金には困ってないし、それにオレも役人たちと相性が悪いんだ」
「……」
何も言わなくなった少年に天月は話を続けた。
「それで、オレはともかく、鏡泉峰の峰主、沈師父の術をどうやって防いだンだ? あれは気を盾のように体を守っても、水のように通り抜けてしまうような術だぞ」
本当なら鏡泉峰の少年たちを手にかけたことなどを聞くべきだろうが、天月はあえて聞かなかった。
それよりも先に沈白華の、どんな豪傑も、なす術もなく口を開く尋問術にどうやって耐えたのか聞きたかった。彼の術は無理に防ごうとすれば、激痛襲われる。防ぐとすれば、身代わりの人形を用意するか、死人になるしか天月には思いつかない。
だが少年は、「意味がわからない」というより、「なぜそんな事を聞くのか」というような顔を現した。
「?……波を弾けば良いのでは? 確かに薄かったですが、よく見ればわかります」
「……『見ればわかる』、ねぇ」
(……全くわからない)
天月はこめかみに親指を当てながら首を傾げる。
正直、天月は頭を抱えると同時に、清澈が天月に任せた理由がわかった気がした。清澈は少年の事を「才能がある」と言ったが、天月は別の評価を少年にした。
(とんでもない天才だろう……)
天月は少年の能力の価値などわからない、なので決して少年を羨ましいとは思えない。だが清澈や他の道師から見れば、少年の目を奪ってでも欲しい才能の持ち主だろう。
(確かにオレがある意味適任だったな)
少年を導けといった清澈の判断はある意味正しい。かつて天月が出会ったばかりに銘軒に言われた言葉を少年に贈った。
「なるほど、君は生意気なクソガキってわけだ」
「……」
「いいね、これから楽しい時間を過ごせそうだ」
にっこりと頬を持ち上げる。普段子供相手に浮かべる笑みだ。決して怯えさせるものではないはずだったが、少年は怯えた目を浮かべた。
天月は「ん?」と違和感を覚える。
「わ、私を……どうするおつもりですか?」
「え? ……そのまま寝てくれたら良いけど?」
少年は怪我人だ。昼まで寝て、意識が戻ったのはいいが、まだ療養は必要だろう。夕方にはまた体を拭いて、薬を塗らねばならない。そこで天月は思い出して荷物置き場に目を向けた。
「あ、そういえば軟膏はまだあったっけ?」
「……っ! ……わかりました」
急に服を脱ぎ始める少年に天月は首を捻る。
「え? 何? どうしたの?」
「私は男で、抱きにくいかと思いますが……」
「待て待て待て、待て……!!」
今度は天月が「こっちに来ないでくれ」と言わんばかりに、手のひらを見せた。
「誤解だ! オレは子供を人形劇で楽しませるが、そういう楽しませ方は皆無だ! 大体、傀儡の体で何させる気だ!」
そう言うと、少年はピタ、と脱ぐのをやめた。先程まであった諦めるかのような目が和らいだ気がした。だが同時に疑念の目を向けた。
「なら、なぜ私を手元に置いているのですか? 私は一般の術師より、道術に優れておりませんが……」
(そうだ、このガキ、人買いの奴隷だった。……断袖の客も見てきたんだろうな)
男好きの男、女好きの女、子供にしか欲求できない大人など一定数いる。それらに対して、天月はその存在を否定はしない。だが、だからと言って怯える相手に手を出そうとは思わない。
「ならば労働力をお求めでしょうか? もう十分に休みましたので、すぐにでも仕事を」
すぐに立ち上がろうとするので、慌てて少年を止めた。
「だから違うって! 怪我人は寝床で寝てろっつってんだよ! こっちも命かかってんだよ!」
「なぜ?」
(確かに)と天月は心の中でつぶやく。
まさか少年に何かあれば、医者である師匠に天月が凌致されるとは思いもしないだろう。
だが少年に淫らな行為や労働を強要させれば、間違いなく師匠の診察でバレる。患者に手を出したとなれば、自身の大事な臓器が一、二個失ってもおかしくはない。
「とにかく、オレは君を世話するように頼まれたんだ! それに医者であるオレの先生に、君を診せるまでオレは治療行為以外で君に何かすることはない!」
「ですが、旦那様はこれから何をするのですか? 夜伽や労働でなければ、なぜそんな薄着なのですか?」
少年が天月に指を差して尋ねる。天月は昨夜からの自分の姿を顧みる。確かに今天月の服装は、下着と袴しか付けていない。下の下着は足回りの動きで邪魔になるので、もとより履いていない。
鏡を見れば天月も「今日も美しいな」と自画自賛するだろう。
