江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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近衛太閤

 
 ・天文八年(1539年) 二月  山城国 京 相国寺  六角定頼


 俺が点てた茶を優雅な所作で関白殿下(近衛稙家)が喫する。
 松平……もとい、徳川清康の三河守の件では随分と骨を折ってもらったから、その礼を込めて相国寺に招いた。殿下も四十を目前にして頭に白い物がチラホラと見えるようになってきたな。

 お互い年を食ったもんだ。

「此度の三河守の件では随分とお骨折り頂き、ありがとうございました」
「いや、何の。良い物を貰って虎丸も喜んでおじゃる」

 虎丸とは俺が殿下に献上した猫だ。今回の礼物の中に木工細工の猫の遊び場を加えておいたから、それのことだろう。要するに、キャットタワーのようなものだ。

「公方にも見せびらかせてやった。随分と悔しがっておったぞ。ほっほっほ」

 自慢したのかよ。どうりで義晴が『猫丸の遊び場を用意しろ』とか言い出すわけだ。
 仕方ない。もう一台作らせるか。

「喜んで頂けて幸いでございました」
「……しかし、此度の戦は見事でおじゃったな。近江宰相が動いただけで、尼子は恐れおののいて退散したと京雀たちも噂しておじゃるぞ」
「世人は勝手なことを申すものです」

 本当に世間は勝手なことを言うよ。確かに合戦という現象だけを見ればそう見えても仕方ないが、水面下では色々と鍔迫り合いをしていた。気を抜けばこちらがやられててもおかしくない戦いだったと思う。
 返す返すも、遊佐がこちらに付いたことが決定打になったな。

 俺自身の分も茶を点て、茶筅を置いて茶碗を口に運ぶ。抹茶も飲み慣れて来たけれど、おれはやっぱり煎茶の方が好きだな。抹茶はどうも苦みが強くて苦手だ。

「ともあれ、これで畿内の静謐は実現できそうか?」
「……まだ確実とは言えません。尼子が戻った西国でどのような影響が出るかわかりませんし、阿波へ戻った細川讃岐守(細川持隆)もこのまま終わるとは思えません。捲土重来は阿波衆のお家芸でもありますし」
「ふぅむ……」

 一つため息を吐いた関白殿下が茶碗を置いて俺をじっと見て来る。やはり早々に畿内の静謐を実現できなかったことを責められるのかな?

「やはり、足利では駄目か?」

 ………!!

「何が、でございますか?」

 いきなり核心を突いて来る所が怖いよ。何とか動揺を抑えて言葉を返したが、思わず声が裏返りそうになった。

「……世上の噂話でおじゃるがの。これほどの武功を上げた近江宰相に対し、公方は報いるところが少ないともっぱらの噂じゃ。遊佐河内守は河内守護に任じられ、御相伴衆へと任じられておる。三好・斎藤も国持衆として任じられておるのに、六角だけは変わらず近江守護のままなのは不審である。とな」

 う……。確かに良くない噂だとは思っていたんだ。何とか打ち消しておかなければと思っていた所だ。内談衆は俺の意向でそうなっていることを承知しているが、義晴の耳に入ったら何を言い出すか分かったもんじゃない。

「噂はともかく、某はそれが順当だと思っております。此度の戦功はその多くが某の働きに非ず、それらの三名、いや、北畠と斯波殿も含めた五名にござる。某は最後に少しだけ戦ったに過ぎません」
「ほっほっほ。そういうことにしておこう。麿も積極的にそのように話して回るが、良いな?」
「無論のこと。よろしくお願いします」

 笑いを引っ込めた殿下が、俺の目をじっと見て来る。こりゃあ、何か重たいことを言われるな……。

「しかしの。穿った見方をすれば、六角は足利の風下には立たぬという心の表れであるとも取れる。それ故に幕府の定めた格式など必要ない、とな」
「……考えすぎにございましょう」
「果たしてそうかな?」

 今日はいつにもまして圧が強いな。何か余程の事があるのだろうか。

「麿の父上は、細川の内乱で揺れる天下を唐土の春秋戦国になぞらえて『戦国の世の如し』と申された。今日ノ本が戦国の世であるのならば、望まれるのは周の復興ではなく始皇の武による統治だ。それがお主の心底であると見る向きもある」

 口の中がカラカラに乾いている。心の準備も無しにこんな話をぶつけられればそうもなるか。
 いや、関白殿下もあえて何気なく切り出したのだろう……。

「……誰がそのようなことを」
「何、誰とは申さぬ。世上の噂よ」

 嘘だな。恐らく近衛稙家自身がその疑いを持ち、俺に直接ぶつけに来た。これからの世の行く末を占うために。そして朝廷がどう振舞うべきかを見定めるために。

 どう答えるべきか……。
 いや、今は思う所を正直に答えよう。

「仮に、今の日ノ本が戦国時代と申すのならば、望まれるのは始皇の武では無く高祖劉邦の統治。即ち民を慈しむことにございましょう。日ノ本の民は飢えております。飢えは戦を加速させ、乱世を果てしなく続けさせる。
 人は飢えには勝てぬ『業』を背負った生き物でござる。なればこそ、政を行う者はどのようにして飢えを無くすかとまずは考えねばなりません」
「……ふむ。道理よな。それ故に『海内豊楽』か」

