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第五話

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 その時、七海は朝槇原と話をした部屋で、簡素な白い寝台の上に押し倒されていた。

 押し倒している東は、ニヤニヤと笑っている。

 ギリギリと両手首を握って、ベッドに押しつけられている七海は、普段の無表情が嘘のように、思いっきり東を睨みつけていた。

「東くん、離してもらえるかい?」

 論文について、もう少し相談があるからと、ケーキについて聞きたいからこの部屋で、と、己がケーキであることを隠していない七海は請われて、この部屋に入った。押し倒されたのは、それからすぐのことだ。抵抗したが、力で叶わず、その結果現在、この体勢となった。努めて冷静な声で、七海は言った。

「これからどうなると思いますか?」
「君が私の手を離す以外に?」
「離すわけがないでしょう? これから先生は、俺に抱かれて喘ぐんですよ」
「冗談じゃない」

 聞くだけでも嫌悪が浮かび上がってきて、再び七海はもがく。
 だが抵抗も空しく、直後白衣を強引に開けられた。ボタンが弾け飛ぶ。

「止めろ!」

 制止するが無駄で、続いてこの日纏っていたシャツを、引き裂くように強引に開けられた。すると一瞬、東が動きを止めた。

「これはこれは……凄い数のキスマークですね」
「!」

 週末、散々槇原に抱かれたことを、七海は想起する。槇原は、最近しつこいくらいに痕をつけるから間違いがない。それが実は、槇原の所有欲のように思えて七海は嬉しいとすら感じていたし、ただの食欲の痕跡であっても、槇原のことを思い出せるから、普段はキスマークが嫌ではない。そして自分の体に痕をつける人間に、他には心当たりもない。

「お相手は誰です?」
「……」
「まぁ、いいか。俺がもっともっと気持ちのいい天国、見せてあげますから」

 まだベルトを外していないが、既に東は昂ぶっているようで、それが七海が抵抗しようと立てている膝に触れた。嫌悪がより酷くなり、七海は青褪める。

 東の顔が迫ってくる。大きく口を開け、鋭い犬歯と唾液が見える。それが、七海の首と肩の中間に、噛みつこうとしている。ここに来て初めて七海は、恐怖を覚えた。

「……君は、フォークなの?」
「おや、今頃気づいたんですか。いくら先生といえども、俺の偽装はバッチリだったってことですね。アハハ」
「っ」
「いっぱいいっぱい喰いつくしてあげますからね。はぁ、本当に先生は、甘い匂いがsite、美味しそうだ。どんな味がするのか、楽しみですよ」

 そして――ついに噛みつかれようとした、その時だった。

 激しい音を立てて、扉が開いた。反射的に東が振り返り、力が緩んだので、逃れようと七海が床に降りる。その瞬間には、逆の壁側に、東が吹っ飛んでいた。殴り飛ばしたのは、入ってきた槇原である。手錠を取り出し、その場で槇原は、気絶した東に手錠をかけた。

 それから血相を変えて、床に座り込んでいる七海の前に立つ。

「大丈夫か!?」
「……っ、槇原……」
「大丈夫なはずがないな」

 黒い背広を脱いで、槇原が七海の肩にかける。それを胸元で掴んで、体を隠し、七海が涙ぐむ。実際、恐怖がこみ上げてきて、大丈夫ではなかった。槇原を見た途端、どんどん恐怖と安心感が胸中に浮かんできて、それらが綯い交ぜとなり、涙に変わる。

 すると槇原が、震えている七海をしゃがんで抱きしめた。
 そして七海の後頭部に触れ、自分の胸板に押しつけるようにし、優しく囁く。

「もう大丈夫だ。俺がいる。な? 落ち着け」
「……どうして、ここに?」
「お前が心配でな。間に合ってよかった」

 その声を聞きながら、七海は槇原のシャツを震える両手でギュッと握る。
 ああ、好きだな、と。そう思った。胸が苦しい。

「そ、その……心配してくれて、ありがとう。まぁ……私がいなくなったら、他に甘い味を提供する者もいなくなるだろうしてね」

 七海が空元気でそう述べると、呆れたように槇原が吐息した。そしてより強く、七海の頭を己に押しつけた。

「バカ。俺はお前が大切なんだよ、愛してる」
「え……? 本当に?」

 驚いて顔を上げた七海に向かい、真摯な瞳をした槇原が、大きく頷く。
 槇原は、こういう嘘は言わないと、七海は付き合いの長さから知っている。
 だから嬉しさがこみ上げてきて、思わず泣きながら、七海は笑った。

 するとその頬に触れた槇原が、優しく七海の唇に、触れるだけのキスをする。

 嬉しくてたまらず、七海がうっすらと唇を開けると、より深いキスが降ってきた。それはきっと槇原にとっては甘い味がしたのだろうが、しかし食事の色は薄く、確かに心が通じ合った、恋人同士のキスの色合いが非常に濃かった。

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