「君が今握りしめているからだ……掛け布団がわりにしていたんだ」
「あ」
少年は起きてから握りしめていた着物を見つめた。見覚えがあったのだろう、その青みがかった白地の着物と天月を交互に見比べている。そして少年は顔を伏せて小さな声でつぶやく。
「も、申し訳ございません、旦那様……」
謝る少年に天月は(おっ)と意外に思った。少年は思う以上に素直な性格らしい。
「良いって、怪我人は気にせず包まって寝てなさい」
ひらひらと手を振るそぶりをした天月だが、少年は首を振る。
「その、そうじゃなくって……」
「ん?」
戸惑う少年に再び首を捻る。だがいつの間にか少年のそばにいた大黒が、鼻先を少年の体に持ってすんすんと湿った音を鳴らす。少年はもう巨体を持つ大黒になれたのか、体を縮こめるだけで大声を出したりはしない。大黒はずっと少年の太ももの部分を嗅いで、あまつさえ舌でぺろぺろと布を舐めている。
少年は真っ赤になった顔を隠すように伏せて、天月を見ようとしない。代わりに小さな声でボソボソと言った。
「その、驚いて……着物、汚して……」
「……」
天月は昨夜、少年が脱水症状にならないようにこまめに水を飲ませていたことを思い出した。
「ご、ごめんなさい」
「気にするな……服は洗えばいい」
天月は気にしていないというフリを演じていたが、彼は潔癖症である。内心は気が狂わんばかりに悲鳴をあげていた。だが、少年には余裕のある、良い大人を演じてしまった手前、駄々をこねるわけにはいかない。
全力で平常を保った演技をしながら汚れた布を片付けながら、少年に再び最初の質問を投げかけた。
「代わりにオレは君のこと、なんて呼べばいいか教えてくれ。このままだと『しょんべん小僧』って呼ぶことになるぞ」
「……」
しばらくの間、少年はなにも言わなかったので、痺れを切らした天月は小さくため息をついて、亀の傀儡から衣服を取り出しに行く。
「ユ、雨雲と申します」
衣服を探していた天月は振り返り、なんのことかわからないでいた。雨雲と名乗った少年は、ずっと顔を伏せたままだ。だが明らかに浮かない顔である。天月が「雨雲」と呟くと、ぱっと喜びの花を咲かせた。
「良い名前だ、風情ある!」
だが天月が嬉しそうに言うので、雨雲は目を見開いて「えっ」と声を漏らした。
「ん? 良い名前じゃないか、オレと同じで天に由来あるから親近感湧く」
「そんなわけ……」
「そうか? オレは好きだぞ。雨。仕事しなくてもいいし、何より植物や山にとっては恵の雨だ」
雨雲はいまだに懐疑的で何か呟いているが、天月は気にせずに衣服を拾い上げる。
「まあ、その名前なら、君があの、面倒な名前の白壁衆とは思わんだろうし、それにオレが呼びやすくて良い」
「偽名ならそれで良いだろう」と天月はハハハ、と笑いながら手に持っていた服を渡す。雨雲は戸惑いがちに天月に手渡された綺麗な着物を受け取った。
「しばらくは大黒に包まっているといい、彼の毛皮はあったかいぞ」
「……」
名前を呼ばれた獣は、天月の言葉を理解したかのように、戸惑いがちに雨雲のそばで寝転んだ。雨雲の体など丸々飲み込めそうな図体のくせに、天月をみる様は先ほどの叱咤が怖かったのだろう。耳を伏せてピスピスと鼻を鳴らしていた。
「……噛むなよ」
雨雲が恐々と指先を大黒の鼻を撫でると、大黒はパサパサと太い尻尾を小さく揺らした。雨雲は犬のように大人しい大黒の姿を見て、なぜこんなにも天月に従順なのか理解できなかった。
「戻ったぞー……あれ?」
天月が戻る頃には、雨雲は渡された着物も着ずに、大黒の柔らかい腹の中で寝息を立てていた。大黒も尻尾で少年を包み込むように丸まっているので、まるで親子のようだと天月は感想を抱いた。
「大黒は面倒見良かったんだな」
それを聞いて大黒は耳を伏せて、「クォン」と可愛らしい遠吠えをした。
天月は、自分を襲ってきた少年の手当てを済ませた。薬でベタベタになった背中を湿布し、包帯を巻いていく。
鏡泉峰で罰を受けた少年は、その小さな背中を何回も叩かれて、青紫に腫れ上がり、割れた皮膚からは湧き水のように血が流れていた。
怪我はひどいが、沈清澈が術をかけていたおかげで怪我の悪化が止められていたことだ。本来は酒の酸化を防ぐための、時を遅らせる術。そのおかげで少年は失血と怪我の乾燥を防ぐことができたらしい。
(……それよりもネズミくらいの小瓶にどうやって入れるんだ?)