「左様。腹が満ち、暮らしが豊かになれば自然と争いは減りましょう。それこそが『戦国乱世』を終わらせる唯一の法と某は心得ております。始皇は確かに武を持って六国を討ち平らげました。ですが、始皇が真に為した偉業は七つに分かれた中華を一つにしたこと。

 即ち、度量衡や馬車の車輪の大きさを統一し、七国の間での商品流通を容易ならしめたことにござる。始皇が中華を一つにしたからこそ、後の唐土はいくつかの国に分かれようとも最後は一つの国としてまとまり申す。今の戦乱は、見方を変えれば日ノ本を真の意味で一つにする好機とも言えましょう」

「始皇と同じく日ノ本を一つにまとめ、その上で飢えを無くす。それが唯一の法である、と」
「いかにも。東国では隣の国の米を狙って軍を起こすということも珍しくはありません。畿内の戦は家督を巡って争いますが、東国はまさに『食』を巡って争います。
 この構造を何とかせぬ以上は天下静謐など夢幻にございましょう」

 殿下の目線が益々鋭くなる。視線が刺さるという表現がしっくり来る感覚だ。

「足利ではそれは成せぬ……と?」
「室町の本質は公事(裁判)です。流通や軍事はあくまでも寺社や守護が務める。しかし、それではそれぞれが己の権益を守るために争いを起こす宿命から逃れられません。
 為政者は公事を司ると共に流通を司り、食の足りていない地には食を届け、食の余っている地には生活を豊かにするための文物を届ける。その動向を見定め、滞りなく天下が飢えぬように差配しなければなりません」

 今風に言えば経済政策と金融政策によって日本の流通を安定させるということだ。徳川政権が長期安定政権となったのは、株仲間の公認によって流通政策をも司り、日本の経済を安定させたからに他ならない。
 株仲間を否定した天保の改革では、諸物価が乱高下して市民生活が混乱を極め、その中で『維新の志士』というテロリスト達に世論が味方する隙を与えてしまった。
 流通政策と金融政策は、究極的には国家の命運を制するものだ。それを他者に依存する室町体制が安定しなかったのは、ある意味では当然のことだ。

「そして、天下人にはそれらの政に逆らう者を叩き潰すだけの軍事力が必要とされます。公事だけでは足りぬ。公事に加えて流通と軍事を併せ持たねば、天下静謐は実現しません」
「宰相がそれらを司って公方を支えれば事足りるのではないか?」
「某が生きている間は、それで済みましょう。ですが、某が死に、公方様が死んだ後には世は再び乱世に戻る」

 足利と六角の両輪体制が上手く行くとは到底思えない。例え義晴がそれを良しとしたとしても次代の将軍が六角の勢力を面白く思わなければ、その時点で両輪体制は破綻する。

 長い間見つめ合った後、不意に殿下が視線を外す。やがてポツリと独り言のように言葉を吐き出した。

「……公方は決して愚かな男ではない」
「某も左様に思います。ですが、これは足利家という家の問題です。公方様が名君であっても、次世代の公方様が暗君であれば容易に世は戦国に戻る。ただ一時の平和を持って『天下静謐を為した』と言っても笑止千万にございましょう」

 やがて目を瞑った殿下が太いため息を吐く。俺だって近世の扉を開くと決めてから、足利将軍家を温存しつつ統治体制を切り替える方策を考え続けて来た。だが、結論としては不可能だ。
 悲しいことだが、足利家が武家の棟梁である限り天下静謐は実現しない。



 ・天文八年(1539年) 二月  山城国 京 相国寺  近衛稙家


 公方は決して愚かな男ではない、か。
 我ながら的外れよな。宰相は世の仕組みの話をしておるというのに、公方が聡明であるかそうでないかは関係のない話であった。

 しかし、公方は麿の妹婿でもある。頭では理解できても、心情として割り切れぬ思いが残る。
 どうしてやるのが良いかの……。

 ともあれ、宰相の申すことは道理ではある。だが、天下の者がすぐさまそれを受け入れられるかどうかは別の話であろう。麿ですら、頭では理解できても心がついてゆかぬのだ。これから先、六角の行く先には多くの敵が立ちはだかるはずだ。
 麿に出来るのは、その中で足利の血脈が途絶えぬように心を砕くことくらいかの。

「宰相の思いは分かった。麿はこの戦を機に関白の職を辞すことにしよう」

 宰相の眉がピクリと動く。何を言っても動揺を見せなかった男が、ようやく表情を動かしたか。

「それは、以後殿下は足利の復権に努めると仰せで?」
「なに、公方を孤立させてはなるまいと思うてな。宰相にも足利を抑える者が必要であろう」

 関白たる者が必要以上に足利に近づけば、朝廷もそれにひきずられて足利支持へと回る恐れがある。かといって朝廷が完全に六角と歩みを共にすれば、公方は焦りを募らせてしまおう。前関白が公方の側に侍れば、朝廷は足利を見捨てた訳ではないと内外に示すことができよう。
 六角と足利の対立は避けられぬとしても、戦に及ばずに何とか穏便に事を収められるようこれからは尽力して参るかの。

「……今後も殿下を頼りとさせていただきます」
「ほっほっほ。また虎丸の喜ぶ物を届けてくれたらそれでよい」


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