もし、運命の番になれたのなら。

天井つむぎ

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【後編 了】第十二章 待っていてくれてありがとう

二人が守り続けた約束。

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 誕生日パーティーを開いてくれようとする羽生や神崎の誘いを断り、帰路を急いだ。
 現在、水樹が暮らすのは神崎から紹介されたマンションだ。防音対策の他に、ヒート中でも室内からフェロモンが漏れにくい構造をしており、オメガも安心して住めると銘打っている。
 もう午後十一時を回ってしまい、返信を終える頃には今日を超えるだろう。
 青々とした葉が美しい季節がもうすぐそこだ。爽やかな空気で肺が満たされ、目はシャキッと、気合いも入る。ピンク色の花弁が土埃で汚れ、踏んだシューズで転がる様は誰も見向きしなくなってしまう。あれは樹に咲くのだから趣があるのだと、誰かが言った。
──……ピコン。
 スマホを確認するが期待した人物からはまだ送信されてこない。仕方ないと割り切りたいが、できなかった。
(忙しくてもメールくらい……寄越してくれてもいいじゃん)
 リュックを背負った肩にトートバッグを掛けて走る。コンビニで購入した二つ入りのショートケーキはぐちゃぐちゃになるかもしれないが、どうせ食べるのは自分一人だ。
 宿敵を超絶拗らせていると思ったが、自分も大概だ。『どうしたの?』や『今日もお疲れ様』、『実は今日、俺の誕生日なんだよ。ダブルピース』とか匂わせでも送ればいいのに。
(ま、ファンの方への返信が優先事項だ。夕飯食べるのは後でいいや)
 一旦荷物を下ろす。鍵を財布から取り出し、慣れた手つきでドアノブへ。
──ドクンッ。
 部屋の方で衝撃音? 疑問はすぐ否定された。かといって安心する余裕もなかった。
 こみかみがチクチクと痛み、眉根を寄せる。額や毛穴から噴き出す汗粒。脳が揺らぐと同時に視界がぐわり、ぐわりと揺れ始め、水樹は耐えきれず膝を着いた。
「はあ……、はぁ、はあ……!」
(声……。息を吸えば吸うほど喉の奥が焼けるように熱い)
 この不快な感覚は一つしかない。
──ヒートだ。
(どうして。周期的にはまだ一週間も先なのに……!)
 冷えた鉄の板へ手をつき、必死に体を起こそうとするも力が抜けていく。サイン色紙やもらいものを包んだ袋に頭を突っ込んだ。
(抑制剤……飲まなきゃ。助け……、あっ。時間が遅すぎる。ソロ曲の収録どうする気だ。あの作品は視聴者の反応で進んでるから遅めに進む。救急車呼ぶ? 返信しないと。真夜中過ぎたらファンの人達が迷惑だから……)
 世界が回り、思考も前後も繋がらないままフル回転する。
(誕生日にヒート……。はは、笑えないな)
 だって、ろくな思い出がない。嫌な組み合わせのパンチだ。
 端的に今の状況を表すのなら、酔い潰れたデカ男が床で伸びている。水樹は下戸なので二度と飲めないのだが。
 このまま朝まで迎えれば誰か救出してくれるだろうかと、苦しくても浅はかに考えたのが運の尽きだった。
 項がピリピリ痛み、産毛が立つ。夜風に吹かれたせいではなく本能がそうさせている。
(……アル、ファ……だ)
 頭を襲う激痛がほんの少し和らぐ。屈折した状態で寝転がっているせいかフェロモンがどこからくるのかわからない。にもかかわらず、恐怖心と思考が蕩ける錯覚に陥った。
(お酒を初めて飲んだ時と逆だ。あと、眠気と似ている。とろとろでふわふわな気持ち良さ)
 理性は言う『早く逃げないと死ぬぞ』と。
 本能は言う『もっと堕ちていたい。心地良いから』と。
 カンカンカン。階段を一段ずつ上る音が心臓の裏側を叩く。ドク、ドク、ドク。
(……早く立たなきゃ。不要にフェロモンをばらまいたことを怒られるのならまだしも、誘ってたんだろ、とか脅されなんてしたら……)
 ヒート時は大柄な人間も無力になる。気合いに変換できる器用なオメガも一部いるが、水樹は自身のフェロモンに抗うことで精一杯だ。
(こんな甘くてふわふわするフェロモンなんだろ。彼方ぽいっけど、彼方じゃないし……)
 結婚約束をした相手は、現在もフランスで治療を続けながら絵の勉強中だ。フェロモン治療薬の副作用で体調を崩すことも多いが、『絵の勉強すごく楽しいんだ』『フェロモンがね、ちょっとだけ安定したんだ!』と喜ぶ様子をビデオ通話で確認しては一緒に喜んだ。
(彼方……)
 約束もきちんと守ってくれた。毎年、水樹の誕生日には誰よりも早くメッセージを送信してから着信を入れ、必ず日本へ会いにきた。一年目は早い里帰りみたいなものだったが、律儀に約束を果たそうとする姿勢に毎年惚れたものだ。
(俺、もう……二十五になっちゃったよ?)