天月には頓珍漢にしか見えないが、道術師範補佐として活躍している沈清澈に感心しながら、少年の体に包帯を解けないように結び目を作った。
うつ伏せにしている少年には、背中の怪我の他に、頭に冷やした手拭いをのせている。表情は青白く、意識が無いのに辛いのか「ううっ」と時々うめき声が聞こえる。
「あー……咄嗟のこととはいえ、かなり強く打ってしまったな」
咄嗟とはいえ、少年の入っていた亀の蓋を、思い切りよくぶつけたせいで、後頭部に拳大のタンコブを作ってしまった。流石の天月も少年が襲ってくるとは思わなかったので、若干の気まずさはあった。
(仮にこのまま死んだとしても、それは鞭打ちのせいで、俺が殴ったせいではない! 絶対!)
清澈に頼まれた子供を死なせても、天月には何の咎はない。だが、何かしらの後遺症に至ったら、という考えが頭から離れない。
「確か清澈が、先生が集会に呼ばれてるって言ってたな……」
呟けば、天月はそそくさと、羅銘軒宛の手紙を書き、連絡用のスズメの傀儡を空に放つ。
天月の師匠である羅銘軒は、この国で指折りの医者だ。しかし、天月の『医者の師』というわけではない。
天月は、薬草を煎じて薬湯を作ることもできなければ、特に治療の腕が良いわけでもない。銘軒の言われたことをやるだけの、文字通りの木偶人形にすぎない。
それでも銘軒は、傀儡しか頭にない天月に、根気よく最低限の知識を頭に詰め込んだ。そして人形の体になっても、朽ち果てず旅を続け、洞窟という粗末な診察室で応急処置を行えるのも、銘軒の根気と執念の勝利と言う他ない。
放たれたスズメの傀儡は夜の暗い空を風と共に流れていく。竹と紙でできた傀儡は、流れ星のようにあっという間に見えなくなった。
「さぁて、続き、続き……」
天月は途中だった少年の着物を着せる作業に入る。
洞窟に帰る前、薬屋の後に呉服屋で子供用の着物を購入していた。白い綿の布地の着物にしたのは、師匠の患者が着ていた服として馴染みの深いものだった。
少年の着ていた着物は使い古されていてボロ雑巾そのものだった。流石に治療した後だと言ううに、不潔な着物を着させるわけにはいかない。
新品同様の白い着物を敷き、少年をその上に横たわらせる。少年の細い体は、ろうそくで照らされていても青白く、いかにも栄養不足で骨の形が肉の上からでもわかった。
「ずっとロクなもん食べてこなかったんだろうな……」
天月はため息をつきながらも、着物の裾を通そうと少年の右腕を持ち上げた。子供特有の細い腕は年中外で活動していたのか、二の腕の内側は特に真っ白だった。
「……っ⁉︎」
真っ白な腕には、数多の古傷が刻まれていた。どれも痛々しく、刃物の切り傷だけでなく、殴る蹴るといった打撲が皮膚の色として癒着していた。
だが天月が目を止めたのはそこじゃない。
少年の脇の近くに、黒い縁の中に丸を三つくりぬいたような、コウモリの形をした刺青が描かれていた。その紋様を見て天月は即座に、その一門の名前を呟く。
「白壁衆……なんで……」
そのわずかな時間に、天月の頭の奥底には火薬の匂いに、土と血が混ざり合った泥、みるも無惨な遺体がそこかしこに横たわっている情景が流れた。
白壁衆とはかつて皇帝にも絶大な信頼を誇り、他の峰にはない人心掌握を得意とした一門であり、今は誰ひとり存在しないはずの一族。その中でも、上級に当たる貴族だけが刻むことを許される蝙蝠の刺青が、少年の腕の中に隠れるように存在していた。
(あの抗争で子供だからと見逃されたのか)
あの抗争で何もわからない幼子を、子持ちの兵士が哀れみから逃すことはよくあることだ。その後、どうなったかなど知る由もないことも。
「……」
天月は目を瞑り、できる限り口の端を吊り上げた。
(まずい、まずい、まずいまずいまずい……‼︎)
白壁衆は、子供と言えど、いまだに手配されてる一族だ。役所に届ければ、一月は遊べるほどの報奨金が出る。何故なら役所は、「怪しき者は殺せ」と言わんばかりに真偽問わず通報を受け付けているからだ。そして取り調べの際に目印となるのが刺青だ。四つの円で表現されたコウモリの刺青が体のどこかに彫られていることで判断されるのだという。
(着物に隠れる肩やら、腹だったりはあるが、何故こんな隠すように……?)
少年は幸いなことに、腕の内側に隠れるように彫られていたことから、雑な人買いも気づかなかったのだろう。もし見つかっていたら、今頃少年はここにはいない。
天月は少年の腕を袖に通し着替えさせた後、少年をおいて洞窟の外の茂みに隠れた。
(「近づかない」!「短時間の作業」!「遮蔽物に隠れる」!)
まるで危険物を発見した時のように、怪我をした少年から距離をとる。
「……どうする? この子の存在が人にバレたら、ついでに俺も捕まる。捕まった後に体をバラバラにされて質屋に売られる未来か、清澈のところか皇城で祓われる未来か……。こんなの、あかりを隠しながら、暗闇でかくれんぼしているようなものだ。それより、白壁衆は人の精神をいじる術に長けていた。だからこそ皆殺しにされたわけだし……え?じゃあ、俺は操られる可能性があるのか? なら、いっそのこと……」
(この少年を手にかけるのが最善なのでは?)と天月の頭をよぎったが、すぐに首を横に振る。
(ダメだ、ダメだ! 清澈に前払いされているし、さっき梅枝たちに喧嘩売った後だし……何よりまだ子供だ!)
「精神操作とかの高等技術は熟練の技で、確か子供は占術が主だったはず……。なら刺青だけどうにかしたら良い。痛いかもしれないが、師匠がいればどうにかなる!」
ここで天月はふと、思い出す。
「そうだ、先生がいる……この子に何かあったら、多分俺の方が無事じゃない……」
羅銘軒は、仕事熱心な人だ。「この世の病と患者は全て自分のものだ」と豪語するほど治療が大好きだ。もちろん、天月が助けた少年だって、彼女の患者である。たとえ天月が「別の医者に依頼している」と言っても、関係ない。天月は彼女の患者であるとともに、同僚でもあるのだ。天月が関わったものは全て患者だ。
そして彼女は自分の患者を横取りされたり、奪われることを最も嫌う。
「前に拾った小鳥を死なせたら、三体壊された……」
ただ落ちていたのを拾って、少し目を離したうちに死んでしまったのを、師匠に見つかったことがあった。その時に大事にしていた傀儡を三体を容赦なく破壊されてしまったのだ。
それ以降も人でも動物でも銘軒に報告しなかったら、手足を二、三本捥がれかねないことが多々あった。もし少年を、天月に関係のないところで死なせたとしても、天月の未来はないだろう。
「いや、何かあっても、まだ先生はこのことをしら……」
言い訳のように「知らないはず」と言いかけた口を閉ざす。
(さっき俺は何をした? さっき先生に手紙を送らなかったか?)