 彼方があっちへ行き六年の月日が経った。距離が遠くても離れる時間や日が長くなっても、水樹は彼方しか眼中になく、受けた告白は全て丁寧にお断りした。
(大好きな彼方に会いたい。ねえ、去年のこと引き摺ってるの? あれは格好悪くないよ)
 遡ること一年前。いつものようにお祝いするため帰国した彼方は空港で体調を崩し、早々にフランスへ戻った。悔しく泣きそうな声を思い出したら、ぶわわっと涙が溢れた。
(会えなくても構わないから、お祝いして欲しい。メールでも電話でもいい。そしたら俺、このアルファフェロモンにも勝てるから。力がみなぎって無敵のヒーローになれちゃうから。だから、だから……ねえ、彼方)
──ピコン。
「……誕生日プレゼントは……彼方が、いい……」
 腕を掴まれた時、もうダメだと悟った。説教されたばっかなのに格好悪い。一番ダサい。
 引き寄せられた体は自然と軽くなり、アルファのフェロモンが一層濃くなり心が躍る。死に際になんで喜んでいるんだろうか。
「……ぁ」
 滲む世界に現れるオレンジ色の太陽。赤みのある瞳を細められ、弧を描いた口から白い歯が見えた。
「水樹、大丈夫?」
 頭、鼓膜、心臓、足の先まで響く優しい声。鈴をころころっとした大好きな音色。じわじわと目元が熱くなって、震える喉が上手く言葉を出せなくさせる。
 「中へ入ろっか」と簡単にドアが開き、浅い呼吸で「お邪魔します」と挨拶。男は迷いもなく奥の部屋へと突き進み障子を開けた。暗かった部屋が一瞬で明るくなり、眩しさに水樹は目蓋を閉じる。
──どくん、どくんどくん。
 荒ぶる心臓の音に隠れたリップ音が唇からする。触れた柔らかさと優しさが恋しく、自分を座らせ離れる男の袖を握った。
「も、もっと……。やめちゃ……いやだ……」
 鼻がかる自身の余裕のない裏声に恥ずかしくて耳が熱くなる。
「水樹……可愛い。美味しそう」
 再び屈んだ男に耳をしゃぶられ、反対側をふにふに。ヒートで過敏な体が身震いし、下の口から愛の涎を垂れ流した。
「や……! んっ、んぅ……んん」
 そのまま唇を押し付けるキスから舌を割り込みられ、歯列をなぞられた。分厚くも唾液が甘い舌がぬるぬると口内を犯し、
(気持ちひい……。背筋がぞくっぞくってなる)
 握った両手を取られ、ゴツゴツした骨格の良い指と絡まる。
「か、なひゃ……」
 男の名前は守谷 彼方。水樹を初めて愛してくれた正真正銘の恋人だ。若い水樹の真似なのか髪を腰の辺りまで伸ばし、艶やかなオレンジが大人になった彼を色めかせる。
「ずうっと待たし、て……。ちゅ……んぅ。はぁ、ごめんね」
「うう……ん。会いにきてくれて……あり、んっ……がと。きょ……は、いっぱいイチャイチャしたい……っ」
 やらなければいけないことがすべて吹っ飛ぶくらい、頭が彼方だらけになる。
 ……ダメだ。好きで、好きで、好きで。どうしようもなく堪らない。
(これ、本当に彼方のフェロモン? 去年や一昨年と全然違う)
 自分がヒート真っ只中だからだろうか。鼻の奥がツンツンするのに、熱でじんわり溶けるアイスクリームみたいな甘美さがある。体も火照るし思考がままならない。
「するよ。これからもずっと傍でイチャイチャする」
 とろんとした顔を見られ、はふはふと息が漏れる。項をなぞる指に全身が甘く痺れてしまう。
「ふっ、ふあ……」
 後頭部を見せる体勢になった途端、網目状の首輪にキスをされた。
──どくんっ。
(傍で……?)