「負傷した少年を拾ったから、近く寄ったら来て」と言った内容を、いつもの癖で手紙を送った。
(報告のつもりで送ったが、先生が来るまであの子を保護しなければならないのか⁈)
銘軒にとって患者の階級や経歴などは全く意味をなさないため、少年を問答無用で診てくれるだろう。だがそれまで、この死神のような少年を生かさなければいけないとは思いもしなかった。
「ぐっ……」
少年が眠る洞窟から小さな声が聞こえた。天月は慌てて少年の元へ戻る。
洞窟は先ほど別段変わったところはない。洞窟の真ん中で少年が背を向けて寝ているだけだ。「どうした? 痛むのか?」
薄く、柔らかい寝巻きを着込んだ少年は、痛みを耐えるように肩口を握り絞めている。握りしめた手は震えており、ほんの少し血が指に滲んでいるのが見えた。
(いや、違う……)
痛みを耐えるようにも見えるが、天月はもしや、と思い、耳を少年の口元まで近づけてみる。少年の熱っぽい吐息とともに、水を求めるようにゼェゼェと掠れた声を聞いた。
「ハァハァ……い、さむい、……だれ、か……」
「しまった、血が足りないんだった!」
驚いた猫のようにバッと立ち上がり、天月はすぐさま自分の着物を彼の体の上に脱ぎ捨てる。そして普段傀儡に被せる布やら、なめした動物の皮まで、手当たり次第に少年に被せていった。被せた布で押し潰れそうな状態だったが、天月はそれでも足りず、火を起こし始めた。
「手頃な石を焼いて、布で巻いて……焼いた石って直接布で巻いて良いンだっけ?」
とにかく慌てて、暖をとれるものを作り、お湯を沸かし、焼いた石で懐炉を作った。懐炉は少年の腹に抱えるように持たせ、お湯は水分補給のために少しずつ少年の口を湿らせていく。
温められた少年の顔は幾分か和らぎ、天月はほっと、息を吐く。
(怪我人には保温が必要なことを忘れていた……ちょっと、危なかった)
怪我をすることも、失血することも傀儡の体になってからすっかり忘れていた天月。だからこそ、生身である少年の状態には、いつも以上に気を掛けなければならなかった。
「頼むからなんとか生きてくれ……じゃないと俺が先生に殺される」
その後も天月は少年の様子を幾度となく見守り、甲斐甲斐しく世話をする。いつしか夜もふけて、しん、と気温が冷えていく。
そして夜は更け、朝日が昇る。
洞窟を差し込む光に、気づいた天月は、夜が明けたことを悟った。
「……あの子は?」
少年は顔色こそ悪いものの、窮地を脱したのか、それとも痛み止めの薬が聞いたのか、呼吸は穏やかだった。夜の間に何回かぬるま湯を飲ませていたのも良かったのだろう。蒸し風呂と化した洞窟でも脱水症状にはならなかった。
(良かった……)
安心したのか、視界に変な挙動が現れた。目の前が何度か点滅するような、視界の痙攣が起こる。それは当たり前だが、彼には必要のない、「瞬き」という行為。だがそのふとした行為が自身の疲労を表す無意識の警報であることを天月は理解していた。
「……ちょっと休むか」
疲れ知らずの人形の体でも、休息は必要だ。肉体を動かしてはいなくとも、結局は脳を使って体を動かしている、普通の人間と変わらないのだ。定期的に睡眠は取らねば、いずれ目を開ける動作すらできなくなる。瞬きだって、操っている力が切れかかっている証拠だ。
徹夜で看病していた少年は、深く眠っており、目覚める気配はない。少しの間意識を手放しても問題はないだろう。
洞窟の入り口のそばで、座り込む。普段なら後座を敷いたりするが、もうその気力すら起きない。
(もう、ここには梅枝たちも来ることはできないだろうからな……)
彼らは今頃、無断外出、門限超過の罰を受けていることだろう。自分のいたころは、逆さづりにされたり、一日食事抜きだったりした。だが彼らには沈清澈がいる。うまいこと庇っているのかもしれない。
「……起きたら、名前、きかな……きゃ……」
疲労で力が尽きたのだろう、天月の体はかちゃん、と首も、手も、重力に引かれるがまま落ちた。
山奥の洞窟には少年の他には、さまざまな形の傀儡が置かれているだけだった。
◼︎
後から思うと、あの瞬間に意識が戻ったのは、幸運だったと思う。
「うわああああああ‼︎」
「⁈」
天月が目を覚ましたのは、甲高い、子供の悲鳴。
耳から入った情報に、とっさに飛び上がる。飛び上がったが、その反動で首が後ろにズレてしまう。首を留めている糸を引き締めてもどす。
「あッ、あっちいけえええ‼︎」
(なんだ⁈ 何があった⁉︎)
子供は必死の声で何かと対峙している。軽く首を振って無理やり洞窟の奥に顔を向ける。だが日差しが強いせいで、影が洞窟の中を塗りつぶして見えない。
だが、昼間であることを思い出した天月は、少年が怯えるものの正体に気がついた。
「しまった……! 急げ、オレ!」
自分を叱咤して、すぐに洞窟の奥をみる。
大人一人、余裕で立ち上がれる高さがある洞窟に、天井いっぱいの黒いかたまり。その奥には恐怖に怯えて、天月の着物を盾にしている少年の姿。
山のような黒い影は天月を背にしているため、顔が全く見えない。だがその大きな頭部は、後ろからでも尖った耳と耳まで裂けた真っ赤な口の端が見えていた。
「グルルルルル……」
雷のように喉を鳴らす音が、天月がいる洞窟の入り口まではっきりと聞こえた。そこからは黒い化け物が少年を襲っているようにしか見えない。天月は咄嗟に、出せる限りの大声で化け物の注意を逸らした。
「コラァ! 大黒!」
「ヒャンッ!」
化け物は甲高い声をあげて、慌てて声のした方、天月に向かって振り返る。大の大人、薬屋の店主よりもずっと大きく、狐のように細い顔の獣だ。その大きな顎なら天月の頭など、簡単に砕いてしまうだろう。それなのに、飼い主に叱られた犬のように、天月に対して鼻先を震わせて目を伏せている。
「子供を驚かせるな! お前デカいんだから、怖いんだよ!」
叱りつけながらずんずんと洞窟に踏み入れていく。天月が、「大黒」と呼んだ獣と少年の間に割り込んでいくころには、大黒は鼻先を地面につけて前足で顔を隠していた。
少年の方は天月の着物を前に握りしめて、突然現れた天月に困惑している。
「こいつは大黒と言って、この辺りを縄張りにしている妖怪だ。多分コイツに危害を加えるだけの度胸はないから安心してくれ」
この大きな妖怪は天月が住んでいる洞窟の本来の主人である。巨体に加えて大きな白く濁ったような瞳は、見つめられるだけで竦んでしまう。だが大黒の本来の性格は穏やかで、子供にも負ける天月に住処を分ける、心優しき山の主である。
天月は叱られて怯えている大黒の鼻先を撫でながら、少年を正面に見据える。少年は初めこそ困惑で呆然としていたが、天月を前にして今度は警戒心を隠しながら睨みつけた。
「あ、あ、あの時の……人形の」
「お、今度は覚えているようだな」
天月は満足げに頷く。少年は眉を寄せて疑念を浮かべた後、ギリッと歯を剥き出した。
昨夜は目覚めた瞬間、天月にハサミを向けたが、反対に後頭部を思いっきり殴られたことを
覚えていたのだろう。
「どうして、私を助けたのですか? 私めはあなたの仲間を」
「オレは頼まれたんだよ、君を助けた鏡泉峰の沈清澈が、君の世話をしろってな」
「? あなたは、……旦那様はあの峰の者じゃないのですか?」
「『元』な。……オレは破門された身なんだ。今はしがない傀儡子だよ」
「人形の体で、ですか?」
「人形が人形を操る、バレても芸として、誤魔化せるし、そっちの方が都合が良いんだ」
天月がそういうと、少年は納得はしていないようだが、追求することはなかった。
「オレは天月、君は?」
三日前に出会ったときよりも、他人に対する警戒心は増したようだ。少年は嫌そうな顔をしながら、口を閉ざす。その様子に天月は困ったように笑った。
そもそも術には名前を知られるだけで魂を縛ることができるという。それを得意としていたのが何を隠そう、白壁衆だ。
適当な偽名を使わないのは、まだまだだが、すぐに名乗らないだけでも及第点だ。だからこそ天月は確信した。
(やっぱり、この子は道術の知識か、訓練を受けている)
人買いのもとに現れた天月を一瞬で人形と見破ったこと、今も言葉を話せるのに沈白華の尋問をかわせたこと。「一見、人間にしか見えない人形を見破る観察眼のあること」と、「質問の意味すらわからない、言葉も通じない痴呆であること」が共通する人物は稀だ。ならば別の考えが浮かぶ。
「君は白壁衆、道術の教育を受けたことがあるな?」
「ッ! ……見たのですか」
少年は刺青のある右腕に目を向ける。着物を握りしめて天月を静かに見つめる。天月は「あー、仕方がなかったんだ」と人形の手の平を少年に向けた。