「……も、もう少し分かりやすく……言って。俺、人の心読むの……苦手りゃから……」
 期待したらダメだ。彼方は格好良いシチュや言葉を無意識に使うから惑わされてはいけない。
 右耳に息を吹かれてしまい、放り投げた足がくの字に曲がる。快感から逃れるためふるふる首を振ると、彼方はまた耳に息を吹きかけ、腰が抜けた。
「僕の愛する人と、これからは毎日、ずっと、何年も一緒に暮らすんだ」
「……愛する、人?」
 震える手も取られてキスされる。左手の薬指だった。
「水樹のことだよ。運命の番でとっても大事な人。僕を六年もの間待ち続けてくれ、結婚を約束した人だ」
「彼方……」
 心臓がきゅううと締まる。苦しいはずが甘くて幸せで、涙が止まんない。
「待っていてくれてありがとう。僕、ちゃんと治ったんだよ。だから、水樹と……」
 後頭部から耳へ伝える相手に飛び込む。二人揃って畳の上へと倒れた。絶対に離したくない。胸の辺りでこりっと丸いものが転がる。
「……本当?」
 乞うように唇を動かす。口ん中がしょっぱくて辛い。
「うん」
「彼方……ずっと、俺のとこ、いてくれるの?」
 一音吐く度、涙の粒が頬を転がり落ちる。
「あぁ、この先ずっといるよ。水樹が魅せる喜怒哀楽も、声も、体もフェロモンも……全部ほしい。君の一番近くで感じて……たい」
 ぼんやりと熱く蕩ける脳へと響く大好きな人の心音と声。温かくてもうおかしくなった。
(彼方が傍にいてくれる。明日も、明後日も、五年後も……その先も……)
「……遅い、よ」
「何年もごめん」
「違う……。俺、もう、彼方のいな……い誕生日なんて、考えられないんだ……!」
 本当に十八年歳までと同じ日を迎え、そのまま五月に入ると思っていた。
「水樹……ッ! 驚かせるつもりが泣かせる羽目になってごめん」
 止まらない涙を拭う指が熱くて手付きが優しい。
 体を支える自分の腕が激しく揺れる。もう視界がぐちゃぐちゃで鼻水まで垂れ、わけがわからない。だったけど。
「これ、ゆめだったら……どうしよ……。ゆめなら、今度こそ神様に怒る……っ。闘って夢を叶えようと、ふる……ひっぐ……彼方に合わせる顔がな……い……」
「ゆめじゃないよ。夢が叶って現実になったんだから」
 組み敷かれていた彼方が上半身だけ起こし、あと一歩で泣き崩れる水樹を安心させるように抱き締めた。
(温かくていい匂い。ぽかぽかの太陽みたい。本物の彼方なんだ……)
 大きく息を吸うと、ぽろぽろ雫が落ちる。
「それに約束したじゃん。水樹の誕生日には絶対帰ってくるって。……忘れたりしないよ」
 力強く肯定されて嗚咽交じりに頷いた。
 彼方が帰国するのは、一年のうち水樹の誕生日を含めて最大五日。それ以上はスケジュールもあるが、恋しくなるからやめたという。一昨年は三日、去年はそれこそ半日だった。
「水樹、泣いていてもいいから僕を見て?」
 手を添えられ目を見開いた。昂り熱を持つ自分の肌よりも、ずっと熱い。
(溶けちゃいそう……)
「ようやく言える……ね、水樹。僕の番になってください。僕と結婚してください」
 姿勢を正し、少し緊張した硬い声。しかし、透き通る瞳で見つめてくる。
「必ずっ、幸せにしま……す! 僕とこれからを歩んで行ってくれませんか?」
 耳の中でこだまするプロポーズ。決死の覚悟で伝えられた愛の想い。彼方の唇が震え続け、また泣きそうな気持ちをぐっと堪えて我慢する。涙を拭き、クリアになった世界で彼方を見つめ返した。
「……はい。俺は彼方の番になりたい。彼方を夫にしたい。どんな道だろうと、彼方と一緒なら幸せだってもうわかっているから。よ、よろしく、お願い……します」
 ちゃんと言えただろうか。目を細めたらまた涙が漏れた。好きな人を相手にするとすぐ泣き虫になるし、感情を共有してしまう。涙ぐむ彼方をもっと全身を使って近くに感じたく抱き締めた。
「彼方、ずっと待っていてくれてありがとう」
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