「怪我の手当ての時に見つけてしまったんだ……わざと、というか不可抗力だ」
「不可抗力」と言いながらも、居心地が悪いのか「ごめん」と謝る天月に、少年は怪訝そうにみる。
「知りながらも、役所に突き出さないのですか?」
「……金には困ってないし、それにオレも役人たちと相性が悪いんだ」
「……」
何も言わなくなった少年に天月は話を続けた。
「それで、オレはともかく、鏡泉峰の峰主、沈師父の術をどうやって防いだンだ? あれは気を盾のように体を守っても、水のように通り抜けてしまうような術だぞ」
本当なら鏡泉峰の少年たちを手にかけたことなどを聞くべきだろうが、天月はあえて聞かなかった。
それよりも先に沈白華の、どんな豪傑も、なす術もなく口を開く尋問術にどうやって耐えたのか聞きたかった。彼の術は無理に防ごうとすれば、激痛襲われる。防ぐとすれば、身代わりの人形を用意するか、死人になるしか天月には思いつかない。
だが少年は、「意味がわからない」というより、「なぜそんな事を聞くのか」というような顔を現した。
「?……波を弾けば良いのでは? 確かに薄かったですが、よく見ればわかります」
「……『見ればわかる』、ねぇ」
(……全くわからない)
天月はこめかみに親指を当てながら首を傾げる。
正直、天月は頭を抱えると同時に、清澈が天月に任せた理由がわかった気がした。清澈は少年の事を「才能がある」と言ったが、天月は別の評価を少年にした。
(とんでもない天才だろう……)
天月は少年の能力の価値などわからない、なので決して少年を羨ましいとは思えない。だが清澈や他の道師から見れば、少年の目を奪ってでも欲しい才能の持ち主だろう。
(確かにオレがある意味適任だったな)
少年を導けといった清澈の判断はある意味正しい。かつて天月が出会ったばかりに銘軒に言われた言葉を少年に贈った。
「なるほど、君は生意気なクソガキってわけだ」
「……」
「いいね、これから楽しい時間を過ごせそうだ」
にっこりと頬を持ち上げる。普段子供相手に浮かべる笑みだ。決して怯えさせるものではないはずだったが、少年は怯えた目を浮かべた。
天月は「ん?」と違和感を覚える。
「わ、私を……どうするおつもりですか?」
「え? ……そのまま寝てくれたら良いけど?」
少年は怪我人だ。昼まで寝て、意識が戻ったのはいいが、まだ療養は必要だろう。夕方にはまた体を拭いて、薬を塗らねばならない。そこで天月は思い出して荷物置き場に目を向けた。
「あ、そういえば軟膏はまだあったっけ?」
「……っ! ……わかりました」
急に服を脱ぎ始める少年に天月は首を捻る。
「え? 何? どうしたの?」
「私は男で、抱きにくいかと思いますが……」
「待て待て待て、待て……!!」
今度は天月が「こっちに来ないでくれ」と言わんばかりに、手のひらを見せた。
「誤解だ! オレは子供を人形劇で楽しませるが、そういう楽しませ方は皆無だ! 大体、傀儡の体で何させる気だ!」
そう言うと、少年はピタ、と脱ぐのをやめた。先程まであった諦めるかのような目が和らいだ気がした。だが同時に疑念の目を向けた。
「なら、なぜ私を手元に置いているのですか? 私は一般の術師より、道術に優れておりませんが……」
(そうだ、このガキ、人買いの奴隷だった。……断袖の客も見てきたんだろうな)
男好きの男、女好きの女、子供にしか欲求できない大人など一定数いる。それらに対して、天月はその存在を否定はしない。だが、だからと言って怯える相手に手を出そうとは思わない。
「ならば労働力をお求めでしょうか? もう十分に休みましたので、すぐにでも仕事を」
すぐに立ち上がろうとするので、慌てて少年を止めた。
「だから違うって! 怪我人は寝床で寝てろっつってんだよ! こっちも命かかってんだよ!」
「なぜ?」
(確かに)と天月は心の中でつぶやく。
まさか少年に何かあれば、医者である師匠に天月が凌致されるとは思いもしないだろう。
だが少年に淫らな行為や労働を強要させれば、間違いなく師匠の診察でバレる。患者に手を出したとなれば、自身の大事な臓器が一、二個失ってもおかしくはない。
「とにかく、オレは君を世話するように頼まれたんだ! それに医者であるオレの先生に、君を診せるまでオレは治療行為以外で君に何かすることはない!」
「ですが、旦那様はこれから何をするのですか? 夜伽や労働でなければ、なぜそんな薄着なのですか?」
少年が天月に指を差して尋ねる。天月は昨夜からの自分の姿を顧みる。確かに今天月の服装は、下着と袴しか付けていない。下の下着は足回りの動きで邪魔になるので、もとより履いていない。
鏡を見れば天月も「今日も美しいな」と自画自賛するだろう。
「君が今握りしめているからだ……掛け布団がわりにしていたんだ」
「あ」
少年は起きてから握りしめていた着物を見つめた。見覚えがあったのだろう、その青みがかった白地の着物と天月を交互に見比べている。そして少年は顔を伏せて小さな声でつぶやく。
「も、申し訳ございません、旦那様……」
謝る少年に天月は(おっ)と意外に思った。少年は思う以上に素直な性格らしい。
「良いって、怪我人は気にせず包まって寝てなさい」
ひらひらと手を振るそぶりをした天月だが、少年は首を振る。
「その、そうじゃなくって……」
「ん?」
戸惑う少年に再び首を捻る。だがいつの間にか少年のそばにいた大黒が、鼻先を少年の体に持ってすんすんと湿った音を鳴らす。少年はもう巨体を持つ大黒になれたのか、体を縮こめるだけで大声を出したりはしない。大黒はずっと少年の太ももの部分を嗅いで、あまつさえ舌でぺろぺろと布を舐めている。
少年は真っ赤になった顔を隠すように伏せて、天月を見ようとしない。代わりに小さな声でボソボソと言った。
「その、驚いて……着物、汚して……」
「……」
天月は昨夜、少年が脱水症状にならないようにこまめに水を飲ませていたことを思い出した。
「ご、ごめんなさい」
「気にするな……服は洗えばいい」
天月は気にしていないというフリを演じていたが、彼は潔癖症である。内心は気が狂わんばかりに悲鳴をあげていた。だが、少年には余裕のある、良い大人を演じてしまった手前、駄々をこねるわけにはいかない。
全力で平常を保った演技をしながら汚れた布を片付けながら、少年に再び最初の質問を投げかけた。
「代わりにオレは君のこと、なんて呼べばいいか教えてくれ。このままだと『しょんべん小僧』って呼ぶことになるぞ」
「……」
しばらくの間、少年はなにも言わなかったので、痺れを切らした天月は小さくため息をついて、亀の傀儡から衣服を取り出しに行く。
「ユ、雨雲と申します」
衣服を探していた天月は振り返り、なんのことかわからないでいた。雨雲と名乗った少年は、ずっと顔を伏せたままだ。だが明らかに浮かない顔である。天月が「雨雲」と呟くと、ぱっと喜びの花を咲かせた。
「良い名前だ、風情ある!」
だが天月が嬉しそうに言うので、雨雲は目を見開いて「えっ」と声を漏らした。
「ん? 良い名前じゃないか、オレと同じで天に由来あるから親近感湧く」
「そんなわけ……」
「そうか? オレは好きだぞ。雨。仕事しなくてもいいし、何より植物や山にとっては恵の雨だ」
雨雲はいまだに懐疑的で何か呟いているが、天月は気にせずに衣服を拾い上げる。
「まあ、その名前なら、君があの、面倒な名前の白壁衆とは思わんだろうし、それにオレが呼びやすくて良い」
「偽名ならそれで良いだろう」と天月はハハハ、と笑いながら手に持っていた服を渡す。雨雲は戸惑いがちに天月に手渡された綺麗な着物を受け取った。
「しばらくは大黒に包まっているといい、彼の毛皮はあったかいぞ」
「……」
名前を呼ばれた獣は、天月の言葉を理解したかのように、戸惑いがちに雨雲のそばで寝転んだ。雨雲の体など丸々飲み込めそうな図体のくせに、天月をみる様は先ほどの叱咤が怖かったのだろう。耳を伏せてピスピスと鼻を鳴らしていた。
「……噛むなよ」
雨雲が恐々と指先を大黒の鼻を撫でると、大黒はパサパサと太い尻尾を小さく揺らした。雨雲は犬のように大人しい大黒の姿を見て、なぜこんなにも天月に従順なのか理解できなかった。
「戻ったぞー……あれ?」
天月が戻る頃には、雨雲は渡された着物も着ずに、大黒の柔らかい腹の中で寝息を立てていた。大黒も尻尾で少年を包み込むように丸まっているので、まるで親子のようだと天月は感想を抱いた。
「大黒は面倒見良かったんだな」
それを聞いて大黒は耳を伏せて、「クォン」と可愛らしい遠吠えをした。
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